戦わない伝え方を

 

選ぼうとするうえで

 

イメージしやすい

 

ひとつのまなざし

 

 

 

それは

 

「審判」

 

です。

 

 

サッカー好きなので

 

サッカーの審判。

 

 

どちらか

 

一方だけのチームに

 

ひいきするんじゃなくて

 

中立的立場にいる。

 

 

 

レッドカードだしたり

 

イエローカードだしたり

 

するのがメインの

 

役割ではなくて。

 

 

どちらのチームの

 

チカラも発揮してもらって

 

「いい試合」が

 

行われるように

 

見守るのが審判。

 

 

偏らないで、

 

どの選手よりも

 

まわりをみわたして。

 

 

そして、

 

よりボールに

 

近い場所から

 

客観的にながめる。

 

 

もしも自分が

 

コトバに傷ついたり

 

あるいは傷つけてしまいそうなとき、

 

「審判」をイメージする。

 

 

 

どちらかを一方的に

 

勝たせようとしてないか

 

負けさせようとしてないか。

 

 

 

気持ちを伝えたり、

 

メッセージを伝えるうえで、

 

相手に勝たなくっていいんです。

 

もちろん負けなくってもいい。

 

 

ファイティンブポーズを

 

とってるわけじゃない。

 

反則してきたわけでもない。

 

ナイフつきつけたわけでもない。

 

 

逆に、シミュレーションしたり

 

反則を隠して居るわけでもないし

 

負けようとしてるわけでもない。

 

 

自分が差し出すコトバに

 

そして伝えようとする相手に

 

フェアなまなざしで伝えたい。

 

 

そしたらば

 

その人がいとしくなる。

 

その人を思うコトバが生まれる。

 

その人はけなげに思える。

 

その人を大切に感じる。

 

 

伝えたい想いが

 

みるみるコトバになっていく。

 

それを伝えても伝えなくても

 

自分の中に芽生えたコトバは

 

きっと”無敵”なメッセージです。

 

 

 

▶︎ 無敵をイメージした形容詞はなんですか。

 

 

 

   □公式HP  O円コトトレ ことあそ茶会