「はるのいざない」☆ブログ編

自分を受け入れられなくて、ずいぶん遠回りしてしまったマッサージ師のブログです。
あなたはあなたの花を咲かせる。
その当たり前のことを、思い出してもらえたら嬉しいです。


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50を過ぎた私には、年号が昭和から平成へと変わったときというのが、つい最近のことのように思えます。

そう、もう平成28年だというのにです。

 

2歳違いの姉が生まれたのは、終戦から16年しか経っていない、昭和36年のことでした。

 

戦争が終わり中国から戻った父は、上の姉と、彼女の母親である奥さんと一緒に、この千駄ヶ谷の家で暮らしはじめました。

 

でも、奥さんが病気で亡くなり、長い間、上の姉と2人で暮らしていました。

 

そんな日々の中、父は15歳以上年の離れた母と出会い恋に落ちたようです。

 

夢を抱いて東京に出てきた母は、30半ばになっていましたが、やりたいこともあったよう。

 

でも、母いわく、父を捨てられずに結婚したとか…。

 

そして、姉が生まれました。

 

父が52歳、母が36歳のときでした。

 

これ又、母いわく、自分の母親、つまりは私の祖母と一緒にこの家に来て良いと言われて父と結婚したとか。

行動力はあるけれども、もの凄く繊細なところもあり、家事が大の苦手な母が心配で一緒にこの家にやってきた祖母。

その祖母が、母のことを、「あんなに子供を可愛がるとは思わなかった」と言っていたそうですが、父にとっても、母にとっても、待ちに待った姉の誕生だったことは間違いありません。

 

 

父は戦争で抱えた心の傷も関係していたのか、時々、癇癪を起こすことがありました

そして、母は、初めての子育てに夢中になりすぎてしまったようです。

母は、そのことをずっと気にしていたようで、30代半ばで髄膜炎を患ってしまった姉を見舞うため、義兄の車に乗ったとき、

「あの子には悪いことをした、あの子に何かあったら私のせいだ」と、ずっと泣いていたそうです。

 

2番目に生まれた私は、母も失敗から学んでいたようですし、姉のように父に怒られないよう要領よく立ち回ってもいました。

 

「目が悪いからって、はるばっかり可愛がってずるいって言ったら、

お母さん泣いちゃったんだよ」

まだ、母が泣いたところを見たことのなかった小さな私は、姉にそう言われてびっくりしたこともありました。

 

でも、今ならわかります。

私は姉の力になりたいと思って生まれてきたのだと。

そして、傷つけられたと感じることも多かったでしょうが、父も母も、本当に姉を愛していたのです。

 

父の次、母より先に肉体から旅立った姉は、最後の日も母に当たっていましたが、愛されていたことは誰が見たってわかりますよね。

 


もう意識もなくなり、早く激しい呼吸を繰り返してしていた母は、突然、目を大きく開けて宙をみつめ、それから旅立っていきました。

彼女の大好きだった祖母、そして、父と姉が迎えにきたのだと思ったら、とても嬉しかったのを覚えています。

 

東京都渋谷区千駄ヶ谷・せらぴーすぺーす「はるのいざない」

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