わたしはいろいろなことが、できる。

 

 

 

 

すべて、特別に上手じゃないけれど、

いろんなことができる、器用貧乏だ。

 

 

しかも、頭の中、基本的に落ち着きがない。

 

 

おもちゃばこのよう。

脳内ディズニーランドである。

いろんなアトラクションがあり、

物語が常に展開している。

 

 

いろいろできる、というより

いろいろなことを同時多発的に考えている。

 

それはまるであたまのなかで、

3種類、4種類の映画が同時に流れているように。

 

 

 

 

 

だから、いろんなことを、している。

 

潜在意識を教えたり

講義をしたり

ビジネス組み立てたり

コンサルしたり

写真撮ったり

映像つくったり

服つくったり

物販したり

本書いたり

絵を描いたり

歌ったり(最近してない)

踊ったり(最近してない)

 

 

今年からは、また別のこともやる。

 

映画を撮ったり音楽作ったり、する。

 

物語をつくったり、ライブをしたり、

マンガをかいたり、するのだけどね、

 

 

 

そういう自分が実は、

嫌いだと思っていた。

 

 

 

^^^^^

 

むかしから自分のなかにいくつもの人格があった。

今ももちろんあるけれど、

昔はそれがいけないことだと思っていた。

 

 

だから、ずっと、

その中から何かを選びたくて、

その中から絞って明確にしたくて

 

コロコロ切り替わるいろいろな視点や感覚や情熱に振り回さてなくて

とにかく、自分を定めたいと、ずっと思っていた。

 

 

 

・・・というか、そうじゃないとダメだとおもって

 

ほんとうはすぐそばにいるのに、

 

いないいないといって、自分を探していた。

 

架空の自分。

正しい自分。

あるべき自分。

 

そんな自分が持っている才能。

技。特技。強み。考え。目標。

 

見つけたいと思っていた、定めたいと思っていた、

そうすれば、自分はどんなときでも安心していられるって、そうおもって。

 

 

^^^^^

 

探しては見つけた気がするとしばらくやってみるんだけど、

 

やっぱりしんどくなって生き苦しくなって

”自分”を脱ぎたくなる。

 

 

誰でもいない存在、

誰も知らない存在になりたい、と

毎回強く切望した。

 

 

 

もうやめてしまいたい。

自分を”知ろう”とする終わりのない旅をやめてしまいたい、と。

 

 

 

 

 

でもどうやら、

 

自分が思っている以上に自分はひろく、根は深く、

 

自分が思っている以上に

 

枝(えだ)は無作法に伸びまくる性質を持っていて

 

それが自分なんだ、とおもったとき。

なんだか肩の力がすごく抜けたのを覚えている。

 

 

 

 

あたりまえだけど、

わたしは誰にもなれない。

自分にさえなれない。

 

わたしは、わたしでいることしかできない、と。

 

 

^^^^^

 

 その事実に背を向けて、だれかになろうとしたり、

 

”こういう自分”という固定された自分になろうとしたり、

 

 

そんな自分を明確にわかりやすくまとめあげようとしたり、するのはやっぱり苦しい。

 

 

 

 

 

できることはひとつじゃなくてもいいし、

やりたいとおもうことは、ひとつじゃなくてもいい、

でも、ひとつでもいい。

 

わたしは、わたしに正直でいようと、おもった。

 

 

それは、誰かや何かを目指すことではなく、

 

わたしはわたしのもつすべての要素を

キラキラさせたいとおもう、

生命の根源にあるような願いに正直でいよう、とおもった。

 

 

そしたら、

 

 

◎◎がわたし

◎◎をやりたいのがわたし

わたしは◎◎である

わたしは◎◎をやろうと思っている

 

 

 

”決め切ること”をしなくていいんだな、って思ったの。

 

 

わたしは、わたしに正直に、

 

 

できることはやり、

できないことはやらず、

 

やりたいことはやり、

努力したいことは努力する、

 

ただシンプルにそうでい続けること

それは究極の

 

”ふつうでいる”ってことでもあるんだって

 

あるときドスンと、おもったの。

 

^^^^^ 

頂点を目指しなさい、と言われたような気がした

わたしの幼少期の思い出と体感は

 

”自分”を再発見させてくれる、よい記憶に変わった。

 

 

 

 

自分の中にある

 

”ふつう”や”あたりまえ”をたくさん取り出してみて、

 

それにくっついている

 

世間や一般常識にあわせて貼り付けたラベルを、取り外してみる。

 

 

ふつうにできること、あるもの

あたりまえにできること、あるもの

そして、そんな自分。

 

 

ここにすべてがあるし、これさえあれば、よい。

他に理由は、いらない。

 

 

要素の少ない理由が最も純粋なエネルギーをもつ、

 

だから、もっと自分自身の

 

”ふつう”とか”あたりまえ”とかのすごさを

 

 

惜しみなくバンバン、表現してみようよ。

 

 

 

わたしは、わたしの中にある要素や

 

もともと持っている特技、

できる可能性、

知りたいやりたい上手くなりたい努力したいという思い、

 

 

そういうのを、全部ぜーーーーーーーんぶ、使おうっておもったときから、

 

 

ずいぶんと、楽になった。

 

 

そして、自分のもつものすべてを通して表現する世界で、

 

みんなにもそれをおすそ分けしている、それがひとつの仕事なのかもしれない。

 

 

 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

最後はちょっとしたご案内ですが、

 

わたしがこう思うようになったきっかけをつくってくれたのは

 

やはり数秘術。

 

その古くから伝わる叡智と、潜在意識をコラボさせて新たな解釈つけた

 

この潜在数秘術のアドバイザー講座がスタートします。

 

毎年2回くらいしかやらない、レアな認定講座なので、

ぜひその世界に触れてみてくださいね。

 

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今日から福岡。羽田で飛行機待ち。眠いすっぴん眠いすっぴんぴん!

 

自分が自分をまずは一番大好きで最高だと心から言える

そういう年にしていきたいな。

 

 

昨日の記事ではそう締めくくりに書きましたが、

 

自分のことを大好きで最高だと心から言える、とはどういう感じなのか?

少しだけ補足でお話ししたいと思います。

 

^^^^^^

 

まず、わたしは100%自分”だけ”で自分のことを好きになれるとは思っていません。

むしろ、自分だけで自分のことを好きだという完結は必要なく、

ここは、

 

自力と他力、両方の力を得て

「大好きだ」と言えるようになることが大切なのではないかと思います。

 

 

昔は、心の勉強や潜在意識の勉強をしていたときに、

自分に対する自己肯定感が高ければ高いほど、

より素晴らしい人生が送れると思っていました。

 

しかし、無意識のうちにわたしは、

 

”自分を肯定できない自分”を、好きになれずにいました。

 

 

自分を完璧に肯定できないことに敏感になり、

いつしか目的を忘れ、

 

自分をジャッジしてしまったり、

自分を否定してしまったり、

自分に対して落ち込んでは責めてしまったりすると、

 

またそんな自分に対して落ち込んでしまう・・・という

二重苦の状態でいました。

 

^^^^^

 

いつからか、わたしは自分のことを自分で完璧に愛することをやめました。

 

その代わり、

 

自分ではない他者からの賞賛や、

大自然や、人生のタイミングなどから愛されることと、

自分で自分を愛することの

ダブルで

 

総合的に、自分が大好きだ!と言える日々だったら良いのではないかと、思うようになったのです。

 

 

そこから、かなり肩の力が抜けて、

 

普通に鬱っぽい状態のときは鬱っぽい状態でいるようにするし、

自分のことを後悔している時や責めている時も、

責めているようにすることにしました。

 

なぜなら、

 

わたしがわたしを嫌っているときでも、

わたしのことを好きだ、と言ってくれる人や世界はあるから。

好きなくとも、わたしの人生は、

わたしのことが大好きな、はずだから(笑)

 

 

しかしその代わり、

 

誰かからの言葉や優しさ、愛情表現には

意識をもっと傾けようと思いました。

 

ゆかちゃんすごいね

ゆかちゃんがんばっているね

そんなあなたも好きだよ

よくやっているよ

大丈夫

 

そんな言葉、あるいは言葉ではなくとも伝わってくる些細な表現たち(タイミングというプレゼントも含む)に

 

もっと意識を向けて、もっと受け取る。

 

 

 

”自分では完璧に許せないこと”があったとしても、

”自分以外の誰かや何か”に許され、愛されていることをまずは知る。

 

そうやってわたしは、総合的にどんどん自分を大切に、

そして大好きだと思えるようになっていったのです。

 

^^^^^

 

さて、来年2017年は数秘術的に「1」の年。

 

この年は、1~9までのサイクルで完成し、完了したこと・ものなどをひっくるめて、

総合的にまた新たな一歩、はじまり、きっかけを作る1年となります。

 

 

何かをはじめるというのは、何かを許す、ゆだねる、拓す、ということととても近い気がします。

 

つまり、「・・・うん」と、ひとつ受け入れるごとに、何かがスタートしている、ということです。

 

エイヤ!とやるだけが、はじまりの合図ではないということ。

 

 

 

 

自分が一番最高で大好きだ!と言えることに対しても、

もっと自分以外のところから流れ弾がやってくることを許す。

 

人生そのものに愛されることを許し、

どのようなことを感じようと、どのようなことを考えようと、

 

その時に起きた出来事には、

世の中の常識だけで良し悪しの判断ができないほど

大切な意味があったりする、と

そう受け入れていきたいな、という感じです。

 

^^^^^

 

余談ですが、メルマガでは最後に

「体力」というキーワードが出てきましたが、

本当にこれはあなどれません(笑)

 

精神的な体力、

肉体的な体力。

 

その土壌は、種を植える土壌であり、

わたしたちの意識や願いや心の想いなどが植わる”場”のエネルギーでもあります。

 

 

こころの勉強をすると、どうしても身体のことって後回しになりがち(な傾向)がありますが、体力をつけるというのはただ運動をすればいいってもんじゃ、ないとわたしは考えています。

 

 

適切なところにエネルギーを使う、

使うべきでないことには使わない、

という選択を見極めることも、体力をつける一つの大事な心がけ。

 

精神的体力がある人は、肉体的な体力を。

肉体的な体力がある人は、精神的な体力を。

 

これがあってこその、

はじまり、種播きの1年なのではないかと思いつつ、

寝正月になりそうな年越しを危ぶんでいる、わたくしでした。笑

 

 

 

 

3年前までわたし京都に住んでいたんですけどね、

京都には御幸町という通りがありましてですね、

よくそこのある和食屋さんでご飯を食べていたんですよ。

 

 

で、確か4~5年前くらいに

そのお店である方のメルマガを読んでいたわけです。

 

 

 

わたしは、好きだなと思った人がいると

その人の過去とか昔を知りたくなるので

 

バックナンバーがちょうど公開されていたため

いっちばん古い記事から読んでやろうと思い(何様だ

 

ハンバーグを食べながら読んでいたのです。

 

 

 

 

余裕ぶっこいで

肉をほおばりながら

古いメルマガを読んでいたら、

 

途中から、ごはんを食べられなくなるほど

号泣してしまいました。

 

 

そこには、

わたしは欲しいと思っていた答えがあったのですが、

 

 

その答えって

どのように生きたらいいだとか

どのように考えればいいだとかではなく、

 

 

わたしがわたしの父にして欲しい、と思っていたことの答えが、そこにはありました。

 

 

 

その時に、ある大きなわだかまりが解けた。

父から愛されていたことを知った。

自分の中には、壮大な愛があったことを、知った。

 

わたしは、ハンバーグ屋さんで

その人に、救われたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その犯人は?

この方です。

 


 

 

当時のわたしは、今よりもずいぶんととんがってて

今よりもずいぶんとがんばってて

 

そして、今よりもずいぶんと

自分にも他人にもそっけなかった。

 

しかし、この方が

ずっと、ずっと

目の前で道を切り開いていくわけです。

 

 

 

いやんになりますよねーほんと!プンスカ。

 

 

だって、

がんばれないじゃないですか。

 

だって、

自分にウソついているのがわかっちゃうじゃないですか。

 

だって、

ほんとうにやりたいことに、気づいたりしちゃうわけじゃないですか。

 

 

ほんと、ねー(苦笑)ニヤニヤ

 

 

 

 

 

しかし、いつでも切り開いてくれていた。

ハンバーグほおばりながら号泣したあの時のわたしみたいに、

 

いつだってだれかの”きっかけ”となることを、

してくれていた。

 

直接的ではなく、

丁寧な優しさをふりまくでもなく。

 

 

人にイライラされることをわざとやりながら(笑)

大事な部分をあえてすっとばしながら(笑)

 

怒ったり、笑ったり、を通して

 

 

”それでもいいんだよ”

 

 

 

を、全身で見せつけてくれる存在なわけです。

 

^^^^^

 

言っている内容に

信憑性がないとか

根拠がないとか

理論がないとか

 

言う方がいますが、

 

ネッチネチでバリッバリの理論派のわたしが断言します。

 

 

 

 

 

仁さんのやっていることは

潜在意識の仕組みから見ても、すんごく理にかなってます。

 

ほんとうは、ネチっこく解説したいくらい(笑)

営業妨害だからしませんが(え

 

 

 

 

こう言っているのはどういうことなのか。

なぜ、そういうことを提唱するのか。

 

ぜんぶ、解説したいくらい。

理にかなってますの(大事だから2回言うた)

 

 

 

 

 

でもね、

 

それを”あえて”言わないんだと理解しています。

そして”あえて”言わないことの理由があることも、わかります。

 

 

わたしは”あえて”解説をする側にいますが、

 

 

どうしてなのか?

どうして変わるのか?

どうしてそれでいいのか?

 

 

あえて

言わない

 

って、実は良いことでもあり。

 

 

そこを信じてみるっていう勇気が、

何か一つ枠を超えていく秘訣なのかとおもうわけです。

 

 

 

ということで。

 

これに、

 

ぜひ、行ってみてください。

 

 

 

え?

 

肝心のわたしですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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