diary latihan "HAYASHIDO" (12 Feb 2017)

テーマ:
Hari ini latihan kedua.
Tentang Basic Taiko-kyoku "Shichome"
Sekitar 1 jam latihan padat.

Taiko tidak bukan hal yang sepele hanya dengan memukul saja, tapi ada berbagai macam hal yang harus dipikirkan.
Contohnya : sebelum memukul harus menusuk 
karena memukul di kanan yang menusuk sebelah kiri
untuk memukul taiko perlu di perhatikan ketinggian tangan. Oleh karena itu untuk mengontrol semuanya maka diperlukan latihan memakai suara. ( jigoto )

Basic "TenTeTe Sukusu TeTe Sukusu Yo"
Basic hanya 5 suara saja yang perlu dipukul, dari sini banyak sekali hal yang penting.

Semakin dipelajari semakin dalam artinya.

Oleh karena itu, walaupun hanya latihan 5 suara saja. Dalam 1 jam kami latihan dengan sangat padat.

Dari hal yang sederhana mengandung banyak arti, inilah keistimewaan belajar ohayashi.

Apabila ada yang berminat belajar ohayashi, silahkan hubungi saya.
 
 
今日は囃子稽古2日目。
太鼓の基本曲「師調目」の太鼓について。
小一時間みっちり稽古しました。

太鼓を打つのは、単純に叩くのとは意味合いが大きく異なり、
打つまでのプロセスがとても重要です。
打つに至るまでの「突く」という動作のことであったり、右で打ち始めるための左手の突きの必要性。
左で打つための高さを確保するための動作の開始のプロセス。そしてそれらを統括するための地言の必要。

基本曲「テンテテスクステテスクス、よー」
たった5つの音を打つだけではなく、そこには非常にたくさんの打つための重要な要素が隠されています。

奥が深いです。

その奥深さのためか、基本曲、たった5つの音を打つだけなのに、1時間ものみっちりとした稽古になってします訳です。
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囃子道、その二

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囃子保存会とか、愛好会とかではなく、囃子道としてやっていくことにしました。

囃子を生涯通じて取り組み、稽古で術を学びながら人生をおもしろおかしくしていく道に活かしていく。術だけに留まらない、道としていくお囃子です。

私のお囃子は、囃子道です。

このヒントは、武道にありました。
江戸から明治にかけて、多くの武術は武道に変わりました。それは人を傷付けたり、殺めたりする必要が無くなったことから人を生かす道として変化を遂げた訳です。
一方で芸能はどうでしょう。芸を通じて人の道として役立たせることを追求していることはあるでしょうか?
私は他の芸能に精通しているわけではありません。ただ自分としてはお囃子より二年長く続けている合気道にその魅力を非常に感じています。
武道は全世界で非常に多くの方に愛されていて、人々の人生に多大な影響を与えている。
ならばこその囃子道です。
道でないとならないんです。
このことは囃子の存続のためにも。

神社に、または地域に根付くそのことの使命感にこだわりすぎていくと存続が難しくなる。

それよりかは世界に発信していく。地域に根付いていたものを人々の心に根付くものにしていく。
このことは地域芸能として発展してきたとする囃子そのものの定義を覆すことにもなりかねませんが、私は私なりに気付いて信じる道に生きたいと思います。

そして、囃子道に道主はいません。
囃子には多くの数え切れない種類があり、そもそもの囃子の定義すら難しいものです。それの長を意味する道主はいないわけです。作ってはならないわけです。

なので私は今まで通り、ハヤシマスターを名乗っていこうと思う次第な訳です。

を、インドネシアで。

HAYASHIDO MASTERとして。
そして囃子道でやるのは勿論、田淵流中間囃子、戸塚囃子です。




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Tuman tuman sudah pernah mendegar "Ohayashi"?
Mungkin belum tahu ya.
Ini musik traditional daerah Tokyo di Jepang (jaman "Edo")
Untuk "Matsuri" festival musik.
Saya sudah latihan Ohayashi 27 tahun.
Saya aktif di Totsukabayashi.
Totsukabayashi adalah warisan budaya yang diakui oleh Shinjuku-ku Tokyo.
Saya pembimbing di sini.
 
Ohayashi kami diikuti oleh 300 tahun.
Alasan saya datang ke Indonesia, adalah untuk menyebarluaskan Ohayashi kepada masyarakat Indonesia.
 
Sebenarnya mulai hari ini, saya telah memulai latihan Ohayashi.
Angotanya baru 1 orang.
Mulai sekarang saya akan memulai aktifitas ini.
Apabila ada yang berminat silahkan hubungi saya.
 
Terima kasih.
 
 
 
Totsukabayashi di kuil Yasukuni.
 
Totsukabayashi di Jerman (2007)
 
 
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囃子道

テーマ:
武道にくらべ、芸能の世界はなんとなく閉鎖的で、そんなに広く人々の間で親しまれていないように思います。
 
最近思うのが、武道はかつて武術であり、そこから道として特に精神性に重視することから、武道となりました。
 
この部分、芸能にはあるんでしょうか。
私はお囃子しかしりませんが。
 
お囃子を「術」としてだけではなく、私は、「道」として探求していかないとお囃子の将来は無いのではないかと思っています。
「文化である」「伝統芸能である」ということにこだわるのではなく、ちゃんと論理的な術を明確にしたうえでそれが意味する精神性を説明できる、追求できる「道」として展開していくことがお囃子には今とても必要だと思っています。
 
なので、そういう風に今後やっていこうと決めました。
 
私がやっているのは「お囃子保存会」ではありません。
「お囃子道」です。
 
 

魂は磨け、技術は日々捨てろ

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合気道は29年目、お囃子は27年目に突入。最近の自分を思い、これだなと思ったこと。
それは、やっぱり日々素直になって、新しい気持ちで最高の技術を身に着けようと思うことに限るなと。それと日々進化する訳だから、昨日までの過去にこだわってはならない。
日々新しい何かを見つける。毎日見つける。毎日新しい何かがあるから輝ける。そうしないとダメだと。
でも毎日そんなミーハーな自分じゃだめ。
新しい何かを通じて、自分のそれに対する魂の変化をちゃんと観察しないとダメ。
魂を磨けているか?ということをちゃんと注意しなければならないと。
 
合気道は型稽古だ。
日々同じような技をやる。
だけどその時に例え相手がいつも同じ人だったとしても、その時の相手のコンディション、自分のコンディション、天候によって勝手が変わってくる。
これはお囃子もそう。新曲をやるわけじゃない。いつも同じ曲をやるわけだ。だけどその時の5人のコンディションによって全然変わってくる。
 
その一瞬というのは文字通り一瞬であり、次にまた「同じ」ということは絶対に無い。
そのことを認識することが稽古では必要なんだと思う。
 
技術の日々進化にこだわる、つまり稽古をより濃いものにするということと、魂を込める。技術論だけにはしることなく、ちゃんと心の状態の変化にも注意を払うということにこだわる。
稽古とはかくあるべきだと思っております。