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義兄×義妹
「ただいま」
玄関の扉を開けるとすぐに視界に入ってきたのは、この家で一番大きなサイズの靴。
丁寧に磨かれた黒の革靴は、持ち主の悠然とした性格と品の良さを象徴している。
地元では有名な名門進学校から指定されたそれ。
その革靴の隣に自分の茶色いローファーを並べると、更に大きさが際立って、その違いを痛く実感させられる。
「おかえりキョーコちゃん」
ドクンとひとつ、心臓が跳ねた。
リビングへと続く廊下を歩く私を、低くて甘く響く声が迎えてくれた。
コーヒーを淹れに来たのだという兄に続いてリビングに入る。
「キョーコちゃんはカフェオレでいい?」
「……うん」
成績優秀、眉目秀麗、温和篤厚…上げ出したらきりがない程の四字熟語の数々。
そんな完璧な兄の唯一のウィークポイントは料理。
でもコーヒーだけは別。
豆から拘る兄が慣れた手つきでドリップする。
ぽとぽととゆっくり落ちる雫と香りが漂う瞬間がたまらなく好きなんだと教えてくれた。
学校の誰も知らない彼の一面を知る優越感。
「おいしい…」
手渡されたカフェオレを一口飲むと、ふわっと鼻に抜けるコーヒーの風味と優しいミルク。
「よかった」
並んで座るソファ。
自室から持ち込んだ本を読み始めた兄を、そっと伺う。
少し俯き加減の顔にサラサラの黒髪がハラりと落ちて、その隙間から瞳を覆う長い睫毛が文章を追う毎に上下する。
ページをめくる長い指にも、ソファの背もたれにゆったりと背中をつける大きな胸にも、組まれた長い脚にも…すべてに 吸い込まれるように見入っていまった。
そんな私の様子に気づき、右側に座った兄の大きな左手が私の頭に乗せられて、そのままゆっくり髪を梳かれた。
「お兄ちゃんがこの時間に家にいるなんてめずらしいよね」
さっきよりも激しくなった動悸に振るえそうな手を知られないように、マグカップをにぎる両手に力を込めた。
「たまにはキョーコちゃんとゆっくり過ごしたいと思ってね」
お兄ちゃんはそう言って私の髪を撫でたまま優しい笑顔を見せる。
まるで彫刻のように左右均整のとれた美しい微笑み。
背は高く、日本人離れした長い手脚と鍛え上げられた筋肉は、男性としての逞しさと色香を放っている。
誰にでも平等に優しくて、人当たりの良い柔らかい物腰。
近所でも評判の兄。
「ま、またそんな…私が妹だからいいものを…ほかの女の子だったら勘違いしちゃうよっ」
赤くなった顔を見られないように、俯き早口でまくし立てた瞬間、肩を抱き寄せられてそのまま広く大きな胸の中に閉じ込められた。
同時に暖かい温もりに包まれる。
「んなっ!?ちょっと…」
「勘違い…してくれないの…?」
零さないようにさらに指先に力を込めて持っていたマグカップを、すんなりと私の指からはずし、テーブルに置いた。
カツンとカップの底がテーブルに触れる音がやけに耳に残る。
兄の爽やかな清涼感のあるマリンの香りとは正反対に熱く熱をもつ自分の身体。
「父さん、急な出張でアメリカに飛んだよ。…もちろん母さんも一緒にね」
「っ!?」
両親の不在。
それが意味するもの。
「キョーコちゃん」
「…………」
「沈黙は肯定……だよ?」
知ってる。
そう教えてくれたのは貴方だから。
だから私は黙っているの。
勇気のない私は、自分から傍に居たいと言えないから。
「鍵…かけてくる」
額に柔らかく唇が触れ、兄の身体が離れた。
リビングを出て玄関に向かう兄の背中を見送って、無意識に制服の胸元をぎゅっと握りしめる。
遠くで玄関の鍵が締まる音が小さく聞こえた。
これでもう、私たちに歯止めをかけるものはなくなってしまった。