つむやんの肌がどんどん酷いことになっていった2013年の5月、6月。

私たちはある決断をしました。
つむやんの北海道移住です。家族はそれぞれ仕事もあり皆で行くわけにはいかないので、つむやんを北海道の実家に預けることにしたのです。

最初実家の親からつむやんを預かろうかと申し出があったときには、自分が側にいてあげなくてはという思いもあって断りました。でも当時どんどん悪化する一方のつむやんを見ていて、一体これはよくなる過程での悪化なのかそれとも間違った方向に進んでいるのか、素人には判断する術もなく、本人のみならず私もすっかりまいってきていたので、唯一頼れる漢方先生の診察がすぐに受けられる場所にいたほうがいいという結論に至りました。

もちろん本人は最初かなり嫌がったのですが、いつでも漢方先生に診てもらえることなどのメリットを説明し、渋々ながら納得してもらいました。おそらく本人も相当しんどかったのでしょう。

とりあえず良くなるまで、というあいまいな状態で北海道に向かったのですが、幸い学校の先生方も理解してくれたので、北海道の学校に転入することもできました。

なんとその学校、全校生徒が11人!
つむやんのクラスは3、4年生合同で3人という家庭的な学校でした。

クラスメイトの子たちも、つむやんは顔まで腫れたひどい状態で転校して来たのに自然体で接してくれて、この学校に入れたのは本当に運がよかったなあと思います。

あと正直なところ…

つむやんが北海道に行ったことで、確たる根拠もなく自分ですら半信半疑の脱ステロイドについて周囲に説明しなくてもよくなったのは私にとってとてもありがたいことでした。
やはりもとのステロイドでコントロールしていたころのつむやんを知っている人たち、たとえば学校の先生やあまり事情を知らない知人にとっては、突然漢方で治療をすると言い出したかと思えばこの悪化ですから、皆さん善意から心配してくれるわけです。

学校の先生はとても親身になってくれましたが、授業中もかきむしりつづけていてかわいそうでとても見ていられない、とも言っていました。健診でも学校医の方にこれはもうやめたほうがいい、と言われたそうです。

迷いながらもステロイドをやめる道を選んだ者にとっては、そんな言葉ひとつひとつがとても重かった。周囲の、かわいそう、という目にたいして毅然と説明できるだけの自信もないのですから。

というわけで、つむやんが自分の目の届かないところに行くのは心配でしたが、そのことで私がかなり精神的負担から解放されたのは事実です。

周囲の方の善意からの心配はそれでもまだありがたいものでもありますが、医療関係者の方の無理解は本当に深刻です。

あきくんの乳児湿疹に対してちゃんと皮膚科に行けだとか一日三回洗ってそのたびに保湿剤を塗れだとか、これももちろん善意からなのでしょうが、そのようなことを言った保健師さんもいました。あきくんが最初に行った一般の皮膚科では年単位でステロイドを塗るようにと指導されました。

本来子どもたちの湿疹にはステロイド治療以外の選択肢もあって然るべきなのに、まるでそれしか治療方法はないというような、それを選ばないことは治療の放棄であるかのような。こんな世間の風潮が、ただでさえ過酷なステロイド離脱をさらに険しいものにしていると思えてなりません。



さてさて、愚痴はこれくらいにして。

北海道に行ったばかりのつむやんの状態をみて、実家の母(つむやんばあば)は全身やけどのようだ、と驚愕したそうです。私は最初の一週間ほど一緒にいて、つむやんを残して東京に戻ってきたので、その後は、ばあば、じいじ、あと私の妹、実家の面々が交代でかゆみで眠れないつむやんに付き合ってくれました。

そして1カ月少し経って。

7月の終わりに私がまた北海道に行ったときには、なんとつむやんの状態がかなり改善していたのです。

その間のことを母に聞いたところ、基本漢方薬と処方された抗生物質を飲みながらですが、全身やけどのようなジュクジュク状態を脱するのにとてもよかったのが酸の湯という温泉水だったそうです。

これも運がよいことに、母の知り合いに凌雲閣という温泉旅館の方がいて、毎日酸の湯という温泉水を焼酎の空きボトルにたくさんつめて持ってきて下さって、つむやんはそのお湯をベビーバスにはって毎日浸かりました。傷によいという酸性のお湯なのだそうで、殺菌力があったのかもしれません。

肌の状態が一番酷かったときは、ぬるいお湯に浸かっているときが一番楽だったようです。ただお風呂あがりにはいっきに乾燥するのか、すさまじい勢いでかゆがって大騒ぎになるのですが…

保湿剤としては処方されたヒルドイドソフトなどのほかに、本人はホホバオイルを気に入ってよく塗っていたそうです。

そんな1カ月を過ごして、ひとまず肌の傷がふさがり汁が出ることはなくなりました。その後顔からだんだん元に戻ってきて二重と眉毛が復活し、夏休みが終わって北海道の学校に戻ったときには先生に「こんなお顔だったんだね!」と驚かれました。顔はもともとステロイドはほとんど使わずときどきプロトピックを塗る程度だったので治りが早かったのかもしれません。

ひとまず少しよい方向に進んだことには安心しましたが、ジュクジュクが治まったあとの肌は色素沈着が残って紫がかってしまいました。皮膚自体分厚くなった感じで首にもお腹にも変なシワがたくさんあり、お尻などもまるで象の足のようでした。そして相変わらずかきむしっては皮膚片が大量に落ちていました。

つむやんの脱ステ経過のまとめ中ですが、ここで少し息抜きを。


脱ステの話題はほんと思い出していても重くなってしまいますねえ…




さてさて、あきくんのおしゃべりについて。

つむやんのときは「もー!!なんでわかんないのよー!!!!」と赤ん坊に対して理不尽にもキレていた私ですが、さすがに二人目には余裕があり、日本語が赤ん坊にとっては謎言語であるということに気づくことができました。そりゃわからんよね、ほんとつむやんにはいろいろと申し訳ない。


そして日々謎言語で話しかけられたあきくん。順調に一歳半頃からおしゃべりをはじめ、最近は日々語彙も増えています。


基本的に家族のしゃべりをコピーしていくので、ときどき私の口調そのままに。先日はあきくんに冬は寒いねえ、と話しかけたら「よくしってるー」とほめられました。



まあ、そういうのはコピーしてもらって一向にかまわないんですが、なぜかいけない言葉に対する反応がよすぎるのが最近の悩みのたね…


基本つむやんですね、NGワードを教えちゃうのは。


まずは「かんちょう!」

そして「へんたい!」


すっごくうれしそうに笑顔で「へんたい!」と言っています。保育園で連呼しないか心配!!



最後に先日着替え中のあきくんからの衝撃発言をご紹介。




あ…あきくん、何があった!!!


つむやんの肌は当初どんどん赤くなり、いかにもひどいアトピーという状態になりました。

ステロイドのリバウンド問題に対して一般的な説明は、これまでコントロールしていた症状が一度に出るから悪化したように見える、ということだと思います。ステロイドをやめたあとの悪化が、このひどいアトピーという状態でとどまればそれもそうだと納得できるのですが、この後明らかにつむやんのもとのアトピーにはなかった症状が出ました。皮膚が裂けて汁が出てくるのです。

ステロイドをやめて一ヶ月ちょっと。5月頃からその状態になりました。

首や膝裏、あともともと湿疹もあまり出ずステロイドをそんなに塗ってもいなかったお腹まで、裂けて汁が出てきてしまいました。その汁が固まっては粉になって落ち、また汁が出てのくり返し。身体全体にもジュクジュクした部分が増え、大量に皮膚がむけて落ちていました。むけるたびに次こそ下からきれいな皮膚が出てくるにちがいないと期待するのですが、同じことがくり返されるばかりで、悪化の一途をたどりました。

本人は歩くのも痛い、と言いながらそれでも首や関節部分に布を巻いて学校には行っていたので、頑張っていたんだなと思います。でも当時は私も余裕がなくて、その頑張りをほめてあげることもできませんでした。

その頃、つむやんの友達のおじいちゃんが何気なくつむやんの頭をポンポンと軽くたたいたときに、つむやんが痛ーい!と叫んで泣き出したことがありました。そんな軽い刺激でも首の裂け目が痛かったのです。

身体中がかゆい上に裂け目は痛いので、体育などできるはずもなく、運動会は先生方の配慮で、保健の先生のアシスタントという名目でテントの中から見学していました。とにかくお風呂と夜寝るのが大変でした。あとはかきむしったため、背中にばい菌が入って大きなおできのようなものができてしまいました。それをとても痛がっていたのも覚えています。

身体全体も赤くガサガサした感じから、ジュクジュクした部分は紫色がかった感じになっていました。そして唯一きれいなままだった顔までもこの頃にはカサカサして腫れた感じになり、もともとぱっちり二重まぶただったつむやんが完全な一重まぶたに、さらにかきむしったためか眉毛と髪の生え際がだいぶ薄くなり顔の印象もだいぶ変わっていました。

次は夏休みに帰省したときに受診する予定になっていましたが、あまりの悪化に急遽5月と6月にも北海道に行き漢方先生に診てもらいました。

先生もこれはよくない、ということで、漢方薬の処方もよりかゆみや炎症を抑える成分が強いものに変更、あと抗生物質も飲むことになりました。漢方先生はもともとは西洋医学の出身なので、必要に応じて西洋医学の薬も出してもらえるのはとても心強かったです。

ただ、6月までの2ヶ月間、こうしてまとめるとなんだかあっという間ですが、どこまで悪化するのかという不安とかきむしって眠れない時間との闘いで、毎日のようにステロイドをやめなければよかった、やめるにしてももっと徐々に減らせばよかった、と後悔しつづけていました。

夜中に泣きわめくつむやんに、じゃあもうステロイドで治すか、とも言ってしまいましたが、本人が泣き泣きこれまでの努力がムダになるのは嫌だと言ったので、私も思いとどまったということもありました。

結局母のすすめで脱ステロイドを始めたということもあり、私は親として覚悟を決めないままだった。そのため自分のほうがパニックになり、つむやんに余計な精神的負担を強いてしまったなといまさら反省するところです。

本当は私はどんと構えて、大丈夫だよ、よくなるよ、と言いつづけてあげられていたらどんなによかったか。

私はそんな根性なしの親でしたが、こんなに悪化してしまっては、またもとの肌に戻すのにふつうの皮膚科ではどれだけステロイドを使うのか、それを考えると根性なしとしては今さら脱ステロイドをやめるわけにもいかず、前に進むしかない、でもその前が見えない、そんな心境でいました。