今朝、

大好きな朝のウトウトタイムで

ふと想ってたことは。

 

 

私がわたしを抱きしめないから誰かに抱きしめてもらいたがる。

 

私がわたしを大切にしないから他人に大切にしてもらいたがる。

 

私がわたしを認めないから他人に認めてもらいたがる。

 

私がわたしを愛さないから他人に愛してもらいたがる。

 

私がわたしの期待に応えないから他人に期待に応えてもらいたがる。

 

。。

 

 

 

うわーーーーー!

 

 

そうだったのかーーー!

 

 

 

 

 

なんでこんな事を想ったかというと。

 

実は、

思い通りにならないことがありましてね。

 

それ、力ずくでどうにかなる話じゃないんですよ。

 

 

で、もんもんとしてました。

 

どうしてそれが叶わないのか、

そもそも

どうしてそれを望むのか?

 

そんなことをずっとモンモンしてたんだけど

今朝

 

 

は!!!!

 

って気づきました。

 

 

「わたし」の「私」への望みなんだ!って!

 

 

で、

今朝は

イメージの中で自分をハグハグしてたら

 

気がついたら寝てました、笑。

 

 

目が覚めたら気持ちが落ち着いてて。

 

 

やっぱりそーなんかー。

って想ったけど

 

 

ここでまた私は想った。

 

 

 

 

 

じゃあ、他人がいる意味ってなに?

 

 

なんで他人がいるんだろうね?

 

 

 

 

 

探求は続く(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祈り

テーマ:

今年に入ったあたりからだろうか

私は祈るようになった。

 

 

1月のある日のこと。

 

一人遅れて一人で夜ご飯を食べていたとき

 

急激に

祈りたくなりその場で手を合わせた。

 

なぜか、泣いて

なぜか、白い服が着たくて

白い服でないことに吐き気がして

 

翌日あわてて白い服を買いに行った。

 

 

それから

ときどき祈るようになった。

 

太陽に

自然に

お風呂の中や食事中など

 

「祈りたい」

 

と想ったときに手を合わせる。

 

 

 

 

祈りと言っても

 

何かを願う訳じゃない。

誰かを想っている訳でもない。

 

 

 

ただ手を合わせる。

 

 

 

そうすると心が静まるんだ。

 

 

その心の静けさが心地よくて

穏やかな心でいられることが気持ちよくて

思考が止まる感じが好きで

 

私は祈る。

 

 

 

 

 

「無」

 

そんな言葉が一番しっくり来るかもしれない。

 

自分とそれ以外の境界線があいまいになり

全体にとろける。

 

静かなその状態は

とても気持ちがよくて

 

それをまた味わいたくて私は祈る。

 

 

ただ

祈る。

 

 

 

 

 

 

 

 

使命〜いのちを生きる

テーマ:

ふと。

 

 

 

 

 

時間って命そのもので

 

だから

 

時間の無駄使いって命の無駄使いで

 

自分の時間を無駄使いすることは

人の時間を無駄遣いすることは

 

自分の命を無駄遣いでもあるし

他人の命の無駄使いでもある。

 

 

 

 

 

命を生きる事は使命。

 

自分の命を輝かせて生きることが使命。

 

 

 

自分の命を輝かせると

目が輝く。

顔が輝く。

 

 

 

命を輝かせて生きよう。

いのちを輝かせて使おう。

 

 

それが使命だから。

 

 

 

 


 

「私」が「わたし」を喜ばせたくてやってきたけど

 

本当は逆で

 

「わたし」が「私」を喜ばせたくてそれをさせてる。

 

 

 

コレに気づいたきっかけはね。

 

お昼ご飯を買いにコンビニへ行ったときのことなんだけど。

 

そのコンビニは自家製パンを売っていて

それがどれもおいしい。

 

その日も

「今日はどれにしよう?」とルンルンしながら

お店に入ってパンを観たとき。

 

いつもはスルーするパンがちょっと気になった。

 

「タコスパン」

 

タコスパンて、あんまりおいしくなさそう。。

 

と想って1回スルーしたけど、なんか気になる。

 

 

「なんか気になる」は「わたし」からのサインなんだけど

 

一瞬「おいしくなさそう」と想った私は

再度スルーしようとして

 

でも、やっぱり気になるので

あきらめて買う事にしたのね。

 

 

 

買って帰ってきて

袋から出して

 

じーっと眺めて

 

「やっぱりあんまりおいしくなさそうだな」

と思いつつも食べてみたら。

 

 

意外においしい♪

 

 

そのとき、想ったんだよね。

 

 

「ああ、「わたし」は「私」にコレを食べさせたくて、

なんとなく食わず嫌いな感じを出してる私に

 

『これ、意外とおいしいんだよ、食べてみなよ』

 

それを伝えたくて、私にサインを送ったんだ」

 

 

「わたし」はそれがどんな味か知っている。

 

だから「私」にそれを食べてもらいたいって想ったんだ。

 

 

私はわたしから、めっちゃ愛されてるやん。

 

なんてこと!(驚!)

 

 

そのあとしばらくは

 

感動というか、驚きというか

 

嬉しくて泣いたよね。

 

 

 

ずっとずっと

 

「わたし」はおそらく「私」が生まれた時から

ずっと私のことを愛してくれてた。

 

 

 

そして

「私」も「わたし」が大切だから

「わたし」からのサインに応えるんだ。

 

 

 

ふたつの想いが重なって

それが達成されるとき、喜びとなる。

 

 

「私」は「わたし」のために生き

「わたし」も「私」のために生きる。

 

 

 

私達はお互いを愛していたんだ。

 

そのことにようやく気づいた。

 

 

 

これからも

「私」は判断を間違いだろう。

 

つい、損得感情で判断し

つい、人に気に入られようとし

つい、お金の事が頭をよぎり

つい、時間のことを考える。

 

 

それでも

気づいたときには

 

自分に戻ろう。

今ここに戻ろう。

 

 

私達はふたつで一つ。

 

これからも二人三脚で生きて行くのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今から3年前。

 

会社を辞めたことを機に生き方を変えた。

 

 

それまでの

「損得感情」

「努力と頑張り」

「他人の期待に応える」

 

から

「いい気分で過ごす」

「今ここに生きる」

「自分を生きる」へ。

 

 

そのための手段というか

やり方として

 

「わたし(魂)(心)」の声に従って動く。

ということを

できる範囲でやるようになった。

 

ふと、アイスが食べたい

と思えば

コンビニへ買いに行き

 

ふと、海が観たい

と想えば

車を走らせ

 

ふと、会いたいと想えば

逢いに出かけ

 

ふと、欲しいと想えば

買う。

 

 

お金や時間のこともあるから

全部は無理だし、勇気もいるから

 

ビビリな私には

その全てがチャレンジだった。

 

 

 

そうやって

迷いながら

ビビりながら

怖くて泣きそうになりながら

 

魂の声、心の声に従って行動すると

すごく心が喜ぶし、満足することが体感で分かってしまったので

 

やらないわけには行かなくなったよね。

 

 

 

 

で、

 

「私」としては

いままでないがしろにしてきた「わたし」を喜ばせる為に

そう言う行動を取って来たんだけど。

 

今日

「逆だ!」

と気づいた。

 

私はわたしを喜ばせる為にやってきた、と想っていたけど

 

本当は

 

「わたし」が「私」を喜ばせたくて

そうさせるんだ。

 

 

(つづく)