映画「沈黙」を観て | 森春樹のブログ

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何気ない日々の記録から。思ったこと、気づいたこと。

『沈黙─サイレンス─』を観てきた。マーティン・スコセッシ監督による、遠藤周作の小説が原作の作品。(以下ネタバレ注意)

 

【時代背景】日本にキリスト教がもたらされた際、時の権力者織田信長は政権の邪魔となっていた仏教勢力の対抗とさせるため一定程度の布教に寛容だった。

 

しかし彼の没後、豊臣秀吉は九州征伐の際に視察した長崎で、一部の教会が軍事要塞と見まちがうほどの威容をもって各地に広がっていることに脅威を感じ、弾圧に転じる。

 

 

【あらすじ】行方不明となったある一人の神父を追って日本に送り込まれた二人の宣教師(ガルペとロドリゲス)が、至るところで身の危険を感じながらひそかに神(イエス・キリスト)を求める日本の信者と交流を行う。

 

一方でむごい拷問や処刑に彼ら隠れキリシタンが遭うたびに、神へ御心のもと生きることの意味を、彼らとどう対峙したらいいのかを問う。しかし答えてくれない。ついにガルペが殉教し、一人残ったロドリゲスも密告により捕えられ筑後守井上政重の硬軟織り交ぜた懐柔により、棄教を迫られる。

 

 

その瞬間、彼のもとに今まで沈黙を破っていた神が、ついに彼に口を開く。何を言ったのかは劇場にて。

 

 

「苦しんでいるとき、なぜ神は沈黙しているのか?」これはイエスに限らず、仏陀、マホメットと信仰の対象に対して何らかのメッセージを心の中で投げかけることはあるだろう。

 

神仏を信じる以外にも、自分の仕事、事業、競技など、様々な分野で人生をかけている人たちがいる。最期は自分を信じるしかないのだが。

 

人が苦しんでいるときによりどころとするものが宗教だという人もいれば、そうでない人も。ロドリゲスは、神の沈黙に途中から疑問を抱きながらも迷いに対しては自分の手で決断した。

 

登場する二人の宣教師は、現実を直視しながらも(しなければならない)この世で迷いながらも生きていき、そのいのちを全うしたのではなかろうか。