昨日、Facebookにこんなことを書いた。
 
 
 
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例えば、悲しいことがあったとして。
 
悲しみを感じることはあるけれど、悲しい人にならないことはできる。
 
例えば、不安になることがあったとして。
 
不安を感じることはあるけれど、不安な人になることはない。
 
 
今わたし、何か怖いことはありますか?と聞かれれば、
 
怖いと感じることはたくさんあるけれど、
 
何かを恐れているわけではない、
何も恐れていない
と答えるなと思った。
 
 
しあわせだ。
お金とか地位とか名誉とか結果とかそんなことでは得られないしあわせが、この瞬間にある。
 
答えに自分そのものを感じたときに、しあわせを感じる。至福とでも言うのだろう。
 
制限さえ外せば、何もかも享受できることが、しあわせだ。
(*´Д`*)
 
 
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わたしは、人から見ると目標とかゴールとか、求めているものがはっきりしているように映るらしいけど、
 
 
実は元から、
 
夢とか
目標とか
ゴールとか
 
そういうの無理なタイプで。
 
 
どちらかというと、
 
その時その時のやりたいことに夢中
 
のタイプなんです。
 
 
 
だから、
 
 
 
 
やりたいことはたくさんあるし、それをとにかくやっているけれど、
 
1年後どうなっていたいか?とか
未来どうなっていたいか?とか
 
そういうの考えるの、実は苦手なんです。
 
 
 
 
 
だから、ぶっちゃけ、夢とかありません。
 
でも、今の自分の過ごす日々に、
やりたいことをやれる時間がたくさんある。
 
 
だから、何も考えずにずっと楽しんでいられる。
 
 
 
そのベースは何だろう?って考えたんですね。
 
 
 
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結論、やはり
 
 
享受力だな
 
 
と思いました。
 
 
 
受け取る力、と言ってもよいと思います。
 
 
許可としてもいいし、許す力というのかな。
 
 
 
 
 
 
 
なぁんでも、受け取ることができる。
 
衝撃も、感情も、痛みも。
 
 
 
自分の中で生まれたものは、
自分自身が責任をもって、受け取る。
 
それはつまり、自分が自分をしあわせにする、という覚悟の元生まれる責任感だと思うのです。
 
 
 
 
昔はもちろん、そうではなかった。
 
 
探った。
迷った。
人のせいにした。
自分のせいにした。
まぎらわした。
抑圧した。
我慢もしたし、
ひねくれた。
 
 
 
少しずつ、そういうのも必要ないし
わたしは武装しなくても生きていける、生きていて良い人間なのだと自覚してから
 
 
 
 
起こることすべて受け取ってやろうじゃないか、と思うようになった。
 
 
 
 
それでも世界にYESと言おう。
 
 
 
 
3〜4年前に生まれたわたしのキャッチコピーは、ここから生まれているんです。
 
 
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あなたの人生に悲しいことが起きても、
 
あなたは決して悲しい人ではない。
 
 
 
 
 
あなたの人生に孤独が現れても、
 
あなたは決して孤独な人ではない。
 
 
 
不安があっても、
不安な人でいる必要はないし、
 
 
恐れの感情があっても、
恐れる必要はない。
 
 
 
 
あなたはあなたでしかなく、
感情や思考はあなたではないし、
ましてや現実とか結果とかも、あなたではない。
 
 
 
 
 
切り分けて考えるようになると、
 
わたし
 
がどんどん浮き彫りになっていく。
 
 
 
やがて、そのわたしという感覚が、
誰より何より強い味方になると思うんです。
 
 
 
 
そしたらもう、何もいらねーや、ってなる。
 
 
 
獲得のための人生ではなく、
体験のための人生に切り替わる気がするのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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