HAYASHIMASTER'S BLOG

ハヤシマスター
2016年4月にインドネシアに移住しました。
生まれも育ちも新宿区の合気道とお囃子をやり続けて四半世紀超。ハヤシマスターのブログです。
HAYASHIMASTER
SAYA LATIHAN AIKIDO SAMA OHAYASHI SUDAH LEBIH SEPEREMPAT ABAD.


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もうFBをやめることにした。疲れたというより他のことに時間を使うべきだし、近況報告なんかせずに「アイツはなにやってんだろう」と謎めいていた方が面白いだろうし、こっちは気楽だし。考えてみたらこの10年以上、mixiに始まりFBとSNSの十数年だった。これやってなかったらミリットの方が圧倒的に多かったに違いない気がする。
これからはリアルなことにより時間を費やしたい。
後少しで40になる前に気付いて良かった。
あくまでも自分にとってのFBの利用価値として、やめようという決断。解放されよう。
昔、18年位前に一時期携帯を持つのをやめたことがあった。あの時の充実感を覚えている。

Twitterとブログは続ける。
性質が違う。
FBは友人がいて、どことなくいいね!される期待感を持つ。それがイヤらしい。そんなんじゃダメだ。もっと努力しなくてはならないなかで、身内から評価されてどうすんのと。バカだ。

Twitterとブログは基本的には、俺にはほぼ読者なんかいないので、自分の記録のためである。
でも今まで実名にしていたけど、ハンドルネームにしようかなと。実名はいろいろと制約がある。

SNSとの付き合いを改める。
ともかくFBさようなら。これからハッピー。


Saya sudah bosan fecebook. sebentar lagi akan selesai.

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たまたまYouTubeでぼやっと合気道動画を見ていたら1994年の全日本合気道演武大会の動画が二時間でアップされており、当時の懐かしい購入できるVHSビデオで、普通に市販されていたままのものがフルタイムでアップされており、あれ?もしかしたら自分の道場あるかも?とかすかな期待を込めて、さすがに二時間ずーと目を凝らして見るわけにはいかないから跳ばし跳ばし見ていたら、懐かしいメンツと明らかに自分が急に画面に現れた!

いやあ~すごいなぁ。。。
今はもう亡きおばあさんの先輩や亡き師範、昔のメンツがそこにはいた。
当時の画像、いかにVHSと言えどプロならもっとキレイに撮れよ、と当時から思ていたけどその悪い画質からでも懐かしい様子がハッキリと伝わった。

当時私は16歳。高校二年生。体が細いなあ。
この時多分2級。18歳で初段なので。
私は10歳で始めて、中学生で大人の一般クラスに移り、高校から本気になったのを覚えている。
なんども思うけど、「昔の方が良かったなぁ」とは微塵にも思わない。なぜなら自分は進化しているわけで、そう考えると今の方がいいに決まっている。稽古方法も組織として進化しているから。でも昔を否定する気持ちは無い。素晴らしいと評価することもない。あれはあれで肯定するだけ。
しかし、あの時代にしか学べないもっとも大切なことを学ぶことができたというのはある。残念ながら時代が、進んでしまったため、あれと同じことを学ぶことや指導することは容易ではない。

高校から大学にかけて合気道一筋になった。
超本気だった。
私には三人の先生がいた。
二人は既に亡くなった。三人それぞれから有り難い指導や空気、言葉を頂いた。それはいまでも自分の金言としてハッキリと覚えている。

翻って今はインドネシアでやっている。
昔学んだことは忘れて真っ白な気持ちでやろうとしている。昔の癖は指摘されたら直す。自分のこだわりはない。教えてくれている人を信じているから。
色々できた方がいいから。


ところで、この動画に映っている中で二人既に亡くなっているが、多感な頃に夢中になっていた合気道の道場で毎回しっかりと握っていたそれぞれの腕の触感はハッキリと覚えている。
後40年は稽古できると考えても、絶対に忘れないだろう。


師範や仲間は私の中では今も生き続けている。
道場でのこと、技の最中の間合いや、独特の空気感。初めて木剣の稽古にて声を大にして「エイ!」と発したときのこと、毎週金曜日稽古後に飲みにいって話したこと聞いたこと、師範から有り難い言葉を頂き号泣したことなどなど。。

社会人になりしばしのブランクがありそのまま師範は亡くなってしまった。
ありがとうございましたの言葉が伝えられなかなった。でも近くにいつでもいるような気がしてならない。

師範は私が二十歳前後のころからカラオケに行くと、野風僧を歌うようになった。決してうまくはない師範の歌。しかし歌詞の通り「だみ声あげて」の師範の歌は、自分に言ってるのかもしれない、と一人嬉しく思っていた。

合気道をこの道場でやっていて本当に良かった。

そういう感謝の気持ちで日々稽古に挑み、道場の仲間と接していこうと思う。


https://youtu.be/5jq-D83bjCY


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私の激ハマり音楽の遍歴は、

①ボレロ「ラベル」 ②メタリカ ③エニグマ

そこでストップ。アジャテ、アルマを除いた場合。

 

ボレロは小学5年から。1日に何十回も繰り返し再生。

 

メタリカはたまたまいとこが「間違えて買ったからあげる」と言われてもらってからハマりまくり。

そういえば、先日ジャカルタの合気道道場で、メタリカの大ファンを公言したらところ、「想像がつかない」と言われた。これはアジャテ・アルマメンバーも同様の反応だったのだが、そんなに不思議なのか?

 

エニグマはFMでかかっていたのをきっかけに。確か19歳の頃から。エニグマは深い。深すぎる。このディープな感じが自分が広がっていく感じがしてたまらん。さっきから同じ部分を延々と繰り返し聞いてしまってなかなか先に進まん。

 

ちなみに、お囃子やっているからと言って日本の芸能に幅広く精通している訳でも、好きな訳でもない。

全然知らないし、他の芸能はあまり興味が無い。

 

スケールが大きいものが好き。

 

じゃあ何でお囃子やっているのか?というと、師匠が囃子のスケールを大きくしてしまったから。

追いかけても追いかけても掴みどころの無い、ドンドン広がっていくものにしてしまったから。

 

エニグマを聞きながら、いつかこういう音楽にお囃子を組み込んでいきたいと考えて実現できたものがアジャテやアルマダルマだったりする。今はインドネシアにいるけど、更に色々深めていってもっともっと音楽を追求していく。

 

そのためにインドネシアに来たのだから。

19年前に初めてインドネシアはバリ島に行った。その時に夜寝る前に聞いていたのがエニグマ。スケールの大きな音楽を聴きながらスケールの大きな夢を一人膨らませていた。

 

久々今日は夜一人。

19年ぶりに同じ国でエニグマを聞いている。

 

 

 

 

 

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やっと見つけた、
合気道とお囃子とバンドの共通テーマ、真理を。そこから見いだす世の中の法則を。

長い長い修行の中で見つけた真理。

答えではなく、理(ことわり)、武と芸の一致する部分。答えではないのでこれから更に鍛え上げていくべき部分。

それはつまり中心力。


合気道の稽古では常にこの部分を意識しなければならない。うまくいった時の技は必ず自分の中心がしっかりしている。力んでいなく、しかし中心がしっかりしている状態。一点を見据えず全体を見ていて常に周囲に気を配っている。技は神楽舞の如く相手と一つになる。求心力と内から外に発する遠心力。合気道は常に円の動きをし、円とは球のこと。どこにいても円の中心になれると考え動いていく。私は20年前に、宇宙には果てがない。だからつまりどこをとっても即ち中心なんだと考えていた。
中心をしっかり自分で感じ動く。そこには無理や無駄が生じない調和が生まれ、だから合気道の技を成すことができる。

ある日、自宅の狭い水浴び兼トイレで洗濯をしていた。
バケツに勢い良く流れる水の音。バシャバシャ濯ぐ私の手でかき混ぜる音。何度も何度も綺麗になるまで水を取り替える。20リットルのバケツの水を便器に流し込んでいく。重たさを感じないようにバケツと自分の中心を考え作業をする。また水をバケツに入れて服を濯ぐ。バシャバシャやる。その時ふと思った。合気道の技をやっているときのような中心がこの環境にも有るのではと。
そこには確かに生活音の中に中心を見いだす箇所があった。
しかも中心は五感すべてに存在することに気付いた。視覚的な中心、聴覚的な中心、触覚的にも。嗅覚や味覚だって中心を感じるための必要な感覚機能だ。


そうか、すべての行いには中心を生み出すことができる。しっかりした中心は求心力と遠心力を生み出し、それによって調和が生じる。これが合気道ならば技となり、お囃子であればまさにそれが囃子の醍醐味となって音に現れる。バンドであればそれこそがグルーヴなのだと。

中心の無い合気道は技が出来ず、囃子もバラバラ、バンドもグルーヴの無いのっぺりとした音楽になってしまう。

五感すべてを研ぎ澄まし、自己の中心を確立する。求心力と遠心力により周囲と調和する。これこそ基本であり目指すべく真理だと確信した。


という前提でこれからもやっていこうかと思う。あくまでも私の場合の話。
ともかく囃子の場合、合気道のような目に見えない部分の力の話に余念がないが、お囃子はこういう部分の話が武道程多くは無いように思える。人の道として役に立つお囃子道としてもこの部分は良く考えていきたいと思う。


チャンチャン。
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続きです。
夜中にやる稽古として、自分の笛の吹き方の地言を書き出してみるというのもありかと。オリジナルの地言です。

しかしこれはお囃子の地言について、ちゃんと勉強してこないとなかなかできません。
だけどできるようになると、これは財産として残ります。
地言を勉強したものにとって、地言とは本当に楽譜です。
私はこの音階表記のない地言に関しては、師匠と私の共通言語でして、地言だけで笛の指の運式が分かります。

稽古は単に楽器を使うだけではなく、理論を研究することも大切です。
そういうことに時間をあてがうのも重要だと思います。
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