自己紹介 前編
 

自分のリソース”光”に気づくエピソードを視点にした自己紹介です。
 

 

 

【幼少期】


東京都新宿区生まれ。
下町風情が残る都会の一角、四谷三丁目界隈に生まれ、

幼稚園まで過ごしました。
産土神は須賀神社の「須佐之男命」。


もの心ついた頃から芸事が好きで、

将来は唄ったり踊ったり芝居をするような人になりたいと思っていた。


しかし、そんな子どもの志向とは裏腹に、

母は、お嬢様校で有名な雙葉学園「雙葉小学校付属幼稚園」を受験させる。


母の思惑と本人の将来像の違いが既に4歳で明らかに。


受験当日、はじめて見る修道服の女性の気高さ、

かっこよさに驚愕して、そこで楽しく遊ぶ日々を想像し、

母の「先生にご挨拶しなさい」と言う言葉が終わらないうちに、

大興奮してキャーキャーとわめきながら部屋をかけずり回った。


後日、入園発表の日に、見に行ってくれた母の代理の人から

「名前はありませんでした」と告げられ、

「そんな、馬鹿な。絶対にあの幼稚園に入るはずなのに、

落ちるってどういうことだろう。

おばさんがちゃんと見てなかったんじゃない?」と思った記憶がなぜか鮮明に。

でも、まだ幼児。それを言葉ではうまく伝えられなかった。
 

 

きらきら私の光
・想像力が豊か。
・ビジュアルのイメージが鮮明にできる。
・飛んだりはねたり唄ったりする躍動感溢れることが好き。
・不合格でもそうへこたれない。

 


【小・中・高校学時代】


移転して進学校と言われている練馬区立の小、中学校へ進む。
住まいは板橋区で、徒歩3分のところに区立小学校があったものの、またまた母の意向で「レベルの高い方の学校」へ越境入学をさせられる。


小、中学校ともに有名な進学校で堅苦しく、芸事好きな子どもには面白みを感じられない。「臨海学校と学芸会」だけが楽しみだった。


小学校3年の時、学芸会の朗読劇「けん十公園林」(宮沢賢治)で数人の出演者とともに朗読をする。


宮澤賢治に触れた最初だった。

以降、宮澤賢治のファンになり生誕100年記念で盛岡、花巻を訪ねる。


「…風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。」
 

「風がどうと吹く」


「光がチラチラする」

 

というような描写にたまらなく魅かれ、主人公が「いつまでもそのぶなの木を見上げて立っている」ことに共感するのだった。


この頃、人前に出て演じることに強い興味を抱く。
 

中学時代は演劇部に所属するも、男性教師と感性の違いを感じ、また主役も回って来なかったのでやめる。


高校は、またまた母から「これからは、女性も専門技術を身につけて経済的に自立しなくてはいけない」という強い観念を押し付けられ、美術科のある学校に進学。

 

でもやはり、授業よりも、クラブ活動の軽音楽部で、フォークソングバンドなどをやることの方が面白くてたまらない。担任の先生から、「そっちの方はずいぶん楽しそうだね」と言われる。


しかし、バンドもさして実力があるわけではなく中途半端な活動だった。

美術を学ぶことから一時的に逃避していたのかもしれないと後になって思う。


その少し前に、雑誌『an・an』が創刊され、それまで見聞きしたことのない世界に触れ、大きなカルチャーショックを受ける。

 


そこには、おしゃれなファッションを身にまとったハーフモデルや先鋭のアーティストたちが登場し、スタイリストやコピーライターやデザイナーというカタカナ職業の人たちが、新しい分野で活動を始めていた。

 

とてつもなく夢が広がる世界がそちらにあって、いつかそこに行くことが幸せなのかもしれないと思うようになる。
 

この頃、小中学校の書き初めや文集では高評価をもらっていた。

 

 

きらきら私の光

・感性が鋭い
・自然の情景と人の心の動きを比喩を交えて文章で表現することが好き
・字が上手
・座学よりも実学。研究よりも実践の方に楽しさを感じる
・文学的なものに憧れる

・おしゃれなライフスタイルに敏感

 


【大学時代】
日大芸術学部へ進学。

付属の美術科からなので、同級生はほぼ全員美術学科へ進学し、デザインや絵画や彫刻コースで学び始めた。しかし、どうしても美術より演劇を専攻したかったので、演劇学科の中の「舞台美術コース」へ。あくまでも美術枠なので「演技コース」などへは行けなかった。


憧れのキャンパスで、演劇学科の学生になって、楽しく過ごす筈の大学生活。しかし、選択する「実習」の昔ながらの、新劇を上演するための稽古を見て、まったく新鮮さを感じられなかった。私が求めていたのは、もっと「明るく、楽しく、希望に満ちて、斬新で、今までにない洗練されたもの」だった。

そうこうしているうちに、目標を見いだせず、いったい何のために大学に入って、これから何を目指して何をすればいいのか

答えが出ないまま時間が過ぎていった。

 

授業に出ないで近くのカフェ(当時は茶店と呼んでいた)で

おしゃべりしたりして無為な時間を過ごしたり、

時間はたっぷりあるので一流ホテルのラウンジなどで

高額なアルバイトをして貯金が増えることを楽しみにしたりしていた。


1年生になって半年ほど過ぎた頃、

どうしても、舞台美術が専攻できなくなり、

2年目から「戯曲コース」へ転科。

「演技コース」へ転科するには再度受験をし直すということなので、

どうせ演技の勉強はできないのだからと半ば諦めムードになって、

実習をしないで講義を受ける方を選ぶ。

 

『an・an』のような世界はどこにもなく、

そこに行く道しるべもなく何も目標を見い出せずに、

遊んだりバイトしたりしてぼんやりしていた。


それでも、「戯曲」に触れる面白さは充分に感じていた。

卒業の時くらい精一杯やろうと、

卒論は「有吉佐和子の戯曲と小説の考察」にして必死に書きあげた。


有吉佐和子さんの女流作家としての才能に触れたものだけれど、

読んだ担当の水木先生から

 

「あなたにも、この人のような文才があるから、

これからがんばりなさい」

 

と言われ、耳を疑ってしまう。
まったく自信をもてずに卒業しようといていたわたしを

ほめてくれた水木先生のそのひと言は、

 

後に、

何度も自信を失いかけた時に、栄養剤のように

元気をくれるものになった。

 


きらきらわたしの光
・文章表現
・視覚に訴えかけるものに魅かれる
・自分なりの美意識を大切にする

・「明るく、楽しく、希望に満ちて、斬新で、今までにない洗練されたもの」つまりオリジナリティにこだわる

 


【後編】へ続く

 

 

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