一回で終わる予定が、どんどん出てくるので
何回シリーズになるかわからなくなってきた、自己紹介(プロフィール)を書いて
自分の”光”(リソース)を見つけるシリーズの2回目。
 
“光”がたくさん見つかるけれど、
同時に光以外の弱い部分も見えてきた。
 
 
 
親の世話になっていた時。
しかし、親と密接に向き合っていたこの時期が
その後の人生に大きく影響します。
 
母からの言葉、大人の言葉。
敏感に感じ取ります。
子どもをなめたらいかんです。
2歳でも3歳でも、大人が何を言っているのかわかります。
 
うちは、私が4歳の時に弟が生まれ、
親戚中で、はじめての男子だったので
両親はもちろん、
両祖父母の喜びがとてつもないものでした。
 
当然、姉である私は自分に向いてもらえないような気持ち。
面白くありません。
この話を書くとまたエピソードがたくさん出てくるので、
別の機会にしますが、
弟の方が可愛いとかなんだとか周囲はよく言ってました。
 
実際に可愛かったのだけど、
大人が安易に比較するような言葉を放ったら
子どもはとても傷つきます。
 
自分の容姿はダメなんだろうか。
ずっと気になっていました。
女子と容姿の問題、すごく大きいです。
 
女の子をおもちのお母さん、お父さん、
とにかくほめてあげてください。
 
容姿がかわいいとかはもちろん。
その内面、存在自体をです。
専門用語ではそれを存在承認と言います。
 
あなたがいること自体が素晴らしい。
わたしたちはどんなにうれしいか。
 
心が優しいね
誰にでも親切だね
やることが丁寧だね
ちゃんとお話を聴いてるんだね
○○ちゃんが生まれてくれてすごくうれしいよ
大好きだよ
 
日本人は、そんな歯が浮くようなこと
なかなか言えないかもしれないけど、
自分流の言葉にアレンジして
ぜひ言ってみてください。
 
話を弟のことに戻します。
あれから、ずいぶん長い年月が流れました。
かつての、目がパッチリした可愛い坊やは
お腹が出て頭髪も薄くなった
ただの中年おじさんになりました(笑)
 
私の方が妹とよく間違われます。
 
へへへ、ざまみろ(爆)
 
 
 
ではスタート。
 
 
【「女はつかえねぇ」から「明日生きる希望」へ】
 
さて、夢も希望も自信もなかった大学卒業時に
卒論「有吉佐和子の戯曲と小説の考察」を見てくれた
先生からのひと言がその後の私に
大きな希望を抱かせました。
前編はここまで。
 
と、これを書いていて
大学時代に学校とは別に
「東京アナウンスアカデミー」というところへ
通っていたことを思い出した。
 
アナウンスアカデミーは
局アナの予備校みたいなところで、
当時ここで学んだアナウンサーは大勢いて
定評のあるところだった。
 
私はアナウンサーではなくてタレントコースという、
今聴くとちょっと恥ずかしい名前のクラスに通って
インタビューやらナレーションやらの様々な訓練をした。
 
そこの先生の1人が、テレビ和歌山のアナウンサーの偉い人で、
授業が終わったらみんなで
恵比寿銀座の喫茶店に行って、
表現することや芸術について熱く語り合っていた。
 
その時もらったメッセージが
 
「私たちの仕事は、
人に明日生きる希望を与えること」
 
まだ二十歳くらだった私は、その意味の真意がわからずに
「それが何?」って感じだったと思う。
 
この意味の深さがわかるようになったのはずいぶん後になってから。
 
やがて、アカデミーも大学も卒業していよいよ就職。
とは言っても、
時代は男女雇用機会均等法が
隅々まで浸透していなかったとき。
 
学校の事務局には
新卒者を募集している企業のシートが
たくさん貼られていたけれど、
これと思うようなところはほぼ全部「男子のみ」。
 
ネットはもちろん、就職雑誌もなかった時代なので
情報は学校か新聞の求人欄だけ。
私は演劇専攻で演技をしてみたかったけれど
すぐに役者で食べていけないことくらいはわかるので、
ドラマづくりの制作現場で働きたかった。
 
八方コネを頼って、
映画のタイムキーパーなども聴いてもらったけれど
どこも採用はしてないし、
テレビ局はその頃、制作を外部の会社に発注する仕組みができたところで
本当にどこにも入る余地はなかった。
 
仕方なく、大手芸能プロダクション(今も有名な)なども
トライするも不採用。
 
どこで言われたか記憶があいまいだけれど
面接官が開口一番
 
「うーむ、女子はねえ…
3年で辞めちゃうからね」
 
私「は?」
面「みんな3年くらいで結婚して辞めるでしょう」
私(初耳)「いやあ、私はそんなつもりはないです」
面「いやいや、みんなそうなんだよ。戦力にならないから」
私(心の中で)「何この親父。3年てどっから出てきたんだよ!他の人がそうだから私も同じって決めつけて腹立つわ!」
 
今、こんな発言をしようものなら
パワハラで一悶着だけど、
昔はなんでもありだった。
 
そして、私たち芸術の勉強してたから、
いいものを追求することが目標で
何歳で結婚するとかしないとか、
お給料の良い旦那さんと出会うとか
そういうことは考えてみたこともなかった。
 
女子の就職は結婚相手を見つけるためという
驚くべき発想が実際にあることをはじめて知り
22歳である程度の会社に就職すれば
高収入の男と出会って
 
25歳で寿退社!
 
だから3年しか働かない。
ショックと絶望感で倒れそうだった。
 
そういえば、確かに同級生でもいた。
デザインを4年間学んで
卒業と同時に同級生と結婚して
専業主婦になった友人。
まあ、人それぞれの生き方なんですけどね。
 
当時の大卒女子に対する「女はつかえねぇ」風潮に
私たちがどれだけ傷ついてどんなに戦ったかは
林真理子さんの『ワンス・ア・イヤー』(角川文庫)に。
交流はないけれど、彼女は芸術学部の文芸学科で同級生です。
 
 
しかし、いつまでも嘆いていられず、
とにかくどこか、お給料くれるところを見つけなくてはと、
必死で就職活動するうちに
テレビ番組で使う衣装とアパレルメーカーの仲介をするような
表向きスタイリストみたいなことをする会社に採用された。
 
女優さんの洋服のタイアップみたいなことで
気持ちはちっともワクワクしないけど
なんとか卒業式までに決まったのでとりあえず一安心。
 
ところが、その後
その会社への入社を取りやめることに。
やっぱりもっと演劇の世界に近づきたいという
自分の気持ちに正直に動いたのだった。
 
 
きらきら私の”光”
 
・言葉に敏感
・感受性が鋭い
・人へ希望を抱いてもらうことに喜びを感じる(「人に明日生きる希望を与える仕事」に共鳴)
・男女問わず平等でありたい(女性蔑視に反感)
・活動的
・切り開いていくことが好き
・やっぱり演劇が好き
 
続く
 
 
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