ちょうど一年前も同じようなこと書いとる(゚∀゚)

再更新!

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私たちを苦しめたり悩ませたり惑わせる『愛の獲得』という習性が、誰の中にもあるとわたしは思っています。


愛というのは誰かからの関心のことや相手からのさりげない言葉掛けから、物資での表現・または時間や距離や数字などで表現される、と思い込んで、それを獲得するために生きようとすることを指します。


愛を獲得するのが当たり前になると、それが『ない』からこそ『得よう』とすることができるので、『ない』という前提をもってすべてと接する。


しかし、ある程度までは愛を獲得することができても、そこから何かが溢れるようにして沸き出ることはない。

その先へゆくには、そもそもの『愛というものに対する考え方』を、よりフリーダムで、よりフレキシブルなものにしていく必要があると思っています。






 
例えば『この人の愛』と『あの人の愛』は全く違う形で表現される、ということをどんな時も感じてみようとする試みだったりが、スタートなんじゃないかと。
わたしは、広大な草原の中でそんなことを感じ、また、愛の獲得という永遠に走り続け休むことを許されないラッドレースのような在り方というものにより一層、敏感でありたいと思ったのでした。
 





 
そもそもわたしたちは、愛など獲得せずともそこにあるものを受け取ることができました。
 
そこから少しずつ愛というのは獲得するものだ、と体験し、勘違いし、痛みを覚え、あるものをなきものとすることに疑問を抱くようになり、そして、さまざまなプロセスを経てまた、赤ちゃんのときのような自分に、かえるのでしょう。
 
いったい、
何とたたかい、
何に怯え、
何を勝手に敵とみなし、
何を確認せぬまま決めつけ、
 
何を見ないようにしているのだろう。
 
そんなことを思わされる景色でした。





たとえば恋愛やパートナーシップ関係だとわかりやすいです。
ほとんどの男と女の関係(あと親子関係)の問題はここからきます。



愛の獲得状態のとき、
人は相手の『行為・言動』を自分の持つ『愛とはこういうものである』という思い込みで無意識にジャッジします。

そして、心の中に採点ボードがあり、そのボードに書き込んでは得点をためているのです。
 
たまっている得点をみてはニヤニヤしたりヒヤヒヤしたり。
もちろん、その得点ボードには『自分のあげた愛』の点数も書き込んであります。




 
相手のより自分のほうが勝っていると優越感を感じる人もいれば、逆に不安になって怒り出す人もいる。


だいたい、尽くすのが好きな人は、相手よりも愛の提供という名の勝負事において常に勝っていたい、のです。






 
さて、愛の獲得を常としていると、大好きな人なのに、大切な人なのに、相手のことばや行動、さりげない仕草やふとした時に見せる顔、メールの返信頻度や顔文字の有無など、
 
どこから切り取ってもそれらは採点に関係するものになりますよね。
 
つまり、相手そのものではなく、常に相手の行為・ことば、そして自分の行為・ことばばかりに気をとられて、相手の存在そのものではないところばかり、見てしまうようになるのです。


 


愛されていないと嘆く女子に伝えたいことがあります。

 
あなたのほんとうにほんとうにほんとうに心の奥底から相手に求めていることってなんだと思うか?と。


 
こころに着せた、いろいろなお洋服を全部ぬいで、声を聞いてみるの。一枚、だけじゃないのよ。わたしたちはいつも、こころにたくさんお洋服を着せて、守ろうとしています、
 
お洋服というのは、価値観のこと。あれが素晴らしくてこれが素晴らしくない。物事の本質を排除してしまう価値観を何枚も、何枚もこころに着せている。
 
それを一枚ずつ、ぬいでいく。方法は簡単。とにかく「ほんとうにそうかな?」と疑い続けるのです。





 
 
『わたしは◎◎してほしい』→ほんとうに、そうかな?
『わたしは◎◎されていない』→ほんとうに、そうかな?
『好きなら普通はこうでしょ?』→ほんとうに、そうかな?
『あの人は絶対に、こうにちがいない』→ほんとうに、そうかな?
 
 



くどくどしく、こころがぎゅーっとしてすーっと解放されるまで
徹底的に問いただしてみてほしい。ほんとうに、それを求めているの?と。
 
やればやるほど、わかってくる。
お洋服を着ていないこころは、何の行為もことばも、いらない、と。





必要なのは、ただ在る、ということだけ。
ただ相手が在る(いる)ということ。
ただ自分が在る(いる)ということ。
ただ相手と自分が存在している、ということ。
 
 
ただそれだけのことに、どれほど感動するでしょうか。




 
こんなことを偉そうに書いているけれど、
わたしだって、何度も何度もこの『愛の獲得』に悩まされ、苦しみ、何度も何度もこの問いかけをしています。


そして、未だにそれを忘れて
問いかけなおすこともあります。








でも、自分を思い切り疑えるのは、自分を心底信頼しているから。


夢や希望や目標や愛さえも、なくたって自分そのものが『それらをいつでも生み出すことができる存在』ならば、必要なときに必要なだけ、それらがあれば、いいよね。


 
愛も夢も目標も願望もお金もやる気も。
『獲得するものだ』と思い込んでいるから、《ストック》しようとする。
 
減っただの増えただのに一喜一憂する。
 
そんな心配は傍において、もっと景色を見ましょう。
もっと”当たり前”に感動しましょう。

 
モンゴルの大草原で、たくさんお洋服捨ててきた気分でした。



 



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