1年前の過去記事 再更新。

あなたの「愛されたい」は、何を代弁している?


^^^^^^^^^^^

人は注目されたい。
その人なりの好ましい形で注目と興味が欲しい。


ある人は、ストレートに注目されたがったり、
またある人は、間接的に作品とか文章とか、自分を通して生み出したものへの注目だったりとか。


愛されたい
愛され◎◎
モテる
モテる◎◎

これらすべて、

「興味をもってほしい、関心がほしい、注目がほしい」だけのことであって、

ほんとうの「愛」たるものの本質からは少しずれている・・・




と思っているのがわたしなのですが(笑)


この

・愛されたい



・注目されたい、興味関心がほしい


を分けてみるといいよ~ってことを、
お伝えすることがあります。


^^^^^^^^^^

恋愛・パートナーシップだとわかりやすいでしょう。



男女ともに、好きな人から(あるいは不特定多数から)

注目をもらったり、関心をもらったり、興味をもってもらいたい、

と思っています。



生物学的に、人間は自分に対する興味や関心がないと
生命の危機にたたされる!

・・・という情報が入っているので
なぁーんもおかしいことではないのですが。


恋人にたいして
『愛されたい』はある気持ちの代弁でしかなく

ほんとうは


・注目してほしい
・関心を持ってほしい
・わたしに興味を持ってほしい


のだと知ること。気づくこと。



人間語で「愛されたい」ってのは

本能語で「メシくれ!」って言っているのと

同じようなものだと思うのです。






これで、恋愛やパートナーシップ間のいろいろな問題が解消されることがあります。


^^^^^^^^^^

実はわたし、

恋人に愛されたい!

っていう感覚がいまいちよくわかりませんでした。



愛し愛される関係でいたい
お互いの関係が良好、かつ成長するものであってほしい


という気持ちはあるのですが、

「わたしを愛してほしい」っていう感覚がよくわかりませんでした。

こんな本を書いといてアレなんですが(笑)





『愛』に対する不感症なのかな~?
わたし、おかしいのかな~?
何か、封印しているのか?
我慢しているのか?



と思っていたくらいです。



でも、あるとき気づきました。


「愛されたい!」とは思わないのだけど、

「わたしに気付いていてほしい」
「わたしにかまってほしい」
「わたしに注目してほしい」
「わたしに興味を持ってほしい」


その気持ちのほうが、明確だった。



『なるほどね、みんなが言う”愛されたい”って、このことか!』

と、とても納得。


これに気付けて良かった理由は

『相手に伝えやすい、求めやすい』ことと、

『自分に何をしてあげるといいか、わかりやすい』ってこと。




愛されたい!を変換すると
そんなことができるようになっていくのです。


^^^^

例えば、もっとパートナーに愛されたい!

と思っていたとしましょう。




ただやみくもに「愛されたい!」って言っても、

実はなんとなくのぼんやりなので

相手に何を伝え、何を求め、
自分が何をされたら嬉しいのか、よくわかりません。


しかも、具体的じゃないので、
「愛する」主導権が相手側にあります。


それじゃあ、なんだろう・・・


非常に不安定というか。

自分の幸せや喜びが、相手に依存している状態になります。


^^

でも、愛されたい!を変換してみましょう。



注目されたい!
関心を持ってほしい!
たくさんかまってほしい!
話を聞いてほしい!
助けてほしい!
興味をもってほしい!



・・・こういうのは、女性の代表的な声かもしれませんね。


男性の愛されたい!と訳すと、


認めてほしい!
感謝されたい!
できるって思われたい!
かっこいいって言われたい!
頼られたい!
モテたい!(笑)



なのかもしれません。



ただ「愛されたい!」だけにまとめちゃうとわけわからなかったことも、

こうやって具体的にしていくと、かなりわかりやすい。

男女の「愛されたい」の違いも、わかる。




これがわかるとさらに良いのは、


『男女の愛されたいの違いが、すれ違いをうむ』ってことも
同時にわかりますね。


なぜなら、人はなんだかんだ

『自分の愛し方でしか、人を愛せないから』





だから、女性は女性の「愛されたい」に従って
相手を愛そうとするし、

男性は男性の「愛されたい」に従って、
女性を愛そうとする。





お互いに、求めていることが違いすぎて

根本的にすれちがう!



ほんとうにもう、ねぇ・・・!って感じですよね。


^^^^

さて、

「愛されたい!」を具体的に、ちょっと細かく見ていくと基本的に


・注目されたい!
・関心をもってほしい!
・興味をもってほしい!

のでしょう。
男女ともに。


さらに男女別にみていくと、



男性の場合は、
女性の場合は・・・・


ってな感じで分かれていきます。



男性にとっての注目、関心、興味と、
女性にとっての注目、関心、興味はちがうから。



もっと言えば、

人それぞれ、微妙に

「どのような程度で、どのような方法で、どのような頻度で」
注目されたり、興味もたれたり、関心もってほしいのか、
違う。






ここらへん、もっと具体的に書きたいのですが
この記事ではとりあえず


「なんとなくのモヤモヤを、
愛されたい!で終わりにせず、

もうすこし細かく自分の本音を見つけていこうぜ 」





っていう結論で、終わりにしたいと思います。



あなたのされたい

注目の形はなんですか?
頻度は?
手段は?
アプローチは?


言葉がほしいのか、
行動がほしいのか、
まなざしがほしいのか、

なんだろう?



それを見つけることができたら、

まずは「自分で自分に向けて、ためらわず。」




これが、鉄則なり。





^^

気が乗れば、続編かきますね。

この記事書いたら、久しぶりに恋愛の本がまた、書きたくなりました。



出版社のみなさま、
いかがでしょうか?( ̄▽+ ̄*)










→→1年後のわたし追記。


今年か来年くらいにもう1冊本を出版予定ですが
恋愛本ではないので〜・・・

やっぱり書きたいな、恋愛本(と、同じことを1年後も思っています。笑)
まずは、現パートナーとのことをブログに書いていこうかな。




深刻でいなければならなかった。

 
そばにいるよ、って言って欲しかったから。
 
 
深刻でいなければならなかった。
 
大丈夫?って言って欲しかったから。
 
 
深刻さが必要だった。
 
それを乗り越えられる自分はすばらしいと思いたかったから。
 
深刻さは不器用な自己表現だった。
 
現実を肥大化させて誇張でもしなければ
特別な人間ではいられないと思っていたから。
 
 
深刻さは、唯一わたしの
存在理由だった。
 
 
 
------
 
が!
 
もうそんなのはいらないやって思ったときがある。その時から、わたしは深刻さを背負う必要はなくなった。
 
そして今もなお、そうである。
 
 
 
そのときに、わたしの過去も深刻である必要は無くなったし、もちろん未来にもそんなのは描く必要もなくなった。
 
 
 
なぜなら、
 
 
 
特別な存在だと思われることも
すばらしい人間だと思われることも、
 
ほんとうは生きていくために必要ないものだから。
 
 
 
 
生きていくために最低限必要なものは、
命だけ。
基本的に、命だけだと思っている。
 
 
 
つまり、
 
 
 
 
生きているという事実そのものが
自分の存在の最大の価値。
 
 
今これを読んでいるあなたも、
読めるということは、
生きているということ。
 
 
 
 
生きているという時点で既に100点。
だから、穴埋めする必要はない。
 
そして、100点はゼロ。
100点満点ではなく、100点は100点。
 
 
 
 
 
ということは、、、
 
 
 
 
 
 
満点はないってこと(╹◡╹)
 
 
もう、点数稼ぎのようなことも、必要ないし目指す満点もなくなる。
 
 
 
 
 
あとは、ただ自分で決めたらいいし、
 
そのままこのままで常に
その時の自分が満点である。
 
 
 
 
もし今何かに対して深刻になっている場合
それを楽しめるなら楽しんでしまう。
 
それを楽しめないなら、
深刻さなどなくても
 
 
自分でいてもいいと、思ってみよう。
 
 
{582184B5-A88B-420C-B820-19611D5238ED}
久しぶりに出てきた22歳頃の講演会の写真。
 
 

2014年のメルマガバックナンバーより一部抜粋し、加筆しました。

 

 

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^^^^^^^^^^^^^

 

『何も持たない勇気がある者にこそ、

すべてを持ち得る可能性がある。』

 

今朝、そんなことを思っていました。

 

 

 

 

何かを失うことがこわいとき。

 

常に世の中のことを

「攻撃の視線」で見てしまってます。

 

 

 

やたら敵が多く見えたり、

問題点が多く見えて萎えたり、

奪われる気がして、

 

守らないといけないものが多く感じるがゆえに

防御の姿勢も強くなります。

 

 

お金とかモノとか、

人間関係とか、特にそうですよね。

 

 

 

でも、壁にぶつかったときいつも思うのです。

 

 

『0からやってきた、それがベースなら。

何かを失っても原点に戻るだけだ。』

 

って。

 

---

 

もちろん、これが気休めにしかならないこともあるのですが(苦笑

 

 

 

よくよく思い出せば、

へなちょこだった時期はいつもあったわけで。

 

というか、原点は

赤ちゃん(ゼロ)だったわけで。

 

 

得意げに何かを得たつもりになっているけれど、

 

ほんとうは生まれた時から両手は

誰かと手をつなぐもの、

好きな人を抱きしめるもの、

 

のために何も持たずにいるのではないかと。

 

 

 

 

 

さらによくよく考えると

失うことが嫌なのではなく、

失ったということによって

感じる痛みを経験したくないから

 

人はコントロールしたり、

何かを支配しようとしたり、

我が物である証明をしようとするわけです。

 

 

 

「失う」そのものが嫌なのではなく、

「失った」という認識による痛みが嫌なんだ、と。

 

 

ということは、失うことが嫌なのではなく、

 

”失った”

”なくなった”

”終わった”

”捨てられた”

 

というレッテルを自分に貼るのが、痛い。

 

 

貼らなきゃよくね?

 

 

 

 

「自分のものではなかった」と知った時、

自分に対して

 

”お前は価値のない人間だ”とレッテルをはる。

 

 

持つ者が強く、持たぬ者は弱い

なんて、誰が決めた?

 

 

ってなるけど、

 

それでも

絶望感や喪失感を味わいたくないから、

 

すこしでも誰かや何かが「自分のものである」

という錯覚を抱き続けようと

もがくのですね。

 

 

 

 

まるでそれは、

お母さんのお腹から出てきた時に

へその緒を切り離された時に味わった

「であろう」

 

 

喪失感や絶望感、不安や分離感と

一緒なのかもしれません。

 

 

 

人間は誰しもがこういう、

切り離された体感、というのを持っています。

 

 

根っこの部分に、わたしたちは大切なライフラインと

切り離された経験があるからこそ、

 

何かを「失った」と認識するのが嫌だし、

それを認めたくないんでしょうね。

 

 

^^^^

 

 

だから、お金を失うのが怖いと思う。

だから、恋人を怒らせたくないと我慢する。

 

だから…。

 

 

うーん、でも書いていてやっぱり思うのは、

 

「そもそも、自分は誰のものでもないし

誰かや何かも自分のものではない」

 

という結論です。

 

 

 

そして、こうも思います。

 

 

『持たないことは孤独ではない。』

 

 

 

 

ただ、不安になるとやっぱり忘れますね!

 

 

なくしちゃう!とか

うしなっちゃう!とか。

 

 

そもそも、それらを手に入れる前は、

自分のものではなかったのに。

そして、自分も誰の所有物になることもないのに。

 

 

ただ「一時的に自分のところにいるだけ」なのにね。

人もお金も時間もモノも…。

 

 

 

タイミングが連なって、ただその瞬間

互いにとって必要だから「そこにいる」だけ。

 

 

また別の人やモノやお金が、

そのタイミングになったらやってくる。

 

それだけのことだと私は思うのです。

 

 

-----メルマガ転載おわり-----

 

 

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