本気で遊ぶ

こんばんは!

すっかりご無沙汰してしまいました。

お元気でお過ごしでしょうか?

 

バンコクでのシンポジウムでの発表の後、10月は旅から旅への日々。

これまでの人生で一番濃かったのではないかと思うような冒険の日々が続いていました。

 

先月は、日本でのお仕事もあり、横浜の小学校4年生を対象とした3日間にわたる演劇のワークショップ、そして、下田の母校の中学校での講演がありました。

 

演劇のワークショップでは、新聞紙で作った「玉子」と懐中電灯を使って、最終的にはグループごとに短いパフォーマンスを創りました。

 

ワークショップのねらいとして、「自分の殻を破って、もっと自由に表現することを学んでほしい、自分を表現することは素敵なことだ、ということを知ってほしい・・・」という希望を伺った時、児童の皆さんが玉子の殻を破って飛び出してくるイメージがすぐに浮かびました。

 

何かを願う時、それが比喩であっても、その動きを実際に体感することで新たな発見があったりします。

「殻を破りたい」ならば、実際に何かの殻を破ればいいのだ!というのは、非常に単純ですが、私は効果絶大だと思っています(笑)。

そのアイディアをお話ししたところ、面白そうだと言っていただき、その方向でワークショップを進めることになりました。

色々と実験してみた結果、新聞紙がベストだということになり、私の到着前に全員に新聞紙の玉子を創ってもらいました。

 

ワークショップ当日――—

いざ、「玉子」の中に入ってもらうと、私が想像していた以上の使い方が次々と出てきました。

 

縦にして、立ったままの玉子!!!

お友達のものと2つつなげて、2人で大きな玉子にしたもの!!!

もうびっくり仰天でした!!!

そんな使い方があったのか~!!!と、思わず叫んでしまうほど!

 

演劇というのは、子どもの頃の「ごっこ遊び」が原点だといつも思うのですが、今回のワークショップを通して、改めてそのことを再認識する機会を頂きました。

 

 

 

 

普段は、演劇を生業としているプロの俳優や、演劇の道を志す大学生と多くの時間を過ごしているのですが、その場合は、大人になるにつれて身に着けてきた体裁、社会のルールなどの皮を一枚一枚はがして、素の自分、自分の芯の部分をさらけ出していく、という作業を多くすることになります。

 

でも、今回の小学校でのワークショップでは、全く逆だった気がします。

自然と生まれてきたことに、「演劇の観点から見ると、こういうことになる・・・」という説明をする、という感じでした。

 

中には、みんなをまとめようとするリーダーのような人がいたり、ちょっとわんぱくな人がいたり、論理的に進めていく人がいたり・・・。

 

例えば、ちょっぴりわんぱくな人がしていた表現の中に、周りから見ると、ちょっとふざけているように見えたかもしれない、という場面がありました。

でも、これが、演劇の観点から分析(というほど大それたものでもありませんが…(笑))すると、非常に面白い表現だったのです。

それで、私が、「それ、面白い!!!」と興奮して言うと、当の本人も、周りの友達も「えっ?!?!」とびっくり(笑)。

本人としても、ちょっとふざけてやってみたことが、意外な表現の効果をもたらしていたことを知り、驚いたのでしょう。

 

大人の私は、作品を創作したり、誰かと演技をしたりする中で、この「ふざける」ことを真剣にやる、という作業をしています。

ふざける、というとちょっと語弊があるかもしれませんが、「真剣に遊ぶ」と言ったところでしょう。

これができる時、本当に幸せを感じます。

頭であれこれと考えながら、アイディを煮詰めていくことも大事だと思うのですが、正直言って、本気で遊んだ中から出てきたアイディアの方が冴えていることが多々ある気がします。

 

数か月前に、知人と、彼女の小さな息子さんと歩いていた時に、その息子さんが廊下にあったちょっとした隙間に入って遊んでいたことがありました。

それで、私は、「お!演技のクラスではA+だね!(最上級の成績、という意味で)」と何気なく言ったら、知人は「え?!どういうこと?!」とびっくりしていました。

お母さん(知人)にしてみたら、遊んでいないでちゃんと歩いてほしい、いつもこういう風だから困ってしまう、ということだったのですが、演技のクラスには、空間で遊ぶ、空間を感じ取る、という、れっきとしたエクササイズがあるのです。

正しく、その息子さんがやっていたようなことをして、演技の授業では「真剣に」遊ぶのです。

確かに、毎日毎日子育てをしていく中では、大変なことでしょうから、知人の気持ちもよく分かりました。

でも、そこで一瞬立ち止まって、「なぜ?」と質問してくれる余裕を持っていた彼女はすごいなぁ、と改めて感じました。

 

私の演技の恩師は、そうした空間の遊びをする際、「全ての人に空間、場所がある」ということをよく仰っていました。

どんなに狭い場所に感じても、クラスメート全員が動ける場所、小さな隙間というのは、探そうと思えばいつでも、どこにでも存在している・・・そういうことでした。

これは、実に深い言葉だと、いつも感じます。

探す気になれば、いつでも方法があり、道がある・・・。

 

横浜で、皆がキャッキャと言いながら空間遊びをしている中で、そんな恩師の言葉も思い出していました――—。

 

 

 

今日も素晴らしい日でありますように!

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こんにちは!

お元気でお過ごしでしょうか?

 

今日もバンコクは快晴です。

 

さて、8月30日から3日間に渡って行われた、バンコクのプリンセス・ガラヤニ・ワッタナー音楽院での国際シンポジウムも無事に終了しました。

 

色々な方の発表があり、特にアジア各国の伝統楽器の演奏はとても面白かったです。

ビルマの竪琴も、あんなに間近で演奏を聴けたのは初めてでしたが、美しい音色でした!

 

私も、シンポジウム初日に、The Power of the Words Unspoken (語られざる言葉の力)という題名で発表を行い、会場がぎゅうぎゅう詰めになるほど、たくさんの方に参加していただきました。

本当にありがとうございました。

 

 

 

発表では、私たちの思考や発する言葉が及ぼす影響について、また、人に指導する機会が訪れた時、それらをどのように意識して、効果的な学びの環境を創り出していくか、についてお話ししました。

 

私は、江本勝博士が長年なさっていた水の研究に、深い興味を感じています。

そもそも、水や、水の変化した形(雪、氷、霧、虹など・・・)に興味があり、大学院の時の卒論のパフォーマンスにも水が深くかかわっていました。

 

江本博士は、水に様々な言葉を見せた後、しばらくしてからその水を凍らせて、出来上がった結晶を観察されていました。

 

そこで分かってきたのが、水は言葉に反応する、ということでした。

 

例えば、「愛」という言葉を見せた水を凍らせてできた結晶と、「夢」という言葉を見せた水を凍らせてできた結晶とでは、全く違う形になったのです。

 

そして、さらに面白いことに、「疲れた」という言葉に反応してできた結晶はやせ細っていたり、「どうせ無理」という言葉に反応してできた結晶は、結晶の形が崩れてしまっているのです。

 

私たちの体は70パーセント以上水でできていると言われています。

私たちの思考も、普段発する言葉や聞く言葉も、細かくしていけば、すべてはエネルギーの振動、波動です。

 

ということは、思考や言葉が私たちの体内の水を変化させ、それが体調や心境に影響を与えるというわけです。

 

この研究結果について書かれた本は、世界的なベストセラーとなりました。

私も、アメリカで仕事をしていた時にも、あらゆる書店で、著書や水の結晶の写真のカレンダー、カードなどをよく見かけました。

 

 

この研究については、インチキなニュー・エイジの理論だという反応もあるらしいのですが、私は、真実だと感じています。

それは、様々な言葉に対する私の身体的な反応と、江本博士の研究結果が重なっていたからです。

 

どういう言葉をかけるか、使うか、というのは、教育の現場では、特に重要なことだと感じています。

 

日本では、一般的にあまり褒めることをしない傾向にあります。

学校でも、家庭でも、よくよく考えてみると、けなすことを美徳とする傾向が強い気がしています。

 

「しょうがないバカ息子ですが・・・」

「つまらないものですが・・・」

「どうしようもない妻で・・・」

「どうしてこれができないの?!」

 

これらは、日本で良く耳にする言い回しです。

 

ここで大事なのは、「謙遜する」のと「けなす」のとは違うということです。

謙虚な気持ちを持ち続けることは、とても大事なことだと思うのですが、あまりにも度が過ぎると、自信のなさや極端に強い劣等感が生まれる可能性が高くなると思っています。

 

心では大切に思っているけれど、口では逆にけなすようなことを言う。これは非常に残念なことだと思います。

 

誰だって褒められれば嬉しいものです。

たとえ、それが多少のお世辞であったとしても、悪い気はしないでしょう。

 

「いやぁ、うちの息子はなかなか頑張っていましてね・・・」

「これ、気に入っていただけると嬉しいのですが・・・」

「私の自慢の妻です・・・」

「よくやったね!次はここも挑戦してみると面白いだろうね!」

 

ちょっと照れながら、謙虚な心を持ちつつも、そんな風な言葉が出てきたら、言われた方もなんだかいい気分になってきます。

 

 

演技や歌の授業においては、私たちの体そのものが「楽器」ですから、先生の言葉が生徒に与える影響はかなり大きいと感じます。

他の楽器のように、「楽器の質が悪い」と、楽器のせいにすることはできません。

歌手や俳優やダンサーのパフォーマンスを評価して、「楽器」のせいにする時、パフォーマンスを行った本人たちにとっては、自分そのものを全否定されたような気になってしまうことがしばしばあり、評価をするということには、非常に繊細さを要求されると感じています。

 

例えば、「音程が低い」という注意。

「テンポが遅すぎる」という注意。

 

歌や、楽器のレッスンの中ではよく使われる表現だと思います。

ただ、実際に、演奏者に求められているのは、「もう少し高い音程で歌う(演奏する)こと」や、「もっと速いテンポで演奏すること」です。

 

そこで、私は、「音程が低い」という代わりに、ピアノの「ド」の音一つとっても、音程には幅があり、「シ」に近い音程から「ド♯」に近い音程まであることを話してから、「この音の中でも高い音程の部分を感じて歌ってみよう」と言います。

「テンポが遅すぎる」という代わりに、「もう少し早いテンポで歌ってみたらどうなるか試してみよう」と言います。

 

結果的には、同じものを求めているのだろうと思いますが、私はあえてその過程、辿る道、辿る思考回路を大切に考えています。

 

「テンポが遅すぎる」と言われれば、「遅すぎる」という思考に意識が集中します。

注意されればされるほど、「遅すぎる」という思考が強くなることでしょう。

そして、また怒られると思う恐怖心も、同時に強くなっていくのではないかと思います。

 

逆に、「もう少し速いテンポで」と言われれば、「速いテンポ」という思考に意識が集中し、脳からの指令で、体全体が「速いテンポ」ということに反応して、その状況を創り出していこうとするのだろうと思います。

 

私は、指導するのにあたって、事実や演奏技術の未熟さを無視しようとしているのではありません。

ただ、言葉ひとつによって、生徒の反応も、やる気も、成長の速度も、そして、音楽だけにとどまらず、生きていく姿勢にも影響を及ぼすのではないだろうか、という考えを投げかけたいのです。

 

もちろん、人それぞれ、性格も、育ってきた環境も違いますから、褒めることで成長するというのが、全ての人に当てはまるかどうかは分かりません。

時には、厳しいことを言われたほうが成長のスピードが速まることもあると思いますし、状況にもよるでしょう。

 

発表の後の質疑応答では、やはりこの点に関する質問や意見の交換が多く行われました。

同じような疑問を持つ方々と、こうして意見交換ができたのは、とても嬉しいことでした!

 

私も、日々、試行錯誤しています。

正解があるのか、はたまた、いくつもの正解があるのか、まだ分かりません。

でも、少なくとも、間違えながらでも、言葉の持つ力を意識していれば、何かが良い方向に変化してくるだろうと信じています。

 

発表の最後に、参加者の方に協力してもらって、言葉が心身に与える影響についての実験もしてもらいました。

 

今回の発表は、好評のうちに無事に終わりましたが、私の実験はこれからまだまだ続いていきます。(^-^)

 

 

P.S.

 

 

「音楽、神話、そして現実」

これらが、どう絡み合い、繋がっていくのか・・・。

我々の研究は続きます。

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こんばんは。

バンコクは、ここ数日、まとまった雨が降り続いています。

 

さて、直前のお知らせになってしまいましたが、明日、8月30日(水)、バンコクのプリンセス・ガラヤニ・ワッタナー音楽院で行われる国際シンポジウムで、発表を行います。

 

題名は、The Power of the Words Unspoken (語られざる言葉の力)です。

私たちの思考や発する言葉が及ぼす影響について、また、人に指導する機会が訪れた時、それらをどのように意識して、効果的な学びの環境を創り出していくか、についてお話しする予定です。

参加者の皆さんと、面白い実験もしたいと思っています。

(^-^)

 

シンポジウムへの参加方法など、詳しくは、こちらのホームページをご覧ください。

http://www.pgvim.ac.th/sym/

 

ちなみに、私の発表時間は以下の通りです。

8月30日(水) 15:30-16:00

Conservatory Building  C305

 

他にも、面白そうな発表がたくさんありますので、楽しみです!

 

会場でお待ちしています!

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こんばんは!

バンコクは、引き続き暑い日々が続いています。

 

さて、先週は、インドネシアのバリ島での演劇ワークショップに招聘され、世界各国から集まった俳優たち13人と共に、非常に深い日々を過ごしました。

 

バリ島というのは、私にとっては、子どものころからなかなか訪れることのできずにいた場所で、行きかけるのになぜか行けなくなってしまう場所でした。

今回、正に、「3度目の正直」で、ようやく辿り着くことができました。(^-^)

 

8月は、1年で一番涼しい月だそうで、最高に気持ちの良い気候でした。

1年中クーラーが必要なバンコクで暮らしていると、「涼しい」という言葉を使うことは滅多にないので、それも新鮮でした(笑)。

 

今回ワークショップに参加した俳優たちは、インド、アメリカ、イギリス、ウルグアイ、デンマーク、ウクライナ、と本当に色々な場所から集まっていました。

年齢も経験も様々で、20代前半から40代後半くらいまで、演劇を学び始めたばかりの人もいれば、ベテランで、それぞれの国では外を歩くとサインや写真を求められるような人気の俳優たちもいました。

でも、皆に共通していたのは、「自分の内面の探求をしている」ということでした。

 

ワークショップは3週間の日程で、それぞれの週にはテーマがありました。

第一週目は「Will 意思」。第二週目は「Feeling 感情」。第三週目は「Spirit 魂」。

私は、第二週目、「感情」の週の演技のクラスを担当しました。

 

参加者にとっては(私にとっても)、全く環境の違う国、言葉の分からない国を訪れるということそのものが、まずは大冒険です。

そこで、初めて出会う仲間とすぐに深いつながりを作り、また演劇を通して朝から晩まで自分自身と深く向き合う作業をする・・・。

これらが重なり、おそらく、想像以上に厳しい1週間だったと思います。

 

滞在先のホテルでは、水が出なかったり、水は出ても、シャワーのお湯が出なかったり、黒い水が出てきたり・・・と第一週目は、色々と大変なことが重なったようです。

 

そうして一週目が終わった時に、私が到着しました。

第二週目のテーマは「感情」。

異国の地で、色々なことがなかなか思い通りに進まない状況や、早朝から夜までの長時間のトレーニングで、ちょうど疲れも出てきたころだったと思います。

 

様々な演技のエクササイズは、俳優として自分のあらゆる感情に触れるために行うものです。

ある人は、「怒り」は簡単に表現できるけれども、「涙」は堰き止めてしまうかもしれません。

また別の人は、「笑い」は簡単に表現できるけれども、「官能」のエネルギーに対しては心身を閉ざしてしまうかもしれません。

俳優である以上、舞台の上ではすべての感情を表現できなくてはなりませんから、私たちは、特定の感情や表現を妨げる「障害物」を少しずつ取り去り、手放すことを学んでいるのです。

 

これは、決して簡単なことではありません。

多くの場合、俳優たちは、とても繊細です。人が感じないことまで敏感に感じ取ってしまう。

だから、社会の中で生きにくさを感じることも多々あると思います。

あまりにたくさんの情報を感じ取るので、時には、感受性のセンサーを切ったり、弱くしたりしないと、疲れ切ってしまったりもします。

 

でも、その繊細さと、とてつもない想像力が、創造力とつながって、人の心を揺さぶるような表現が生まれてくるのです。

 

第2週目の「感情」の週は、正に様々な感情が噴き出した週だったのではないかと思います。

クラスでは、背骨を動かす作業をたくさんしました。

背骨を動かすことで、全身の神経系が刺激され、一つ一つの細胞の中で眠っていた「閉じ込められた記憶や感情」への扉が開くことが多いからです。

 

多くの俳優たちが、叫び、涙を流し、大笑いし、性的エネルギーを開放し、怒り・・・と、本当に豊かなクラスになりました。

大の大人が、特に男性が、人前でおいおい泣いたり、女性が怒りに叫び狂ったり・・・というのは、やはり演技のクラスという安全な枠があるからこそ解放されてくるものではないかと思います。

安全な環境で危険を冒す、これは、とても大事なことです。

そして、一つ一つのエクササイズの後で、消化・昇華の時間や話し合いの時間を多く設けたことで、エクササイズの最中の経験だけではなく、私生活や過去の体験、変化したいと感じている部分なども浮き彫りになり、素晴らしい洞察力に富んだコメントが数多くありました。

 

毎日、授業の後に、たくさんの参加者がお礼を言いに来てくれて、本当にありがたいことでしたが、私の恩師の言葉を借りると、「私が教えているように見えるけれども、それは幻想で、実際にはあなた(生徒)自身が気づき、発見しているのだよ。」と、心から感じました。

それでも、誰かの成長や変化の感動に立ち合い、誰かから「ありがとう」と言ってもらえることは、最高に大きな喜びでした。

むしろ、私の方が「ありがとう」とお礼を言いました。

これも、一人一人の参加者が、心と体を開いて授業に臨んだからこそ起きた変化でした。

勇気ある俳優たちと一緒に過ごせたことは、私にとっても大きな幸せでした。

 

バリ滞在中には、観光客用ではない本物のバリの伝統舞踊やケチャ・ダンスを観たり、ワークショップの参加者のお世話をしてくれていた方の村のお祭りを見学する機会にも恵まれました。

バリに到着したその日の晩に村祭りに行ったのですが、なんでも大きなお祭りをするのは5年に一度のことらしく、その日がちょうど、その5年に一度の大きな村祭りの日に当たっていたそうです!

何てツイているのでしょう!!!(^-^)「第一日目」に!!!

初日から、どっぷりとバリ現地の文化に浸からせてもらうことができました。

 

 

 

バリ島では、毎朝、人々がお花やお菓子を葉っぱで作ったお皿のようなものに乗せて、お線香を焚いてお供えの儀式をしていました。

それから、男性も女性も、プルメリアの花や花びらを髪や耳の後ろに飾っていました。

バリの人々は、地球とつながって、大地とつながって生活していることを肌で感じました。

 

 

実際、宿泊先では色々な不都合が生じ、2度宿を変わることになりましたが、その時にふと思ったのです。

水道の蛇口をひねると飲める水が出てくる、というのは、世界的に見たら当たり前のことではないのです。

ましてや、シャワーのためのお湯が蛇口から出てくる、ということも・・・。

そうした便利さを日常的に享受しているのは、全体から見たら僅かで、その他の多くの人達が、水を汲みに長い道のりを歩いて行かなくてはならないのです。

自分にとっての「非日常」に身を置くと、様々な気づきがあり、仕事を通して旅をできることのありがたさを改めて感じました。

 

単なる観光では決して触れることのできなかったことを体験し、私にとっても深い感情や感覚と向き合った日々でした。

 

第3週目、「魂」というテーマと向き合っている俳優たちをバンコクから想いながら、私もまたこの場所で自分と向き合っています。

 

感謝。

下田の秘密!

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こんにちは!

 

今日もバンコクはピカピカの晴天です!

 

さて、「精神世界の鉄人」として有名で、キネシオロジーの専門家であるトーマさんが、何と、私の故郷である伊豆の下田(静岡県)のものすごい秘密を教えてくれました!!!

 

特に、第3話「爪木崎」や第5話「寝姿山」は衝撃的でした!

 

爪木崎というのは、本当に身近な場所で、小学校の時などは毎年春の遠足で行っていた場所です。

冬になると、水仙の花が咲き乱れ、馥郁とした香りが一面に広がる、とても素敵な場所です。

 

寝姿山は、秋の遠足で良く行きました。

私の祖父母もよく散歩に出かける場所で、実家からも見えるほどの近さです。

 

海がきれいで、魚介類も美味しく、黒船来航によって大きな衝撃を受けながらもそれを生き抜いてきた、歴史的にも革新的な街である下田ですが、このような視点から見てみても、下田は面白い場所だということを再確認できる気がします。

トーマさんは、本当に不思議な方で、お話の面白さも、その情報量も半端ではない方です。

これまでも、トーマさんのブログを通して、又、実際にお会いして、驚愕の事実を学んできましたが、今回は、その舞台が故郷の下田だっただけに、読みながら余計に熱が入りました!

 

タクシーの運転手さん!「別の所に案内しますよ。」なんて言っている場合ではありません!(笑)

 

これが広く知れ渡ったら、全国津々浦々から、宇宙考古学のマニアたちが、こぞって下田を訪れるようになることでしょう。

 

1話から読むことで、その後のエピソードがより分かりやすく、楽しくなると思いますので、是非ご覧くださいね!


 

今日も、素晴らしき日を過ごしていらっしゃいますように!