日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

1850・朝旦 吾見柳 鶯之 来居而應鳴 森爾早奈禮 (朝旦)は(元:朝且)

 

   あさはやく わがみるやなぎ うぐひすし きをりてなかむ もりにはやなれ

 

 訳:朝早く 私が見ている柳に 鶯が 来ていて鳴いて居るようです 人にも馴れて

 

 **「旦」は「よあけ・あけがた」。「あさなさな」と読むと「毎朝」。

   「應」は推量・指定・当然の助辞。

   「もりにはやなれ」は「もり:(守:見守る人)+に:格助詞+はや:副詞:早くも+な

   れ:馴れ(なじむ)の連用形」。倒置法。

 

*この見守る人は、この歌の作者でしょう

 最初はこの作者に馴れなくて鶯は鳴いていなかったのかなあ。

 

1855・櫻花 時者雖不過 見人之 戀盛常 今之將落

 

   さくらはな ときはすぎねど みるひとし こひのさかりと いましちるらむ

 

 訳:櫻の花は 未だ盛りの時を過ぎては居ませんが 愛し合っている人が 

   恋が終わったと言うことで たった今散ったようです

 

**この詩は「みるひとし」をどう解釈するかに係っているようです。

  この詩の「みるひと」は「みる:(見:男女の交わりをする)の連体形+ひと:恋人」で

  「恋愛中だった人」のようです。「こひのさかり」は「戀+の:格助詞(が)+さかり: 

  (離る:離れる)連用形の名詞形」。「いまし」は副詞で「たったいま・ただいま」。

 

*櫻の花は未だ散っていないのに、あの恋人同士は、今散ったみたいですよ。

  

 余計なことを心配する人が居るのですね!

 

1856・我刺 柳絲乎  吹亂 風爾加妹之 梅乃散覧

 

   われのさす やなぎのいとを ふきみだす かぜにかいもし うめのちるらむ

 

 訳:私が挿している 糸のような柳を 吹き乱している (この)風でじゃあ 

   (私の)恋しい 梅(の花)が散っていることでしょうね

 

**「にか」は連語で之氐の助動詞(なり)の連用形(に)+係り助詞(か:問いかけ)で「~

  のであろうか・~じゃないかい?」。

  「いもし」は「妹(いも):恋している人(梅の花)+し:強意の副助詞」。梅の花を擬人

  化している。

 

*この風じゃあ、私が愛している梅の花も散ってしまってるかも!

 

1869・春雨爾 相争不勝而 吾屋前之 櫻花者 開始爾家里

 

   はるさめに きそひかたずて わがやとし さくらのはなは さきそめにけり

 

 訳:春雨と 先を争って負けてしまって 私の家の庭先の 

   櫻の花が 咲き始めてしまいましたよ

 

**「きそひかたずて」は「きそひ:(きそふ:先を争う)の連用形+かた:(かつ:勝つ)の 

  未然形+ず:打ち消しの助動詞の連用形+て:接続助詞」

 

*春雨が来る前に咲けば良かったのに、春雨が降り出してしまってから、

 咲き始めましたよ うちの櫻は。残念なことです。

 雨が降っていてはゆっくり楽しむことも出来ないじゃありませんか。

 

詠雨

1877・春之雨爾 有来物乎 立隱 妹之家道爾 此日晩都

 

   はるさめに ありくるものを たちかくる いもしへみちに このひのくれつ

 

 訳:春雨だから 降り続くというのに (物陰に)隠れている 愛する人の家への道で 

   この日の日暮れが来ました

 

**「ありくる」は「在り来(く):その状態で続く」の連体形。「ものを」はこの場合逆接の 

  「~のに・~けれども」。「たちかくる」は「たち:強意の接頭語+かくる:隠れる(連体

  形)」。

  「いもしへみちに」は「妹の家への道で」。

  (倒置法)「このひのくれつ」の「の」は主語を示す格助詞。

  「このひ」は「待に待ったこの日」。

 

*約束の夜這いのこの日、春雨が降り続く中、彼女の家に続く道で、物陰に隠れて待っていま

 す。やっと日が暮れてきました。

 

*この詩、雨に濡れながらじっと夜を待つ、男の情熱を感じるのですが!

 

*従来の解釈のように、我家に帰る途中、雨宿りしていて日が暮れてしまった、と言う詩ではな

 いと思います。

1836・風交 雪者零乍 然為蟹 霞田菜引 春去爾来

 

   かぜまじり ゆきはふりつつ しかすかに かすみたなびく はるのへにくれ

 

 訳:雪交じりの 風が吹いています ですけどね (本当は今は)霞が棚引く 

   春が来ている(はずな)のですよ

 

**「しかすかに」は「さすがに・それはそうだが」。

  「はるのへにくれ」の「へに」は「へ:(過・經:ふ:季節が巡ってくる)の連用形+に:

  完了の助動詞(ぬ)の連用形」。或いは「はるさりに」。 

  又、雪が降り続いている状況では、霞は棚引いていません。そこで最後の「来」を

  「くれ」と已然形で読んで条件句「来ているのに」と解釈いたしました。

 

 *何なの!もう、本当だったら、霞が棚引く暖かな春の季節だというのに。

  早く恋がしたい!!(女性の詩にしてしまいました)

 

次の二首は問答歌です。

 

1841・山高三 零来雪乎 梅花 落鴨来跡 念鶴鴨 

  一に言う 梅花 開香裳落跡

 

   やまたかみ ふりくるゆきを うめのはな ちりかもくると おもひつるかも

 

 訳:高い山から 降ってくる雪のことを 梅の花が散ってきたのだろうかと 

   思ってしまいましたよ

   (一に言う)(うめのはな さけかもちると)」

   (梅の花は 咲いたのじゃないの、(それなのに)散ってると)

   (かも)は反語。

**「ちりかもくる」は「ちり:(散る)の連用形+かも:係り助詞で疑いを込めた詠嘆、連体

  形で終止する+くる:(来・く)の連体形」

 

 *あの高い山から降ってくる白いものは梅の花じゃないんだ。

 (一に言う):梅の花が咲いたのではないんだ、散って落ちてきたと思っちゃったよ

 *いずれにしましても、春を待ちわびる気持ちが溢れ出ていますね。

 

1842・除雪而 梅莫戀 足曳之 山片就而 家居為流君

 

   ゆきのけて うめをこふるや あしひきし やまがたつきて いへゐせるきみ

 

 訳:雪かきをしながら 梅に恋をしているのではありませんか 

   険しい山の田舎に居着いて 生活している貴方は

 

**「のけて」は「のけ:(除く:どける)の連用形+て:接続助詞(~の状態で)」。

  「莫」は疑問の助辞で「~なからんや」。

  「やまがた」は「山の(縣:あがた)田舎」。

  「つきて」は「就く:一体になって離れな い」。「いへゐ」は「家居:家に住むこと」。

 

 *「梅莫戀」を「うめなこひそ」と読むと「梅を恋などしなさんな」となって、否定の言い回

  しで、咎めているように思えます。

  「あんたは雪かきしていればいいんだよ!」では問答歌の趣を損ないます。

 

 *雪かきは疲れるもんね!早く春が来るといいね、お互いに。

 

詠柳

 

1846・霜干 冬柳者 見人之 可為 目生来鴨 (霜干)は(元:霜十)

 

   しもかわき ふゆのやなぎは みるひとし かざしするべく めおひくるかも

 

 訳:霜が無くなって 冬の柳は(いよいよ) 見る人の 翳しにするために 

   芽が出てくるかなあ

 

**「見る人」は「柳の陰から好きな人をそっと見る人」。「かざし」は「顔を隠す」、亦「意

  味を隠して他の表現をする(翳し文句:謡曲)」。

 

 *春は恋の季節です。柳の木の陰から窺う人を隠すために芽吹いて枝を多くする、と言う意味

  でしょうか。

 

 *春になったから、柳も気を利かして芽吹いて、そっと見る場所を提供してくれるでしょう。 

  彼女を見ていたい貴方!

 

1849・山際之 雪不消有乎 水飯合 川之副者 目生来鴨

 

   やまぎはし ゆききえざるを みめしあひ かはしそふれば めおひくるかも

 

 訳:山の方では 雪が未だ消えていないなあ (でも里では)お互い体を寄せ合って 

   川のように寄り添えば (女は)慕情を寄せてくることよ

 

**「みめしあひ」は「身召し相ひ」で「お互いに体を招き寄せる」の連用形。

  「めおひくる」は「め:女+おひ:(追ひ:だんだん~する)の連用形+くる:(来:女が

  男に慕情を寄せる)」。

 

*尚、「飯」を西本願寺本は「煞:さつ・さい:ころす、はやい」としているそうです。

   万葉考・万葉古義は「水激合川之楊者」

   その場合「水煞(激)合」は「みなぎらふ:水が満ちあふれている」と読めます。

*西本願寺本:やまぎはし ゆききえざるを みなぎらふ かはしそふるは

   めおひくるかも

 

 訳:山の方の 雪は消えていないのになあ 水の溢れている 川に添う(柳)は

   芽生えてくるかなあ

 

万葉考等:やまぎはし ゆききえざるを みなぎらふ かはしやなぎは めおひくるかも

 

 訳:山の方の 雪は消えてないのになあ 水の溢れている 川の柳は 

   芽生えてくるかなあ

***この1849の詩は「詠柳」のジャンルにはいっていることから、西本願寺本、万葉考、万

   葉古義の用字で読むのが常識的かもしれませんが、寛永版本、その他、を是とすると「パ

   ロディー」的な詩となります。

 

 *寛永版本などの場合は、

 

  山は未だ冬でも、俺の心はもう春。早く、心優しい人に逢いたいなあ!

  と、恋人を待ち望んでいる青年の叫びが聞こえます。

春の雑歌

 

1817・今朝去而 明日者来牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏微

 

    けささりて あしたはこむと いふこがに あさつまやまに かすみたなびく

 

訳:今朝行ってきたのに 明日は(復)来ようと 云う子のように 

  旦妻山に(今朝も) 霞が棚引いています

 

**「がに」は推量の意を表す助動詞「~のように」。

 

 *あさつま山が「復、来てね!」と、何時までも霞を棚引かせて招いていますよ。

  まるで子供がおねだりしているようですね。

 

1820・梅花 開有崗邊爾 家居者 乏毛不有 鶯之音

 

    うめのはな さけるおかべに いへをるは ともしもあらず うぐいすしこゑ

 

訳:梅の花が 咲いている岡のあたりの 家に居るのは 

  不足(つまらなく)ありませんよ 鶯の声が(ありますから)

 

**「ともしもあらず」は「不足ではない」。

 

 *ここに独りで居ても、ちっとも寂しくなんかありません。

  鶯がいっぱい来て鳴いていますから!

 

詠雪

 

1832・打靡 春去来者 然為蟹 天雲霧相 雪者零管

 

    うちなびく はるさりくれば しかすかに あまくもきらひ ゆきはふりつつ

 

訳:心もはづむ 春が来たのに どうしてというように 雨雲がたちこめて 

  雪が降っています

 

**「うちなびく」は「(恋に)心を寄せる・心弾む」の強意形。

  「はるさりくれば」の「ば」は逆接の接続助詞「~のに」。

  「しかすかに」は「そのようにするか?のように」。

  「きらひ」は「(きらふ:たちこめる)の連用形」。

 

 *春になったので、新しい恋が見つかるかなと、心時めかせているのに、どう言う事!

  こんなに雪雲が垂れ込めて。意地悪ったらありゃしない!

 

1834・梅花 咲落過奴 然為蟹 白雪庭爾 零重管

 

    うめのはな さきちりすぎぬ しかすかに しらゆきにはに ふりかさねつつ

 

訳:梅の花が 咲き終わって散ってしまっています そのように(散って) 

  白くなっている庭に (更に雪が)降り重なっています

 

**「しかすがに」は「そうあるところで・そうは言うものの・しかしながら」。

  「白雪庭」は「白ゆき(行き:連用形の名詞:白くなったところの)庭」で「散った梅の花 

  びらで白くなっている庭」。

 

*梅の花が散って、真っ白になっている庭に、雪が降り足りないと思ったのか、

 ムキになってしっかり降り積もっているようですね。