加害者と被害者の関係(加筆)
テーマ:ブログ13年もの時を経て、
山口県光市母子殺人事件の被告に死刑判決が確定しました。
何度スタジオでこのニュースを伝えたことでしょう。
関係者の皆さんの痛みを想像し、
噛みしめるように原稿を読んだことを思い出します。
2008年4月、広島高裁での差し戻し控訴審での判決が
言い渡される直前に
毛利甚八さん(漫画「家裁の人」原作者)が
大変興味深い記事を書かれました。
事件から8年(執筆当時)、
高裁に逆走となったために、
拘置所に留め置かれたまま裁判を受けてきた被告には、
贖罪教育などは行われなかった。
被害者遺族に対して真摯な謝罪ができるような教育が行われなかった
現在の司法制度に問題はないのか?
といった点を指摘をされています。
育ち直しの歌:少年院から/14限目 光市母子殺害事件
毛利甚八 (土曜文化) - 毎日jp(毎日新聞)
(すみません。リンクが切れているので、検索していただけますか。)
この記事を読んで以来、
加害者にきちんと向き合えるのは誰だろうかと考えてきました。
どのような結果になろうと、加害者とともに受け止めるのは、誰だろうか。
加害者の周囲は、その役割を果たそうとしたのだろうか。
広島高裁での差し戻し審では、
弁護団が被告に殺意はなかったことを示す
『荒唐無稽なストーリー』を展開し、バッシングを浴びました。
弁護側ですから、
死刑を回避させるために動くのは当然のことではありますが、
「乳児の首に蝶々結びをしただけ」
「優しくしてもらいたくて抱きついた」など、
そこに被害者遺族への配慮は感じられませんでした。
一方、ご遺族の本村洋さんは、犯罪被害者の会を設立。
「判事被害者の権利」について、世間に広く問いかけ、
犯罪被害者等基本法の成立に尽力されました。
本村さんが被害者の心情を吐露することで、
世間の理解はずいぶんと深まったと思います。
声をあげられなかった多くの犯罪被害者たちも
どんなに救われたことでしょう。
被害者救済の活動を続けながら、
一貫して被告の死刑を望んできた本村さんも、
この13年間「死刑について、社会正義について悩んだ」と
今日の会見で語っていらっしゃいました。
「大変満足しているが、喜びの感情は一切ない。
厳粛な気持ちで受け止めないとならない。」
本村さんはきちんと受け止めようとしている。
加害者が犯行を認めているのに、
周囲は「死刑か、回避か」に条件を当てはめ、
真の謝罪へと導くことができなかった印象が残った裁判。
結局、被害者自身が根気強く訴えていくことでしか
加害者の反省と謝罪に辿り着けないのではないかと
感じさせられました。
日本は法治国家として社会は法の基に成り立ち、
そして極刑を死刑においているけれど、
現実に「贖罪と死刑」の重みを受け止めているのは
本村さん一人になってはいないだろうか。
加害者に更生のチャンスを与えるべきか。
被害者はどこまで耐えなければならないのか。
被害者が本当に望んでいるものはなんなのか。
そして、加害者を『救う』とはどういうことなのか。
本当に必要なのは、贖罪であるべきで、
本村さんはその果てに「死刑」を選んだ。
この道のりを忘れてはならない。
この苦しみを社会で受け止めなければならない。
向き合うのは、
加害者と被害者だけなんて、学びがないではないか。
そして、加害者がこの世にいる間に、
本村さんの望む真の謝罪が得られることを心から願います。
それが加害者を『救う』ことにも通ずると信じています。

















