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ゴッホの病名④

テーマ:カウンセラーの自由研究
2010-12-28 00:00:00 posted by harmonic-soul
5、統合失調症であったのか否か

ゴッホは当然のように統合失調症であった有名人に挙げられています。

しかし、
私はこの説に異を唱えます。

美術の評論家はメンタルの病気の素人さん達です。

彼らは美術論のプロであるので、
ゴッホの病名を自身で深く追求はしてはいないのです。

にも関わらず、
何の疑いもなく通説に従って、
ゴッホは統合失調症と発言してしまうのです。

人は多数決なら情報が間違っていないと錯覚します。
ゴッホを統合失調症と言うのはただの通説です。
冷静に検証しなくてはならないのです。



現代的な目で見ると、
ゴッホは統合失調症ではないと思います。

但し、
これは微妙な面もあります。

ゴッホは他の人が妥協することにまで、
過度に真面目に取り組んでいました。

特に、
画家になる前は一途に聖職者になろうとし、

自分を叱咤激励するために、寝室に棍棒を持ち込み、
怠けそうになると自らを棍棒で叩いたのです。
さらに、真冬には、自分への懲罰として、
外套も着ずに外出、
ベッドも毛布もない木造小屋の床に身を横たえ一晩過ごすこともありました。
中世の修道院の生活規範そのままです。

(ゴッホの伝記より)

と言う記述。

また、

「いつも克己と自己懲罰の実際の手段を探し求めていて」
「けっして机を使おうとせず」
教師に注意されても不安定な姿勢で
「練習帖をひざのうえにのせて」勉強していたようです。
「中世の律法尊重主義者を思わせるようなところがあった」というのです。

しかし、肝心の勉強は進みませんでした。
文法の勉強の時、主格か予格かと聞かれ
「ああ、僕は実際どちらでもかまいません」と答えています。

フランス語の「断崖」という言葉の意味を質問されると、
黒板に断崖の絵を描きたいと要求、教師に押し止められます。

それでも、授業後、ゴッホは本当に黒板に断崖の絵を書き始めました。
このとき、同級生の一人がからかい半分にゴッホの上着を引っ張りました。
すると、
ゴッホは「憤怒に燃え立った顔」をしながら
振り向きざまその同級生に「一撃を食らわしました」。

(ゴッホの伝記より)


更には、
TPOに応じない服装の奇異さも伝わっています。

どういう訳か、ロンドン時代のボロボロのシルクハットをかぶって出勤

やがて、古ぼけた軍隊服を着て、みすぼらしい帽子をかぶって歩き回るようになりました

毛皮の帽子に家畜商人の青いスモックという異様な風体で

(三つともゴッホの伝記より)


このように何か一方に極端に拘ったり、
服装が異様な印象を与えるのは、
統合失調症の特徴と言えなくもないです。

そして、
青年期から晩年のゴッホは常にこのような奇異な生活だったようです。

妄想型統合失調症ならば、
このような感じになっても不思議はありません。

しかし、
ゴッホが統合失調症とするだけの史実はこれ以上ありません。

当時は殆ど治療らしい治療は行われていませんから、
長年に渡り統合失調症は放置されることになります。
結果、
手が付けられないほどに無為な陰性症状の闇に沈んでも不思議は無いのです。

また、
それ自体が統合失調症の主症状と言えないものの、
幻聴などの記述は見当たりません。

では、
連合弛緩に関してはどうでしょう。

これについては書簡集の手紙達が物語ります。
やや、
芝居がかった感じであるものの、
ゴッホの手紙に連合弛緩は感じられません。

但し、

1876年11月25日にテオ宛に書かれた手紙(No 82)は長さも内容も異様です。

一度終えたはずの文章がまた始まり、
意味のよく読み取れない文章の後に、
なんの脈絡もなく、他の内容の理解しがたい文章が延々と続き、
さらに、余白にも文章を書き足していて、
しかも、その多くもほとんど意味をなしていません。

たとえば、
「もし、思わざるようなことが起きた場合は、心の中に神に対するなつかしみの念を強めたまえ。父なる神よの声を高めたまえ。」という文章の後に、
おそらく、「父なる神よ」という言葉に誘発されたのでしょう、
下宿生活をしていた中学時代を思い出したらしく
「お父さんとお母さんを乗せた馬車が家の方へ帰っていくのを見送っていたのは秋の日のことだった」という文章が続きます。
さらに、
父親が訪ねてきてくれたときのことを次のように書き足します
「その人が誰かわかると、一瞬後には、ぼくはお父さんの首に抱きついていた。
そのときぼくが感じたものは
『かく汝ら神の子たる故、神は御子の御霊を我らの心に使わして『アバ、父』と呼ばしめ給う』
ということではなかったか。
それはぼくらが二人ともに天の父なる神を持ったと感じた瞬間だった。
というのは、父もまた上の方を見上げたからだ。
お父さんの心はぼくよりももっと大きな声で『父なる神よ』という叫びがあったのだ」
といった具合です。

(ゴッホの伝記より)


伝記を書いた人物の困惑が目に浮かぶようです。

これは統合失調症の連合弛緩を思わせます。

1876年と言えばゴッホは23歳のはずです。

23歳で酷い連合弛緩があったのならば、
その後の人生14年間を過ごせたとは思えないです。

しかし、
この史実の後のゴッホの文章は病的とは言えないのです。

持ち直したかのように、
いつものゴッホの文章に戻っているのです。

どうやらこれは連合弛緩ではないのでしょう。

双極性障害の観念奔逸ではないでしょうか。


私がゴッホが統合失調症でないと考えるのは勘ではありますが、
統合失調症と考えるだけの状況証拠がないのも事実です。


晩年ゴッホは耳切り事件を始めとする、
様々な奇異な行動を取ります。
しかし、
この中でもゴッホは統合失調症と言えるだけの事実はないのです。



通説が正しいとは限らない。
ゴッホが統合失調症の代表と言うのは、
どう考えても合理的にはあり得ないのです。


つづく



コメント

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1 ■興味深いですm(_ _)m

すごく興味深い、ありがとう
私もいろいろな心の病の診断名がつき、今ではADDと診断され、双極性の薬を服薬しています。
私はblogでもそうですが、入院中から詩や絵を描きはじめて今では表現者としての生き方もしています。
よかったらblog見に来てください

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