瞑想ブーム?

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'瞑想が今世界中でブーム'
今年1月18日の東京新聞サンデー版見開きは瞑想の特集だった。
現代のストレス社会において、自分らしく生きるために瞑想を日々行っている人が世界中で増え、日本でも社員教育や刑務所、少年院に導入されていると紹介している。

宗教とは関係のない純粋な瞑想の技術(テクニック)を習得することが求められたブームは1960年代にもアメリカを中心にあった。日本では1995年オウムのサリン事件で瞑想の普及に20年は失い、ヨーガを学ぶものにいわれなき誤解と試練を与えた。

当時を知らない(もしくはくぐり抜けてきた)お洒落なイメージのヨーガブームを経て、悪しきイメージは払拭されたのだろうか。私は未だに新聞等でサリン事件の裁判の記事を見るたび被害を受けた人々や、昨今のイスラム教と乖離したイスラム過激派、それによって差別や被害を受ける人々が重なり暗澹とする。と同時に自分が巡り合ってきた全くもって似て非なるヨーガの師と教えの伝統に運良く浴したことに感謝せずにはおれない。が、、、

1989年の夏。高円寺の古本屋で1冊の瞑想紹介本を見つけた。それにはビートルズのジョンレノン始め多くのミュージシャンが傾倒したマハリシの超越瞑想のことが紹介されていた。
60年代の音楽や文化に関心を持っていた私はそれらのクリエイティビティの源を体験してみたいと思った。巻末の連絡先をたよりに訪ねた雑居ビルは暗かったがセンターは良い香りに満ちていて邪気のない先生と静けさに信用できた。その後生き甲斐ーライフワークともなる古代インドの智慧、ヴェーダとの最初の出会いであった。
学生料金で4万円近かったが17-18歳にとっては大金ですぐに受講できたわけではなく、実際に個人指導受けたのはその年の末だった。説明では、

'瞑想とは、忙しい日常生活から離れて、本来の自然な自分を取り戻すための時間です。
瞑想して心と体をリフレッシュすることは、自分自身の内側から不自然なもの、余分なものを取り去って、もともともっている美しさを引き出すことにつながります。
瞑想によって得られる啓発の状態とは英語で「エンライトメント」といいます。これは内側に光が灯るという意味。瞑想する人たちが輝いて見えるのは、内側に光が灯されるからー'

そんな人生だったら生きる価値もあるかもしれないと私は希望を感じた。
只年をとって病気して死んでいく人生になんの意味があるだろう。

他にも瞑想の効果として集中力や創造性が高まり、心身の健康面にも多大な恩恵がある、という科学的データの数々。
その効果のほどは、規則的に一日2回続けてはじめて徐々に発露、定着していくものである。いくらなんでもでも最初からサマーディー無我の境地に至れるというのは甘い。(長年の実践者であるデヴィットリンチの自伝を読むと最初から素晴らしい体験だったようだが、、)
最初はストレス解消のプロセスとして雑念だらけなのが大勢である。

しかし超越瞑想は、日々朝夕と歯磨きと同じメンタルクリーニングの習慣付けとする動機付け(モチベーション)がアフターフォロー含めそのプログラムに組み込まれている。
高い受講費用も、雑念だらけだろうが元をとるべく続ける所以となっており、継続こそ重要なので一概に商業主義と否定できない。価値あるものにはすべて値札がついていると信じている現代人が無料で習って続けるだろうか。ちなみに超越瞑想の受講費用は現在一般で12万円超えているようだ。元を取るために毎日実践するに妥当な金額だろうし、その価値を知るものにとっては値段などつけられないだろう。

私は瞑想を通して個人から集合意識へと平安を広げるマハリシの意図に賛同し、超越瞑想の教師こそ最もこの世で必要な仕事だと瞑想センターで働き海外のコースにも参加して体験と学びを深めた。しかし、それは恩寵だったのだろう。ある時、深く関わったがゆえに実が熟して落ちるように組織から自然と私は落ちた。多くの誤解と誹謗中傷もあった。ビジネスなら組織化しなければ発展はないだろうが、神聖なるものは組織化されえない。ビジネスとも両立しない。そうでなければ排他的なカルト宗教になるだろう。その最悪たるものがオウムの事件だったのではないか。

その後、瞑想とは座するだけでなく人生そのものであるということをインドで、書物で、多くの師から友人から家族から学んだ。これまでいかに狭い学びだったか、瞑想やヨーガへの既成概念を思い知らされた。
超越瞑想は今も続けている。そして、同じヴェーダの源流を汲むアグニホートラ瞑想を実践し教え始めている。互いに知識と体験を補い合うものであり相反しはない。どんな宗教宗派主義主張にも与しない。その人の道の成就のみが重要だ。

師の意図によりアグニホートラとその瞑想はすべての人に無償で教えられる。金額をつけられないほど価値あるものだと私は捉えている。いかにこの価値を伝えるか、一歩を踏み出したところであるが、私の主観的体験だけによらず、多くの体験談をいただいている。次回にそれらを紹介したい。

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