HARUのブログ

ラッパの事、普段の事、色々。


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5月28日のバロック・ピッコロトランペット講座が無事に終了しました。

SNSに感想を記して頂いたり、直接メッセージを頂いたり、また、会場での皆さんの声からも、とても良い会となったと確信しています。

浜松トランペットサークルの皆さん、特に中心になって下さった 亀山さんには大変お世話になりました。ピアノの村上さんにも様々なタイプの曲をお願いして伴奏して頂きました。
ここで大きな感謝を申し上げます。

バロックトランペットの魅力を感じて頂き、「音に魅力を感じた」「オーケストラで使ってみたい」と言う意見を頂いたり、ピッコロトランペットのレッスンでの受講者の変わり方を見て、身体の使い方の質問やその他のアドバイスを終了後に熱く質問されたり、実は2つの大きく違う面を持つ楽器を1つの講座の中で扱った事が上手く機能した手応えも感じました。

逆に、自分の中では、もう少し話したかった事がある反面、短時間に少し詰め込み過ぎた反省も有りますし(とはいえここまでは話しておきたいと言う葛藤も有り…)、演奏への集中が少し浅い部分が有ったのも否めません。そして、後半のレッスンではもう少し踏み込みたかったのですが、タイムオーバー。

しかし、全体的には大きな成功でした。
(全般的にテーマと話や演奏の内容も濃くて良かったと感想を頂きました)

結局のところ、前半は正確な内容を伝えると言うより、私が感じている魅力を歴史やエピソード、そして音で皆さんに伝えることになりました。結果的にそれが良かったのだと思います。

時間を見つつ話しを休みなく続けて、間に様々な楽器を吹くのは思った通り大変でしたが、皆さんに魅力が伝わったのは一番大きな収穫です。ここが無いと意味が無いくらい大切な部分でした。


後半は「華麗なる舞曲」と言う吹奏楽の曲の中からピッコロのソロをお二人。
テレマンのコンチェルト 1、2楽章がお一人。

沢山吹きました〜私が(笑)
ソロを先に演奏して正解でした。

華麗なる〜のソロでは、ピッコロの技術と言うより、ピッコロでは長い楽器でハイトーンを吹いているのと同じ音域を吹いていると言う自覚を持つ事をまず始めに伝えました。コツ云々より大切な部分だと思います。
そして、息を前だけに吹き込むので無くてエネルギーを後ろ側にも感じて身体のバランスを取ること。(息を吐き過ぎない事)
一定の息(例えば真っ直ぐ〜羊羹の様にとか言われますが)では無くて、自然減衰が有る自然な音と自然な息の流れを目指す事を話しました。

テレマンではモダン楽器ですが、バロックの楽譜の読み方と演奏する上での語法の話。また、フレーズを感じた自然な息の流れ〜決して速い息をビュンと吐くのでは無く〜も話しました。音で喋り会話をする事。

会場は40名定員に対して50名程。終わった後も熱心に質問される方が何人もいらっしゃって熱い雰囲気のまま終わりました。

私にとっても良い時間、経験となりました。

繰り返しになりますが感謝を表したいと思います。皆さん、ありがとうございました。

さて、下のこの写真は、息を含めて身体のポジションの準備が出来、口元もマウスピースを迎え入れる状態に自然となり、その上で楽器を吹いている状態に近く口元に持って来て感覚的に確認しているところを捉えたものです。これが上手くいっている時は演奏は自然と上手くいきます。後は軽くマウスピースを乗せて音楽をスタートするだけ。

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この写真は講座の後に「演奏中にそんなに大きくブレスをしている様に見えない」との質問から身体の何処が動くのかを触ってもらった写真。(肋骨が広がる)
息は見た目に分からない様にも自然に吸える。

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バロックトランペットのソロ

後ろのボードの板書きは楽譜の読み方と語法の案内の一部。全ての拍や全ての音符を基本的にはヒエラルキーが有り、均一では無い。ただし、点がつく時は均一となる。
また話す時と同じで全ての音が均一になる事は音楽の言葉や自然なフレーズ流れを損なうなどの話をしました〜これは後半で具体的に音にしました。


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孔無しのソロ

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浜松トランペットサークルの皆さんの主催で、「バロックトランペット・ピッコロトランペットの講座」を明日浜松で開く事になっております。

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詳細は上記のチラシの通りです。
まだ、若干名の席の余裕が有るとの事です。

前半は孔の無いナチュラルトランペットでの演奏〜伴奏付きのもの、無伴奏のシグナルなど歴史に沿って〜と孔を使ったバロックトランペットでの演奏を挟みつつ、楽器の歴史やその仕組みについてトランペット奏者用に少しマニアックな内容で進めます。

後半はピッコロトランペット。
ピッコロトランペットで演奏されるレパートリーの多くが本来ナチュラルトランペットを想定されて書かれたもの。その繋がりからのアプローチの仕方。普通のトランペットの半分の長さのピッコロトランペットへの取り組み方のアイディアをお話しします。

この二つの楽器の構造上の開きとナチュラルトランペットを当時のサイズで取り組んで見えた事がモダン楽器へのアプローチの仕方一つとしてとても有益だと思います。

ご興味のある方は是非いらしてください。


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今月末の28日に浜松でバロック トランペットとピッコロトランペットに付いてのワークショップを浜松トランペットサークルの主催で行います。

演奏を交えてお話、いやお話を交えて演奏?
ピッコロトランペットのクリニックも行うのですが、5タイプの楽器と5本のマウスピースを持ち替える事になり、演奏は短いものの意外に疲れる。。
16〜19mmのマウスピース、しかも、モダンリムとフラットリムを行き来するのは唇に負担をかけるとプログラムを決めてから実感してます。

一番下に案内を貼りましたのでご興味の有る方は是非いらして下さい。バロックトランペットやナチュラルトランペットの体験もして頂けます。
もちろん、ピッコロトランペットの様々な相談も受け付けます。本来は二回分を一回で行う。両方を比較してそれぞれを知ってもらう企画です。

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さて、話題は一変しましてレッスンのお話。本日はお二人のレッスン。
サクッと90分づつで終えるつもりが約倍の長さ5〜6時間になってしまいました… 汗

この何年かのレッスンは慣れて来た方の場合は最初しばらくは僕は吹きません。言葉をかけながら御自分でコントロールでする事を探してもらう事にしてます。もちろん、初心者や子供の場合は一緒に吹きます。あくまでもレッスンのペースが出来上がって来た人の場合です。

最初の方はゆっくりと準備しているようで肝心のポイントが流れてしまっていたので少しそこに焦点を当てて、「マウスピースを唇に乗せて、そのまま音になる感じがしますか?」と尋ね「もう少し唇を動かさないと無理です」との返事を受け、「では、マウスピースを当てる前に唇を動かして〈音を出す事を前提にマウスピースを迎え入れる準備をする意味で〉マウスピースを乗せましょう」と、とにかく丁寧に音を出す前の手順を型にはめて行いました。
先ずは僕の示す型にはめてもらいます。そこから自由になり自身の型を見つけられると本当の意味で自由になれます。

お二人目は、「アンブシュアは適当で良いし、音がかすっても、外れても、揺れても構わないので、自然に自由に」とアドバイスしました。音を引き寄せないで身体から離してとも。

全く逆。
でも、狙ってるところは同じです。
動作より何を感じて何を求めて、そして、それを行う時に何が邪魔してるか?殆どメンタル面での事なのですが、それによりアプローチが変わって来ます。

自然に息が流れて自然に音が響けばOK。一度感覚を掴むとその日のうちは大抵調子良いまま進みます。

その他に話した事の中に、人の感覚は曖昧だけど機械より正確でもあるという事。例えば職人さん達の感覚の精度は凄い。反面、ヒトはちょっとした事で感じ方がブレたりもします。どちらも正しいと思います。

楽器を吹く上で目指す事、取る方法は?
僕は感覚の精度がブレない様になるまでトレーニング行う事が必要だと思います。その為に理論や方法は助けになるが、楽器を吹くという動作は何十、いや何百と言う筋肉や体の組織がそれぞれが程良い力でバランスを保ちながら“同時に動く”事が必要なので、実際に音楽をする瞬間には言葉に置き換えて確認をして居ては上手く機能しない。もし、音が並んでもそこに音楽が存在出来るのか?と考えます。もちろん、音楽を感じながら技術的なポイントを意識する事は出来ますが、それと全体を理論で動かすのは話が違う。瞬間的に全てを把握できる感覚が必要なんです。その感覚が育つトレーニングが必要。

夜遅くまでレッスンすると何時も早くは眠れない。ま、夜型の言い訳ですが…笑



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この前に書いた事と同じなのだけどすこし具体的なレッスンでの内容を。重複してる事は御容赦を。


最近のレッスンの中では身体の使い方=呼吸の捉え方から楽器の構え方、そしてマウスピースの唇への乗せ方、さらにそれを邪魔しないタンギングを大切にしている。

もちろん音に対するイメージや「歌う」イメージと「歌う」コントロールは外せないのだけど、そこへ入る為の準備が上手くスムーズに行けば本当に楽に音が出る。レッスンの中では身体が頭に従って自由に動ける為の段取りとも説明をする。

自然に立って殆ど足の指だけで爪先立ちをする。そこでフラフラしたり、身体の外側の筋肉で突っ張ったり、前のめりになって辛うじて立つのではなく、自然にその状態を保持できる様に少し身体の使い方を探してもらう。そのまま、床に着かないように踵を上げ下ろししてもらい(身体を上下に揺する様に)静かに踵を床に降ろす。
この状態で身体は呼吸が使える腰が起きた状態になる。実はこの状態になってる時にはもうある程度の息が吸えている。これは10年位は使ってる説明の仕方で最近出版されて読んだ本の中に同じ方法が説明されてあって驚いた。ブログにも数年前に書いてる。下記のリンクです。


本はこれ。素晴らしい本です。

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次にマウスピースを唇に乗せる。姿勢と呼吸を保持したまま自分にとって唇の所定の場所にちゃんとマウスピースが乗っかる様に。ちゃんと上下の唇のセンサーでそれを感じ取る事。
ここで最近使う説明、「映画のワンシーンの宇宙船が宇宙ステーションに一度でショックなくドッキングするのと同じくらい丁寧に乗せる事」、ただし、実際はやり直しても良い。マウスピースは唇に触る程度。(ただし、吹いた時に隙間から息は漏れない様に)

呼吸が出来てないと〜これは、身体の中に十分な息が入ってないとマウスピースを乗せる場所がきちんと選べないし、ペタっと押さえてしまうとセンサーが反応しなくなる。このセンサーは吹いている間中反応してる事が大切。ここでプレスの具合を感じ取る。

腕の力だけでコントロールするのはとても大雑把なコントロールで唇を痛める原因にもなるし、身体側からマウスピースなどに向かう力はマウスピースから受ける力に対し上手くバランスを取るためにとても大切。腕の力だけで押してしまうと常に押し負けている状態(サンドバッグ状態)になってある段階から全く機能しなくなるし、唇を痛めやすいと思う。ハイトーンが続くとコントロールを失うのはこの辺りが原因な事も多い。力の均衡を失う。

レッスンの中でここを丁寧にやると唇の反応が100%の確率で格段に上がる。吸った息が外に流れ出す、TAHと喋るだけでそれがそのまま音になる。

息のスピードを上げようとしたり、お腹から吐こうとしたりは必要無い。

ただし、身体の使い方とセットで機能する。身体が使えない=呼吸が使えないと十分なエネルギーを持った息が流れず不発に終わる。低い音も高い音も基本は同じ。

アンブシュアに少し癖を持った子も、身体の使い方と歌う事、そしてマウスピースの乗せ方でこの二年ほどで自然なアンブシュアに少しづつ近付いて来た。呼吸と相まってプレスも軽く意識が出来るようになって来たら上の方も崩れなくなって来た。
後数年で殆ど自然になるんじゃないかな。
(急激な変化をさせることは好きで無い。何故ならそれまで時間をかけて本人が作って来たものを、例え間違っていたとしても取り上げてしまうことになるし、大抵は全てが間違っている事は無い。時間をかけて作ってしまった癖は時間をかけて良き方向へ導くべきだとも思ってる。熟すには時間が要る)
アンブシュアは身体と音のイメージでその殆どは自然に機能する様に自動的に修正されると言う考え(これは自分がそうだったから)がより一層強くなった。高校一年生でブラ2の一番はちょっと荷が重くて可哀想だけど多少の無理があっても何とか乗り切るんじゃないかな。
今日は「これは対処療法だからね(根本的なアドバイスでは無い)」と幾つか乗り切る為のアイディアを渡した。意思の強い子だし、元から苦労なく吹けた子でも無い。だからこそ、苦手な所から自分の力で抜け出してバリバリに上手くなって欲しい。

さて、プレスは音が高くなれば自然に強くなる。その時に腕だけで押さえつけると唇は押され負けて常にカラータイマーが点滅した状態に陥る。
ちゃんとその力を受け止める力をみずから方から〜唇そのもので押し返す力(これは呼吸と凄く結びつく)、身体から押し返す力を自然に使えないと。

これは文字での説明は難しいし、ハイトーンが吹ける人で無いと上手く理解してもらえないかも知れない。しかし、とっても大切な部分。

前回も書いてさらっていて発見した事の続き。少し欠けていた事に気が付いたので修正したら3度ほど狙える音域が拡がった。人生で初めて鳴った音。今まで少し自分のアンブシュアのバランスとは違っていた音域も同じバランスの中にはまった。十年前は出なかった音域。

バロックラッパもコントロールが少し楽になった。











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どうやったらバッハの一番パートをより小さな負担で吹けるかを探っていて少し発見。バテル気がしなくて上手く行く時と未だ余裕な筈なのに少し頑張らないとならない時の差は何処から来るのか?

身体で体感してる事を整理して文章にする試み。

楽器側からかかるマウスピースのプレスと自分の方から楽器へ寄りかかるマウスピースへのプレス。自分の方から寄りかかるプレスは唇の筋肉を上手く使いバランス良くマウスピースを受け止める感覚を生み出している事に気が付く。両者がバランス良く無いとコントロールは落ちる。呼吸のエネルギーが大きく関わるがそれを上手く使う為には一方向へのプレスだとロスが生まれる。

ただし、構える時はマウスピースの方へ自分が行くのでは無くて唇にマウスピースを持って来る。

感覚的には常に同じ様に同じ場所にマウスピースが軽く乗っている感覚。ぺたっと当てると此処が感じ取れない。反応が悪くなるから息を強くスピードをつけないといけなかったり、息を吐く時に身体のエネルギーがエキストラに必要になる。

一点においての物理的な力は同じでも、高音と低音をコントロールする、高音を持続させる上ではマウスピース側からのみ力をかけるのとはその完成度が決定的に違う。音が鳴るって感覚の中では唇の存在は感じない位の方が上手く行くけど、マウスピース〜楽器と身体の接点を上手くコントロールするには唇のセンサーを繊細に保つ事が必要で、繊細さを保つ為には繊細にマウスピースを当てないと判らない。結果的に軽く乗せる事になる。
そして、繊細に当てる為には身体側の準備〜特に呼吸とそれを自然に引き出す身体のポジションが出来てないと上手く行かない。実はプレスそのものよりこちらの方がポイント。こちらが上手くいけばプレスは自然と軽くなる。軽くなるものを強くしようとするのは〜実は何年もの間何回も色んな状況で試したけど、ただの一度も上手く行かなかった。

プレスだけで無くて力や動きは一方向でなく常に反対方向へもバランスを取って働く。

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生徒さんや自分への覚書の意味も含めて。


ラッパを練習する(向上する為に)、心地良く吹く為には先ず自分が心地良く自分の求める音を吹いてる状態を想像する事。
そして、そのイメージに自分の呼吸を含む身体全体や音そのものを合わせる事。

ここでイメージが湧かない、ぼやっとしてる、って人は自分の好きな演奏家の演奏を出来れば映像付きで聴くことも有効。

そして、吹こうとしてるフレーズ(音)が声で歌えること、または、声で出ない音は歌ってるイメージを持てること。
〈だからソルフェージュは楽器をやる全ての人にとても役に立つに必要な訓練になる〉

呼吸はたっぷり吸っても自然と話が出来る、少し出したり、または吸ったり、そして苦しく無く(喉や胸が苦しい事も無く、唇や舌でせき止めるのでも無く)キープ(保持)出来る呼吸を探し求めて、いつでも落ち着いた呼吸が出来ること。気持ちが焦っていてもダメ〜

その呼吸が出来る姿勢がその人にとっての良い姿勢で、上手く行き始めると姿勢を取り始める事で息は自然に身体に入る様になる。

その上で楽器を「吹いてる状態と同じ」位置に構える事。判らない時は一度吹いてみて(もちろん出来るだけ自然な呼吸と音で)、身体を緩めず(支えを保った状態)に、唇から水平方向にほんの数ミリ放してみると判りやすい。それを全体像として感覚で覚え、次に吹く時にそれを再現出来る事。ただし、固定されたものでは無くてあくまでも時間や呼吸の流れの中での動作である事。全て時間の流れを感じて行う事。

アンブシュアも含めて、身体全体は、楽器で音を出してる時に始めて全ての条件(時間の流れも条件に入る)が整い「型」が存在する。
少し判り難い言い方かも知れないけど、演奏する時に全ての条件が一度に同時に揃う様に仕向ける準備が必要。

一度に同時に動くにはバラバラに考えても機能しない。数えられない筋肉が同時に力のバランスを作って初めて機能する。
音楽をする時に一つ一つ考える時間は無いし、それをやっても同時にバランス良く動く事は不可能。全てが同時に動く為のエクササイズをする事。

呼吸を中心としたエネルギーや条件が揃ったところで、構えた楽器を〜マウスピースを唇に「軽く」乗せる。押さえつけない事。身体や呼吸の準備が出来ていないと、押さえつけてしまうし、本当にその人にとっての最適なマウスピースを乗せる場所も選べない。プレスの加減は身体が選ぶ。プレスが必要以上に強くなるのは他の条件が揃って無いからだという事が多いし、抑えないといけない、抑えると良い時は身体の準備が不足してる。(ただし、ノンプレスは有り得ない)この時、ある程度の経験者なら唇(顔の筋肉)がマウスピースを迎えようと動く。それを頭(意識)で邪魔しない。身体が自由に動けるように。
〈この動きに関しては修正が必要な事もある。大抵はゆっくりと身体に聞けば答えを示してくれる〉

最後に一拍か二拍バックスイングの様に自然に呼吸をして(普通は軽く、時に強く)息を送る。口からでも鼻からでも良い。

アンブシュアの唇はある程度閉じてる事が音を出すには必要。でも、音を出す瞬間に完全に閉じてはいけない。息が流れないから。息が流れないと唇の振動は起こらない。ブーって自分で振動を起こしてから息を送るので無くて、程良く閉じられた上下の唇の間を息が通り、それにより楽器から呼び起こされる唇の振動が起こり、それが空気の振動波を起こし管体と共鳴してサウンドになる。

因みに息の吐き始めは息を吸う時に使った筋肉が元に戻るのを利用するのが自然。勢いをつけてスピードを付けた息を吐くのでは無い。溜息はその力を一度に抜く(戻す)事で、それを身体でサポートしつつ一度に吐き出されない様にゆっくりと元に戻していく事がブレスコントロールの第一歩。上手く息が吸えていれば(呼吸が出来ていれば)、吸い終わった時に吐く為のエネルギーは準備されてる筈。

因みにハイトーンでは流れる息がより少なくなる。

全ては全体のバランスの上に成り立ってる。

タンギングは舌全体がリラックスして動く事。決して一部が動くわけでは無い。全体がバランス良く、程良く、効率良く動く為に一部が動いている様に感じるかも知れないが、固定して一部だけ動かそうとしても自然には動けない。

アンブシュアも全ての筋肉が少しづつ作用している為に変化が小さく見えるが一部だけを使うので無くて、呼吸や姿勢を含めて全てが動いた結果がアンブシュアになる。
無理矢理力で押さえつけるものでは無いし(無理矢理 型作るものでは無い)、コンディションによってアンブシュアの細部は日々変化してるとも思う。

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3ヶ月ほどバロックラッパとバロックマウスピースに集中してモダンに戻って来るとどうしても細かなコントロールなどがしっくり来るのに時間がかかる。

これは個人差があると思う。
僕の友人はバロックに行く方が大変と言う。僕は戻って来る方が大変。
いや、難しさはそれぞれだし、同じバロック音楽をやるならバロックの方がコントロールが難しいんだけど、しっくり来るのに時間がかかるのはモダンに戻る時。

モダンを常に基準に置けば問題はかなり小さくなるのだけど、やはり、出来る限り集中したいのでバロックに集中する時は音出しは平らなリムの19mmのもので意識的に耳を変化させる。実戦では大きさは17mmまで小さくするけど平らなリムばらさせて変わらず、音域は常に高い所となり、音色感、アーテキュレーションも違う。

大まかに言うと、バロックは息のエネルギーが少し小さくなりアンブシュアのテンションが上がる感じ。モダンはアンブシュアのテンションが下がり、息のエネルギーが上がる感じ。
その微妙な感じがピッタリ来るまで時間がかかる。

今回は指もかなり危くなっていたし、モダンへのアジャストを含めて苦手な部分を同時に改善しようとしてはまってしまって居た。

二週間半経ってある事に気がつく。


下手にベーシックをさらうより、慣れた曲を吹く方が問題の核心を的確に把握し易い。問題の表面を修正しようとして苦手な部分を抜き出して練習することは必ずしもプラスにならない〜駄目なイメージの上塗りばかりになる事が有る。。わざと目を向けないことも時には必要だと思う。意外と全体が改善されると消えてしまう事もある。もちろん、全てを理解してから取り出すのは有効。

そして、メカニカルなスキルや苦手な所をフォーカスしてさらい過ぎると、音楽的なエネルギー(緊張感とも言える)を伴った息の流れを失い易い。技術を練習する時も音楽的な感覚を失ってしまうと上手く進まない。進んでるつもり、一見上手く行っていても頭打ちになる。

この音楽的なエネルギー(緊張感)を持った息ってのが問題の核心を自然と修正してくれたりする。今回は色々と試しつつそこに辿り着くまでに、その試した事が無駄な事、そんなに役に立たない事だったと言う事を確認するのに時間がかかったとも言える。

レッスンで悪い見本を見せたりするとその後コントロールを失う事が僕にはある。大切な感覚的な事が薄れたり、音楽に必要なエネルギーを持った息が流れなくなっているのかも知れない。

その息は長いフレーズを持ち、時間の流れの中で途切れないエネルギーを持つ。
誤解したくないのは、力強く吐き続けるのでも無くて、速いスピードでも無い。空間に音楽を存在させるエネルギーを持つ息が流れ続けるか否か。

アンブシュアのコントロール、舌の動き、マウスピースのプレス、息の吸い方、そして、また吐き方… 全てがリンクして同時にバランスを得る。

音楽を感じ始めると身体が動きを選び始める。最初はついてこなくて良い。だんだんとついて来る。そこで、音楽を抜きに技術が良くなってから音楽へと言う方法をとると… 上に書いた通り。


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途中でピッコロを吹いたもののこの3ヶ月は殆どバロックトランペットばかりだった。


僕はたぶん神経経路を痛めてるので双方の行き来に少し時間がかかる。

(でも、痛めてからの方が本番の安定感や耐久力、音域のカバーの力が上がってるのは面白い。きっと周りには判らない)

気になるところ、コントロールの難しい所に如何に信号を通さないか?がポイント。



やっとモダンが少し普通になって来た(笑)

やっぱり大事なのは「感覚が取り戻せるか?」に尽きる。耳も付いていかないし。

感覚なんてあてにならないって人はそこへの踏み込み方が全然足りないんだと思う。

調子良く音を鳴らしてる、音楽してるイメージの中に拘り無く自らが入って行ければ良い。



理論で考えても上手くいかないんだな…

音楽って感覚的な物が一番芯にある。

そこを否定したら音楽で無くなる。(音楽に限らずアート全てだと思う)

その芯の部分がその人の音のコアとなる。

その音を創り出す為に身体は使われる。

そこを忘れた時に全ては狂い始めるし、自らの出してる音が表面的にしか聴こえなくなると思う。

感覚に対して踏み込んで行けば身体は付いてくるもの。理論はそこをカバーする事、引き出すヒントにしか使えない。


どんな響きのどんな手触りのどんな輝きの音で、今、自分が居る空間をどう鳴らしたい?



今日レッスンしていても、生徒さんが聴くことを中心にして感覚が開いて来ると自然に他は整い始める。


その上で「唇にマウスピースを"軽く"乗せて、軽く乗って居ながら自然に良い音が出る様にイメージして準備しつつ、必要なエネルギーが揃うのを待ってごらん」って言葉で出だしが驚くほどスムーズになる。

息を吐く時にお腹を使うとかそんな意識も殊更持つ必要が無く全てが自然に動く。

何処をどう使うって話じゃ無いんだよね。

全ては同時に動くもの。使い方は身体が教えてくれる。頭がそれを邪魔する事を止めれば良い事。


シャルリエの幾つかの曲は調子のバロメータ(笑)


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某所に書いた事が反響が有ったのでこちらにも転載の形で載せます。

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ちょっと上手く書けるかどうか自信は無い。
でも、ここ最近ずっと思って来た事、そしてドイツ旅行の中での事を踏まえて一つ。

よく「歌いなさいとか、技術的に出来てから表現を、完璧に出来るようになってから音楽的に、ちゃんと吹けないのに余計な事をするな、こうすると高い音が出るよ、高い音には息のスピードが必要だからその訓練を、幾つかのパターンを出来るようになるまで訓練して、」などなど、未だたくさんアドバイスの表現は有るのだけど、そのどれもが具体的な音楽を前提にしないと成り立たないと思う。

その音楽を前提にした事から外れたアドバイスを目にしたり聞いたりすると、ものすごく違和感を覚えるし、自分自身も短く無い人生の中でそこに縛られて来てるのを感じる。

ブレーメンのレッスン(日本ではあまり知られてない方にアドバイスを求めました。国内で彼女のような音楽的なアプローチをされるトランペット奏者は皆無だと思います)ではそこを鋭く見抜かれた。貴方は全てを持ってるのに何故もっと表現者にならないのか?って。(それは、何処までそこに入り込みどこまで自由になって良いかって事を実際にヨーロッパで演奏している演奏家に聞きたかったポイントそのものでした)
意識的に知識や経験があればある程度のセオリー通りになる曲を避けて、自分の中で迷いを持つ曲を選んでレッスンを受けました。
師 インマー氏のおかげやこれまでの経験の中でセオリー通りで自然に進むものはある程度見えて来たというのは有ったのですが、本質的に何を見るべきか?に迷いが有ったのです。

迷いに対しての答えでもあるのだけど「ああ、そういうことか!」って自分にかけられて居た(自らもかけて居た)意識への鍵を一度に簡単に開けてくれた。何を見てどう自らの扉を開くかが鮮明になりました。

ただ、彼女はそこを単に指摘するので無くて、何がそうさせているのか探りながら言葉を選んで、問いかけを混ぜながら進めて行く。意識の鍵が開いたもののなかなか音に現せない私に何曲かデュエットをして下さった。そこで、やっとスムーズに彼女の音楽の会話のテンポに乗っかる事が出来た。(これは今までの中でちょっとない位に楽しい時間だった)

自分の中の常識や受けて来た教育のある面がそれを素直に音にする事やもっと想像力を働かせる事に鍵をかけてた。会話をする事、指摘をする事、デュエットで彼女は見事にそのいくつかの鍵を外してくれたと思う。

僕の演奏を言葉豊かだと言ってくれる人もいます。でも、レッスンの最初に彼女の問いに音で応えられなかった。(普段よりずっと言葉に近い表現を求められた中で〜たぶん、普通に自分の仕事の中でやったらやり過ぎって言われる… でも、とてもファンタスティックで好き勝手とは違うもの)音楽家にとって音で応える、現わせるってことはどんな言葉より大切。


さて、気がついた事は、今巷にある奏法のアドバイスって、結局、その音楽を言葉のように話したり相手に伝えたり、感じた事を素直に音にする事から離れて行くようなアプローチがとっても多いと思う事。
とても良い方法でも、そこに直接的に音楽との結びつきを伴わないアドバイスは、気がつかないうちにそのアドバイスによって受け手にある種のロックをかける。(例えば自分はこのタイプだからこう、ハイノートはこう、全ての音を均一に、真っ直ぐ…等)
もちろん、技術としてやそのコツとしては大切な事もあるし、その場では効果を生む事も有る。しかし、それが反面、音楽の制約を生む言葉になりうるし、長い目で見ると音楽を奏でる技術の発展を邪魔する事になりかねないと思う。
そして、歌いなさいとか、もっと表現を抑揚をつけてってのも同じで、本人がそのメロディから本当の意味を感じ取れれば自然に音になるもの。自然に音になる様な吹き方を目指していれば、音楽の表現と奏法の双方が自然とバランス良く育つもの。平坦だから抑揚をこう付けるって方法論はとっても危険だと思う。それらに教師は気がつくべきではないだろうか。ここが自分の感じて居た違和感なんだなと今ならハッキリと判る。違和感が有れど言葉に出来なかった。
付け加えると楽器を演奏したり歌ったり目の前でする事が必ず必要と言っているわけでは無いんです。『音楽を感じさせるなにか』を伴わないアドバイスは非常に危険だと思うという事。
メールや実際にその場での空気を感じないやり取りはとっても危険だとも思う。特に未だ未熟である質問者に対しては危ないでしょうね。僕はここのコメントに質問されても答えません。実際に目の前で聴かないと判るわけないですから。

素晴らしい音楽家に出逢えた事に感謝。

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今までの演奏活動の中でつい何年か前までは、メサイアはそんなに演奏回数に恵まれなかった。

この何年かは年に何回かチャンスを頂いている。今年は3回目。この週末もメサイア。年始もメサイア。

色々なところで演奏をさせて頂いているが、ありがたい事に四国学院のメサイアはこの五年間続けてオファーを頂いている。

最初の年は他のツアーから直接向かい、しかもそのツアー中にかなりしつこい風邪をひいてしまい、皆さんに御心配をかけてしまうと言うあまり良くない印象からのスタートだった。それにも関わらず今年5年目の参加となった。

この3年はマエストロと相談した上でモダンオーケストラの中でバロックトランペットを使うと言う色々な意味でリスク負いチャレンジとなる試みに、マエストロ、オーケストラの皆さん、合唱、ソリストの皆さんが賛同して下さって、毎年、配置、座奏か立奏か、演奏のスタイルなど試行錯誤を繰り返している。でも、この場所でモダン楽器に戻る事はもう無いだろう。もちろん、モダンよりは傷が生まれてしまうし、表面的な技術の完成度はモダンの方がずっと高いクオリティを作りやすい。しかし、弦楽器や人の声との調和や人の言葉の様に喋る事、ある色からある色へ変化して行くときの独特の繊細さはモダン楽器では届かない。そして、時には音量で無くて音色の荒々しさも逆に際立つ。



何故ブログで取り上げようと思ったか。
依頼を受けて参加させて頂く演奏団体はもちろんどの団体も素晴らしいのだけど、毎年40年続いているこのコンサートは自らも五年間続けて参加させていただく中で少し特別な存在となりつつあるのを感じているから。自分の変化を感じ取る事も出来る場所でもある。

合唱団の人数はOBも含め決して多くないのだがコンサート(と言うよりは救世主と呼ばれる音楽にと言う方が正解かも知れない)にかける思いが本当に強いと感じる。それをサポートしてくださる大学の懐の深さやオーガナイズする先生方の献身的な御尽力に本当に頭が下がる。

その合唱団の今年の声、音楽は本当に素晴らしかった。声がエネルギーを持って立体的に聴き手に迫る様に会場に届く経験はそんなに多くない。
何年か前にドイツから来日した若いプロフェッショナルな合唱団の迫る様なベクトルを持つエネルギーに溢れたサウンドを聴いた時に驚いた経験が有るのだけど、今回はそれを思い出した。

技術では無いもっと深いところからのもの。僕は"魂"だと思う。

それに対してソリストやオーケストラが応えないわけがなく、お互いに手を抜かない本気のやり取りが二回コンサートが有る前日の夜の通し稽古から繰り広げられた。22時半まで!
3回本番を行なったと言っても過言では無い(ソリストの1人から限りなく本番に近いゲネプロとの表現が有ったがその通り)
これにはもう一つ、リハーサルからコンサートまでが録音を兼ねていたと言う理由が有るのだけど、この様なコンサートで、合唱団、オーケストラ、ソリストがあそこ迄三日間全力投球するのを経験した事は無い。

ソリストが素晴らしかったのは勿論のこと(その中でも事務の仕事、合唱団の指導を兼ねていたソプラノのI先生の歌は音楽の喜びと強い意志を感じ本当に素晴らしかった)、オーケストラがマエストロを中心にモダン楽器ではあるがバロックの同じ語法で進化を続けている事も凄い。
これは2日目のホールでの演奏でよりくっきりと感じ取れた。全ての奏者がお互いを信頼して一つのサウンドを、たった一年に2日間(今回は3日間)なのに共有してリスクを恐れずに進化をさせ続けている。

マエストロの力は本当に大きいと思う。そして、そこに共感する演奏者とバックアップしてくださる大学。一つの理想形だと思える。

それは、ただメサイヤのコンサートをするって事でなくて、その音楽の意味やテキストの意味、そこに感ずる思いを全員が共有して毎年音楽として伝え続ける。数百年前に西洋で生まれた音楽が、毎年東洋の小さな町の大学のチャペルで生まれたての様に魂を持って演奏される。

こういう音楽の出逢いやこの様に深い所を目指してる事に関われる事は本当に音楽家として幸せな瞬間。

来週からはドイツ。
今度はその音楽の生まれた国で歴史と共に変化して来た伝統の音楽の中に身を置かせてもらい様々な事を感じるだろう。


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