もしも君が迷ったなら

思いついた言葉を詩に。思いついたストーリーを小説に。


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以前にタイトル募集で、アメンバーのみでアップしていたものを、加筆しました。

小説サイト【EVERBLUE 】でもHTMLでアップしていますが、せっかくなのでこっちでも。



・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚




 人間なんて大嫌いだ。自分勝手で、平気で裏切る。所詮人間なんてみな一緒だ。信じられるわけがない。

 そう思ってた。あいつと出会うまでは……。


 俺は人間で言うところの【犬】という種類の生き物だ。犬の中でも種類が分けられてるらしいが、俺は混血なので雑種らしい。大きさは犬の中でも中くらいなので、中型犬と言われた。
 俺は生まれた時から【野良犬】ってヤツで、今まで人の手を借りずに生きてきた。だから犬社会のルールも俺には染み付いている。その中でも俺の中で絶対的なルール。
『人間を信用するな』
 これはいろんな犬《ヤツ》から聞いていることだ。もちろん実際に体験もしている。

 俺が初めて人間に接したのは、子犬《ガキ》の頃だ。
 俺は小さい時に母を亡くした。それも人間が運転する車という乗物に轢かれてだ。それでも俺は三匹の兄弟と共に、何とか暮らしていた。
 そんなある日、人間のガキどもが、俺や兄弟を捕まえ、それぞれの家に連れて帰った。その瞬間、俺ら兄弟は一気にバラバラになってしまった。
 それだけじゃない。俺を連れ帰ったガキは、親に怒られ俺を元いた場所に戻したのだ。だが、兄弟たちがいるはずもなく、それから俺は一人で生きていかなければならなくなってしまった。

 その後も人間に連れ去られては、また置き去りにされた。何度同じ仕打ちを受けただろう? その度に俺は傷ついた。
「片耳が垂れてて、かわいくない」
「目が怖い」
「鼻ペチャ」
 人間に懐かなかった俺は、そう罵られることも少なくなかった。
 人間の一時的な感情のせいで俺は何度も酷い目に遭った。

 だから決めたんだ。人間を信用しないって。


 俺があいつと出会ったのは、初夏の心地よい風が吹いていた五月のこと。
 その日も俺はいつも通り平凡な野良生活を送っていた。人間と極力関わらないように、なるべく人間がいなさそうな場所を歩いていた。
 しかし、変な所に人間がいた。
「あれ? 犬だ」
 向こうがキョトンとしている。俺だって驚いた。
 若い青年がそこにいた。大学生くらいだろうか?
 何でこんなところに人がいるんだ? ここは大人が通るには狭すぎる路地だ。路地と言うより建物と建物の間の隙間と言った方が正解かもしれない。人間のガキでさえ、こんな暗くて狭くてオバケでも出そうな場所を通ろうとはしないのに。
 とにかく俺は見なかったことにして、クルリと方向転換をした。そのまま来た道を戻る。
「待って!」
 青年が声をかけてきた。だがそんなの無視するに決まってる。
「待ってってば!」
 青年は俺を引き留めようと、むんずと尻尾を掴んだ。咄嗟のことに俺は、牙を剥いて唸った。この路地が狭すぎて噛み付いたり、飛びついたりはできなかったのだ。
 ヤツは一瞬怯み、俺の尻尾から即座に手を放したが、すぐにニコッと笑った。
「俺んち、来ない?」
 またか。俺は呆れつつ、顔を背けた。
「無視すんなよ」
 こいつ、頭おかしいんじゃないか? 俺以外にもたくさん犬はいるじゃないか。何で俺なんだ?
「なぁ、来るだけでもいいから来いよ。嫌なら逃げてもいいからさ」
 何だ? やっぱこいつ頭おかしいのか?
 俺はふとヤツの目を見た。
「な? 頼む」
 そう言った目が、どこか寂しげだった。それに人間にお願いされたのは初めてだ。
 何だか胸の奥がムズムズする。何だろう? このまま去ってもいいかもしれないが、何故か妙に気になる。
 しゃーねーな。俺は仕方なくヤツに付いて行くことにした。

 俺の気まぐれも困ったもんだ。何でこんな人間なんかを気になったんだろう? 今になって後悔し始める。
「ここが俺んちだ」
 着いた先は、小さな一軒家だった。しかしヤツ以外に人間の姿が見えず、気配もない。
「入れよ」
 急かされて家に入る。ヤツはどこからか雑巾を持ってきて、俺の足を丁寧に拭いてくれた。
「ここは俺一人だから、気兼ねしなくていいよ」
 青年がそう言って笑う。一軒家に一人で住んでいるのか?
「おいで。風呂に入れてやるよ」

 生まれて初めて風呂というものを体験したが、これは意外と気持ちがいいものなんだな。
「実は俺……こないだ家族を事故で亡くしたんだ」
 青年が俺の体をガシガシとこすりながらそう言った。
 それで家にこいつ以外の人の気配がなかったのかと妙に納得する。
「だから……ちょっとの間だけでいいから……」
 洗い終わったのか、お湯で泡を落とした。それまで俺の背後にいた青年が、俺の目の前にやってきた。
「しばらく俺といてくれないか?」
 青年はすがるような目で俺を見た。人間にこんなにお願いされるのは初めてだ。
 そうか。ヤツがほっとけないのは、俺と似てるからだ。
 しゃーねぇな。少しだけ付き合ってやるか。

 風呂場で一旦体を震わせて水滴を飛ばしたが、完全には乾かないので、青年がタオルで俺の体を丁寧に拭いてくれた。そうしながら青年は唸る。
「名前、何がいいかなぁ?」
 名前とやらは、俺を拾ったガキが勝手につけたことがあるが、そんなのもうとっくの昔に忘れてしまった。
「耳が垂れてるからミミ!」
 は?
「いや、センスがねーな」
 すぐに訂正が入る。もしそんな変な名前になったら、俺は即行で逃げてやる。
「でも片耳だけ垂れてるのって珍しいよな」
 またこいつもバカにするのか?
 睨みを利かせるが、青年はそれに気づかず、俺の耳に優しく触れた。
「かわいいなぁ」
 俺は驚いて思考回路が停止した。かわいいなんて、初めて言われた。
「ハッ。そうだ。名前……」
 青年はまたブツブツと考え始めた。
「お前の毛は、何だか不思議な色をしてるんだな」
 タオルで拭きながら、俺の毛を見てそう呟いた。
「何かキラキラしてるから『アサヒ』ってのはどう?」
 アサヒか。悪くないな。
「今日からお前はアサヒだ」
 青年は俺をギュッと抱きしめた。初めてだった。
 人間ってこんなに温かいものなのか?
「あ、そうそう。俺の名前は優一。よろしくな、アサヒ」
 優一は俺の頭を優しく撫でた。

 俺は一体何をやってるんだ?
 人間なんて信用しちゃだめだ。そんなこと、分かり切ってるのに。
「父さん……母さん……」
 隣で寝ている優一が呟く。その目に浮かぶ涙が、月明かりに照らされて光った。
 しゃーねぇな。もうしばらく一緒にいてやるか。

 次の日、優一は首輪と呼ばれる輪っかを手にやって来た。
「アサヒ。嫌かもしれないけど、首輪を付けよう」
 飼い犬の証を付けておかなければ、保健所という場所に連れて行かれるらしい。そう言えばそんな人間にも追い回されたことがあったっけ。
「太陽の色だよ」
 そう言って付けてくれた首輪の色は、オレンジだった。

 リビングにはたくさんの写真が飾ってある。
 それは古いものから最近のものまで、様々だった。必ずと言っていいほど写っているのが、恐らく優一なのだろう。そして時折一緒に写っている優一にそっくりな優しそうな男性が優一のお父さんで、おっとりした雰囲気の女性がお母さん。優一の隣に写っている優一より少し小さい男の子は、多分優一の弟だ。
「何見てんの? アサヒ」
 台所で洗い物を済ませた優一が、俺に話しかけてきた。俺が写真を見ていると気づき、棚の上に置いてあった写真立てを一つ手に取る。
「これは、一ヶ月前の写真だ。俺の父さんは写真が好きで、よくこうして写真を撮ってたんだ」
 優一はそう言いながら、写真を指でなぞった。少しだけ見えたその写真に写っていたのは、楽しそうに笑う優一と母親、そして弟だった。
 優一を見上げると、その目に涙が溢れていた。家族を亡くしてからあまり経っていないのだ。無理もない。
 優一はそっと写真立てを元の位置に戻すと、俺に向き直った。
「そうだ。アサヒも写真、撮ってやるよ」
 そう言って無理やり笑った優一が、とても痛々しく見えた。

 俺は他の犬とは違い、人間に懐くという行為をしなかった。それでも優一は変わらずに優しく接してくれた。
「アサヒは人間のこと、嫌いか?」
 俺の体をブラッシングしていた優一が突然訊ねてきた。
 犬である俺が答えるはずがないと分かっているのに、優一はよくこうして俺に話しかける。それはこの家に話し相手のいない優一がただ寂しいからかもしれない。
 優一は俺の体を優しく撫でた。
「これは……」
 撫でていた手が止まる。あぁ、アレを見つけたのか。
「この傷、もしかして人間にやられたの?」
 俺の体には数箇所の傷がある。それはもう随分昔からつい最近に至るまで、人間が俺に向かって投げつけた石のせいでできたものだ。
 優一は更に他の傷も発見し、震えた。
「ごめんな。痛かっただろう? ごめん。ごめんな」
 優一は涙ぐんだ声でそう呟いた。
 何で優一が謝るんだ? この傷は優一がつけたものじゃないのに。
 優一は俺をグッと抱きしめた。
「これじゃ、人間を嫌ってても仕方ないよな。でも、でもこんな人間ばっかりじゃないんだよ。だから……人間を嫌いにならないで……」
 悲痛な叫びにも似た優一の言葉は、まるで優一自身を「嫌いにならないで」と言っているように聞こえた。

 俺は人間が嫌いだ。信用だってしてない。
 だけど、優一は……嫌いじゃない。

 しばらく優一と生活しているうちに、俺は優一を信用するようになった。優一は俺を裏切らない。なぜかそんな気がした。

 優一は夜になるとよく電気も点けずに、縁側に座って月明かりを眺めていた。
 時折泣き出しそうな優一の横顔を見ると、俺は何だか胸がざわついた。一気に家族を失った気持ちは、俺にはよく分かる。だけど、俺は言葉をかけることができない。
 俺はそっと優一に寄り添って座った。
「アサヒ……」
 優一は驚いたように俺を見たが、優しく頭を撫でた。
「ありがとう」
 その言葉が何だか妙に嬉しい。

 俺たちは朝と夕方に散歩をすることにしている。その日も朝早く起きた優一が、リードを俺の首輪に付けた。
「さぁ、行こうか」
 優一はリードを引き、俺は優一の隣を歩いた。
 いつもの散歩道。人通りはまだ少ない。朝霧が視界を覆う。
 俺はこの時間の散歩が好きだった。外界と切り離されたような空間に、俺と優一だけがいるような不思議な感覚になる。
「今日はちょっと霧が濃いな」
 そう言いながら、優一はいつもより少しゆっくり歩いた。
 その時、俺の耳に嫌な音が飛び込んできた。車のエンジン音だ。思わず立ち止まる。
「どうしたの? アサヒ」
 急に立ち止まった俺に驚き、優一も立ち止まる。この音は俺にとっては嫌な思い出しかない。このせいで母を失ったんだから。
 俺はいつもは垂れている片耳もピンッと張り、その音の方向を確かめた。近づいてくるエンジン音に俺の心臓が暴れだす。嫌な予感が、駆け巡る。
「アサヒ?」
 一向に動こうとしない俺を、優一は怪訝そうな顔で覗き込む。
 その時、俺の視界に猛スピードで優一に突っ込もうとしている車が見えた。

 ――もう失いたくない。

 俺は咄嗟に優一に飛びついた。

 キキィーとすさまじいブレーキ音が遠くで聞こえた。目を開けるが、視界がぼやける。
 あれ? 俺、車に轢かれたのかな?
「アサヒ! アサヒ、しっかりしろ!」
 優一が必死に叫んでいるのが聞こえた。
 そっか。優一は無事だったんだな。
「アサヒ! 大丈夫だよ! すぐ病院連れてってやるから!」
 優一はそう言うと、俺を抱き上げた。
 温かい優一の腕の中で、俺は優一と初めて会ったときのことを思い出した。
 頭の中を駆け抜けたのは、温かくて、優しい思い出。

 俺、このまま死ぬのかな?
 こんな人生だったけど、最期に優一に会えてよかったよ。


「アサヒ!」
 名前を呼ばれ、目を開けると、優一が心配そうに覗き込んでいた。
「よかったー。もうダメかと思った」
 そう言って、優一は胸を撫で下ろした。
 あれ? 俺、死んだんじゃなかったのか?
「すぐ病院に連れて来られてよかったです。出血もそんなに酷くありませんでしたし」
 獣医らしき男性が俺に包帯を巻きながらそう言った。
「ありがとう。アサヒ。俺を助けようとしてくれたんだろ?」
 優一は俺の首に手を回して抱きしめた。温かい体温が伝わる。優一の優しい香りが鼻を駆ける。
「怪我も酷くないので、今日は帰ってもいいですよ。明日もう一度お越しください」
「はい」
 獣医に帰宅許可をもらった優一は俺に向き直った。
「帰ろうか。アサヒ」
 そう言って優一は俺を抱き上げ、怪我をしている部分を触らないように抱き直してくれた。

 外に出ると、すっかり日は高く昇っていた。近づいてくる夏を予感させるような、真っ青な空だ。
 優一の心臓の音が聞こえる。その優しい鼓動は、まるで母親といた時と同じような安心感をくれた。
「アサヒ。今度二人で朝日を見に行こう。キラキラして、すごく綺麗なんだ」
 そう言った優一は、今まで見た中で一番優しい笑顔だった。

 そうだな。優一。
 いつか二人で見に行こう。俺の毛色と同じだと言ってくれたキラキラの朝日を。




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2年ほど前に書いた短編を再編しました。

お知らせのところにある、コンテストに出品したものです。

よかったらどうぞ。




・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚



 どうすれば、忘れられるのだろう?
 こんなに苦しい思いをするのならば、いっそ忘れてしまいたい。

 なのにどうして忘れられないんだろう?

 いっそあの人みたいに……この青の中に消えてしまいたい。


「亜美!」
 名前を呼ばれ、声のした方に顔を向けると、幼馴染の和憲がこちらに走って来た。
「やっぱここにおったんか」
 和憲は息を切らせながら傍までやって来た。高く昇った太陽がじりじりと照りつける。 梅雨が明けてからは、なお一層気温が高くなってきた気がする。和憲はTシャツで顔の汗を拭った。
「おばさんが心配しとったで」
 亜美はその言葉に何も答えず、目の前に広がる海に目線を戻した。
 そんな亜美に和憲は溜息をつき、和憲も目の前に広がる海に目線を向けた。
「綺麗……やな」
 目の前の海に、太陽が吸い込まれるように沈んで行く。見慣れたはずの光景だが、やはり息を飲むほどの美しさがある。
「また夜が来る……」
 亜美が呟く。その言葉に和憲は思わず眉間に皺を寄せた。
「なぁ。亜美。分かってるんやろ? ホンマは」
 和憲の言葉に亜美は前方を向いたまま頷いた。
「お前がいつまでもそんなんやったら、いつまで経っても雄介が浮かばれんぞ」
「分かっとる」
 亜美はムッとした口調で言い放った。
 和憲からプイッと顔を背け、自分の家の方へ足を向けた。
「待ちぃや」
 和憲は慌てて亜美を追いかけた。

 森川亜美。十八歳。海の見える小さな町に住んでいる。幼馴染の和憲とは家が隣同士で、兄妹同然に育った。和憲は亜美よりも二歳年上で、今は漁師である父親の仕事を手伝っている。
 本来ならここに居るはずだったもう一人の幼馴染、雄介は和憲と同い年で、和憲と同じく漁師をしていた。そんな雄介が好きで、亜美はいつか告白しようと思っていた。
 半年前、彼は漁の途中で突然激しい風嵐に襲われ、他の船員が波に攫われたのを助けるため、自分を犠牲にした。船員は助かったが、雄介はダークブルーの海の中に消えてしまった。未だに遺体もあがっていない。

 あの日、彼を止めていれば今もここに居たのだろうか?
 後悔しても後悔しきれない。
(だって……まだ告白すらしてない)
 気持ちを伝えることすらもう二度とできない。
 込み上げてくる息苦しい思い。胸が痛い。
「大丈夫か?」
 ずっと隣を歩いていてくれた和憲が、亜美を支える。亜美は一度和憲の顔を見、再び俯く。
「大丈夫……」
 呟く亜美に、和憲は溜息をついた。
「全然大丈夫ちゃうやんか。そんな青い顔して」
 和憲は亜美の前に屈んだ。
「何?」
「おぶってやるよ。しんどいんやろ?」
「でも……」
「ええから、早よし」
 和憲は本当の兄のようだ。亜美はその優しさに甘えることにした。素直に和憲の背中におぶさる。広い背中はとても居心地がよかった。
「ありがと」
 呟く亜美の言葉は辛うじて和憲に聞こえたようだ。
「ええって。俺はお前の兄貴みたいなモンやからな」
 夕焼けに照らされた褐色の肌が、とても綺麗だった。

「和くん、いつもありがとうね」
 亜美の母親が和憲にお礼を言った。
「いえ。亜美、おばさんに心配ばっかかけたらあかんで」
「分かっとるよ」
 亜美が膨れたように言うと、和憲は笑いながら亜美の頭をポンッと優しく撫でた。
「じゃあ、また」
 和憲は相変わらず優しく微笑むと自分の家に戻っていった。

 食事もそこそこに亜美は自分の部屋に戻った。家族と居るのが嫌な訳じゃない。ただ自分が居ては、空気が重くなるだけだと、亜美なりに遠慮していたのだった。
 以前はこんなことはなかった。食事が終わっても寝るまではリビングに入り浸り、父や母と話するのが好きだった。
 だが、今は……雄介が居なくなってからはそんな気力がなくなってしまった。
 溜息が多くなるばかりの娘に、両親も何と声をかけていいのか分からないのだろう。

「亜美、お風呂入りなさい」
「はーい」
 ドア越しに母の声がしたので、返事する。お風呂に入る準備をして、部屋を後にした。

 シャワーで全てを洗い流す。頭にこびりついている優しい記憶も全て洗い流せたらいいのに……。
 思い出すのは、雄介がいた平凡な毎日。幸せだった。それが例え雄介にとって“妹”のような存在でも。ただ雄介が居てくれるだけでよかったのに。

 神様、いるのなら教えてください。
 どうして雄介だったんですか? どうして雄介が死ななきゃならなかったんですか?

 ぽっかりと空に浮かんだ下弦の月は、鋭く引っかかれた自分の心の傷口のように見えた。


「亜美」
 今日も和憲に見つかった。亜美はもう特等席になってしまった場所で海を眺めていた。
「お前、このクソ暑い中こんなとこおったら、日射病で倒れるで」
 和憲はそう言いながら、冷たいスポーツドリンクを手渡してくれた。日陰すらないこの場所では、確かにありえる話だ。
「いっそ……日射病にでもなりたいわ」
「アホか」
 和憲は自分がかぶっていた麦藁帽子を亜美に無理やりかぶせた。
「潮の匂いがする……」
「俺様の汗が染み込んだ帽子やからな」
 意地悪く和憲が笑う。亜美は即行で帽子を和憲に突っ返した。
「冗談やって。かぶっとき」
 和憲は再び帽子を亜美にかぶせた。和憲を見ると、彼は頭にタオルを巻いていた。
「お前さ、雄介んこと、好きやったんやろ?」
 和憲に図星を指され、亜美は顔が真っ赤になった。気づかれていたのかと今更ながらに思う。
「気、づいてたん?」
「何年一緒におると思ってんねん」
 和憲は自分用に買ってきたスポーツドリンクを開け、口を付けた。
「でも……結局は告白、できんかったし……。うちの片思いで終わってしもた」
「片思いちゃうで」
「え?」
 思わぬ和憲の言葉に、亜美は俯いていた顔を上げた。
「雄介もお前んこと好きやったで」
「ウソや」
 そんな言葉、信じられない。口だけなら何とでも言える。
「嘘やないよ。あいつは隠しとったみたいやけどな。俺が問い詰めたら白状したわ」
 だけど何だか複雑だ。雄介が亡くなってからそんなこと聞いたって、もうどうすることもできないのだから。
「それが例えホンマやったとしても! ……もううちには何もできんやん!」
「できるで」
 感情的になった亜美とは対照的に、和憲の口調は穏やかだった。
「お前が雄介の死を受け入れることや」
 和憲の言葉は矛盾しているように思えた。
「何よ……それ」
「お前が雄介の死を受け入れん限り、お前はずっとそのままや!」
 突然口調が荒くなる。亜美は何も言えなくなってしまった。
「雄介が死んでから、お前はずっと下を向いたまんまや。やけど雄介は、そんなお前見たくないで」
 和憲は亜美の目を見た。亜美はすぐに目をそらす。
「雄介は明るいお前が好きやった。それやのに……お前が下ばっかり向いてたら、雄介は心配で成仏できんやないか!」
 和憲の言葉にハッとした。
 やっと気づいた。ずっと自分ばかりを責めてきた。周りなんて見ようとしていなかった。自分ばかりが辛いと思っていた。
「辛いときは泣いたらええ。雄介がおらんよなって、皆寂しいって思ってる。やけど……やけどお前まで元気なくしたら、他のやつらまで元気なくなるわ。空元気はあかんけど……。笑え! 雄介も……俺も、お前の笑顔が一番好きや」
 和憲の言葉に亜美は込み上げてくる涙を必死で抑えながら、笑った。
「ごめんね。和くん。ずっと自分だけが苦しいって思ってた」
 溢れ出し零れた涙が頬を伝う。必死で繕った笑顔はすぐに泣き顔になってしまった。
 和憲は優しく亜美を抱きしめた。
「ええよ。泣いても。今は泣いてもええよ」
 優しい言葉と抱きしめられた腕が温かくて、亜美は雄介が亡くなって以来、一滴も流れなかった涙を流した。
 苦しいのに、悲しいのに、出てこなかった涙は、自分では制御できないほど溢れ出し、その涙は全て和憲が受け止めてくれた。

 亜美が泣き止んだのは、日もすっかり暮れてしまった頃だった。
「ごめんな。和くん。夜んなってもうて」
「ええよ。気にすんな」
 相変わらず優しい。いつの間にか大きくなった背中が、頼もしく見えた。
「和くん」
「ん?」
「うち、ずっと雄くんのこと忘れたいって思ってた」
「うん」
 呟くような声で話す亜美の言葉を、和憲は真剣に聞いた。
「苦しいから。思い出す度、苦しくなるから、いっそんこと全部忘れたいって思った」
「うん」
「でも……忘れるなんてできんのよね」
「そやな」
 亜美の言葉に、和憲は頷いた。和憲もきっと同じようなことを考えたのだろうと亜美には分かった。
「今はまだ雄くんの死を受け入れられんかもしれん……。けど……けど……」
 また涙が込み上げてくるのを、必死で堪える。
 それに気づいた和憲は頭をポンポンと優しく叩いた。それだけで何だか勇気が出てくる。
「背負って……行こうと思う。雄くんとの思い出は、すごい優しくて、楽しくて、嬉しい毎日やったから、思い出す度、今はまだ苦しいけど……。きっと、きっといつか受け入れられるようになるから……」
「うん。ゆっくりやったらええよ。俺も、まだ受け入れられへんから」
 雄介の親友だった和憲の言葉に、少しだけ勇気付けられる。
 亜美はふと漆黒の海を見つめた。
「雄くん。まだ真っ暗な海ん中におるんやね」
 遺体はもうあがらないと言われた。それだけが何だか心残りだ。
「大丈夫や。ほら、夜も月が照らしてくれとるよ」
 見ると、夜空に浮かぶ月が、海に反射し、キラキラと光っていた。
「ホンマや。……よかった。真っ暗やなくて」
「せやな。帰ろうか」
「うん」

 浮かんでいる下弦の月が、雄介の笑顔に見えた。




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約3年前に書いた短編を再編したので、こちらでもうp。


珍しく完全コメディです(・∀・)


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・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚


 俺は、つくづくついてない男だと思う……。
 大橋信樹、二十三歳。ただいま就職活動真っ只中。
 そこまでは、他の皆と大して変わらない。不況な中、就職先を見つけるのはかなり困難だ。それも、まぁ仕方ないことだろう。
 ただ一つ、皆と違うとすれば、それは俺に遅刻能力があることだ。
 わざとじゃない。時間通りに出ても、必ず遅刻する。予定時間よりどれだけ早く出発しても、必ず遅刻する。
 ああ……こんなんじゃ就職先なんて見つからないよ……。

 その日の面接は午後からだった。それなら午前中から家を出れば、余裕で着くだろう。その会社は、自宅から一時間もかからない距離にあった。迷ったとしても二時間余裕に見ておけば……。
 いや、待てよ。いつもみたく遅刻能力を発揮しちゃったら……。
 よし、午後一時からだけど、午前九時に出よう。

 朝八時起床。朝食をしっかり食べ、八時五十分に家を出る。
 完璧。これで何があっても大丈夫だぞ。

 駅までは何も起こらなかった。ホッと胸を撫で下ろす。
 いや、ここで安心してちゃいけない。電車に乗るまで、安心できないのだ。
 切符を買い、電車に乗り込む。いつものように、電車は走り出した。少し安心しながら、俺は面接の予習をしていた。

 しばらくすると、電車が急ブレーキを踏んだ。
 ガタンっと大幅に車内が揺れる。乗客全員がつんのめりそうになりながら、何事かと運転席の方を見ている。俺は窓から外を見てみたが、何が起こったのか、全く分からない。
 すると、アナウンスが流れた。
「ただいま前方に起きまして、事故が起こりました。しばらく停車させていただきます。ご迷惑をおかけいたします」

 なにぃぃぃぃぃぃ!! ちょっと待て! しばらくって何時までなんだよ!!!!

 ……落ち着け、俺。今はまだ午前中だ。最悪でも一時までに会社に着けば大丈夫なんだから。そのために早く出てきたんだ。
 深呼吸をして、落ち着こうとする。
 大丈夫。大丈夫。
 念ずるように頭の中で呟いた。
 ラッシュを過ぎていたので、乗客は大分少ないが、皆不安そうだ。
 そりゃそうだろう。俺だって不安だ。ざわついている乗客の声が、耳に入ってくる。
「おい。どうやら、飛び込み自殺みたいだぜ」
「げ。マジかよ。ついてねーなー」
「飛び込み自殺で電車止めたら、遺族の損害賠償すごいんだろ?」
「らしいなぁ」
(と……飛び込み自殺!? やめてくれよ。何で今日この時間なんだよ……)
 俺は頭を抱えた。
(そりゃ、自殺するくらい辛いことがあったんだろうけど……せめて他人に迷惑をかけないように死んでくれよ。何でよりによって飛び込み……)
 俺はその時、パニックになっていたようで、自分のことしか考えていなかった。

 正午を過ぎても、電車が動く気配はなかった。
 俺は仕方なく、会社に電話をかけた。受付のお姉さんは、事情を分かってくれたようで、「お待ちしております」と言ってくれた。何だか天使に思える。

 結局会社に着いたのは、三時だった。他に面接に来ている人たちはもう終わったようで、俺以外誰もいなかった。
 面接が始まり、面接官の前に立つ。
「座りなさい」
「失礼します」
「災難だったみたいだねぇ」
 面接官も事情は知っていたようだ。
「はい……」
 何だか泣きたくなってくる。
「それじゃあ面接を始めようか」

「ハァ……」
 大きく溜息が漏れる。早めに家を出たのが、こんな裏目に出るとは思ってもみなかった。
 肩を落とし、帰宅する。
「ただいま」
 呟いた声が空しく響く。大学に入ってから一人暮らしを始めたので、家にはもちろん誰もいない。
 でもこんな時、誰か居てくれたらとはやっぱり思ってしまう。
 部屋着に着替えながら、テレビをつける。ちょうど今朝の事故のニュースをやっていた。
 あの時は、自分のことでいっぱいいっぱいだったが、ニュースを見て、少し気持ちが変わる。
 亡くなったのは、俺と同い年の女性。身寄りもなく、行く当てもない。そんな時、付き合っていた男に騙され、コツコツと貯めていたお金をごっそり奪われた。もう何も信じられない、生きている意味がない、と電車に飛び込んだらしい。
 ……何てことだろう。俺とは全く正反対だ。
 リモコンを思わず握り締める。
 あの時『迷惑かけないように死んでくれよ』と思った俺は、最低だ。
 こうなってしまった後では、かける言葉なんてないけれど、どうか安らかに……。
 そしてくれぐれも落ちませんように……。

 数日後送られてきた会社からの封筒を、俺は緊張しながら開けた。開いた書類にはでかでかと『不採用』の文字。
 俺は、がっくりと肩を落とした。予測していたこととは言え、やっぱりきつい。
 でもがっかりしている場合じゃない。次の面接もがんばらなきゃ。

 次の会社は隣町だった。いつもなら電車で行くのだが、前回のこともあり、今回はちょっと奮発してタクシーで行くことにした。
 だけど何があるか分からない。この間のように早めに家を出る。

 タクシーを捕まえ、運転手に行き先を告げ、気持ちを落ち着かせる。
 面接でのポイントを自分の中で復習していると、タクシーが突然止まる。
「どしたんですか?」
「うーん。よく分からないけど、事故があったみたいだなぁ」
 俺も運転手と同じように前方を窓越しに見てみると、事故処理車が見えた。思わず言葉が漏れる。
「マジかよ……」
 運転手は辺りを見回し、事故現場の方から歩いてきた通行人に話を聞いた。
「どうかしたんですか?」
「よく分からないけど、トラックが急ブレーキしたらスリップして、車の列に突っ込んだらしい」
「あちゃー。じゃあ、通行止め?」
「多分そうなりそうだねぇ。警察はさっき来たみたいだけど」
 そんなやり取りを後部座席で聞きながら、俺はどうしようかと悩んでいた。
「お兄さん、いつ動けるか分からないよ? どうする?」
 どうするったって……。選択肢は一つしか残されていない。
「走って行きます」
 仕方なくタクシーを降り、走り出す。
 走っているとちょうど事故現場が見えた。警察が事故処理をしているようだった。救急車も到着し、怪我人を運んでいる。
 その時、その怪我人と目が合ってしまった。
 ドキッとし、思わず目を逸らす。
 俺は走った。あの人が、どうか助かりますようにと祈りながら。

 遅刻しそうだったので、携帯で会社に電話をかけ、状況を説明した。
 何だか分からないが、泣けてきた。涙を飲み込もうと空を見上げると、何だか雲行きが怪しい。
(やばいなぁ……。雨降りそうだ)

 案の定、しばらくして雨が降り始めた。ついてないと思いながら、コンビニを見つけ、傘を買おうと店内に入る。
 ビニール傘を手に取り、レジに向かう時だった。一人の男が刃物を持って、店に入って来た。
「金を出せ!」
 明らかに強盗の格好をした男は女性店員に刃物を向けながら、レジを開けるように指示する。
 客はどうやら俺しか居ないようだが、強盗は俺に気づいていないようだった。
 店員は慌てながら、レジを開いている。が、焦っているのかレジがなかなか開かない。 男は業を煮やし、店員に刃物を突きつけた。
「早くしろ!」
 どうする、俺。
 犯人は一人。こっちはあの店員を入れれば二人。勝算は……あんまりない。
 怖い。けど、どうにかしなきゃ。
 そう思い、俺は傘を握り締め、犯人の後ろにゆっくりと近づいた。そして思いっきり殴る。すると、犯人がクルッと振り向いた。
「何しやがんだ、このやろぉ!!」
 ……ドラマみたいには行かないものだ。俺は犯人が気絶するものだと思っていたので、どうしたらいいのか焦った。
「てめぇ。殺されたいのか、ごらぁ!!」
 その時、店員がどうやら警報機を鳴らしたようだった。しばらくしてパトカーのサイレンの音が聞こえる。恐らくあの事故現場にいた警察だろう。到着するのがやけに早すぎる。
「ちっくしょー!」
 男はそう言いながら、何も取らずに逃げた。
 だが、ここで逃がしてはと勝手に体が動き、店の外へ飛び出した。
 降りしきる雨の中、後ろから犯人にタックルをして取り押さえる。
「放せ!!」
「放すもんかっ!」
 すぐに警官がやって来て、男を取り押さえた。
「ふぅ……」
 思わず溜息が漏れる。
「君、ちょっと話を聞かせてもらいたいんだけど」
 別の警官が、近寄ってくる。
「え……。でも……」
「すぐ終わるから」
「はぁ……」
 俺は仕方なく事情聴取を受けることになった。
 その時、コンビニ店員の女の子と目が合う。彼女は優しく微笑み、会釈をしてくれた。よく見ると結構かわいい。俺も照れながら会釈をする。
 ふとコンビニのガラスに映った自分が目に入った。
 げ……ヤバイ。スーツがドロドロだ。ついてないなぁ……。

「あの……これから面接なんですけど……」
 一通り事情聴取が終わり、警官にそう言うと、驚いたような表情をする。
「ええ! じゃあ、パトカーで送ってあげるよ!」
「いえ! 結構です!」
 きっぱりはっきり断る。だってパトカーで面接会場に行っちゃったりなんかしちゃったら、何したんだろうって思われるじゃないか。少なくともいいイメージにはならない。
「そうですか? ご協力に感謝します」

 警官と別れ、また走り出す。雨は止んでいるが、路面が水びたしだ。
 でも遅刻しそうなのでそんなことは言っていられない。

 会社には十分ほど遅れて着いた。
 受付で手続きを済ませようとすると、事情を聞かれた。スーツがドロドロだったからだ。
 俺は理由を説明し、受付のお姉さんの案内で面接会場へ向かった。

「ハァ……」
 思わず溜息が漏れる。やっぱり心象良くないよな。ドロドロのスーツでは……。
 事情があるとはいえ、こりゃ、確実に落ちたな。

 数日後。思ったとおりの結果を手に俺はがっくりと肩を落としていた。泣きたくなる気持ちをごまかすかのように缶ビールを飲み干す。
 強盗を捕まえたことで警察から感謝状をもらったが、それよりも内定が決まらないことが今の自分にとって大きな悩みの種だった。
 本当にどうしたらいいんだろう?

 そして再び面接の日。やっぱり早めに家を出る。今度は電車で行くことにした。
 会社がある駅に無事に着き、会社まで徒歩で向かう。駅からそう遠くないので、十分もあれば着くだろう。
 信号待ちで、おじいさんが隣に並ぶ。信号が青になり、俺は一歩を踏み出すが、隣のおじいさんは動かず、辺りをきょろきょろと見渡している。
 ……ダメだ、ここでおじいさんに話しかけたりしたら、確実に遅刻してしまう。俺の遅刻スキルは、いくら時間に余裕があっても遅刻してしまうんだから。

 横断歩道を半分くらいまで行ったが、やっぱり気になって引き返す。
「おじいさん、どうかしたんですか?」
「ここに行きたいんじゃが、どうやって行けばいいんだか……」
 おじいさんは地図と住所が書かれたメモを俺に見せた。俺はそれを見て唖然とした。その住所は隣町で、今から案内してたんじゃ確実に遅刻してしまう。
「あー……これ、隣町ですよ」
 そう言うと、おじいさんは首を傾げた。俺は場所を説明しようとしたが、クエスチョンマークを飛ばしている。
 どうやら田舎から出てきたらしいそのおじいさんの格好を見て、俺は溜息をついた。
「案内します」

 後々考えれば、タクシーにでも乗せればよかったと思う。でもそれだけじゃやっぱり気になってしまうだろう。
 一応会社の方には連絡したが、言い訳にしか聞こえなかったような気がする。
 おじいさんは初めて田舎から出てきたので、道に迷っていたようだ。送り届けた先は結婚した孫娘さんの家で、彼女は驚きながらおじいさんを迎えた。
 まぁ、おじいさんが無事に家に着いたのでよしとするか。

 …………。
 ……よしとしちゃいけないよ。俺の就職先が決まらないんだから。
 今度こそ、絶対に遅刻しないぞ!

 その日は、朝から雨が降っていた。傘を持って家を出る。何だか嵐のような雨だ。
 駅までは無事に辿り着く。どうか電車が止まったりしませんように。

 ……俺は、何か変な呪いでもかけられてるんだろうか? それとも肩に疫病神でも乗ってるんだろうか?
 ありえない。落雷で電車が停まるなんて……。しかも電話が繋がらない。どうやら乗客が一斉にかけてるみたいで、回線がパンク状態らしい。

 そろそろ俺、泣いてもいいですか……?

 結局何とか会社に連絡できたものの、やっぱり遅刻した。


「お前、お払いにでも行ったほうがいいんじゃねーの?」
 ビールを持って現れた大学時代からの友人に愚痴ると、きっぱりとそう言い放たれた。
「やっぱりそう思う?」
「だってありえねぇもん」
「俺にはありえるんだけど……」
 すると友人は缶ビールを開けて、俺に渡した。
「まぁとりあえず飲め。疲れてるだろ?」
「さんきゅ」
 確かに疲れてる。俺は連日の遅刻で胃が痛くなってきた。
「あーあ。俺就職できないかも」
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃないから悩んでんじゃないか」
 そう呟くと、友人が慰めてくれる。
「まぁでもお前の遅刻は、寝坊とかじゃなくて事故とか……人助けとかだろ? そういうの、神様が見てくれてんじゃね?」
「俺は神様が意地悪してるとしか思えねぇ」
「あはは」
「笑い事じゃねぇ!」
 あまりにも豪快に笑うので、俺はイラッとした。
「今までの会社はお前にとって良くなかったんだよ。これからきっといい会社にめぐり合えるって」
「そうかなぁ……」
「そうだって。がんばってれば、そういうのって誰かが見ててくれるもんだよ」
 その言葉に俺はちょっとだけ勇気付けられた。

 そしてまた面接の日。俺は例のごとく早めに家を出た。
 早めに家出るから裏目に出るのか? とも思ったが、やはり余裕を見ておいた方がいいだろう。

(今度こそ何も起こりませんように)
 そう祈りながら、電車に乗り込む。
 何とか目的地に着き、会社に向かっていると、目の前を歩いていた女の人がいきなりうずくまった。
(え……まさか……。この状況は……)
 俺は冷や汗をたらしたが、女の人が心配なので駆け寄る。
「ど、どうしました?」
「う……生まれ……る」
「ええ!」
 よく見ると、彼女は大きなお腹をしていた。
(うわー、すごいことになっちゃったなぁ)
 内心そう思いながら、俺はとりあえず女の人を道の脇に連れて行き、急いでタクシーを拾う。

 勢いで思わず一緒に乗っちゃったけど、どうしたらいいんだろう?
「えっと……病院電話しました?」
「今するわ」
 今は陣痛が収まっているのか、その女性は携帯を取り出して病院へ電話をかけた。
 で、俺はどうしたらいいんだろう? って言うか、面接……。
「うっ」
 すぐにまた苦しみだす。
「だ、大丈夫ですよ! す、すぐ病院着きますから!」
 俺は病院に着くまで、妊婦さんを励ました。タクシーの運転手は状況を飲み込み、物凄いスピードで病院に向かってくれた。

「こちらへどうぞ」
 看護師が妊婦さんを分娩室へ案内していく。立ち尽くし呆然としていると、別の看護師が話しかけてくる。
「お父さんもこちらへどうぞ」
「へ? 俺違……」
「ゆーこぉ!!!」
 突然大きな声で男が入ってくる。もしかしてさっきの妊婦さんの旦那さんかな……?
「ほら、お父さん、早く」
 そう言いながら、看護師が俺の手を引いて行こうとする。
「ちょっと待て! 貴様誰だ」
 誰って……。
「貴様、まさか裕子の不倫相手じゃあるまいな?」
「は? 何言ってんですか? 俺はただの通りすがりですよ」
「分かったぞ。貴様、裕子の元カレだな?」
 ……何言ってんの? この人……。
「どちらでもいいから、早く来てください! 生まれますよ!」
 どちらでもは良くないと思うが……。
 看護師の言葉に、旦那はすっ飛んで行った。何だか分からないが、助かった。

 数分後、元気な赤ん坊の声が病院内に響き渡った。
「生まれた……」
 旦那さんがその声を聞き、感極まっている。
「おめでとうございます!」
「貴様、まだ居たのか」
 いや、あんたが引きとめたんだろうが……。

 生まれたのはカワイイ男の子だった。奥さんが旦那さんに説明してくれたので、俺は旦那さんの怒りから逃れることができた。
「本当にありがとうね」
 奥さんにそう言われ、胸がいっぱいになった。

 ……あれ? 何か忘れてるような……。
「!」
 とってもヤバイ。時計を見ると、もう面接が始まっている時間だった。
「あの、俺もう行かなきゃなんで、ホントおめでとうございました!!」
 俺は逃げるようにして病院を出た。

 やっぱり遅刻してしまった。
 あーあ、ホントお払い行かないとダメかなぁ……。
 泣きたくなってくる。肩を落として歩いていると、突然声をかけられた。
「あの……」
 振り返ると、かわいい女の子が立っていた。
「あの……コンビニ強盗、捕まえてくれた方ですよね?」
「あ、はい」
 よく見ると、彼女はコンビニの店員だった。
「あの時、本当にありがとうございました」
 礼儀正しくお辞儀をされたので、俺も思わずお辞儀をする。
「あの時、一人でどうしようかと思ったんです。いてくださらなかったらどうなってたかって思うと……」
「あ、いや、俺も無我夢中だったから……」
 そう言うと彼女が笑った。そして恥ずかしそうに口を開く。
「あの……お時間よろしければお食事でもいかがですか? お礼もしたいので……」
「え……あ、はい」
 女性から食事になんて誘われたことがないので俺は戸惑ったが、せっかくなので一緒に食事をすることにした。

「お礼、ホントは早く言わなきゃって思ってたんですけど、なかなかお会いできなくて。あ、私、松田綾子って言います」
「あ、大橋信樹です」
 店に入って席についてから、遅ればせながらの自己紹介をする。
「大橋さんってお仕事何なさってるんですか?」
「あ、今就職活動中で……」
 面接に落ちまくっていることは、死んでも言えない。
「そうなんですか? じゃあ私より一つくらい上かしら?」
「今二十三です」
「私二十二です。やっぱり一つ上ですね」
 彼女がニコッと笑う。笑顔がとってもかわいい。
 そして料理が運ばれてくる。アジアン系の料理なんて、あんまり食べに来たことがない。
「ここのお店、おいしいんですよ」
 彼女が皿に俺の分をよそってくれた。
「へぇ。よく来るの?」
「ええ。友達と」
「そうなんだ。俺がツレと行くって言うと、飲み屋ぐらいしか行かないからなぁ」
 よそってくれた料理を一口食べてみる。結構うまい。
「おいしい」
「良かった。お友達って……彼女さんとかいらっしゃらないんですか?」
「それがあいにく居ないんだよね」
 俺は苦笑した。何年いないとかは伏せておこう。
「私も……居ないんですよね」
 小さく呟いた彼女の言葉にドキッとする。それはあれですか。狙ってもいいってことですかっ?
「お料理、お口に合って良かったです」
 彼女は何事もなかったように微笑んだ。

 その後、携帯番号とメールアドレスを交換した。
 やっと俺にも春が到来か?
 いや、それより就職先決まらないと……。鬱になってきた……。

 今日は何だか目覚めが良かった。
 あれから綾子ちゃんと毎日のようにメールをしている。たまに外で会ったりして、何だか脈ありな感じだ。それに、彼女に応援されると何だかがんばれる気がする。
 今日もまた面接だ。今度こそ落とせない。これが最後のチャンスだから……。

 何事もなく目的地の駅に到着する。ホッと胸を撫で下ろすと、後ろから声がした。
「どろぼー!!」
 おばさんが叫んでいる。俺がその声の方に顔を向けると、男がおばさんのバッグを奪って逃げているのが視界に入った。どうやらひったくりのようだ。
 俺は思わず駆け出した。
「ちょ……待て!」
 俺は必死に走った。何とか男に追いつき、後ろから飛び掛かる。
 押さえつけると、男はジタバタと暴れたが、俺は何とかバッグを取り返した。後ろから追いかけてきたおばさんにバッグを渡す。
「はい」
「まぁまぁ、ありがとう」
 おばさんはホッとした顔で、俺にお礼を言った。
 通行人か誰かが警察を呼んだようで、すぐに警官がやって来る。ひったくり犯を捕まえ、俺はまた事情聴取を受けた。
 終わってから、時計を見る。
(……あれ? 止まってる?)
 どうやらタックルした時に、壊れたらしい。
「お、おまわりさん! 今何時ですか!?」
「あぁ、ちょうど一時だよ」
 げ。ヤバイ。また遅刻だ……。
「もう大丈夫ですか?」
「はい。ご協力ありがとうございました」
 俺は挨拶もそこそこに駆け出した。携帯電話で会社に連絡するが、もう既に泣きたい気分だった。

 面接が始まり、俺は緊張しながらも面接官の前に立った。何度やってもこれだけは慣れない。
「名前をどうぞ」
「大橋信樹です」
 そう言うと二人の面接官が俺の顔をじっと見た。……何だろう??
「どうぞ」
「失礼します」
 勧められた椅子に座る。
「君、道に迷ったおじいさんを助けた覚えは?」
 俺の顔を見ていた一人が、そう問う。
「え……。ああ……数日前、道に迷っているようだったので、メモに書かれた住所まで送り届けたことがあります」
 そう答えると、もう一人の面接官が俺を見ながら問いかけた。
「妊婦を病院へ送ったことは?」
「あ、それも数日前に……」
 そう答えると、二人は穏やかに微笑んだ。
 状況が分からない。なぜ面接官がそんなことを知っているのだろう?
「そのおじいさんはね、私の父なんだよ」
「はぁ……ええ!?」
 思わぬ言葉に一拍遅れで驚く。
「その妊婦は、私の娘なんだ」
「ええええ?!」
 まさか……嘘だろ? そんな繋がりって……。
「娘に君の事を聞いたんだ。あの日も面接だったんだろう?」
「ええ……まぁ……」
 俺は動揺してそんな受け答えしかできなかった。
「私も娘に聞いてね。とても親切にしてくれたと」
 二人は穏やかに笑っていた。
「今日の遅刻の理由は?」
「あ、えっと……ひったくりを……捕まえてました」
 そう言うと、面接官はお互いの顔を見合せて笑った。
「いいことじゃないか。そうそう、あの日生まれた孫なんだが、君の名前をもらうことにしたそうだよ」
「ええ! 本当ですか?」
「ああ。娘がどうしてもとね。君のような人に育って欲しいと言っていたよ」
 思わぬことに俺は嬉しくて笑顔になってしまう。
「我社は、君のような人材を待っていたんだよ」

 その言葉に胸を躍らせながら、会社からの書類を待った。来た封筒を早速開けてみる。
『採用』
 やっと決まった内定に、俺は天にも昇る気持ちだった。

 早速綾子ちゃんに会い、俺は内定が決まったことを彼女に伝えた。
「すごーい。おめでとう!」
 彼女は自分のことのように喜んでくれた。
「ありがとう」
 俺は内定が決まったら言おうと思っていた言葉を言うことにした。
「あのさ、内定決まったら言おうと思ってたんだけど……」
 彼女はきょとんとした顔でこっちを見ている。
「俺、綾子ちゃんのこと好きだ」
 そう言うと、驚いた顔になり、次の瞬間笑顔になった。
「嬉しい。実は、私も……」
 きたー! ようやく春到来だー! 内定が決まったこと以上に嬉しい。
「何か……不思議な縁だね」
 彼女は照れたように笑った。
「そだな」
 しばらくして彼女が口を開いた。
「それより信樹くん、社会人になって遅刻、しないようにね?」

 その言葉に固まってしまったのは、言うまでもない。



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テーマ:

約3年前に書いたものを再編したので、こちらでもうp。


テーマは【明日】。自作詩【regret 】の小説版になります。




・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚





『明日は、必ずやって来るのだろうか?』


 こんなことを考え始めたのは、彼女に出会ってからだ。
 それまでの俺は、ただ当たり前に毎日を過ごしていた。健康な体を持ち、将来のことを特に考えることもなく、明日がやって来るかどうかなんて疑ったことすらなかった。


 ある時、俺は盲腸で入院した。手術も成功し、後は経過を見るだけだった。それまで大きな病気をしたことが無かった俺は、退屈なだけの入院生活に飽き飽きしていた。学校の友達が見舞いに来てくれたり、家族が妙に優しいのも、気を使わせているみたいで嫌だった。
 彼女に出会ったのは、俺が退院する一週間前のことだった。
 俺は誰も来ないと分かっている午前中、散歩にでも行こうと思い病室を出た。あの病室に居ても、何もすることないし、テレビを見るのにも飽きていた。
 気分転換になるだろうと、外の空気を吸うことにしたのだ。


 空は快晴。雲一つ無い秋空だった。暑かった夏が過ぎ、涼しい風が吹き抜ける。俺はベンチに座り、ただぼんやりと空を眺めていた。
「何やってんだろ……俺……」
 今頃なら普通に学校に行って、「だりぃ」とか言いながら授業を受けている時間だ。病気のためとはいえ、病院に居ることがいい加減嫌になってきた。学校の方がマシに思えてくる。
「ねぇ、貴方も入院してるの?」
 突然話しかけられ、俺は驚きながら声の主を探す。そこには色の白い、今にも壊れてしまいそうなほど華奢な女の子が立っていた。
「あ、あぁ。そうだけど?」
「そうなんだ。ここいい?」
 頷くと、女の子は嬉しそうに俺の隣に座った。
「君は? 君も入院してるの?」
 そう尋ねると、彼女は頷いた。
「生まれたときからここに居るの。だから家みたいなものなのかな?」
 そう言って彼女は苦笑いを浮かべた。
「生まれたときから?」
「うん。先天性の病気でね。あ、あたし、佐倉由依。よろしくね」
 由依が自己紹介をしたので、俺も慌てて自己紹介をする。
「俺は藤原慶樹。よろしく」
「慶樹くんか。同い年……くらいかな?」
「俺は十六。高一だよ」
「あ、じゃあ慶樹くんの方が一つ年上だね」
 そう言いながら、由依は微笑んだ。
「じゃあ中三?」
「うん。って言っても院内学級しか行った事ないんだけどね」
 由依は下を向いた。次の瞬間、顔を思い切り上げ、俺の顔を見た。
「ねぇ。学校ってどんな感じ? 先生って優しい? 友達ってたくさんいる?」
 矢継ぎ早にされる質問に俺は戸惑った。
「そんな一気に質問されても……」
「あ、そうよね。ごめんなさい」
 由依は反省したように俯いた。クルクルと変わる彼女の表情が、何だか可愛い。
「学校は……何て説明したらいいのかな? 決められた時間に行って、決められたことを勉強して……」
「つまらない?」
「って思うだろ? でも先生によっちゃ面白い授業もあるし、休み時間とかには友達と馬鹿なことやったりして結構楽しいよ」
「そっかぁ……」
 由依は溜息と共に言葉を吐いた。
「やっぱり……楽しいんだねぇ」
 由依の言葉にハッとした。由依は学校に行けないんだった。こんな話しない方がよかったかもしれない。しまったなぁと思いつつ、思わず口が動く。
「院内学級はつまんない?」
「ううん。とっても楽しいよ。でも……体調がいい時しか行けないし……」
 彼女が曖昧に笑う。
「今はいいの? 体調」
「うん。病室抜け出して来ちゃった」
 由依はえへへと笑った。何て明るく笑う子なんだろう。それが彼女の印象だった。
「由依ちゃん!」
 突然大声で呼ばれ、俺たちは声がした方へ向いた。
「あ……山田さん」
 看護師がこっちを見て怒っている。どうやら勝手に病室を抜け出した由依を探しに来たらしい。
「もう。勝手に居なくなったりして!」
 看護師が小走りに近づいてくる。由依は悪びれた様子もなく言った。
「ごめんなさい。外の風に当たりたくなったの」
「まったく……お散歩するなら私に言ってくれればいいのに。心配するでしょ。あら? お友達?」
 俺に気づいた看護師が由依に問うと、由依は嬉しそうに頷いた。
「うん。ナンパしちゃった」
 由依の言葉に驚きすぎて俺は言葉を失った。
「どこでそんな言葉覚えて来るんだか。由依ちゃん、病室戻りましょ。風邪を引いたら大変だわ。貴方も病室戻った方がいいわよ」
「あ、はい」
「慶樹くん。またね」
 由依は笑顔でそう言いながら手を振った。俺も「またな」と手を振り、由依が帰っていく後姿をずっと見つめていた。


 翌日、昨日と同じ時間に病室を抜け出し、俺は昨日由依と出会ったベンチに座った。何故か彼女と話をしたくなったのだ。
 昨日は突然の事で、病室を聞くのを忘れていた。聞いたところで行くのも恥ずかしいんだけど。でもここに居ればもしかしたら会えるかもしれない。


 淡い期待は抱かない方がいい。お昼近くになっても彼女は現れなかった。
 このまま外にずっと居たら本当に風邪を引くかもしれない。俺は病室に戻ろうと立ち上がった。
「慶樹くん」
 声の主を辿ると、そこに由依が居た。まさか本当に来るとは思ってもみなかった。
「また病室抜け出したの?」
 俺が意地悪く聞くと、由依はえへへと笑った。
「また看護師さんに怒られるよ?」
「だって……慶樹くんが見えたから」
「え?」
 思ってもみない言葉に驚く。
「病室の窓から慶樹くんが見えたの。だから来ちゃった」
 そう言って笑う彼女。俺は少し……いや、かなり嬉しかった。
「あ、ありがと」
 照れながらそう言うと由依は笑った。
「あ、看護師さんが心配したらいけないから、由依の病室行こうか?」
「うん」
 俺は由依と二人で由依の病室に戻り、そこで他愛のない話をした。
 時間はあっという間に過ぎた。由依の体調も考えて、あまり長居をしないようにしたからかもしれないけど。


 それから数日が経ち、ようやく俺も退院することになった。明日退院する事を告げると、由依は少し寂しそうな顔をした。
「そっかぁ。せっかく友達になれたのにね」
「あー、お見舞い、来るよ」
 由依のあまりにも悲しそうな顔に思わずそう言っていた。すると由依の顔は一瞬にして明るくなる。そして念を押すように聞いてきた。
「ほんと? ほんとに来てくれる?」
「ああ。約束」
 俺が小指を差し出すと、由依が細い小指を絡めた。
「嘘ついたら針千本だよ?」
 由依は笑いながら指切りをした。


 それから俺は約束通り、毎日由依の病室に通った。学校帰りに必ず寄り、日曜日も通い続けた。
 そんな俺を由依は喜んでくれていた。病室から俺の姿を見つけると、体調がいい日はベッドの上に座って待っていてくれた。
 いつの間にか由依と話すことが自分の日課になっていた。由依の笑顔を見たいがために、毎日通っていたのかもしれない。


 俺は知らないうちに、由依に惹かれていた。
 しかし由依の病気を知って、俺は愕然とした。治療のしようがないと言うのだ。悪化はしても良くはならないらしい。由依の母親がこっそり教えてくれた。本人は知らないのだという。だけどもしかしたら、由依は気づいているのかもしれない。
 だからこそ俺は一秒でも長く由依の傍に居たいと思った。


 冬が近づいてきたある日。開け放たれた病室のドアを覗くとベッドに横たわったままの由依が窓の外を見ていた。
「由依?」
 近づいて声をかけると、由依はこちらを向いた。
「あ、いらっしゃい」
 笑顔だったが、心なしか元気がないように思えた。顔色も少し悪いようだ。
「具合……悪いの?」
「少しね。……今日は横になったままでいいかな?」
「もちろん。病人なんだから無理しなくていいよ」
「ありがとう」
 いつもの微笑みだが、やはり力がない。俺は話題を探した。
「さっき、何見てたの?」
 そう尋ねると、由依はまた窓の方に顔を向け、力なく外を指を差す。
「あそこの木」
 由依が指差した先には、寂しそうに一本の木が立っていた。舞い散る枯葉を見て、俺は居たたまれなくなった。
 あの木の葉がすべて落ちる頃には、由依は居ないかもしれない。そんなことが脳裏に浮かび、俺は頭を振った。そんなこと、考えてはいけない。
 由依はその木をずっと寂しそうに見つめていた。いつでも明るく笑っていた由依。
 今、由依は何を思ってるんだろう?


 それから一週間後。少し病院に行くのがいつもより遅くなった。由依が待っているはずだと思い、歩を早める。
 病室に着くと、由依は窓にへばりつくように外を眺めていた。
「由依。風邪引くよ?」
 由依に話しかけると、由依は窓の外を見たまま力なく口を開いた。
「風、強いの?」
「うーん。少し強いかも。どうかしたの?」
「ううん。何でもない」
 由依はそう言いながら、いつものようにベッドの上に座った。俺は椅子に腰掛ける。
 ふと窓の外を見ると、風に煽られた木の葉が大量に舞っていた。由依はこれを見ていたんだろう。
 激しい風が悪戯に揺らした木の葉は、由依の心をも揺らしていた。
「由依?」
 様子がおかしい由依を覗き込むと、目にいっぱいの涙が溜まっていた。俺はぎょっとした。
「由依? 大丈夫? どこか具合悪いの?」
 俺が焦って問いかけると、由依は無言で首を横に振った。
「……い……」
「え?」
 か細い声が聞き取れなかったので、聞き返すと、由依の目に溜まった涙が零れた。
「怖い……」
 そこにはいつも明るい由依ではなく、病気と闘い、死と向き合ってきた女の子が居た。
 そうだ。由依は俺に心配をかけないように、ずっと明るく振舞ってきたんだ。今更ながらにそんな事に気づく。
 目の前で泣いている由依を俺は思わず抱きしめた。
 自分でもよく大胆な事ができたなと思う。由依は驚いたようだったが、俺の腕の中でずっと堪えていた涙を流した。
 そこで初めて俺は由依の事が好きなんだと気づいた。
 でも気づいたからと言って簡単に口には出せない。由依を困らせるかもしれない。
 俺が由依にできることは何だろう?


 それから俺はいろんな事を考えるようになった。自分が由依に出来る事、これからの事。
 由依は一日一日を大切に生きていた。それは自分の病気のことについて、気づいているからかもしれない。
 普通の人には当たり前のようにやって来る明日が、由依には……。
 そう考え、俺は無駄に過ごしてきた日々を悔やむようになっていた。
 でも今更悔やんでも仕方がないと分かっている。これからは由依のように毎日を大切に生きよう。そう心に強く誓った。


 俺は相変わらず毎日由依の病室を訪ねた。俺が由依に出来る唯一の事。毎日病室に行って由依の話し相手になること。
 由依の両親は俺が毎日話し相手になっているのを、喜んでくれた。俺が病室に通うようになって、由依が明るくなったと言うのだ。
 それは俺にとっても嬉しかった。由依が喜んでくれるならと、俺は毎日病室に通った。
 時々お土産を持って現れると、由依は本当に嬉しそうに笑ってくれた。


 そんな由依の病気は、治るどころか確実に進行していた。由依の傍に居る事しか出来ない自分が歯痒かった。
 由依と居る間は笑顔で居ようと心がけた。他愛もない話をして笑い合った。


 天気がいい日は、由依を車椅子に乗せ、外を散歩した。あまり長く外には居られないがそれでも病室の中に閉じこもっているよりは全然いい。
 ポカポカして気持ちいいのか、由依も自然に笑顔になっていた。怖いと泣いたあの日とは大違いだ。
 俺はふと思い立ち、携帯を取り出した。
「ゆーい」
 振り返った瞬間、シャッターを押す。
「え? 何?」
「よし。保存」
「え? ちょ、ちょっと慶樹くん、何したの?」
 まだ分かっていない由依に携帯画面を見せる。
「写真、撮ったんだ」
「えー? あたし変な顔してるー」
 写真を見て、由依が文句を言う。
「そんなことないって」
 そう宥めたが、由依はぷぅと頬を膨らませた。
「そんなことあるよぉ。撮り直して」
「分かったよ」
 由依がふてくされるので、もう一度カメラを起動させる。
「ねぇ、慶樹くんも一緒に撮ろうよ」
 由依に袖を引っ張られる。
「え? 俺も入るの?」
「だってあたし一人じゃおもしろくないもん」
 またぷぅーと頬を膨らます。何だかかわいい。
「分かった」
 俺は観念し、フレームに納まるように由依に顔を近づけた。
「いくよー。はい、チーズ」
 パシャ。
 シャッター音が響く。ツーショットで撮るなんてすごく恥ずかしいけど、かなり嬉しかった。
「これでいい?」
 由依に画面を見せると、由依は笑顔で頷いた。
「それって、現像できるの?」
「うん。カメラ屋さん行けばすぐできるよ」
「その写真欲しいな」
「分かった。じゃあ明日持ってくる」
「ありがとう」
 由依は本当にうれしそうに笑った。


 翌日。俺は早速写真屋さんに行って、携帯画像を現像することにした。文明の利器ってのは便利なもんだ。由依の分と自分の分との二枚現像する。
 由依は俺なんかとのツーショットで、喜んでくれるんだろうか?
 そんなことを考えながら、病院へと歩を速めた。


 由依に早速写真を手渡す。
「わぁ。ありがとう!」
「どういたしまして」
 彼女の笑顔が見れて、俺はホッとした。
「大切にするね」
 由依は写真を胸に当て、俺に笑顔を向けた。
「でも俺なんかとのツーショットでよかったの?」
「もちろん」
 嬉しそうに頷かれ、何だか照れる。俺もこの写真を大切にしよう。


 その日はいつもより寒く、冬の訪れを告げる初雪が降り始めた。
 いつものように病院に向かう途中、俺は嫌な予感に襲われる。何だか胸騒ぎが止まらなかった。
 俺は由依の病室へと急いだ。


 病室の前には由依の両親が立っていた。開け放たれた病室を見ると、医師や看護師たちが慌ただしく動いている。
 何が起こっているのか分からず、俺はその場に立ち尽くしていた。
「慶樹くん。来てくれたのね」
 由依の母親に声をかけられ、顔を向ける。
「あの……由依は……?」
「容態が急変したの。お医者様が言うには……今夜が……山かもしれないって……」
 その言葉に俺は全身の力が抜けて行ったように感じた。壁に寄りかかって、体を支える。
「そ……んな……」
 それしか言葉が出てこなかった。
 昨日笑っていたじゃないか。由依はあんなにも楽しそうに俺の他愛もない話に笑ってくれてたじゃないか。
 なのに……どうして……?


 それからの時間がとてつもなく長く感じた。
 俺はそれまで信じてなかった神様に祈った。


 神様……どうか……由依を……由依を助けてください。
 俺……由依に何もしてあげられてないよ。


 今まで経験した事ないくらい胸が苦しい。自然と涙が溢れ出てくる。
 俺に見せてくれていた由依の姿が映画のフィルムのように頭の中を流れた。
 透き通るような白い肌。色素の薄い髪。抱きしめたら壊れてしまいそうな華奢な体。そして太陽のように明るい由依の笑顔。
 そのすべてが消えてしまう気がした。
 恐ろしい白昼夢に俺は嫌な汗を掻いていた。


「慶樹くん。由依ちゃんが……呼んでるわ」
 看護師の山田さんが俺を呼びに来た。
 俺が病室に入ると、由依の周りに居た医師たちが場所を譲ってくれる。俺は由依に駆け寄った。力なく手を差し出され、俺は由依の手を握った。
「……由依……」
 言いたい事はたくさんあるはずなのに、上手く言葉にならない。
 由依の唇が動くのを見て、その声を聞き取ろうと俺は顔を近づけた。微かに聞こえた由依の声。
「……会えて……よ……かった……」
 今にも消えてしまいそうな声に胸が苦しくなる。由依は苦しそうに顔を歪めながらも笑顔を見せてくれた。
 その笑顔に俺は堪え切れず、涙が零れた。それでも由依が笑顔を見せてくれているのだからと、俺も必死に笑顔を作った。
 そしてまた由依の唇が何かを伝えようとしていた。俺は聞き取ろうとしたが、聞き取れなかったので、唇を読むことにした。
 そして言い終わると由依は最後にニコっといつものように微笑み、静かに息を引き取った。
「由依? ……由依!!」
 呼びかけても、もう笑ってくれない。
「由依ぃぃぃぃいいいいい!!!」
 由依は二度と目を覚ますことはなかった。その顔はとても穏かだった。


 由依の通夜の日。横たわる由依を見ていたら、また由依が目を覚ますかのような錯覚に陥っていた。
 由依が死んだなんて信じたくなかった。ただ眠っているだけで、朝が来たら目を覚ますんじゃないか、なんて現実味のないことを考えていた。
 その日俺はずっと由依の傍に居た。


 由依の葬儀が始まる前、俺は由依の母親から一冊のノートを渡された。由依が毎日書いていた物だと言う。
 両親にすら見せなかったそのノートを受け取り、ページをめくる。
 そこには、俺と出会う前からの日記が綴られていた。
 由依は俺を見た時から友達になりたいと思っていてくれたらしい。どうやって声をかけようかと悩んでいることや、やっと声をかけて友達になれたと喜んでいることが書かれていた。
 そして俺が毎日見舞いに行ったことを、本当に嬉しそうに書いていた。携帯で撮ったツーショット写真を大切にしようと思っていることなど、そこには由依の俺への想いが綴られていた。
 由依の気持ちが流れ込んでくるようだった。涙が込み上げてくるのを必死に抑えた。
 最後のページをめくると、中から封筒が落ちてきた。拾ってみると、俺宛の手紙だった。封を開けて読む。
『これを慶樹くんが見る頃には、私はこの世にもう居ないんだろうね。慶樹くんに会えてからの毎日は本当に楽しくて、あっという間に時間が過ぎてた。私なんかのために毎日お見舞いに来てくれてありがとう。本当に嬉しかったよ。慶樹くんが会いに来てくれるから、辛い治療も乗り越えられたんだと思う。本当にありがとう。何度言ってもきっと足りない。ずっと言えなかったけど、慶樹くんのこと大好きだよ。』
 最後の言葉に、俺は胸を締め付けられた。由依も俺と同じ気持ちで居てくれたのだ。俺はふと由依の唇が最期に描いた文字を思い出した。
 そうあれは紛れもなく『大好きだよ』と言う言葉だった。
 それなのに俺が臆病なばっかりに、由依に気持ちを伝えられなかった。悔やんでも悔やみ切れない。
 俺は一人になれる場所を探し、そこで由依の日記と手紙を見ながら、これでもかというほど涙を流した。


 親族に混じって、俺も献花をさせてもらった。由依の顔を見るとまた涙が溢れてきた。
 由依の母親が由依が大切に持っていた俺とのツーショット写真を胸元に置く。
 あの日、携帯で写真を撮ったのは、由依を永遠に収めておきたいと思ったからかもしれない。



 由依が煙になって、天へと昇って行くのを見つめながら、俺は由依に報告をした。
「俺、由依のような病気で苦しんでる人のために、薬を開発する人になるよ。一人でも由依のような人を救いたいから……。これが俺にできる、唯一の事だと思うから」
 涙を堪えながら報告すると、空で由依が笑っているような気がした。


 それから俺は死に物狂いで勉強をした。
 それでも辛いとは思わなかった。由依が傍で見守ってくれているような気がした。
 時折苦しくなっても、あの写真を見ると、何だか落ち着いた。


 まるで夢のように過ぎ去った時間。だけど彼女と出会えた数ヶ月間は、今までの人生の中で一番大切で貴重な時間だ。
 由依に出会わなかったらきっと今の自分は居ないだろう。今まで無駄に過ごしてきた分、これからは一日も無駄にしないように生きようと誓った。
 俺が生きている今日は、由依が生きたいと願った明日なのだ。
 それでも時には逃げ出したくなるようなこともある。


 そんな時、俺はこう自問するようにしている。


『明日は、必ずやって来るのだろうか?』



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これを書いたのは、結構前(3年前くらい)なんですが、最近再編したのと、こっちではうpしてなかったなぁってのでうp。

↓の記事の【one 】とリンクしているお話です。


元々こっちのが先に書いた気がするんですが、お披露目したのは【one】が先かな?


リンクした話を書きたい願望はあるんですが、なかなか書けずにいます(ノ∀`)

またぜひ書きたいんですけどねぇ。


さて。前置きはこれくらいにして。【one】よりは少し短いですが、良かったら拍手orコメントお願いします<(_ _)>



・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚゚・*:..。o○☆*゚¨゚




 例えば綺麗な夕陽を見た時。例えばほんの些細な事で嬉しくなった時。例えば誰かの言葉で胸を痛めた時。ふと頭の中に浮かぶ言葉やメロディーを紙に認める。
 よく「どうやって詞や曲を書くの?」と聞かれるが、うまく説明できない。ただ頭の中に浮かぶのだ。少なくとも俺はそうやって書いている。


 俺の名前は斉藤翔<<かける>>。十九歳。普通の大学生。将来の夢はミュージシャン。
 高校の時に音楽に興味を持ち、大学に入ってからは友人たちと路上ライブをするまでになった。歌うことは好きだった。自分が作った曲を大勢の人に聞いてもらえることが嬉しかった。仲間たちとワイワイするのも楽しかったし、嫌なことがあっても歌うことで忘れることができた。
 でもいつしか歌うことが辛くなってきた。何故かは分からない。急に自信がなくなったのだ。こんな歌を他人に聞かせていいのだろうか? 俺の声は……届いているのだろうか?


「……る……? ……翔?」
 声をかけられ顔を上げると、幼馴染で親友の田辺和弥が立っていた。同じ大学の学生である彼も学食を食べに来たらしい。和弥は俺の隣にドカッと座った。
 外は夏真っ盛りで、焦げ付くような太陽の日差しが地面を照り付け、蝉がけたたましく鳴いている。
「どうしたんだ? 元気ないな」
「俺……分かんないんだ」
「何が?」
 俺の言葉に、何のことか分からない和弥が聞き返す。
「歌うことの意味」
「歌うことの意味ねぇ……。確かに難しいな」
 和弥は溜息と共に言葉を吐き出した。
 そもそも『歌うことの意味』なんて、無いのかもしれない。ただ歌いたいから歌う。それだけなのかもしれない。
「曲が……書けないんだ。今まで何でもない時でもふと浮かんだメロディーも詞も……全然浮かばないんだ……。歌おうとすると、声が出なくなる」
「そりゃスランプだ」
 あっさりきっぱりはっきりと言い放つ。ここまではっきり言ってくれると逆に気持ちいい。
「もしかしたらお前が『歌うことの意味』を見つけた時にまた歌えるようになるかもな」
「歌うことの……意味……」
「辛いかもしれないけどさ、音楽から逃げるなよ」


 和弥の言葉が頭の中でリピートしていた。
『音楽から逃げるなよ』
 うん、分かってるよ。
 だけど書けないんだ。あんなに泉のように湧いてきた言葉も、メロディーも、今じゃ全く浮かんで来ない。どんなに綺麗な景色を見ても、どんなに嬉しいことがあっても。
 俺は今までどうやって曲を書いてたんだろう? どうやって歌ってたんだろう?


 路上ライブには相変わらず参加していた。歌うことが辛いので、一緒にライブをしている友人の曲をギターで伴奏していた。
 今までは歌うことで精一杯だったが、演奏だけになり、少し余裕が出てきた。いつもは見えていなかった俺たちの曲を立ち止まって聞いてくれる客を見渡してみた。と言っても四人くらいだが。それでも十分嬉しかった。
 いつも来てくれる人は決まっていた。仕事帰りらしいサラリーマン、高校生くらいの男の子二人、そして毎回来てくれている俺と同い年くらいの女の子。
 彼女には見覚えがあった。最初にここでライブをした時も、聞いてくれた子だ。初めての客にドキドキしながら歌った覚えがある。そしていつも最後まで聞いてくれる。毎回来てくれる彼女が妙に気になった。


 それから俺は彼女を目で追うようになっていた。ほとんどは一人で聞いてくれていたが、時には女友達と一緒に聞きに来てくれた。
 彼女を見つける度、嬉しくなっている自分が居た。いつからか、ライブをしながら彼女を探すようになっていた。
 俺はいつの間にか、名前も知らないその女の子に恋心を抱くようになっていた。


「どうした、翔。ずいぶん嬉しそうだな」
 構内で出会った和弥が声をかけてくる。俺は「まぁな」と曖昧に返事をした。
「見つかったのか? 『歌うことの意味』」
 和弥に聞かれ、思い出す。俺はそれをまだ模索している途中だった。
「……それは……まだよく分かんない。でも……歌えるかもしれない」
「いいじゃん。そうやって思えるようになる、何かがあったんだろ?」
 意地悪く聞いてくる。俺は初めて和弥に彼女のことを話した。和弥は俺の話を黙って聞いてくれた。
「へぇ。じゃあ翔は、彼女に恋してんだな」
 和弥の言葉に俺は照れながら頷いた。改めて言われると、やっぱり恥ずかしい。
「がんばれ。俺は応援してるからさ」
 和弥は俺の肩をポンッと叩き、励ましてくれた。何だか心強かった。


 彼女をライブ中に見つけると、不思議と歌が歌える気がした。友人たちに混じって、一曲、また一曲と元のように歌えるようになっていた。自分でも呆れるくらい単純だと思う。
 そうだとしても、それで良かった。また歌えるようになるなんて思っていなかった俺は、再び歌うことに喜びを見出せるようになっていた。
 『歌うことの意味』は相変わらず良く分からないが、歌えることがとにかく嬉しかった。そしていつしか再び曲が書けるようになっていた。


「最近翔の曲、恋愛系が多いなぁ」
「誰かに恋してんじゃねーの?」
 一緒に路上ライブしている友人たちは流石に鋭かった。俺は「まぁな」と言葉を濁す。
 これ以上言うと、何を言われるか分からない。それでもしつこい奴は適当にあしらった。


 今日も彼女はいつものポジションで俺たちの歌を聞いていた。彼女を見つける度に募る彼女への想い。恥ずかしくて声もかけられない。
 俺の声は、想いは、届いてるんだろうか?


 曲も詞も彼女を意識して書くことが多くなった。名前も知らない彼女に向けて書くなんて、自分でも馬鹿げてると思ってる。更には曲で想いを伝えようとするなんて、無謀なことは分かってる。
 だけど臆病な俺は、こうするしか伝える方法が浮かばなかった。それから俺は仲間が居なくても一人で毎日路上ライブをするようになった。いつからか明日になることを心待ちにしていた。毎日彼女に会いたくてライブをしていたのかもしれない。


 その日も彼女はいつものように俺の歌を聴いてくれていた。少し距離を置いて、ずっと俺の歌を聴いてくれた。何曲か歌った時だった。ふと彼女を見ると、泣いているようだった。
 何で泣いてるんだろう? 駆け寄って抱きしめてあげたくなった。だけどそんな勇気も無く、俺はただ彼女のために歌い続けた。できるなら彼女にこの気持ちが届いて欲しい。
 彼女は泣きながらも、俺の歌を聴いてくれた。いつの間にか彼女の涙は乾いていた。


 自分の曲で泣いていたのか、辛いことを思い出して泣いていたのかは分からない。とにかく彼女が気になった。話しかける勇気さえあれば……。
 でも彼女に冷たくあしらわれたらどうしよう、なんて心配もしてしまう。あの時もし駆け寄っていたとしても、自分は何ができたんだろう? 泣いてる理由なんて聞ける訳ない。でもここで悩んでても仕方ない。
 だから明日もまたライブをやろう。彼女はきっと聴きに来てくれる。彼女の為に歌おう。


 いつしか彼女のためにライブをするようになっていた。夕暮れから始めるライブは終わる頃には夜になっていた。会社帰りのサラリーマンや帰宅途中の高校生、色んな人が止まって聴いてくれるようになった。
 その数は日々増しているような気がした。だけど俺は相変わらず彼女のためだけに歌を歌い続けていた。
 彼女はいつも少しだけ距離を置いて最後まで聴いてくれていた。彼女を見つけると嬉しくてテンションが上がって、気合が入った。
 拙い俺の歌を聴いてくれている。それだけで本当に嬉しくて、歌に力が入った。


「お前本当にそれでいいのかよ」
 和弥はいつものようにお茶を差し出してくれた。俺はありがたく受け取り、口を付けた。
「何が?」
「何がってお前なぁ。彼女に気持ち伝えなくていいのかって聞いてんだよ」
 和弥は俺の隣に腰を下ろした。ココは和弥のアパートだ。俺はライブ終わりにココに来るのが日課になっていた。
 毎日毎日、彼女が今日も聴きに来てくれたと(きっと呆れるほどにやけた顔で)報告しに来るのだった。和弥はいつも黙って優しく微笑みながら俺の話を聞いて相槌を打ってくれていたが、今日は違った。
「気持ちね……」
「好きなんだろ?」
 聞かれ、俺は頷いた。
「好きだよ」
「だったらどうして……伝えようとしないんだ?」
 和弥には俺の行動が理解不可能なのかもしれない。俺を見ていて歯痒くなったのだろう。
「俺は……見てるだけでいいんだ。彼女が……ライブに来てくれるだけで……」
「本当にそれでいいのか? 後悔……しないのか?」
 和弥の言葉に俺は頷いた。でも正直怖かったのかもしれない。もし彼女に気持ちを打ち明けて、拒否されて、ライブにも来なくなってしまったら……。そんなの嫌だ。
「分かったよ。お前がいいなら、これ以上何も言わない」
 和弥の言葉が優しく心に響いた。何だか突然すべてをさらけ出したい気分になった。
「怖い……のかもしれない……」
「怖い?」
「もし彼女に気持ちを伝えて、拒否されて、ライブにも来なくなってしまったらって考え
て……。名前も知らないのに……好きだなんて言えないよ」
 俺の声は自分で分かるくらい震えていた。和弥は俺の肩をポンッと優しく叩いた。


 本当なら彼女に気持ちを伝えたい。だけど臆病な俺は伝えられない。
 頭の中でループする複雑な思い。明日になるのが、少し怖い。
 和弥の家から戻る途中、俺はずっと考えていた。
 何となく空を見上げると、星が所狭しと輝きを放っていた。田舎だから見られる星空なのかもしれない。この星空を見ていると、自分がどれだけ小さい人間なのかを思い知らされる。何でこんな事でこんなに悩んでるんだろう?
 ふとそんな思いが過ぎる。溜息を吐き、俺は右肩にかけていたギターを背負い直し、また一歩を踏み出した。


 一人暮らしの俺の家は相変わらず物が散乱していた。片付けなきゃいけないと言う意識はあるんだが、なかなか片付けられない。
 俺はギターを立てかけ、少し部屋の掃除をすることにした。やりかけの課題、本、脱ぎ散らかした服、音楽CDに譜面、書きかけの歌詞などが散乱している。
 よくもまぁここまで広げたものだと自分で感心する。夜も遅いのであまりうるさくしないようにしながら、片付けを進めていた時だった。
 ふとメロディーが浮かんだ。浮かんだメロディーを口ずさみながら、本を本棚に戻していたが、途中で手を止める。
「これ……いいかも……!」
 俺は片付けを途中で止め、立てかけてあったギターをケースから取り出す。五線紙を急いで取り出し、浮かんだメロディーをギターで確認しながら書き留める。
 その作業を繰り返しながら、何となくだが曲が完成する。
 今度は詞だ。この調子のまま作詞をすればいい曲が書けるかもしれない。俺は時間も忘れて曲作りに専念した。


 曲を書き上げたのは朝だった。今まで作ったことのない曲ができた……気がする。
 やりきった! がんばった、俺!
 前傾姿勢でずっと譜面を書いていたので、背中を思い切り後ろに伸ばし、そのまま床に寝転がる。窓から明るい太陽の日差しが優しく降り注いでくる。とても爽やかな気分で、いつの間にかそのまま眠りについていた。


 何処かで何かが鳴っている。これは……携帯電話だ。
 俺は寝惚け眼でジーンズのポケットに入れたままだった携帯をストラップを掴んで引っ張り出した。着信を見るといつも一緒に路上ライブをやっている仲間からだった。寝転がったまま電話に出る。
「……もしもし……?」
『生きてるかー!?』
 第一声にそれはないと思う。気持ちよく寝ていたのに、と不機嫌になりながら応答する。
「何だよ。気持ちよく寝てたのに……」
『あれ? じゃあ、お前今日ライブ来ねーの?』
「え? 今何時!?」
『とっくに五時だよ。いつもの場所にお前居ないからどうしたんかと思ってさ』
 友人の言葉に俺はガバッと勢いよく起き上がった。何てことだ。寝過ごした。
「い、今から行く! 場所確保しといて!!」
『分かった。先やってるよ?』
「うん。すぐ行くから」
 俺は電話を切り、洗面所へ走った。顔を洗い、服を着替える。
 ギターをケースにしまって立ち上がると、今朝書き上げた譜面が目に入る。それも掴んで、俺は家を飛び出した。


 いつも路上ライブをしている駅前までは走って十分程度の場所だ。自転車があればいいんだが、この間パンクしたまま修理し忘れている。
 ギターを担いで走るのは、疲れるので途中で歩き始めた。駅の近道である川の土手の一本道を譜面を見直しながら歩いていた。
 まだ日は高いが、人が多いことに気づく。この道は人通りが少ないはずなのにと顔を上げると、浴衣を着ている女性が多かった。
 あ、そうか。今日は花火大会だ。この土手は一番よく見える場所だから、場所取りに来てるんだな。
 そう思いながら、目線を前方に移すと見たことのある人物が目に入った。彼女だ。見間違うはずない。今日はライブじゃなく花火を見るのか。
 そんな事をふと思った時、彼女の隣の人物が目に入る。背の高い男の人だった。目線をずらすと彼女と手を繋いでいるのが見えた。一瞬どういうことか飲み込めずにいた。
 次の瞬間、俺は一目散に来た道を戻っていた。頭が真っ白だった。とにかく走った。行くあてもなくただ無意識に走っていた。人ごみに逆らって、俺は走り続けた。


 気が付くと、和弥のアパートの前に居た。部屋のドアをノックすると、すぐに和弥が出てきた。こんな時間に現れた俺を見て驚いた顔をしながらも、部屋に入れてくれた。
 俺はいつものように和弥の部屋に入り、いつもの場所に座った。和弥は何も言わずいつものようにお茶を出してくれた。
 しばらくは何も言えなかった。何から話せばいいのか分からなかった。ただ頭が真っ白だった。だが和弥は何も聞いて来ない。それが救いだった。


「……彼女を……見たんだ……。ライブに……行く途中で……」
 しばらくしてポツリポツリと話し始めた俺の言葉に、和弥は耳を傾けてくれた。
 俺はただ見たままを話した。ショックでちゃんと話せているのか、何を言ってるのかさえ自分でもよく分からない。だが、和弥はそんな俺の話を黙って聞いてくれた。
 話し終わると、和弥は俺の肩を優しく叩いた。それで俺はようやく和弥の顔を見た。
「でも……それでも……彼女に言いたいこと、あるんだろ?」
 和弥の言葉がぐるぐると頭の中を回った。
 言いたい……こと? 彼女に? 何を? 気持ち? 今更言える訳ない。じゃあ何を伝えたらいい? 彼女に。
 目線を上げると、和弥は優しく微笑んでいた。
(あぁ……そうか)
 俺はゆっくりと立ち上がり、ギターを背負った。
「ライブ……行って来る」
「いってらっしゃい。気をつけてな」
 和弥に見送られながら、俺はまた駅前のライブ場所へ向かった。


「お、翔。遅かったな」
「ちょっとな……。……花火大会だから、やっぱ人少ないな」
 いつもよりは人が少ない気がする。仲間は「あぁ」と頷いた。そして次は何を歌うかを相談していた。
 その間に俺は一曲歌うことにした。ギターを取り出し、歌い始める。
 初めて路上ライブで歌った曲。緊張して声が出なかったことをふと思い出す。あの頃から彼女はライブに来てくれた。俺は声を張り上げて歌った。あの頃ちゃんと歌えなかった歌だが、今は緊張もなくなった。声も出るようになったと思う。毎日ココでライブをしている成果だろう。
 彼女は今頃彼氏と花火を見ているのだろうか。そんなことを考えながら、友人たちと何曲か歌っていた時だった。
 ふと目線を上げると、浴衣姿の彼女を見つけた。もちろん隣には彼氏らしき人が居る。仲良さそうに話している姿に、胸がチクッと痛んだ。
「なぁ。次……今朝作った曲、やっていいかな?」
「おー。新曲か。聴きたい! やっちゃえ、やっちゃえ」
 友人たちは快く承諾してくれたので、俺は譜面を広げた。自分で作った曲とはいえ途中で間違う可能性もある。そんな恥ずかしい間違いしたくない。友人たちは広げた譜面を覗き込んだ。
 俺は深呼吸をして、ギターを抱え直した。イントロを弾き、歌い始める。
 伝えられない想いを歌にして、俺は彼女に向けて歌った。本当はアップテンポな曲なのだが、気分でバラードにしてみた。
 歌詞も今朝書いたものとは変えて歌った。彼女に伝えたい想いを詰め込んで歌った。……多分……気づいてはもらえないけど。
 正直、泣きそうだった。今まで毎日ライブができたのは、彼女のおかげだったから。淡い期待を抱きすぎていた。彼女ももしかして俺と同じ気持ちなんじゃないかって。馬鹿だよな……俺。


 歌い終わった俺は、その場を離れた。彼女の元へ向かう。彼女は驚いた顔をしていた。
「あの……いつも……聴きに来てくれてありがとう」
 突然こんな事を言われたら、きっと誰だって驚くだろう。一拍置いて彼女が返事をする。
「ううん。ちょうど学校の帰り道なんです。貴方の歌に凄く勇気付けられました。嫌なことがあっても忘れられたし、貴方の歌がすごく心地が良かったから。こちらこそありがとう」
 初めて聞く彼女の声はとても優しく胸に響いた。彼女は笑顔でそう言ってくれた。
「……拙い曲ばっかりだけど……また聴きに来てくれますか?」
「もちろん。毎日楽しみにしてるの。これからもがんばってください。応援してます」
 彼女の言葉に胸がいっぱいになる。涙を堪えながら、俺は無理やり笑顔を作った。
「ありがとう。がんばっていい曲作ります。さっきの曲はいつも来てくれる君に書いたんですよ」
 そう言うと、やはり彼女は驚いていたが「ありがとう」とお礼を言ってくれた。
「これからもよろしく」
 俺が右手を差し出すと、彼女も右手を差し出してくれた。握手を交わし、俺はライブに戻った。まだ未練が残ってる。早く彼女に声をかけていたら何か変わってたのかな?


 空が花火に彩られる。帰り道、色鮮やかな花火を横目に歩いた。未消化な想いが胸に残っている。込み上げて来る涙を堪えながら歩いた。
 あんなにも待ち望んでいた明日が、今までと違う明日になる。
 きっと彼女は相変わらず俺の歌を聴きに来てくれるだろう。だけど俺は……。
 ふと目線を上げると、目の前にいつの間にか和弥がいた。
「ちゃんと伝えられたか?」
 和弥の問いに、俺は頷いた。すると和弥は俺の隣に来て、肩を組んだ。
「そうか。頑張ったな」
 和弥の優しい声に、今まで堪えていた涙が溢れた。和弥は俺に肩を貸してくれた。人目も気にせず、打ちあがる花火に照らされながら俺は今までにないくらい泣いた。


 きっと明日も俺は歌うだろう。
 だけど今度は彼女のためじゃない。『歌うことの意味』を見つけるために歌うんだ。
 明日も、明後日も、明々後日も。だからせめて今日だけは涙を……。




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