ちいさな・ちいさな・音楽会 ♫

ほんとにちっちゃな音楽会ですが 想像力をフル回転 頭の中で妄想してお楽しみください
※リンク切れになる場合が有りますがご容赦ください


テーマ:

ナニワミュジックは「大阪府大阪市北区菅栄町13-10」天神橋六丁目交差点近くに有ったストリップ劇場です
2011年(平成23年)12月20日の興行を最後に廃館と成り、建物も2012年(平成24年)8月初旬に撤去されました


ちいさな・ちいさな・音楽会 ♫  ちいさな・ちいさな・音楽会 ♫



ストリップ劇場は最盛期全国では200館ほど有り、また大阪府下では30館弱が営業していましたが1985年(昭和60年)(施行)大幅改正の風営法、正確には (風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)により取り締まりが強化され、また風俗産業の多様化により、徐々に地方劇場から経営不振に陥りその数を減らし、現在ではプロの踊り子さんが出演する劇場としては、全国で24館、大阪府下では2館(2012年9月現在)と成りその衰退ぶりは激しい状態です


話は変わりますが、そう昔は大阪梅田にもストリップ劇場が有りました、場所は北区角田町7、OSビルの「阪急東通交番」や「ドン・キホーテ梅田本店」から都島通の道路を挟んだ前の建物、現在も現存する「OSMビル」の1階に「OSミュジーックホール」が有りました、それを運営していたのが東宝でした、そう阪急グループの東宝、映画の東宝だったのです

また今は無くなりましたが、大阪南(難波)の「南街会館」、「南街シネマ」も実は「南街ミュージックホール」と言うストリップ劇場だったのです
そうストリップはある程度世間に受け入れられていた一般大衆の娯楽の一部だったのです


話は戻しまして
その昔JR(国鉄)天満駅、天神橋商店街一帯はストリップ劇場の激戦区でした
多い時にはこの狭い一帯の4館のストリップ小屋が有り、お互いに激しくシノギを削っていた時代が有りました


その劇場が


ナニワミュージック
劇場所在地は「大阪府大阪市北区菅栄町13-10」菅栄町西の交差点を南に入った所、「地下鉄天神橋六丁目」駅1番出口を出て4軒目に有りました、


開館は1968年(昭和43年)6月1日で、閉館は2011年(平成23年)12月20日です

この劇場が元気な頃は、各劇場のトップクラス踊り子さんが結構出演したり、コンサートや演劇が行われる事も有りました


特に有る時期からは、ロック所属の踊り子さんがよく出演するようになり、またロック座興行が度々行われ、ロック座の舞台さながらにノンストップのレビュー形式、群舞にソロ構成でショーが繰り広げられました


ロック座の踊り子さんの多々の出演、ロック座公演が度々上演される事から、西のロック座と呼ばれるほどになっていました、しかし有る時を境にロック座やTSミュジックの踊り子さんが出演しなくなり、タッチショーオンリーの営業


長く設備の更新もおこなわれておらず老朽化、これを逆手に取って昭和のレトロな劇場と銘打ってましたが徐々にお客さんも減少し、当局の取り締まり(がさ)が入ったのを機に廃業となりました


ちなみに、西のロック座と称されていた時代には、この劇場でデビューのロック座所属の方が結構おられて「奥菜つばさ」「小池まりえ」さんなどもそうです、また良くこの劇場に出演し現在も現役のベテランの踊り子さん達は、お隣「東洋ショー劇場」に出演した時、ココを訪れデビュー当時の懐かしさを噛み締める事も有ったようです




東洋ショー劇場
所在地は「大阪府大阪市北区池田町11-1」地下鉄堺筋線、谷町線「天神橋筋六丁目」駅から徒歩6分、大阪環状線「天満」駅から徒歩5分の所に有ります、

開館は、Web上の劇場情報では1964年(昭和39年)、劇場側が出してる資料によれば1965年(昭和40年)2月1日となっています、どちらが正しいのかは分かりません


場所は、天満市場や天神橋筋商店街が近くに有りとても賑やかな所に有ります、昭和40~50年代にはあまり住宅や飲食店なども無く、すぐ北側は空き地、周りは工場や食品販売の店舗、東側には東洋紡績(現 TOYOBO 東洋紡)の工場跡地(当時は工場の廃墟)が有り、その後1979年(昭和54年)にマンション群「ローレルハイッ北天満」が建設されました


昭和40年代末から50年代の全盛期の劇場内は、2階受付に年の行ったおばちゃんがテレビを見ながらモギリをしていて、現在チャコが有る場所にはシャツイチのオッチャンがそこで簡単な軽食を調理していて当然ビールにつまみも出していました、


場内の出入口はほぼあけぱなしと言うかお客さんで溢れて扉が閉められなかった状態、中は満杯で立ち見が二重三重に取り囲み座席の通路にはお客さんが新聞を敷いて座りこみ、また自分で折りたたみ椅子を持って来て座っているお客さんも、


当時の座席の並びは現在とは全く違い全て本舞台に向いていて、椅子と椅子の間隔はかなり狭く、通路はやっと人が一人通れる程度、座席数は今の1.5倍くらい有ったのではないでしょうか、それでも人が場内から溢れていたのでした、


この劇場、当局の手入れ(がさ)が有る度に設備がリニューアルされ照明や音響、舞台、ロビー、天井、エアコン、楽屋が最新のものになってゆき現在に至ってます、ちなみに2007年(平成18年)11月14日~2008年07月13日の休業の時には照明の更新とレイアウトのやり変え、座席の交換と向きを本舞台から花道回転ベッドへと変更され座席数を減らしゆったりとした配置になりました


応時は仙台市、松戸市、川崎市、宇都宮市、美作町(現美作市)、北九州市、熊本市、菊池市、鹿児島市など日本中に同名の劇場が多数存在していましたが、現在は同劇場のみが存在しているます

東のロック座に次ぐ西の東洋ショー劇場、ストリップ業界大手の一つです


ちいさな・ちいさな・音楽会 ♫  ちいさな・ちいさな・音楽会 ♫
1997年(平成9年)の劇場内 椅子の並びに注目    現在.2012年(平成24年)劇場の外観




天満座

所在地は「大阪市北区南錦町10」これは旧番地で現番地は「大阪市北区天神橋4丁目」その名のとおりJR天満駅南側に有りました、

そう!スーパ玉出天神橋店、交番と花屋が有る道を入った右側に有ったのでした、しかし現在は廃館になっておりその建物自体も存在しません、当時は「天満レジャータウン(吉田興業ビル)」地下1階に有り、JR天満駅大阪方面行きホームからその派手な看板が良く見えてました


ストリップ劇場としての開館、閉館の時期は全く分かりません、いつの間にか無くなっていました(笑)


が、しかし劇場としての歴史は古く、最初は芝居小屋として1914年(大正3年)この地に誕生し、本格的には1923年(大正12年)から、火災が有ったり、改装したり、そしてストリップ小屋になったり、最後はまた芝居小屋「天満演舞場」と名前をかえたりで、1983年(昭和58年)にこの地での「天満演舞場」は閉館しました


その後同年に尼崎・出屋敷に移転、「天満座」として再出発、阪神淡路大震災後閉館するも「兵庫県尼崎市昭和南通4-62」に移転、現在も大衆演劇の常設劇場「天満座」として存在しています


ストリップ劇場時代に有った派手な看板とは、高さが5~6メートルぐらい有ろうかと思う女性が足をVの字に広げていて後ろ向きに立っていて、上半身は振りかえってこちら向き、劇場に入る時にはその女性のお股をくぐって入るという奇抜な看板と入口になっていました、看板とは言えチョットてれくさい!!


でっかい看板だったので天満駅からはホントよく見えて目立ってました



天満ロマン座

この劇場の所在地、実は「天満座」と同じ「天満レジャータウン(吉田興業ビル)」の4階に有ったのでした、そう一時期同じ建物の地下1階と4階にストリップ小屋が同居していたのです


開館は1978年(昭和53年)2月21日、しかしこの劇場の営業期間はほんとに短く1年数か月で閉館してしまいました


ちょうどココが開館した頃から、あまりにも過激で何でも有りの関西ストリップに、御上(大阪府警)がついに取り締まりを強化、その第一号となったのです、ここから続くガサの連続がここから始まったと言ってもおかしく無いのです


結局この劇場はストリップ小屋を廃業し、お芝居の劇場「青雲座」として再出発したのです


ちいさな・ちいさな・音楽会 ♫  ちいさな・ちいさな・音楽会 ♫

ここを左に入った所                写真左側に天満座・天満ロマン座は有りました



かつて、天満駅、天神橋筋商店街一帯には


ナニワミュジック  東洋ショー劇場  天満座  天満ロマン座  


と4館のストリップ劇場が存在したのでした



つづく







いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

はるかぜさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

最近の画像つき記事  もっと見る >>

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。