モラールハザードという問題を考える上で、これは本人の精一杯を尽くした結果なのか、それともサボった結果なのか。これを正しく評価してこそ労働意欲を高めることができる、そのため大事なことなのですが、とても難しいことでもあります。
人の世にゃ ごまんといます ハルウララ
 今は引退した競走馬・ハルウララが数年前、全国で人気を博した頃に詠まれたサラリーマン川柳です。どれだけ精一杯を尽くしてもレースに勝てない、それでも走るハルウララの健気さを感じ、日本中が応援に沸いたのです。しかし、ハルウララのような勝てない競走馬は他にもたくさんいるに違いありません。しかも境遇はたいして変わらないでしょう。なのにハルウララ(とその妹)ばかりが注目される。いや、人の世を見渡せばどうでしょう。どんなに頑張っても報われない人がいる、それは1人や2人ではない、ごまんといる。これらの人たちもまた、境遇はたいして変わらないだろうのに注目されない。人間にはスポットライトが当たらないのになぜ馬ならスポットライトが当たるのでしょう。
 成果主義を採れば解決しそうな気もいたしますが、いくら運も実力のうち と言われても、結果に結びつくこと、結びつかないこと、たくさんあります。何かしらのハンディがあれば、結果にまでたどり着く数も少なくなるでしょう。なのに成果が同じならば賃金も同じとする成果主義は現実離れしている感じを受けます。とすれば、結果よりもその過程を見て評価する のが理想的です。
 そこで仮に過程主義と名づけ、「過程」を「どれだけ目標達成のために努力したか」に言い換えてみましょう。するとここでも、キーワードであるリスクが登場するのです。「どれだけ目標達成のために犠牲を払い、リスクを抱えたか」。しかし、この希望の光である「どれだけのリスクを抱えたか」もまた、評価するのは困難です。人それぞれ精一杯や限界は異なります から、24時間戦える人も数時間しか戦えない人もいます。それを、ハンディやリスクを考慮してみな賃金を同じにする、というのも違和感があります。したがって、精一杯を正しく評価しようという過程主義も不可能に近い、と言わざるを得ません。
 その一方で、同じリスクを背負わされているにもかかわらず、正社員か契約社員か派遣社員か、雇用契約が異なるためにそれなりの賃金さえもらえてない、「成果主義」「過程主義」のように「契約主義」と名づけてもよさそうな現状 があることも忘れてはならないでしょう。
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