2017-04-28 16:48:12

クェゼリン慰霊の旅・11

テーマ:ブログ

(承前)

 

 戦争と植民地の経緯について少し長くなってしまったが、マーシャル諸島の話に戻ろう。

 

 日本がミクロネシアの島々を占領すると、日本海軍はトラック諸島(現在はチューク)に司令部を置いた。そして、ミクロネシアを「永久の支配地」とするために、1918年(大正7年)、統治形態を「軍政」から「民政」へと移行する。

 翌年1919年(大正8年)、「第一次世界大戦」終結のための戦勝国による講和会議「パリ講和会議」にて、新たに構築された国際平和機構「国際連盟」の「委任統治領」として、ミクロネシアの島々は、正式に日本が統治することが決められた。そして、それを「南洋群島」と命名。

 ・・・統治が国際的に認められたことによって、日本は植民地保有国として名実共に「大日本帝国」となり、念願であった「列強」に、ようやく肩を並べることができたのである。・・・その影には、ミクロネシアの人びとの犠牲があったことは、言うまでもない。

 

 では、日本政府による「南洋群島」の統治は、いかなるものだったのだろうか・・・。

 1922年(大正11年)、日本は「南洋群島」の統治本部「南洋庁」を、パラオ「コロール島」に置く。・・・日本の島民への政策は、表向き、素晴らしいものであったと言われている。欧米の視察団から、日本の統治は、「島民の福祉増進」を最優先にしており、世界の植民地において「最善の統治」である・・・と、高い評価を受けたほどだった。島民の「社会的進歩の促進」として、日本人と同じように教育を施したのである。初等教育では、日本語教育に半分の時間を割き、修身(道徳)、算術、地理、唱歌、体操などを学ばせた。これにより、彼らの生活は、著しく向上しただろう。

 ・・・しかし、これらは「同化政策」に他ならなかった。

 

 「柳条湖事件」に端を発する「満州事変」をめぐって、1935年(昭和10年)、日本は「国際連盟」から脱退を宣言し、泥沼の「日中戦争」へと突入していくと、植民地での「最善の統治」も一変していくことになる。

 「日中戦争」が勃発した1937年(昭和12年)からは、南洋群島では「皇民化教育」が徹底され、島民の「日本人化」が推し進められた。・・・学校では「日の丸」を掲げられ、毎朝、「君が代は 千代に八千代に・・・」と「君が代」を斉唱させられたという。さらに、「私は天皇陛下の赤子です。私たちは立派な日本人になります。私たちは日本に忠誠を誓います」と日本語で朗読させられ、全員で北方を向いて「皇居遥拝」を義務づけられたのだった。

 また各島々では、軍事基地が整備されていく。マーシャル諸島では、クェゼリン環礁やウォッチェ環礁で、新たに基地の建設が進められた。

 ・・・ミクロネシア地域は、たしかに、これらの政策によって文明化していったし、島民の生活水準は引き上げられた。日本からも「私のラバさん 酋長の娘・・・」(大衆歌謡『酋長の娘』)の楽しげなメロディに乗って、多くの人びとが南洋の島々に移住(沖縄や朝鮮半島の出身者が多かった)した。やがて、大きな町が形成され、産業が発展し、経済が成長した。

 ・・・しかし、それはけっして「彼らが自ら望んだこと」・・・ではなかった。文明化は、日本においてもそうであるように、必ずしもいいとは限らない。もしかしたら、いいと思っているのは、文明国と自称している国民だけかもしれないのだ。例えば、キリスト教がどんなに素晴らしいからといって、むやみに布教活動をしても、それは、ほかの宗教を信じている人にとって、ありがた迷惑・・・ということもある。

 

 大航海時代、マゼランがグアムを「発見」してから500年間・・・、ミクロネシアの人びとは、自分たちの意志に関係なく、スペイン、ドイツ、日本、そしてアメリカによって、代わる代わるずっと統治され続けてきた。宗教も、言葉も、生活習慣も、そして古来よりの土地所有制度も、彼らに本当の意味での自由はなかった。どこの国が来ようとも、支配者と被支配者の図式は変わることなく、ずっと不当な差別を受けてきたのである。

 ・・・日本統治時代、「日本人」よりも「沖縄からの移住者」は地位が低く、それよりも「朝鮮半島の出身者」は低く、更に「島民」はヒエラルキーの最下位に置かれた。彼らがどんなに教育を受けようとも、一生懸命働こうとも、賃金は低いまま上がることはなく、生涯、「島民」という「地位」から抜け出すことはできなかった。(もちろん、個人的なレベルで、日本人と温かい交流がなされたことはあっただろうけれど・・・。)

 

 ・・・「太平洋戦争」がはじまると、日本軍は、ミクロネシアの島々で、激しい抵抗の末、次々と「玉砕」していった。・・・それは、「本土防衛」のために・・・、そして、もしかしたら、それよりも、植民地となった南洋群島そのものを「日本の領土」と見なしていたために・・・、また、「不平等条約」の改正のために日本が苦労して獲得した植民地であったので、どうしても死守したかった・・・という想いではなかったかと思う。

 しかし、これらの戦闘で死んだのは、日本兵だけではなかった。・・・「島民」。そう、島民は、なんと、下級日本兵として戦って、死んだのだ。・・・「朝鮮半島の出身者」も、同じように下級日本兵として戦って、死んだ。

 ・・・太古より、エメラルドの海に囲まれた自然豊かな島々で、彼らを見守り続けてきた精霊と共に生きてきた彼らは、どこか遠くからやってきた侵入者たちのために、自然そのものもめちゃくちゃにされ、生活、習慣、そして、最も尊い「命」さえも、失うことになってしまったのである・・・。

 

 そして、ここにもうひとつ、マーシャル諸島について、大事なことを書かなければならない。

 戦後、マーシャル諸島は、日本の委任統治からは脱却できたが、まだ自治・独立することができず、1947年(昭和22年)、「国際連合」に、アメリカの「信託統治領」として承認されてしまう。

 ・・・世界は、大きな犠牲を払った先の戦争に学ぶことなく、再び二分し、にらみ合い、そして、殺しあった。1950〜1953年(昭和25〜28年)、朝鮮半島が南北に分かれ壮絶な戦いを繰り広げた「朝鮮戦争」を皮切りに、アメリカを盟主とする資本主義・自由主義を旨とする西側陣営と、ソ連を盟主とする共産主義・社会主義を旨とする東側陣営がにらみあう「冷戦時代」を迎えてしまう。

 太平洋戦争でめちゃくちゃにされたミクロネシアの島々は、その大きな渦に巻き込まれていくこととなる。殊に、マーシャル諸島は、アメリカの太平洋における最重要軍事拠点として、「核」・「ミサイル」の実験場に利用されてしまうのである。(「信託統治領」は、「委任統治領」と違い、「戦略地区」の指定を受けると、国際平和の目的でとして軍事利用が認められるのである。)

 1986年(昭和61年)に、独立国家として歩み始めたマーシャル諸島であるが、国防と安全保障の権限や責任をアメリカにゆだねる「自由連合盟約」を結ぶ。それは、基地の借地料や開発援助、放射能被害に対する賠償費の支払いなどが含まれている。しかし、この盟約が終了する時期になっても、アメリカはミサイル基地を手放そうとはせず、盟約は延長され、現在でも継続されている。

 

 アメリカは、クェゼリン環礁の本島「クェゼリン島」の日本軍基地跡に、軍事基地をつくる。この基地は、普通の空軍や陸軍の基地ではない。アメリカ本土をめがけて発射される大陸間弾道ミサイルを想定して、洋上または大気圏外(宇宙空間)で迎撃するために、クェゼリン本島には高性能レーダー・光学センサー・自動追跡センサーなどを、そして、環礁内の他の島に迎撃ミサイルが配備され、地上配備型迎撃ミサイルの実験が行われているのである。・・・そして、その迎撃実験のために、なんと、アメリカ(アラスカ州「コディアック島」やカリフォルニア州「バンデンバーグ空軍基地」)から、クェゼリン環礁のラグーンを狙って、ミサイルが発射されるという。ここは、大陸間弾道ミサイルを大気圏外で撃ち落とすことのできる唯一の施設であるという。(更に、ロケットの打ち上げをするなど、宇宙衛星の監視や、宇宙開発支援も行われている。)

 いま騒がれている「朝鮮半島第3次核危機」。・・・北朝鮮が、もし小型化された「核弾頭」を搭載した大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発してしまったとしたら・・・。(北朝鮮は、アメリカ西海岸を越えて、ニューヨークやワシントンといったアメリカ東部地域まで届くミサイルを開発しているのだ。)アメリカ本土に向け発射されたミサイルは、日本上空を通過することになるだろう。それが、失敗して日本本土に落ちる場合もあるだろうし、そうではなく、東京やソウルを狙って、中・短距離ミサイルを発射する可能性も大いにあるだろう。そうなれば、日本は、北朝鮮の核の人質になってしまう。このICBMは開発途中であるというが、既に、化学兵器「サリン」を搭載した弾道ミサイルは、もう開発されているという情報もある。

 ・・・この大陸間弾道ミサイルに対して、僕たち日本人は、実験場であるクェゼリンを中心とするアメリカ軍に頼るだけでは、生活や生命が危ないことは確かである。総理大臣や防衛大臣は、日本の保有する迎撃ミサイルに自信を示しているが、果たしてどうだろうか・・・。日本のミサイル防衛は、迎撃ミサイルを発射できるイージス艦が4隻と、全国の航空自衛隊基地などに配備された34基の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の二段構えである。しかし、今年3月6日に北朝鮮がミサイルを4発同時に発射したように、移動可能な発射台で、同時に多数のミサイルを放たれた場合、それらを全て迎撃するのは困難であるとみられている・・・。

 

 それともうひとつ。マーシャル諸島でのアメリカによる核実験の話。アメリカ軍による核実験は、マーシャル諸島「ビキニ環礁」と「エニウェトク環礁」で、戦後すぐ1946年(昭和21年)から開始され、1958年までに、なんと67回もの原水爆実験を行ったのだという。(実験と実戦では比較することはできないが、広島は1回、長崎も1回、しかし、マーシャル諸島は67回である。)

 この実験のために、ビキニとエニウェトクの住民たちは、ふるさとを追われ、ほかの島へ強制移住させられた。先祖代々、住んできた島である。・・・先祖の骨は島の土になり、精霊となって子孫を見守り、その土から育ったものを食べて子孫は成長する。そしてまた、島の土へと還っていく・・・。島と島民は、一心一体の存在である。・・・しかし、現在でも、彼らは残存放射能のために、ふるさとの島へ帰ることはできていない。

 ・・・人間が作り出した放射能は目に見えない。しかし、その影響は目に余る。そこで育った多くの動植物に奇形が生まれた。島の生態系そのものが変わってしまったのである。・・・「広島」、「長崎」、そして「第五福竜丸」、「福島」を経験した僕たち日本人は、そのことをもちろん知っている。・・・しかし、アメリカ人は知らない。

 トランプ大統領のシリアにおける「化学兵器」への反応を見ても分かる通り、アメリカ人にとっては、3種の大量破壊兵器の中で、「核兵器」よりも「化学兵器」・「生物兵器」に、より敏感に反応が見られる傾向がある。彼らにとって、核兵器は世界に平和をもたらす「善」であり、化学兵器・生物兵器は世界を滅ぼす「悪」なのである。実際に、アメリカは唯一、核兵器を実戦で使用した国である。逆に、アメリカは、化学兵器の被害にあっている。第二次世界大戦中、ドイツ軍によって化学兵器を運搬していた船が攻撃されてしまい、自らの化学兵器によってたくさんの死傷者を出してしまったのである。

 そして、1960年(昭和35年)からの「ベトナム戦争」で、ジャングルに身を潜めるベトナム兵たちに手を焼いたアメリカ軍は、ジャングルを枯らす目的で大量の「枯れ葉剤」を散布した。「ベトちゃんドクちゃん」が大きく報道されたが、汚染された地域で取れた食物を食べた人の間で、また出産において、多くの身体・知的障害が現れ、いまなお発症し続けているという。アメリカは、自ら作り出した「化学兵器」によって、苦い経験をしたのである。

 

 マーシャル諸島に話を戻そう。1954(昭和29年)年3月1日朝方、「ビキニ環礁」で爆発した水爆「ブラボー」。これは、広島型原爆の1000倍の威力があった。・・・この時、乗組員23名の日本人を乗せた「焼津」のマグロ漁船「第五福竜丸」が、この近海で被爆してしまった。そして同時に、ビキニ環礁の隣りに位置する「ロンゲラップ環礁」に暮らしていた島民80名が、事前に避難させられることもなく「死の灰」を浴びた。(・・・これはアメリカによる人体実験だという説が有力である。)被爆した多くの人びとが甲状腺異常や白血病、癌に苦しみながら亡くなっていった・・・。

 ・・・これら全ては、もちろん、「彼ら自らが望んだこと」・・・ではなかった。

 

 僕たちが、けっして忘れてはならないことは、島民にとって侵略者でしかない日本人が、ミクロネシアで何をしてきたのかということ・・・、そして、ミクロネシアで実際にどんなことが起こったのかということ・・・、そして、ミクロネシアの人びとが、外から来た人たちによって、どんな歴史を背負わされてきたのかということ・・・。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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