この前、ELMプログラムインストラクター研修をしていて、あるワークをやったのです。
 
そのワークは、ネガテイブな反応や心のブロックと呼ばれるような反応にアプローチをかけて、
 
潜在意識の深いところにある目的を見つけるワークなのですが
 
そのワークを通してわたしの中から衝撃的な思い込みが出てきたのです。
 
 
 
 
 
 
それは、、、
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしがハッピーだと
みぃーんな幸せになる
 
 
(と、潜在意識の深い部分に書き込まれてて超ウケた。笑)
 
 
 
それはまるで、
3歳児のように。
 
 
 
あ、これわたしの3歳くらいの写真。
{0173FF4F-EC31-41BC-A30E-943B690E6C75}
 
へんっなおっじさん♪の踊りしてるの。
 
この頃のこと思い出した。
 
 
 
わたしが笑顔だとみぃーーーんな笑顔になる。
わたしがケラケラ笑うとみぃーーんな喜ぶ。
 
 
 
 
あぁ、そうだね、そうだね、そうだったね。
 
 
わたしは、ここからスタートしてるんだったね、って。
 
 
 
---------
 
 
あなたのことが嫌いな人は、
あなたが幸せでも、あなたが嫌いだし、
あなたが不幸であっても、嫌いなのだ。
 
 
だけど、
 
 
あなたのことが好きな人は、
あなたが笑顔だと嬉しいし、
 
あなたがキラキラしていると
同じようにキラキラするし
 
 
 
でも、
あくまでも、
あなたのことが、好きな人は、ね。
 
 
 
 
自分がハッピーだと
周りもハッピーになるって、
そういうことだと思う。
 
 
でも、自分のことが嫌いな人は
どうだって、嫌いなのだ。
 
 
だからわたしは、
わたしのことが好きな人の前で、
 
 
たくさんのハッピーを
まるで飴玉が飛び出して溢れて止まらないように、ばらまけたい。
 
 
 
どうしたって自分を嫌いな人はいるけれど、
(または、嫌いじゃなくとも無関心だったり)
 
 
 
どうせなら自分がハッピーだと
つられてハッピーになれる人のそばにいることを選ぶの。
 
 
 
 
潜在意識の深い深いところで
 
 
自分の幸せは
みんな幸せにする
 
 
って、誰もが実は、知ってるし
信じてる。
 
 
 
 
でも、思い出せないだけ。
 
喜ばないひとがいることも、もちろん知っている。
 
 
 
だからこそ、選んだらいい。
 
 
 
 
 
嫌いな人に好いてもらうためにエネルギーさくよりも、嫌われるんじゃないかとか考えることにエネルギーさくよりも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オチが見当たらないので
大事な書類が見つからなくてガビーンな顔で〆る。
 
{ACAB97EB-D0F3-4C46-9CC5-1835AE09C091}
 
 
 
 
どうも、本日27歳になりました、ハタです。たくさんのメッセージありがとうございます(o^^o) 




{1DECC16C-3D1D-4CC4-BF20-A777DE7AAE59}




 
20歳の頃からのわたしを知っている皆さま、とうとうあの小娘がもう27歳になってしまいましたよ。



もう、27歳っっ。。。

みなさんにとってはどうでも良いことだと思いますが、わたしがこの仕事を始めたのは

20〜21歳の頃。

19歳の頃には潜在意識に出会っていたので、
もうそれから7年も経つのかと思うと

いろいろと感慨深いのです。


やる気なしピスケ




 
あんなに年齢と尖った生意気さ加減が目立った21歳のわたしも、今やバスの中で見かける大学生に対して、若いなぁとしみじみ。


その頃からの付き合いのお客さんとか今の講師たちとかいるので、

その方たちにしてみれば、こどもが大きくなっていった感じなのでしょうね。


もはや、見守り役もけっこういたりとびだすうさぎ1


  
 
柄にもなく、年取ったなぁとか思うと言えば、人生の先輩方からまだまだ若い!と言われる中途半端な年齢だなぁと、個人的に思っておりますが(笑)
 




若輩者なりに27歳、ちょいとふっとばしていきたい1年にしたいなと思います。






 
2年くらい大人しめキャラやったきたので(ほんまかいな)

少しずつしまい込んだツノ(あるんかいな)


を見せびらかそうと思います(できるんかいな)






みなさん27歳のハタユカもどうぞお付き合いくださいませ。٩( 'ω' )و





 
{198D490F-ED11-4782-BEC4-DD4669AAAA2B}

 
諸事情により爪を伸ばせなくなりましたんで、思い切って真っ赤な爪にしばしのチェンジっ!今年は赤がテーマです(^q^)

持っているバッグは自分への誕生日プレゼントでしたカナヘイ花
愛情って、苦労して手に入れるものだと思っていた。

苦労して手にいれた「愛情っぽいもの」は、いわゆる脅してなんとか手にしたものみたく、


それを握りしめていないと今度は不安になって、結果的にその愛情を自分の手の中で握りつぶしてしまうのだった。



赤ちゃんの時って、苦労もなんもせずに、
ただそこにいて、ただ笑ったり泣いたりするだけで人からの注目を浴び、

ただ自分でいるだけでみんなが勝手に動いてくれたのに。

大人になればなるほど、自分以外の誰かになろうとしたり、
自分のできること以外のことをやってみてはダメだと嘆いたりする。


かといって、別に赤ちゃんに戻りたいとは思わないし、
自分にできること以外のことも挑戦してみたい、とは思う。


でも、愛情と苦労は別だ。
それらは隣接さえ、していない。遠く離れたものだと思い知らされたのは、結構つい最近のことだったかもしれない。

---


どこかで話したことだけど、わたしたちが普段欲しい、欲しいと言う「愛」というのは

「興味」や「視線」や「関心」のことであり、

本当は愛して欲しいのではなく興味を持ってもらいたい、視線が欲しい、関心を持って欲しい、

というだけで。


愛されたいのではなく、ただただ「目立ちたい」だけで(笑)



それに気づくことができると、肩の力が抜けてすーってなって、

どっか空気が抜けたような感じに、なる。




なんだ、


興味がほしいだけなんだ、と。

どこか関心を持って欲しくて、チヤホヤされたくって、

それで一生懸命、がんばるんだ。



・・・と思えたら、なんだかそんな自分もかわいいなと思える気がするのです。




わたしが自分のパートナーに今心から思うことは、

「ただ、そこにいてほしい」という気持ちで。


何か特別なことをするとか
何かやってくれるとか
そういう気持ちもあるけれど、

それは単純に「さみしいから、かまって」「つまんないから、関心をもって」ってだけで
「愛してほしい」ではなく。

そういう自分がいるってことを思うと、
逆に自分に対してそう思う人もいるんだなぁ、と思うわけ。


「ただ、いてくれればいい」と。


自分が誰かに素でそう思うのだから、
自分だって誰かにそう、思われるよねと。




愛情って苦労して手に入れるものだと思っていたけれど、
力が入りすぎちゃうと握りつぶしてしまって形がなくなるんだなぁ、なんて。


でも、

普通にしていたら手に入る、のだとすれば
握りしめる必要もなく。

空気のようなものだとすれば、
焦って取りにいくこともなく。




ただただ、息を吸っては吐くように

「そこにはある」

という前提で、いきたいよね。







まぁ、ふとそんなことを思ったのです。


-----
2016年1月の過去記事。

1年後の今も同じことおもふ。^_^