オススメの過去記事です!


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仕事がうまくいかない・・・
恋愛がうまくいかない・・・
過程が崩壊している・・・

わたしはあんな過去があるから
わたしはこんな失敗があるから


そうやって私たちはついつい

「自分が歩いて来た道、残してきたもの」=結果

というものと自分自身を混在させてしまい、

それぞれの価値を分けて考えることができずに
無意味に落ち込んだり、
無意味に過去にとらわれてしまいます。


ただ、わたしは講座やブログなどで、

「結果」と「自分」は違うものだ、

とよく説明しています。



結果(現実)とあなたの存在価値は、イコール関係ではないのです。





そして、それを常に意識しながら仕事、恋愛、家族のこと、友人とのこと

を味わうようにしています。





例えばこの図を見てみてください。

image


あなたは、歩きました。

歩いたことによって、距離と時間が生まれました。



距離と時間は、結果をうみます。

何かしらの結果(現実)は、距離と時間、つまり

空間の変化、によって生まれます。



この図を見てもらえばわかるように、

確かに「自分」と「結果」は同じように存在しています。


しかし・・・




image



これ。どうなのか?

ってことなんです。


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シンプルに考えれば速攻でNOですよね。

この図でもわかるように、歩いた距離と時間そのものと
自分自身の存在はイコール関係ではないことがわかります。



ただし、

脳みそってのはそうは捉えません。

わたしたちは自分自身と、自分の歩いた道を混合して

「わたしはこういう人間である」


という判断・記録をしているからなのです。



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別に、そう思うな、とは言いません。

誰だって自分がしたこと、してきたこと、残したもの、残っているもの

を気にし、それを自分自身と同じ存在だと思うからこそ


「あれをやりたい」
「これを残したい」
「あの経験を大切にしたい」


と思うのです。



ただし、いきすぎ厳禁です。


距離と時間はあくまでも距離と時間です。

あなたが残した結果は、いつだってただの結果であり、
そこに自分を重ね合わせなければ
そのふたつはまったく違う価値を持つことになります。





あなたの存在は、その存在そのものの価値がある。

ただし、

あなたが「選択」したことによって
結果が生まれる。

だから、

結果というものは、
あなたの「選択」の価値と比例する、ってことでもあるのです。




これをわかりやすく例えてみましょう。


例えば、昨日は焼肉を食べました。
今日は朝から餃子を食べました。
昼はまた焼肉を食べました。
夜は会食で中華を食べました。



次の日・・・・



胃がもたれました。





あたりまえですね。笑
こんなことしないでくださいね(誰もしないか。)




この時、


焼肉を食べる選択
餃子を食べる選択
焼肉を食べる選択
会食にいく選択

すべて、自分が選択しています。

この選択によって

胃がもたれる


という結果が生まれました。

この時、


選択の価値=結果の価値

としたとしましょう。



選択の価値を100点だったとします。



おいらは絶対に間違えていない!
100パーセント最高の選択をした!


そしたらおのずと、

胃がもたれようと
気持ち悪かろうと
結果の価値も100パーセントです。




では、別の例えでもいってみましょう。



あなたは誰かに対してプレゼントを渡そうと思い、
選びに行きました。

最終的に、真心込めて選んだものは
あなたにとって100パーセントの価値があるとします。

その真心込めて選んだものを
相手に渡した時に、


なんと!!



あなたよりも早く相手がそのものを手にしていました!!!




ガビーン・・・!(iДi)




となりますが、

公式上、こうでしたね。



選択の価値=結果の価値



だもんで、


選択の価値100パーセント=結果の価値100パーセント


しかし、喜んで欲しかったあなたは、
その結果に満足しません。


そうすると、この式がおかしくなります。
もやもやします。すっきりしません。



途端に自分の選択が間違えていたのだろうか?
自分は他の選択をすればよかったのではないか?

と考え出して後悔しだします。



しかし、皮肉なことに


選択の価値=結果の価値

という公式に当てはめて考えた時・・・



どうしたって、その結果の価値は100パーセントなのです。

どう考えようと、
その結果で100パーセント、良かったのです。




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ここで言いたいことはつまり、


「結果がどうであれ、選択に誇りを持て!」

ということでもあるし、

「選択に誇りを持てば、結果にも誇りが持てるようになる!」


ってことでもあります。



ここで、結果というのを現実

という言葉におきかえてみましょう。




「現実がどうであれ、選択に誇りを持て!」


「選択に誇りを持てば、現実にも誇りが持てるようになる!」




と。



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「現実を変えたい」
「現実を受け入れたい」
「現実を大切にしたい」
「現実を好きになりたい」


そうやっていうすべての人は、
まず、


「自分のしてきた選択」に価値を与えてあげましょう。


自分のしてきた選択に価値を与える時。

おのずと現実にも価値を与えることになります。




その時、

「でも、あのすばらしい選択がこんな現実をうむなんて・・・」


と思っていると、辛くなります。

意味のない後悔が残ります。


なぜなら、



選択の価値=結果の価値

だから。



つまり、選択に誇りをもったとき、
例えそれによる結果がどんなものであろうと、

選択がすばらしかったと思えるならば、
その結果(現実)を受け入れられるようになるから。


逆もしかりです。


選択がすばらしくない、選択したことに後悔を抱いていると、
結果に対しても後悔し、その結果を受け入れることができません。

私たちの中には、
このような葛藤が潜在しています。


誰の中にも、


「誇りが持てない選択」が眠っています。




あの時こう言えばよかった。
あの時こうすればよかった。


でもね。






選択も結果も変えられない。


でも、


選択と結果に対する「思い」や「まなざし」は変えられる。




いつまでも自分の選択にうじうじしていないで、
さっさとそれに水をやり、よしよししてあげて

「あの時の自分にとっては一番最善の選択だった」


と、価値を与えてあげる。


こればかりは、歯を食いしばってやるだけの価値はあります。


自分が後悔している選択に、

とびきりの賞賛を。





それができるのは自分だけだし、

自分の過去を振り返る、ってそういうことなんじゃないか、と思うのです。





気に入らない現実があるならば、
まずはその前に、自分の選択を。


そこに誇りと、「よくがんばりました」マークを
押してあげてくださいね。



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ちなみに、最初の方で、


「結果」と「自分」は違うよ、と伝えました。

しかし、


「選択」というのには「自分の意思」が含まれます。



もっと言えば、

何かを選択すること、
何かを選び、何かを選ばないこと、

それには小さくとも「決断」の瞬間が必ずあります。



決断、というのは
その人の中でのある種の覚悟です。


しかし、




それが幸せである覚悟なのか
不幸せである覚悟なのか
変わる覚悟なのか
変わらない覚悟なのか


なんでもいいでしょうが、


自分の決断にはどんな覚悟が秘められているのか。


そして、自分の選択や結果(現実)を作るその小さな決断の積み重ねは、

どういう「前提」で行われているのか、
観察してみるといいでしょう。





前提が変われば決断の質が変わる。

決断の質が変われば、選択の質が代わり、

最終的に結果が変わる。





つまり、


結果(現実)と自分は完全には繋がっていないけれど、


自分の影響を、結果はいつも受けている、ということなのです。


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