『レイルマン2』を売り切ってしまうと話したら、「同じ状況で苦しんだり悩んだり、格闘してる人がいると思うから、必要な人が読み続けられるほうがいいと思うよ。」というコメントをいただいた。

 

これは、すごくよく言われることである。

 

二つのポイントで、ムムムと思うので、まず、ひとつから。

 

 

一つが、障害児を生んで育てることを、「苦しんだり、悩んだり、格闘したり」しなければならない、そうなんだろうなと思われる現実。

 

実際、自分の子どもが障害児とわかると、「落胆、悲観、恐怖感」等々がやってくるのだけれど、これは、もともと自分が持っている「差別の意識」がそうさせる。自分の育ちというヤツ。

 

自 分の育ちの中で、障害と向き合ったことないし、知らないし、で、急に、君の子ども障害児やで言われても、無知の罪がそこにやってきて、「不幸」やんってな る。でも、もし、小さいときに周囲に障害児・者がいる環境でしかもその人たちが結構シアワセそうにしてくれていたら、ここまで「不幸」って思わないはず。

 

なので、私は、特別支援学校等の隔離政策、分離教育は反対している。ともに暮らすことで、自分みたいな「差別者」を少しでも減らせることができるから。

 

 

特別支援学級といえども、今は、全学年にいるわけじゃない。

 

長 男の学年には、交流学級がなくて、小中高の12年間、障害児との出会いがなかった。だから、福祉のココロってえのが、なかなか育たなくて(交流してると、 ちょっとは意識もするし、啓発も受けるしするじゃん)、何度も学級崩壊をして、いじめもあって、しんどそうな学年見えたね。

 

中1のときに、障害者の話、聴いてもらった。でも、中1じゃ、もう刷り込みが行われているし、やっぱり、自分たちとは関係ないことみたいに、感じてたようだ。(小学校の間に、したかったなあ)

 

私は、教育委員会に言いましたね。「大きくなって、『ぼくら障害児の友達おらんかったもん』いうような学年作ったらあかんねん。そんな子、大人になって、まともに社会的なこと、考えることできるわけないやん」って。

 

「ごもっともです」と口では言うてはったけど、次男の中学のときは、断固として「養護学校への進学を勧める」を押してきはったけどね。

 

他にも、進学校いうところには、見るからに障害児はいない(特に知的障害児はね)。すると、その新学校、中高一貫とかいうところから、エリート大学へ行って、それから、官僚とか政治家とかにならはるねんね。

 

ある東大出身の人が、「ボクは小さい頃から、障害者を知らないので、僕の友達は、ふんたら省とかに入ってるけど、そういうヤツが、いろいろ決めてるんやなあと、そのことに気がついて、今更ながら、びっくりした」と、話していた。

 

まあ、ひとつが、そのこと。

 

社会っていうか、教育界は、おかしいことが、いっぱいあるよ。それが、差別をそのままにしてる。

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