四十(超)にして人生に惑いっぱなし☆つぁんぺのぶつぶつブログ

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思いつき、心の中、保育士、フィギュアスケート…心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き綴れば…

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前も書いたかもしれないけれど…


12、3年前、私はものすごく首が痛い年があった。

毎日整骨院に通っても、

「昨日も大分ほぐしたんですけどねぇ?」

と、先生も不思議がるくらい。

痛み止めも効かないし。


振り向くことも、上を向くこともできないほど

痛かった。何ヶ月も。


そんな中、ある日足首がザワザワと痛くなり

微熱が出た。すごく体調が悪くて、

検査しても、何もなく、療養してたら体調は良くなったけれど、痛みは右膝に異動。そして数日たつと、膝から、肘へ。

そしてまた数日たつと、顎関節へ。

そして数日たったら、痛みが抜けていった。


元気になったので、普通に生活していたが、首の痛みは全然良くならない。

そして、年度がかわり、それまでいた職場の部屋も2階から1階に移った途端、首の痛みは解消。


すごく奇妙…


しばらくして、スピリチュアル系の本を読んでいたら、こんな言葉が…。


「霊は首から入りやすい」

「霊による痛みは痛み止めを飲んでも消えない」

「霊による症状は、体の中を移動する」


全部合っとるやないかーい!!


当時、私がいた職場は2階でよく、霊の目撃や霊現象的なことが起きると言われていた。(私は見えない)


調べても何も問題のない体、治療しても治らない痛み…そして、1階に移った途端に、首の痛みが抜ける…、理屈で説明のつかない症状だったので、あれは本当に、そう言うことだったのかもしれない、と思ったら腑に落ちた。



昔、憑依体質チェックをしたら「強」だったっけ。

でも、霊感はまったくありませぬ。



娘が就職を機に上京。


引っ越しを手伝って、

今朝帰路についた。


昨夜は最後の夜だから…と思いつつ

感傷的になるのも嫌だったので、

普通に過ごした。


朝も極力、涙にならないように。

ウルっときても、隠して。


新居の最寄駅

電車の時間になり、久々のハグとハイタッチをして

娘が見送る中、改札へ。

振り返り、最後に見た娘は、

小さく、少し頼りなげで、

「娘を大都会に置いてきてしまった」感に

襲われた。



娘と私は、仲がいいけど、ベッタリでもなく、

娘曰く「すごくいい距離感」。

就活の時も、家を出ることを

そんなに抵抗なく受け入れたけど

いざこの時がくると、正直つらい。


先週木曜日から引っ越しが始まったが、

その前の月曜日に、急に離れる淋しさに

飲み込まれそうになり、この気持ちを

どうしたらいいかわからなくなった。

泣きながら「行かないで」と言ってる自分がいた。


我が子ながら、本当に優しくて、

私に愛情をらたくさんくれて、母として

尊敬してると言ってくれて…


淡々と大人になってきた娘だけど、

私にとって、大きな支えだった、と

今になって思い知る。


大学生になってから、いろいろなことを

自分で決めて、自分で行動して

逞しさもでてきた。

社会人としては、世間知らずで

本人も私も不安だけど、

いろいろなことを吸収して成長するはず。


人間的に私の方が未熟なくらいなんだけど、

その分、人生で学んできたことは、

出来るだけ伝えるようにしてきた。


あとは自分を信じて、自分らしく

生きていってほしいと思う。


ドラマ2本か映画1本観てる間に

行き来できるから、またすぐ会おうね。


娘も淋しがっているのは知っていた。

だから、私があまり淋しさを見せたり、

泣いたりしたら、辛くなるのは娘。

親が「淋しい」を出しすぎると娘は

罪悪感にかられるのを、私自身が経験

していたので、そこは敢えて

今後への希望と、いつでも会える、と

本当につらくて、心が耐えられなくなりそうだったら

いつでも帰っておいで、と伝えてこの日を迎えた。



駅で見送る娘の姿は、頼りなげにみえたけど、

きっと、自分の力で成長していくだろう。

これまでとは違う形で、ずっとずっと応援していくよ


私の娘として生まれてくれてありがとう。



帰りの新幹線にて…。







新居と、周囲の町並みを気に入った様子。

私を見送ったあと、銀行やら郵便局やらで

いろいろ手続きを済ませ、散策している動画が

送られてきた。

楽しげな様子にホッとした。



東京はもう春



運勢の低迷期…を感じるこの頃。

仕事に於いて、いろいろな試練や

課題がやってくる。


今、低迷期だな、とか下降してるな、というのは

自分でよくわかる。


最近もそんな感じで、相次いだトラブルに凹んだ。



でも、何に凹んでるのかと言ったら、

良くないことが起きたからじゃないんだな、と思う。


自分のスキル不足や弱さ、苦手さ…つまり

自分の至らなさで、事がうまく回らなかったり、

あらぬ方向に転じたりして「良くない事が起きているように見える」んじゃないかな。


好調期なら、やってこないであろう出来事が

やってくるのかもしれないし、自分の判断も的確にできたりするのかもしれない。


でも、そういう時は、うまくいってることに

満足して、自分の不足に気づかないままに

なってしまう。


低迷期は、「良くない事」を通して自分の弱さ、

力量不足に気づけるし、それを補う時なんだ…と

考えれば、それはそれで必要だなと思う。


不足を補い力をつけていけば、

自分は成長できそうじゃないか…とか思うと、

逆に前向きになったりして。



10年くらい前、とある有名な占いで

12年に一度の大低迷期にあった私は、

身の回りに起きる良くない事を全て

「今はそういう時だから、こうなっている」

と思ってやり過ごしていた。


良くない事には、いろいろな種類があって、

ただ単純な不運は「そう言う時」で済ませられる。


でも、自分に原因がある時は凹む。

そして自分を責めて、さらに落ち込み、自信をなくす。


それをそこで終わらせずに、

自分の弱さや不足に向き合えば、

良くない事は、自分を成長させる種になる。


わかっていたことだけど、改めて腑に落ちる。




起きている事実に、良い悪いもなく、

それをどう捉えて、どう行動するか…

すべては自分次第。


この考え方にはずいぶん救われてきたけど、

本当に、そうだなーと、思う。


不足を補うための行動を起こさなきゃ。