人生最初の転機〈2〉

テーマ:

ある日、私はクラスメイトの子に話しかけられた。
なんでも、落とし物をしたから、見つけたら教えて下さいの張り紙をどこに張ったらいいか、との相談だった。
私は一瞬、
「どうして私に訊くの?」
と思った。
そりゃ、生活委員長だからなんだろうけど、それにしてもなんで?と。
私はしばらく思考回路を止めたが。
生活委員会というのは、落とし物の管理をするのだ。
だからと言って、張り紙をしていいかなんてわからない。
その時何て答えたか忘れてしまったけど、改めて、生活委員長って大変なんだなぁと思った。

 

ちなみに私は、吹奏楽部に入っていたので、部室は音楽室。
部活をしている音楽室は、私のシェルターのようなものだった。
生活委員長がちゃんとやっていないと、責められる私の逃げ場所だった。
ごくたまに、そこまで押しかけてきて、
「靴下の色はどうして白でないといけないのか」
とか言ってくる人がいて、参ったけど。

 

あと、生徒会室がシェルターになったこともあった。
掃除の時間だった。
女子はほうきで教室の床を掃き、男子はぞうきんがけ、というのが、私のクラスの主流になっていた。
だけど、私はいつも出遅れてしまい、私の分のほうきはなかった。
かと言って、一人だけ男子に混じってぞうきんがけなんて、それこそいたたまれなかった。
なので、鉢植えの手入れとかしていたんだけど。

ある日、女子達に言われた。
「掃除、協力してよ」
何言ってるの。
私をのけ者にしているのは、あなたたちでしょう!
その日から私は、掃除の時間は、生徒会室の掃除をするようにした。
そんなことがきっかけで、他の委員会の委員長とも親しくなれて、それはよかったな。

 

よくなかった思い出と言えば。
生活委員会は、時々アンケートを取った。
学生服は標準かとか、学校に余計なものを持って来ていないかとか。
過去の委員長は、最後に
「生活委員会への要望をどうぞ」
と、一言書いたが、私は書かなかった。
だって、さんざんいろいろ言われたから、これ以上はこりごりだった。
それでも、「要望」という欄を勝手に作って、
「もっとしっかりして下さい」
みたいなことを書いてくる人は少なくなく、これには舌を巻いた。

 

そして。
生活委員長の肩書きが仇になった最大の事件といえば。
文化祭が近づいて、生徒会や部活が最大限に忙しかった時期に、国語の宿題を忘れてしまったことがある。
宿題を忘れた子は、十数人いたけど、怒られたのは私だけだった。
生活委員長が宿題をしないとは何事だ、という趣旨だった。
担任に怒られ、国語の先生に怒られ、クラスメイトに怒られ、両親に怒られた。
宿題をしなかった私が悪いのだけど、その時の私は、
「他の子は怒られていないのに、宿題ができなかったことは、そんなに悪いこと?」
と、泣きながら思った。

 

もう一つ。
バレーボールのクラスマッチが近づいて来た頃。
みんな、最後のクラスマッチだから、力が入っていた。
体育の授業が終わっても、誰一人として教室に戻ろうとせず、練習を続けた。
おかげで、次の授業、確か数学の先生が教室に入った時、教室はもぬけの空だった、ということがあった。
その時も、私が真っ先に先生に怒鳴られた。
生活委員長だったからだ。
体育委員副委員長もいたのにだった。
学級委員だっていた。
体育委員とは別に、体育係だっていた。
なのに、なぜ私が?
私は内心、
「早く教室に戻らないと、次の授業が始まっちゃうのに」
と、心配していた。
言えないのは、私が小心者だったから。
その私が、四十五人のクラスの中で、一番悪いっていうの?
他の、数学なんかどうでもいいと思っていたみんなの方が正しいっていうの?
この時も私は泣いた。

 

そして、十二月。
一年間たっぷり泣いて過ごした期間も終わり、生活委員長の座を、二年生に譲った。
最後の、委員向けのアンケートには、みんなそろって、
「委員長はもっとしっかりしろ」
ということを書いてきた。
特に、私と同じ三年生が、
「今後はああいう人に委員長になってほしくない」
と書いてあるのを見た時は、
「じゃ、あなたがやればよかったじゃない!」
と思ったことを覚えている。

 

そして、私は決めたのだった。
これからは、人の先に立つことはしないでおこう。
窓際族が、私に合っているのだ。

それまで、先に立つことばかり考えていた私が、考えを180度替えた、人生最初の転機でした。

 

AD