(2016年1月の過去記事 再更新です!)




今日は、彼との出会い、についてちょっと書いてみたいと思います。
(ちょっと、いや、ブログで書くのはかなり恥ずかしいですが、エイや!という気持ちで。)

^^^^^^^^^^^^^^

実はわたし、2013年に恋愛の本を出させていただいているのですが、






その後も辛い恋愛をしていました。

(その前も、実は。世間的には、ダメなやつとかも。)

そのピークが2014年の年末。
とある事件が発生して、わたしは今までの人生で


「どうせわたしは・・・」と諦めてきた全部の想いを一度に浄化させられたのではないかと思うほど、

膿(うみ)が炙り出されるかのようにたくさん出てきたのです。



たくさんみました、聞きました、感じました、自分の声。そして叫び。


《お前がお前を諦めてどうするんじゃー!!!!!》と。


それはもう、自分の奥底から湧き出るような怒りでもあり、
諦めてしまったたくさんのことを、今もう一度掴みに行け!

というような一喝でもありました。


神様におしりぺんぺんされている感じ。


「あんたがなぁ、自分のこと幸せになる価値なんてないとかゆうとったら、
誰もがどういう風にしたったらええんか、わからんがな!!」

(関西弁風味。)

と。


そんなわけで、わたしはその時に決意したのです。
今まで何度も決断というものはしてきましたが、
この時ほど腹をくくったことはありませんでした。



わたしはわたしの幸せを諦めない。



そう、自分に強く誓ったのです。



実は面白いことに、その直後
「あるエネルギー」が突如あらわれます。


それは、人物のエネルギーでした。


(すみません、あやしい話ですが苦手な方はスルーで。)



もともと敏感ではありますが、この時ほど強くその人物のエネルギーを感じたことはありませんでした。

まるで、肉体だけがないけれど、存在がそこにあるような。



ソレはわたしのそばにすーっとやってきて、
絶大な安心感と愛を与えてくれました。(あと、すさまじい破壊力の微笑みを。)



不思議でした。

「あなたは誰だ?」と思ったくらいです(笑)


透明人間でもいるのではないか、と思うくらい生々しく、リアルにそこに確かに「いた」のです。




そこから頻繁にその人(実体はないけれど)はやってくるようになりました。



わたしが昔を思い出してつらくなっていると、すっと横にやってくる。
名前はないけれど、意識を向けて呼ぶと、すっと優しくやってくる。

そして、いつも応援してくれる。
優しく見守ってくれる。愛を与えてくれる。
(何もしないけれど)

ただそこにいるだけで、存在だけで、絶大な安心感と信頼感とあたたかさをくれる。



実態はないし、現実的には誰もいないのですが
まるで大きな掌で頭をヨシヨシされているような。

いつも励ましてくれる大切な存在でもあったのです。

^^^


実はその時のエネルギーが、今の彼だったのです。
とはいえ、これは後から分かったことなのですが。


何せ、彼はわたしにとって親友のような存在であり、
いろいろな話を気兼ねなくできる友人の一人であり、

似ている部分も多いから安心はするけれど、その時のわたしにとっての恋愛対象とは違っていたのです。


(ええ、お互いに、全く恋愛対象外でした。笑)



そんなことだから、全然そのエネルギーとその人が一致しませんでした。


『こんなにも強く感じるのだから、早く肉体現れないかな~』って
本気で思ってました。笑

だから、途中からね、そのエネルギーを

「膨らます」ことにしたのです。


そう、風船のように。

自分の気持ちを入れて。ふー、ふー、って。膨らましたのです。

(補足:現実化したい未来があるなら、こうやって風船膨らますみたいに、その未来のイメージや未来のエネルギーを五感でフルに感じて、どんどん大きくしていくとある瞬間に、それが物質化します。)



そこから半年後…。


ふと、エネルギーがやってこなくなった時があったのです。

とはいえ、大事な人物が消えたわけでもないし、
わたし頭おかしかったんちゃうか?とか思ってやり過ごせるくらいだったので

特に気にしていなかったのですが…。
(というか、単純に仕事が忙しく楽しかったから忘れていた。)



ちょうどそのエネルギーを感じなくなった頃、
今の彼とお付き合いをすることに。


(エネルギーが物質化したわけです。)



いろいろはしょってますが、そんな面白い流れもありました。




^^^

とは言え、お付き合いをするとはっきり決まったわけではなく

(どちらからも告白はしていない。)


割と初期の方は、頭があたふた。

ん?これでいいのか?ん?

みたいなことも多々あり。


今思えば、潜在意識が書き換わった時に起こる「ゆらぎ」や「引き戻し」の現象でもあったのです。



(補足:潜在意識は一瞬で変わりますが、実際の現実が変わるまでにはいろいろな揺れる期間がある。その期間、人は不安定になり、ごちゃごちゃした感じになり、ブレたりする。越えると、完全にリニューアルされる)





で!

実はこの話を書こうと思ったのにはわけがあって。

最近ですね、ふと電車に乗っていたとき。


横にいた彼のエネルギーと、
半年間感じ続けた存在のエネルギーとが


全く一緒だった



のです。


びっくらこいた。



「あ、やっぱりあなただったのね」



と。笑



また半年の時間を経て、感じたわけです。


(好きやな~半年スパン)





出会った頃(3年前くらい)も、
付き合う直前も、付き合った直後も、

あのエネルギーを彼に感じたことはそれほどありませんでした。

なんていうか、疑っちゃうことも多々あったし、
昔の恋愛パターンを引きずっって、嫌なこと考えたり、
実際に相手が嫌になったりしたことも、あったし。

でも、やっぱりあの時下した

ある決断の力は強かった。


(それは後述)

そういう軸みたいなのによってちょこちょこ軌道修正し、
どんどん真ん中によっていき、
それと同時に、関係性もどんどん良くなって、

そして、ドーン

(あのエネルギーと彼とが同じ存在になった。)



だもんで。

今はなんていうか…

相手に対するゆらぎや不信感というものが全くなくなりましたの。

頭で考えることはありますが、ブレるっていう感覚が、

あの電車でドーンっと感じたときに、一掃されたというか。




「あぁ、神様は、自分を諦めなかった人に

こうやってプレゼントをしてくれるのだな」

って思ったのです。






でもね。

そんな相手だからといって


喧嘩しないわけでもないし
嫌になることがないわけでもないし
プンスカすることもあるし(されることもあるし)
全てが完璧!なわけではない。


ただし、
圧倒的に違うのは。



わたしが愛でいられる、ということ。

彼のどこが好きとか、どの部分が好きとか愛してるとか、そんなの無い。

ただその存在のおかげで、わたしはスーパーウルトラハイパーなほど

自分の愛を感じ、それを持て余してしまうから

放出したくなる。



それが圧倒的に今までの恋愛と、違っていました。







こうなったきっかけは、やはり
「ある覚悟」だったのです。


^^^


なんの覚悟か。

なんの覚悟が、そこまで思える(思ってもらえる)パートナーを引き寄せたのか。

なにが、あのエネルギーを連れてきて、そして現実化させたのか。




それは


『いつ時だって自分の幸せは絶対に諦めない』


という覚悟。


そして、

自分を幸せにすることを妥協しない



という覚悟です。



言葉にすると強く聞こえるかもしれませんね。

諦めないとか、妥協しない、とか。


でも、実際の感覚はとても弾力があって、もちっとしていて
やわらかくて優しくて、とてもふくよかな感じでもあります。



どうしてこの話を書こうと思ったかっていうと…
それは、

『この覚悟は誰でもできる!』し、

『恋愛・パートナーシップ』を通してこの感覚を味わうことが一番のちかみち!

ということがお伝えしたかったからなのです。



^^^


結局ね、

◎我慢の仕方を間違える
◎素直の意味をはき違える
◎幸せの形を勘違いする



この三つのどれかが、
恋愛やパートナーシップをつまずかせる。

もう、痛いほどに経験しましたわ。



もう一度、書きましょう。




◎我慢の仕方を間違える


我慢してはいけない、我慢しない方がいい、どちらでもないのです。

我慢には、我慢のもつ本当の魅力があります。

それが生かされた時、それは我慢ではなくなり、相手と自分の間をつなぐ架け橋となります。

たくさん我慢してきたなぁ。

でも、本当の我慢って、こういうことだったのかぁ、と今ならわかります。


◎素直の意味をはき違える


素直でいる、というのは「何でも言う」ということではありません。

わたしはこれを、よーくよーく教えられました。(人生という名の師匠に。)

できれば過去に戻って、もう一度素直をやりなおしたい!!

天邪鬼なわたしがそう思えるくらい、


素直になるって、とってもシンプルで、とっても深いものです。


◎幸せの形を勘違いする



これは恋愛に限りませんが、他者との関係性において大きな影響を与えます。

幸せの形を勘違いしたままだと、どうあがいたって、何をしたって、何を学んだって、結局振り出しにもどってしまう。

仕事を通しても発見することは可能ですが、やはり恋愛・パートナーシップ間において

勘違いしていた幸せの形を手放すことができるなぁ、と実感しています。


^^^



2017年1月のわたし{{ あーはずかし。(*´σー`)

えー、今日は最近ハマっている(!?)マンガ風にてお届け。

 

本音についての記事、22日のセミナー予習記事です!

 

第一弾の予習記事はこちら

 

 

ではさっそく・・・

 

 

image

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↑今の状態(笑)

 

 

ということで、

さらりとした予習記事のような感じでした。

 

 

多くの人は、自分にはやりたいことがない、

もしくはあるのだろうけれどわからない、どれなのか正解がわからない、

今やっていることがほんとうにそうなのか、わからない・・・

 

という風に悩んでしまいがちです。

わたしでも未だにそうなること、ありますよ!

 

 

 

 

でも、あえて断言します。

 

 

 

 

 

その悩みは一生、なくなりません。

 

しかし、悩みが解消されるスピードは速くなります。

 

 

本音ややりたいことなどに気づく

プロセスを知っているか知らないか、だけ。

 

 

 

簡単に言えば、

 

本音というゴールにたどり着くまでの

地図を持っているかどうか、なんです。

 

 

そんなわけで、22日お待ちしております!

 

 

1月22日本音を知るチカラ、フタぱっかんセミナーについてはこちら

 

 

(飛び込みOKです!とはいえ、空きは数名ほどですが。。。)

 

 

 

えー、今日はですねちょっと

 

小難しいような、

わかりやすいような、

それ言っちゃったらおしまいじゃん!のような、

わからないような話をしたいと思うのですが、

 

 

この記事の一番のテーマはこちら。

 

『自己肯定も自己否定も別にしなくてもいいんじゃないか』とわたしが想うわけ。

 

ー自信はいるのか?ー

 

 

 

ではさっそくいきましょうー!

 

 

^^^^^

 

まずこの図をみてください。

 

 

{7E052948-A4DA-456B-81CE-C3E3ECB37089}

 

0の状態を100%とここでは表記します。

※解説するためにそうやって表現するだけです。

 

そうなると、必然的に

0より+は101%〜

−は〜99%とします。

 

 

さて、その上でこう捉えてみてください。

 

 

{8BC4E454-A09E-4398-8697-D667F0C515C8}

 

 

絶対的な世界と相対的な世界があります。

 

先日ある方よりお聞きした話の中で、絶対ということばは

 

”対を絶する”というような意味であると教えてもらいました。

 

つまり、絶対的な世界というのは

対(違いや、境目)のない世界です。

 

 

1でも−1でもない、+でも−でもない、0の世界。

 

一方で、相対的な世界というのはその反対ですね。

 

+と−があり、相反するものであり、白と黒であり、

良いと悪い、の世界。

 

二元論の世界です。

では、これらの内容を前提とした上で、こうイメージして欲しいのです。

 

 

 

ありのままがすでに100%である、と。

ここでは100%=0なので、そう捉えてもよいです。

 

{E949EBAB-AEF3-4298-B5BB-A073E9D68586}

 

わたしたちは、あるがままですでに100%です。

良いも悪いもない、+も−もない。

0なんです。

 

それは絶対的な世界。

 

あるがまま=0=絶対的な世界=わたしたち

 

まずはそうやってイメージしてみましょう。

 

 

 

しかし、かといってそうであっても

わたしたちは肉体を持っていますよね。

 

この世に生まれてきた証的な代表は”身体”です。

 

肉体によって、わたしたちは0の世界から1の世界、つまり

絶対的な世界から、相対的な世界へと飛び出します。

 

 

 

※ん?と意味がわからなくなっても考えすぎず、読み進めてください。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、あるがままでいて0であり

100%であり絶対的なわたしたちは、

 

肉体を持ち、脳というプログラムを持ち、

1の相対的な世界を生きます。

 

ここにまずそもそもの矛盾が生じます。

 

0のわたしたちが1の世界を生きる。

 

というより、0のわたしたちは0でありながらも1を創造し続けている。

 

 

 

 

なんのこっちゃ

( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚

ワカラネェ!

 

となった人は単純に

 

 

”あるがまま(0)でいたらいいのに、そうではないのだと勘違いして

 

妄想や架空の物語(1)を創造し続けている”

 

ってことなんだね!と捉えてくださいませ(笑)

 

 

 

さて、話は続きます。

こちらの図をご覧ください。

 

 

 

{71133545-6D12-4566-BE72-2FFD4E404FB0}

 

内側と外側でひとつ、と表現していますね。

 

 

この図の場合、内側(人の中)が+になって150%になっているから、

それを打ち消すようにして−50%が現れ、

全体で100%になるよう、調整しているわけです。

 

いわゆる波動の話とか引き寄せとかのワナ

(っちゅーか、優しくないところ)はここですね。

すぐにプラスを求めたがる。

 

でも、すべては100%(0)の絶対的な愛の元、調和が保たれているのですから

 

プラスであれば良いとかマイナスであればダメとかは、勘違いなのです。

 

(その勘違いをするのが脳であり、

その勘違いがあるから、物事は進化や変化、

創造をしていくのですがね。)

 

 

 

ではここからいよいよ今日の本題

 

『自己肯定も自己否定も別にしなくてもいいという話ー自信は必要なのか。ー』

 

に突入したいと思います。

 

 

 

さて、先ほどの図をもう一度。

{71133545-6D12-4566-BE72-2FFD4E404FB0}

 

この図の通りで考えると、逆のことも起き得ますよね。

 

内側→ −20%(つまり80%)

外側→ +20%(つまり120%)

 

これでバランスをとって、100%(0)に保つ力が働きます。

 

 

 

そうするとですね今度は・・・

{3B63BC2D-DD37-4554-9CBF-F945DA1113E8}

 

って感じになるわけです。

 

上の人は、自分の内側が過剰なので、外側に不足をうみます。

 

下の人は、自分の内側が不足なので、外側に過剰をうみます。

 

 

※プラスとマイナスで表現しているので、

マイナス=悪

プラス=善

だと思い込みすぎないように!!!

磁石のS極とN極のようなものです。

 

 

上の人は、あえて名前をつけるなら

 

自己愛(自己肯定)過剰タイプ

 

下の人は

 

自己愛(自己肯定)不足タイプ

 

 

よく、自己肯定力が高いが低いか、と言われていますが、高いとか低いとかより

 

”ちょうどいい”

 

これが大切だとは思うのですが、まぁこれは個人の好みですね。

 

もう一度この図をば。

 

{3B63BC2D-DD37-4554-9CBF-F945DA1113E8}

 

 

さて、それぞれのタイプがどういう感じなのか?

ちょっと解説しましょう。

 

 

 

まず、自己愛(肯定)過多タイプ。

 

{0FE8A04B-D0E8-448F-BF37-45AB944AA8F0}

 

内側プラスなのですが、それも100%ではないので

ありのままではないということになります。

 

 

どこか無理して明るく振る舞うとか、

いい気分になろうとがんばるとか、

ポジティブな感情だけ感じて

ネガティブな感情はスルーしてしまう癖がついていたりとか。

 

 

こういう状態のとき、バランスをとるため、

内側で生まれた過剰なプラスを打ち消そうと

外側にマイナスが生まれます。

 

 

不足が発生する

足りないが生まれる

本当に足りなくなる

(人がいなくなる、お金がいなくなる、物がなくなる)

 

 

本当にお金がなくなるひとは

自己愛が過多なんです、実は(プライドが高いとも言える)

 

自己否定しているというわけではなく、

自己愛が未熟の過多タイプ

 

 

 

「えーそれはいやだ!」と

ここで変に反応しないでいいです。

この話をすると必ず嫌がる人がいます(笑)

不足や足りないが生まれるや、お金がないなどは

ただ起きていることですから、

そうシンプルに捉えてみましょう。

 

 

 

では、もうひとつのタイプは?

こんな感じ。

 

 

{C89837FB-A908-4DBD-8A69-E1FD7D1D94B3}

内側がマイナスなので、外側にプラスがうまれて100%に整えようとします。

 

自分を無意味に下げたり、

足りない感を持ったり。

 

日常は平和だし、物資にも満たされているし、お金もあるけれど

心が満たされない・・・!

 

 

はこちらですね。

 

この場合は自己愛が未熟の不足タイプ。

 

控えめで堅実で謙虚ですが、

それも度を超えるとただのアンバランス。

 

 

この場合も、単純に内側と外側の0に合わせようとする

チューニング機能が発生しているだけなので、

「わたしがいけないんだ」とか言って

自分を責めないでくださいね!

 

 

 

 

だから、口うるさくいいますが、

 

{64C38AAE-70E3-4C69-BC52-246B8BFEC70E}

 

ここなんです、ここ!

 

 

ゲームを楽しみたい場合は、

{3B63BC2D-DD37-4554-9CBF-F945DA1113E8}

こういうのを楽しんでいたらいいです!

というか、楽しむしかないでしょう!

 

 

でも、基本的には

{64C38AAE-70E3-4C69-BC52-246B8BFEC70E}

 

なのです。

 

さらに言うなら、

 

{2CE1ABDA-90B7-4DBF-97A8-504757219119}

 

なので、自分の気質や元々のタイプ、性質などを知って

 

内側と外側のバランスをとれると、

 

”ちょうどいい”となります。

 

自分を知る大切さは、ここに凝縮されます。

知ることでバランスが取れる。それだけ。

(知ることで成功する!とかよりも)

 

 

 

内側と外側のギャップが大きいと、

 

たとえ内側が満ち溢れていても、どこか外側が足りない

(もしくは、この人たちはどうしてこうなんだろう・・・とマイナスな人がくる)

 

たとえ外側が満ち溢れていても、どこか内側が足りない

(常に不足感、どれだけお金を稼いでも物を買っても満たされない)

 

 

ということになります。

 

 

 

まぁ、でもこのギャップを楽しむのが

ゲームを楽しむってことだとも思うのです。

 

それに、常に100%(0)でい続けることはできないですから・・・。

 

ここが激しく矛盾なのですよね。

 

 

 

0でいたらいいのに、

0でいるためには、1が必要である。

 

この超矛盾、この超矛盾こそが、

絶対的な愛

 

 

なのですが・・・その話の前に!

 

 

 

別の角度から今までの話をそうまとめすると

こんな感じです。

 

{5426837C-E980-4947-8BAD-65B1DA73FBF2}

この図はわたしがRYCメソッド®の講義などで

いつも話していたことです。

 

ELMプログラムでもこのような話をしますし、

体感をしてもらってます。

 

 

わたしたちは、わたしたちの着ている服ではありませんよね。

 

 

しかし、すっぽんぽんで街は歩きませんから、

家とかお風呂にいるとき以外は基本的に

洋服とかアクセサリーとかをつけて生活しています。

 

そのうち、服を着ている自分こそが

本当の自分であると勘違いしだします。

 

 

これは1月22日の本音セミナーでも解説しますが、

 

 

”価値観の声”は本音ではないんです。

洋服の声だから。

 

 

女性っぽいラインの出ているドレスを着たら

大股では歩けません。

しかし、着ている人間そのものは変わりませんよね。

 

脱げばいいのですから。

 

でも、服を着ると、その服やアクセサリーによって

自分が少し変わります。

 

ビシッとスーツを着れば

シャキっとします。

パジャマを着れば、だらーんとなります。

 

 

これと同じで、価値観によってわたしたちは変わります。

考え方も感じ方も変わります。

しかし、嫌なら脱げばいいのですよね。(2回目)

 

 

 

すっぽんぽんの”わたし”は、あるがまま

100%生搾りオレンジ的な感じ。

添加物なし、産地直送とれたてジューシー!

(スンマセン、過剰表現w)

 

 

これを、世界観と表現したり、100%とか0とか、あるいは絶対的な世界と言ったりします。

 

 

そのかわり、洋服やアクセサリーというのは

あるがままの自分が着飾るもの。

 

だから、自分が着ていて(持っていて)

自分が魅力的にならない服(価値観・ルール・思い込み)

は脱げばいいし、捨てればいい。

 

 

脱げますよね?服。(3回目)

 

 

 

そうなんです、価値観っていうのはほんとうは脱げるはずなのに、

 

いっちばーんしたのほうに肌着として

 

お父さんやお母さんが買ってくれたピッチピッチの服

未だに着ているってことが、あるんです。

 

 

『これは・・・お父ちゃんが買ってくれた服だから脱げないの・・・』

 

 

って、んなことあるかぁー!!!!!

 

(@ ̄Д ̄@;)

 

と、そんな話もあるのですがこれはまた別記事で書きますね。

 

 

 

 

とにかく!

ムリヤリ戻す

{5426837C-E980-4947-8BAD-65B1DA73FBF2}

 

 

基本的に、この二つがセットでひとつになっているってのは矛盾なんです。

 

でも、この矛盾があるおかげで、すべては調和しているのです。

 

 

相反するものが相反しているから調和している、という矛盾。

 

図にするとこのような感じ。

 

 

{3C7B7847-22DD-48A5-855B-1BF979109DBB}

 

 

あぁ、もうここまでくると

頭がグルグルするわ・・・という方のためにこの記事をまとめると・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世は常に矛盾している。

 

常に混沌としている。

 

しかし、混沌と矛盾により調和が保たれている。

 

この図のように

{71133545-6D12-4566-BE72-2FFD4E404FB0}

 

すべて100%に集約され、

0に包括されている。

 

 

すべての矛盾や反調和、相対性や二元論は、

絶対的な愛に包括されている。

 

 

だから、あなたがどれだけ

矛盾していようと

どれだけ不調和でいようと

どれだけいい人でいたいのに悪いことをしてようと

どれだけこういうことをしたいのにできないでいようと

どれだけいいパパママでいたくてもそうじゃなかろうと

どれだけいい子どもでいたくてもできなかろうと

どれだけ偉そうにしてても小心者であろうと

どれだけ理解してても分かっていなかろうと

どれだけ……(あとはお好みで矛盾アレンジしてください)

 

 

すべて絶対的な愛に飽和されており、

そのままですでに調和している

安心し、そこにゆだねよ

 

 

 

なのであーる。

 

 

 

 

別の記事でわたしは、

 

 

自己愛は誰もが持っている。

大いなる自己愛に生かされている。

しかし、それが未熟か成熟か、の違いである。

 

 

と書きましたが、

この記事に合わせて言うならば、

 

 

自己愛の成熟=自己愛が過剰でも不足でもなく、100%の状態

 

無理に自分を愛そうとがんばる必要もなければ

自分を愛しすぎてしまう必要もない

 

 

ということ。

 

 

バランスは

常に整えられている。

 

絶対的な愛には、人間の価値観(勘違い)がうむような

 

良いとか悪いとか、

すてきだとかひどいだとか、

プラスとかマイナスとか、ない。

 

 

良いも悪いも、すてきもひどいも、プラスもマイナスも、

すでに絶対的な愛の中に包括されおり、

 

その絶対的な愛の元、

常に矛盾したものたち(カオスな要素たち)が

調和を保たれて、存在している。

 

 

結論。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふつうにいきよ。

 

 

 

 

 

 

 

以上!

思った以上に小難しい話になってしまったので

オチは簡潔にさせていただきました。

 

お読みいただきありがとうございました!

 

 

 

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