2004-11-10 03:01:55

「SAW -ソウ-」 第2回ネタバレ研究編 -観てない人は絶対読まないでください-

テーマ:映画解説&研究
ここはまだネタバレないです。
 10月30日の公開以来だんたんと口コミで評判を増やしながら様々なところで物議をかもしているこの「SAW」ですが、私も実際に観ていくつかの謎や説明不足だなと感じるところがありました。そこで映画の中やネットで得た情報などを整理して「SAW」という映画についてもうちょっと深く考えてみようと思います。当然不完全なものですが、これを読んでくれて、ここはこうじゃないかなと思った人はぜひともコメントをお願いします。一緒に「SAW」について考えて行きましょう。
さて、今日はちょっと長くなりそうな予感がします。どうかお付き合いをお願いいたします。



ここからはネタバレ全開の「SAW」を考えてみよう編です。映画をご覧になってから読まれることをオススメします。というより絶対読まないでくださいね。


 タイトルについて

 タイトルですが、「SAW」は英語で「見る」のSEEの過去形で「見ていた」となり、タイトルですでにジグソーが見ていることを暗示しているんですね、また「SAW」はノコギリの意味もあり、劇中にキーアイテムとして登場するノコギリも表しています。ダブルミーニングなタイトルであり、しかもラストを暗示させる素晴らしいタイトルです。


 ジグソーとはどんな人物だったか

 犯人のジグソーについて考えていきます。この映画を面白くしたのは、ジグソーの性格設定が豊かなものであったからだと思います。まずジグソーはただの猟奇殺人犯ではありません。それにジグソーは誰も殺していませんね。死ぬか生きるかのゲームを強いたのであって、彼自身は決して手をくだしません。彼は自分の作ったゲームを見ているだけなのです。そしてジグソーはそれらを決して楽しむだけのためにやっているのではありません。ゲームのプレイヤーを救うためでもあります。プレイヤーを生死の極限状態に追い込むことで、日常に埋もれがちな「生」を強調させ、生きる力を取りもどさせるのです。それは映画の中でも唯一の生き残りの女性がジグソーに感謝していたことで表現されていました。余談ですが、この方法で「生」を強調させる手法はイギリス映画の「ビューティフル・ピープル 」でも象徴的に描かれています。この映画の場合はサッカーにしか興味の無い退廃的な若者が、ワールドカップ観戦のために密航した飛行機が戦場についてしまい戦争に巻き込まれる。そこでの体験をもとに彼は人生を取り戻すといった感じです。
 話をジグソーに戻します。また、ジグソー自身が不治の病を患っていることから、せっかくの人生を無駄にしているものに嫉妬しています。それも含めて考えるとゲームのプレイやーは、人生に絶望しせっかくの「生」を無駄にしている者達だと考えられます。実際選ばれたプレイヤー達は、自殺願望のある者、麻薬中毒者、放火魔などでした。しかしここであれ?っと思った方はいないでしょうか。そうです今回のプレイヤー「ゴードン」はどう考えてもこの条件には一致しません。家庭は崩壊気味で浮気はしていますが、それほどたちの悪いものではありません。それなのになぜでしょうか、これについては後述します。自分の考えがとっぴ過ぎて恥ずかしくもあるのですが・・・。
 次にジグソーが作ったゲームについてですが、彼のゲームをただ見るという行為から考えるに、このゲームの実験なのではないでしょうか。理科の実験と同じで、人生を無駄にしている人間を追い込むことで、本当に「生きたい」のかどうかを観察しているのです。
ジグソー自身が死にかけていることから、「生」というものへの異常な好奇心がたかまり彼をこの実験にかりたてたのではないでしょうか。
 さて、ジグソーのことを救済者のように書いてきましたが、彼はおおいに狂っています。その表現の中で一番面白いと思ったのは、彼の人間に対する興味のスタンスです。ジグソーは彼のゲームのプレイヤー以外の人間には一切興味を示しません。プレイヤーを食い入るように観察するくせに、他の人間はパズルのピースとしか思われていません。このことを言い換えると病んでいる人間には興味を示し、健常な人間には一切興味がないともいえます。人生を無駄にしている人間を見るとイラツクというわりには、ちゃんと生きている人間をコロコロ殺してしまいます。狂っている証拠ですね。


 アダムの不思議

 アダムってあつかいが変だと思いませんか?映画の冒頭部アダムが目覚めるシーンから始まりますよね、映画を観ている私達はここで、あぁこの人が主人公なのかなと思います。まず目覚めて何もわからないという状況からも私達はアダムに感情移入するしかありません。しかしアダムはゲームのプレイヤーではありません。プレイヤーはゴードンであって、アダムは麻薬中毒者の女性に殺された男性と同じ、パズルのピースにすぎなかったわけです。それではなんでアダムから始まったのでしょう。ゴードンから始まったとしても何も問題はなかったと思いますが、これは謎です。


 ゼップって何?
 
 ゼップに対する私の考えは、彼もこのゲームのパズルの1ピースに過ぎなかったと思います。ゴードンがゲームをクリアーできなかったときのための死神役がゼップではないでしょうか。


 お久しぶりのリーサルウェポンことダニー・グローバー(役名を忘れてしまいました。ジグソーを追う刑事さんです)
 
 彼の役回りは、犯人役の狂言回しだと思うのですが、あまり気が付くところがありませんでした。強いて言えば、彼は今回のジグソーの計画で唯一ピースではなかった存在だと思います。それゆえ彼が絡んでくることで、母子が生き残るというジグソーが意図しないゲームの結果になったのです。
 

 ゴードンはなんで選ばれたのか

 この映画は2人の間に1人死人そこでゲームが始まる、というような売り文句から2人がゲームをしていると考えがちですが、映画を観てみると違うことがわかります。プレイヤーはゴードンです。ジグソーは、ゲーム攻略を協力させながら殺しにくくしたり、正体をばらして殺しやすくしたり、ゴードンを翻弄する悪魔の罠としてアダムを使用しています。しかしゲームのクリアー条件は単純でゴードンが6時間以内にアダムを殺すことです。
 それではなんでゴードンがゲームに選ばれたのでしょうか。これについてはいくつかの理由が考えられると思います。彼はジグソーの主治医でした。彼に死の宣告をしたのもゴードンではないでしょうか。そのことを逆恨みしたというふうに考えることもできると思います。また、浮気して家族を疎かにしたことに対する制裁とも考えることができます。しかし私の考えは少し違います。ゴードンはこれまでのジグソーのプレイヤーからはかけはなれています。浮気はしていますが、人生に絶望もしていないし無駄にもしていません。これは明らかにジグソーが考えるプレイヤーの対象外の人物です。しかしゴードンは選ばれました。なぜでしょう・・・。私はここで救済という言葉に注目しました。ジグソーはプレイヤーを殺しているのではなくて、救っているのではないかと考えたのです。つまりジグソーはプレイヤーを助けてあげていると考えているのではないかということです。そう考えて思いついたのは、これはジグソーなりの感謝の表し方なのではないかということです。少し言い過ぎたかもしれませんが、ゴードンが主治医ということからジグソーは、特別に救済者として選んであげたのではないでしょうか。救済とはゴードンに家族の愛を取り戻させることです。目的は救済ですが、過程ですべてがなくなろうとも何も気にしないのところがジグソーの狂っているところです。しかしこのゲームの結果ゴードンが生き残ったとしたらそれ以後彼の家族への愛がゆるぐことはないでしょう。それでは果たしてゴードンは生き残ったのでしょうか。



 ラストはあの後どうなったのか

 あの後二人が生き残ったかについてはいろいろと意見が出ているみたいですが私の意見は、二人は生き残るかもしれないし、死ぬかもしれないというものです。ジグソーがあの後殺しに戻ってくるようなことやゴードンを殺すことはまずないと思います。ジグソーはあの部屋を作ることがすべてで、ルール違反を監視していますがそれ以上の干渉はしません。ゲームが始まった時点でジグソーの仕事はほとんど完結しているのだと思います。後は結果を楽しむだけなのではないでしょうか。今回のゲームの場合ジグソーが最後に言った「ゲームは終わりだ」これがすべてだと思います。彼の中で今回のゲームは終了したのです。もう彼らにはなんの関心もないのではないでしょうか。後は、救助を呼びに行ったゴードンの生命力次第で、彼が地下から抜け出せるかどうかで変わってくるのでしょう。「カギはバスタブの中だ」だというセリフは、アダムが脱出する方法は最初からなかったことを表しています。つまりアダムにゲームをクリアーすることで不可能だったわけです。プレイヤーではないのであたりまえですが・・・。アダムはゴードンが帰ってこなければあそこで餓死する運命でしょう。


 まだまだ謎なこと

 なんでゴードンの切った足を見せなかったのか。切った足自体も切断面も映像ではみせませんでした。私達は前後の行動から彼が足を切ったと思っているだけで、それの直接的な表現はありませんでした。なぜでしょうか?もしやゴードンは足を切っていないのでないかと考えましたが、どうもそれでは説明がつきません。残酷すぎてカットされただけでしょうか。

 
 いろいろ考えてみましたがどうだったでしょうか、書いてて思ったのはジグソーの性格設定は本当に素晴らしいなということです。ぜひとも彼を主人公にした続編を作って欲しいものです。
 それではご意見ご感想お待ちしております。「SAW」を観た方々もっと一緒に語り合いましょう。私も一回観ただけなので間違っているところもあるとおもいますので、指摘もお待ちしております。
それでは長々と読んでくださってありがとうございました。
 
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2004-10-24 04:12:04

「コラテラル」 オススメ度☆☆☆☆(監督のファン採点)

テーマ:映画解説&研究
今回はネタバレありで詳細な解説にチャレンジしたいと思います。主観的なところも多くなると思いますので、マイケル・マン好きの雑言と思ってもらえれば幸いです。「コラテラル」を鑑賞していない方は読まないほうがいいと思います。
 
 映画が始まって10分、何も起こらなかったことで私は確信しました。この映画は間違いなくマイケル・マンの映画だと。映画における最初の10分は、観客の心を掴む大事な場所です。ほとんどのアクション映画は、ここで見せ場を用意します。しかしそれがなかったということは、ハリウッドの法則にのっとらない、マイケル・マンの映画だということになるのです。私はそれに気がついたときゾクゾクとする喜びにつつまれました。彼は変わっていなかったと叫びたかったです。そしてそれから私は至福の2時間を過ごしました。
 ここからはネタバレを含む解説をしていきます。
 この映画は、冷徹な殺し屋にまきこまれたタクシー運転手が、脅迫されて殺しの手伝いをさせられる、といったアクションサスペンス映画ではありません。いえ、表面上はそうなのですが、マイケル・マン監督の映画の中には2重3重にテーマが盛り込まれています。それに注意して映画を観なければ、アクションシーンだけはおもしろい、というだけの映画になってしまいます。それでは私が気が付いた範囲のテーマについて解説します。
 まず、相容れるはずのない二人の間に生まれるかすかな共感を描いています。二人がタクシーの中で話しているうちに、だんだん脅すものとされるものの関係がゆらいでいます。けっしてセリフで表現されることはありませんが、それはコヨーテが道路を横切るシーンで表現されています。コヨーテが道路を横切るためにわざわざタクシーを止めるマックスと、それを咎めることなく一緒にみつめるヴィンセント。このシーンは余裕のないはずの二人に、わずかな余裕ができたことを表しています。そしてそれは二人の間にかすかな信頼関係ができたことを表しているのです。そしてこの関係があるからこそ、ラストでの二人の対決がよりクローズアップされるのです。
 次にマックスという男の成長物語として観る事もできます。オープニングのタクシーのシーンは、ヒロインとの出会いのシーンだけと思われるかも知れませんが、あそこでマックスは重要なことを語っています。高級リムジンのハイヤーの会社を作る計画についてです。また、このシーンではわざわざ戻ってきたヒロインから名刺をもらったのも重要な事です。それはラスト付近で電話をかけるためではありません。マックスはこの計画についてヴィンセントには、ビジネスの話だから秘密だといいます。ヴィンセントはそれに対して「男は黙って動くものだ」といいます。これは、ヴィンセントの性格を顕著に表していて、彼は考える前に動くことでなにかをかな得ることができると考えています。計画を教えなかったマックスですが、それを母親にばらされてしまいます。この後マックスはヴィンセントに反抗をする訳ですが、それでもヴィンセントはマックスを殺しません。これはマックスに利用価値があったのも確かですが、この時点でヴィンセントはマックスの性格を見抜いていたからです。つまり、現状に不満を持っていても夢ばかり見ていて、決してそれを実行しない男だと見抜いていたのです。そして強制すればそれが不満でも付いてくる男だと確信したのでしょう。また、ヴィンセントが名刺の女に電話しろ言った時に、マックスがあいあまいな返事をしたこにもマックスの性格は表れています。つまりマックスは口だけ男なのです。しかし後半でヴィンセントにそれを指摘されたことで、自分が口だけで今まで何もしてこなかったことに気が付きます。そして「失うものは何もない」という言葉につながるのです。これはストーリーの核となるシーンです。なぜならヴィンセントは、マックスの欠点を指摘することでマックスを成長させたのです。成長とは、ヴィンセントにただ従う人間から、ヴィンセントに反抗する人間になるということです。このシーンで人間的に成長したマックスはこれ以後、一人前の男としてヴィンセントと対等の立場で戦うことになるのです。
 最後に、この映画はロサンゼルスという町を凝縮させて表現しています。ヴィンセントが言う「隣人に無関係な人々」これはセリフだけでなくて実際に表現されています。助けを求めるマックスを気にも止めない人々、ディスコのすぐ近くで人が倒れても踊りつづける人々、電車の中で背景のように動かない乗客達。これはロサンゼルスの今を表しています。また監督はヴィンセントの言葉を借りてロサンゼルスの人々に警鐘を鳴らしています。60億人のうちの1人、ルワンダ難民の話、などなどヴィンセントが語る言葉は、町に飲み込まれて無関心になるなというメッセージの裏返しだと思います。またラストにヴィンセントが電車で死んだ男の話をし、一人になることを望んだのには意味があります。それは現実のロサンゼルスへの挑戦状なのです。死んだまま6時間電車に放置された男の話からの隠喩で、俺はこれから何時間放置されるのかと、観客に問うているのです。
 ここまで色々と書いてきましたが、どう思われたでしょうか、こじつけだと思われたでしょうか。実は、私の意見はどう思われてもかまわないのです。マイケル・マン監督の映画がただ一方から観るだけでなく、いろいろな視点から見ることができる映画だとわかってもらえるだけで、私にとっては最高のことなのですから。
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