「はるのいざない」☆ブログ編

自分を受け入れられなくて、ずいぶん遠回りしてしまったマッサージ師のブログです。
あなたはあなたの花を咲かせる。
その当たり前のことを、思い出してもらえたら嬉しいです。


テーマ:

我が家では、母に胃瘻の手術はしないという選択をしました。

けれど、それはあくまで我が家の選択でしかありません。

そして、胃瘻をつけるという選択を否定するためにこのブログを書くわけでもありません。

母の履いていた靴

認知症が進行して、介護が必要となった母。

月に2回往診に来てくれるようになっていた主治医から、ある日、「一度、神経内科を受診してみて下さい」と言われました。

なぜ必要なのかもわからないまま母を病院に連れていったのですが、直ぐ先生から、

「どうして車椅子に乗っているんですか?」と聞かれました。

年をとり、足腰も弱くなってきて、車椅子の方が早いから、そんなふうに答えたように思います。

 

けれど、MRIの結果、パーキンソン病に類する難病である進行性核上性麻痺と診断されました。

 

まだ、マッサージ師養成学校にも通っていませんでしたから、よく転ぶようになっていたのも、全て年のせいだと思っていました。

 

ですから、いきなり、「飲み込めなくなったり、数年で亡くなられる方が多いです」と、言われたのはショックでした。

 

パーキンソン病の薬を飲みはじめると食欲も増してきて、このままの生活がずっと続くようにも思っていました。

 

でも、診断から3年半が過ぎた頃、神経内科の通院で、

「少し痩せられたんじゃないですか? そろそろ胃瘻をつけることを考えたほうがいいと思います」と、先生から言われました。

 

まだ、食べられるのに? あの時は、その思いが強かったですし、わかりましたとは言えない自分がいました。

 

「何か宗教でもあるんですか? なければ普通はつけますよ」

何度か勧めても、ハイとは言わない私に、先生はそんなふうに言いました。

 

先生が言うとおり、おそらく、時期としては早くなかったのでしょう。

 

免疫機能を維持するためには栄養がどれだけ重要かということを、私は、わかっていなかったのです。

 

食べれていると思っていましたが、すでに母は、充分な栄養を取れなくなっていたのでしょう。

 

通っていたのが病院内のデイサービスだったため、この咳はおかしいと診察を受けさせてくれたことで肺炎の進行がわかったのは、半年も経たない頃でした。

 

真っ白だった肺が良くなってくると、内科の先生からも胃瘻の話がでました。

 

一緒に介護をしてくれていた腹違いの姉は、大きな髄膜腫の摘出手術を受けたばかりで、まともな会話も出来ない状態。

 

母は3人の子供を産んだはずなのに、姉はもういないし、弟は音信不通。

 

経済的なことも含めて、介護生活が長くなればどうなっていくかわからという不安。

胃瘻をつけたくないというのには、それもありました。

だから、自分の都合で母の命を縮めようといているのではないかという罪悪感も拭えませんでした。

 

やけくそで、母に

「栄養を取るためにお腹に穴を開ける?」と、訊いても

「おお、開けろ、開けろ」と、おどけたような答えしか返りません。

 

けれども、半べそかきながら、母の妹である叔母に電話をすると、

「つけなくていい」と、はっきり言ってくれて、そのおかげもあって、自分の意にそぐわない決断を下さずにすみました。

 

胃瘻をつけなくても母は大丈夫という思いもありました。

でも、次の次の入院時。

肺炎の治療が終わり、口から栄養を取ってもよい時がきたとき、

ついに、「覚醒が悪いので、もう口から栄養を取ることは許可できない」と、言われてしまいました。

 

母の死が避けられないものとなって、初めて、

「胃瘻はもう遅いでしょうか?」という言葉が口からこぼれました。

でも、もごもごと言った言葉は流され、最期を看取るため、母を我が家に連れてかえることになりました。


退院時、もう最後だし、食べられるのであれば食べさせてもかまわないと許可をもらっていたので、高カロリーのゼリー等を吸わせようと必死になり、母も、そんな娘に付き合ってくれていました。

でも、月が変わるのを待たずにその時はきました。

 

日が変わる前に母の呼吸は次第に早くなりはじめ、朝になり、ようやく主治医がきてくれましたが、「辛そうにみえるでしょうが、もう本人に意識はありませんから。その時がきたら連絡を下さい」と、言い残し帰っていきました。

退院から間もない姉はベッドで居眠りを始め、私は、変わらず早く激しい呼吸を繰り返す母をみつめていました。
 

すると突然、彼女の目が大きく開き宙をじっと見つめました。

そして、次の瞬間、額から下へ、さぁ―っと血の気が失せていきました。

本当に見事な、肉体からの旅立ちでした。

 

私が「良く生きたね」と繰り返すまでもなく、全てを知り、肉体が寿命を迎えた時にはそれを脱ぎ捨て、飛び立っていくもの。

その存在を信じていると言えば、宗教と言われてしまうのかもしれません。

 

でも、無知ゆえでしたが、初春のあの日、母を見送れてよかったのだと、今は思っています。

 


古い母のアルバムから

 


にほんブログ村

                                     


ライフスタイル ブログランキングへ

必要な方にメッセージが届きますように、上記バナーをお暇な時に押して頂けると嬉しいです。  

 

 

 

東京都渋谷区千駄ヶ谷・せらぴーすぺーす「はるのいざない」

 

 

マッサージ&タッチ・レイキDNAアクティベーション

★はるのいざない ホームページ

 

★めにゅー・価格一覧はこちら

 

★ご予約・お問い合わせはこちらからお願いいたします

           

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

はるさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

最近の画像つき記事  もっと見る >>