お久しぶりです。心のママに つらつらと。 | ぼんじゅーるぼんのう。

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初田悦子のライブ情報や日常を、若干の脚色を含めてお届けします。

何から伝えればいいのか。

もう、たくさんのライブを経験させてもらって、
その都度、色んな、色んな想いがありました。

函館市芸術ホールでの3回目のコンサート。

今までで一番、自分が今何をやりたいかが見えてました。
それを伝えて、自分の思う事以上の演奏で支えてくれたメンバー、
気持ちで動いて下さるスタッフと芸術ホールの方々。
みんなが一緒に作り上げてくれました。
会いたかった人に会えて、もう一度会わせたかったお嬢とお母さんにも
また会ってもらう事が出来ました。
お嬢には、今までで一番、かっこいい親の背中を見せられたんじゃないかと思う。


来てくれるお客様も、今までで一番多かったし、
函館って遠い街で、私のライブを待っててくれた人が沢山いてくれたことが
何よりも何よりも嬉しかったです。

話が前後するけれど、
コンサート前日に『アウトリーチ』という名で開催した
函館市共愛会中央保育園でのライブも、充実感に満ちてました。
音楽を体で表現する園児達の声、踊り、顔、顔、顔。笑ったり、時には涙してくれたり。
今も鮮明に思い出せます。また会いたい。また、あそこで歌いたいなぁ。
先生達の愛が一杯の保育園でした。愛を一心に受けている子供の顔をしてた。
お嬢も、園児達に混じって一緒にお昼ご飯食べたりして、とっても楽しそうだったなぁ。


そして、
コンサート翌早朝には、仙台へ。


電車の中でも、移動の車内でも、どこか心がピンと張ってました。
(東北へ行こうと思い立った経緯は、前回のブログに書いてあるのです。
どうぞこちらから→http://ameblo.jp/hatsuetsu/entry-11259189331.html

のびすく仙台で出会った、赤ちゃんやお父さんお母さん達の顔。
家族4人揃って津波被害で亡くなられた鎌田咲子さんのご両親、妹さんの顔。
出来る限り、目を合わせながら、心を伝えられるよう歌いました。
でも、どうしても、心を込めてはとても歌えない場面もありました。

そんな時は、鎌田(雅人)さんのピアノの音だけに集中して、
極力何も考えないよう、目は一点を見据えて、ただただ歌いました。
変でしょう?歌って、心を込めるものだと思ってたのに。
感情が邪魔をする事もあるんです。涙は、ここでは絶対、流したくなかった。
無傷の私が感傷で涙して、傷を負いながらも頑張ってる人が
楽しめないライブなんて嫌だった。どうしても、笑顔で、楽しんで欲しかった。
涙するにしても、私じゃない。そういう気持ちでした。

そして、いつもライブの最後には、僕らのラララを歌いました。
ラララを歌いながら、この歌は、こういうことを言いたかったのか。
って、自分で作ったくせに、歌う事で教わったような、そんな感覚さえ覚えました。
その気持ちは、その後の仙台でのステージ全てで感じられました。

次に訪れた
荒井小用地区仮設住宅で出会った、人生の大先輩達の歌う顔。素敵だった。
皆さん、本当に一生懸命、声を合わせて歌ってくれました。
おばあちゃんやおじいちゃんと一緒に歌えるような
古い歌を沢山知っているのは、お母さんのおかげだ。ありがとう節子さん。

しかし、初田悦子ショー、演歌部門、まだまだ未熟者でした。(笑)
でも、未熟ながらも心が伝わる瞬間がいっぱいあった。
『楽しかったよ。頑張ってね。またおいで。』そう言ってもらえました。それでいい。
遠いとっから来た若いミュージシャンが、人生の先輩からかけてもらった言葉。
嬉しかった。色々アドバイスももらったし、シングルマザーだよって言ったら、
励まされちゃった。(笑)

でも、それでいい。被災地だから励ましてあげようとか、
傷ついて頑張ってる人に、『頑張ってね』って言いに行ったんじゃない。
『ただ、今この時を楽しんでもらうために歌う。』ってことを貫けたステージでした。


翌日の榴岡児童館でのライブ。
最初は、赤ちゃんとお母さんに向けたステージだけの予定でした。
でも、急遽もう一つ増えた!早い反応。それだけ楽しかったと思ってもらえたってこと。
すごく嬉しかった。体も声も、もう限界に近かったけど、
心はまだやりたがってたから、もちろん即答でオッケーしました。

赤ちゃんとお母さんのライブで、私は、ほぼ直感で選曲をし、
寝そべったり赤ちゃん目線で歌ったりしました。
それが一番、心通うような気がするって直感。
私の心は、ずっとリラックスしてました。目の前の赤ちゃん達が、
愛しくてたまらなかった。その子達のお母さんの心を思うと、つぶれそうだった。
どれだけ怖かったろう。今だって、ずっと不安だろう。
小さくてまだ何も知らない命を授かったばかりで失うかもしれないなんて、
想像を絶する恐怖。今日くらい、少しでも不安なく楽しんでいってくれたら。
って、強い願いが自然に湧いてました。


次の急遽増設したステージは、『やんちゃ小学生の部』でした。
うむ、全力出し切るしか道が無い。(笑)
期せずして、ラストを飾るに最もふさわしいライブでした。

最後に出会った小学生みんなの顔!顔!顔!!歌った!踊った!叫んだ!飛んだ!!
忘れようたって、忘れられないよ。全員大好きになりました。

きみのママよりを歌ったとき。泣いた子供が居ました。
それは、函館で出会った保育園の園児の中にも居た。
悲しくも痛くもない。今までとは違う。
どこから来たのか分からない涙を、初めて流した顔。
感情の置き場が無くて、複雑な顔で泣いてた。
あれは、忘れられない。私にとっても、とても大事な思い出。
音楽の力に確信を抱いた瞬間でした。


最後のステージを終えたとき、私にはもう残ってる力は無かった。
ここまでやりきる事が出来たのは、子供達が全力で挑んでくれたから。
鎌田さんは、ロックのライブやった後みたいだ!!と表現してはった。
私は、正直ロックのライブをやりきった事は無かったけど、
『まさにその通りだ!!』と、なんかすごく思った。(やった事は無いが。笑)

一緒にエンディングは飛んで着地で締めた!のだし、ある意味ロックだった。
小学生と言う年齢を無視し、大人のライブのお約束?を教えたのだ。
今後も、小学生にはこういうライブ方針で行こうと心に決めました。(笑)
小学生にロックは合ってる。(個人の意見です)
有り余る体力をぶつけられるしね。こっちが大変だけど。

ああ、どうしても最後の印象って強くて、長々と書いちゃってるな。
そろそろ締めよう。これじゃ小説だ。←こういうのも長さの原因。


自分が生まれて来てこんなに、人と通いあえる事ってあったかな。
音楽があって良かった。私に音楽が合って良かった。
そう思いながら、次の旅先、茨城県に旅立ちました。


どの場所でも一貫していることは、
その土地の人と関わる事で良いものが生まれるってこと。
一人じゃ出来ない。今居る仲良しだけでも出来ない。
その場所の人たちに出会い、その人達と関わる事で、
生まれて来たものがもっと膨らむし、関わった分だけ愛しくなる。

函館も仙台も、私にとってはもう既に土地ではなく、人です。
函館って、仙台って、どんなところ?って問われたら、
○○さんや○○さん達の顔がたちまち浮かんで、
彼らが居るところって答えます。だから、行きたい。

それに、ハッピーママの皆さんと出会った事で、
今現在も宮城での輪が広がって来ています。
もうすぐ、新しい仙台でのライブ告知もしますね。


今日は実は、今後のライブ情報を告知したかったんだけど。。。

明後日にしよう。

この後にくっつけたら、読まない人続出しそうだから。目が疲れたでしょう?(笑)

せめて、文字サイズを2くらいにあげときますね目

見やすいように、絵文字もさーゔぃすお酒

ではでは、最後はやっぱり、よう分からんようになってしまったな。

地味なブログでした。
でも、心一杯です。

みなさん。
本日も、読んでくれてありがとう(深々)

明後日また現れます。ライブ情報てんこもりもり持って。
ヒッサスぶりに歌うからね。どうかご予約お願いします。
って実は、HPにはもう上がっております。
ひっひっひ。知らなかったでしょう?(それってどうなんだ)

はいはい、すいませんすいません。ではでは、もうもう。
はいはい、はーい、じゃあねー。ドンッ(忙しい時の母の電話の切り方)

明日は雨です。滑らないように。なむなむ。