『勝ち続ける意志力』

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勝ち続ける意志力 (小学館101新書) 勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

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変化なくして成長なし

・僕にとっての正しい努力。それはズバリ、変化することだ。

 昨日と同じ自分でいない――。

 そんな意識が自分を成長させてくれる。

 (中略)

 しかし、多くの人は、変わることと前へ進むことは別だと思っているだろう。確かに、自分を変えることは不安だし、変化した先に勝利があるとは限らない。けれども、変わり続けていれば必ず前へ進める。

 変化したことで失敗したり、後ろに下がったりしたときは、もう一度変化すればいい。失敗に気づいて変化すれば、以前の自分よりも必ず高い位置に行ける。

 一歩後退しても、その後退には意味があり、それがきっかけで二歩進む方法が見えてくることもある。

 変化を続けていれば、きっと正しいことが見つかる。また、正しくないことが見つかれば、その反対が正しいことだと分かる。だから、前へ進める。

 成長というのは、とにもかくにも同じ場所にいないことで促進される。(p84)

 


まずは変化すること

・自分を変えるとき、変化するためのコツは、「そうすることで良くなるかどうか迄考えない」ということだ。もし悪くなったとしたら、それに気づいたときにまた変えればいい。

 とにかく、大事なのは変わり続けることだ。

 良くなるか悪くなるか、そこまでは誰にも分からない。しかし経験から言うと、ただ変え続け るだけで、最終的にいまより必ず高みに登ることができる。

 もちろん、変えたことで初めて変える前の良さに気づくこともある。そんなときは、両方のいいところを合わせた形でさらに変化すればいい。(p100)

 

・失敗ばかりを恐れ、何もしないというのが一番いけない。

 ひとつ、仕方がないとはいえ風潮として良くないと感じるのは、世間が結果のみ評価するということ。

 失敗を許さない不寛容の空気は、僕も感じることがある。誰だって、落伍者の烙印など押されたくない。

 (中略)

 そうやって計算しながら進む方が近道だと思っている人が多いのかもしれない。世渡りが上手いとか、要領がいいと言われる人がそうだろう。

 しかし、僕の経験から言えば、それは間違っている。失敗をせずに前進できることなんてほとんど稀だった。何かを恐れ、回避し、ごまかしながら前進したとしても、上に行こうとすれば、ほとんどの場合い回避したはずの壁に結局ぶち当たらざるを得ない。ぶち当たるというか、その壁を超えなければ結局上に行けないような仕組みになっているのだと僕は感じて居る。

 だとしたら、自ら足を踏み出し、どんどん失敗していった方が、よっぽど効果的だし、より高い場所へ行ける道だと考えている。(p103)

 

 

人の目を気にするということ

・人の目や世間体を気にする人が多過ぎると思う。もちろん、ある程度の常識や礼儀、相手を敬う気持ちは大切だと思う。とはいえ、自分の人生にそれほど影響のない人の気持ちまで気に掛けていたら、自分らしい振る舞いなどできるはずがない。

 (中略)

 これまでの経験から、諦めなければ結果が出るとは言い切れない。だが、諦めずに続けていれば人の目が気にならなくなる日が来るのは確かだ。そして、人の目が気にならない世界で生きることは本当に楽しい、と確信を持って断言できる。

 努力を続けていれば、いつか必ず人の目は気にならなくなる。

 僕もこの2、3年で、人の評価や結果は一過程のもので、それよりも自分がやっている努力の方が遥かに尊いと思えるようになった。自分の取り組みが正しいのか、正しくないのか。そこで煩悶してしまうのは、まだ自信がなかったからだ。それでもめがずに、強い意志を持って続けていくと、

「正しくないかもしれないけど、俺はこれでいい」

 そう思える日がやってきた。

 いま、そのことを実感している。だから、毎日がすごく楽しい。おそらく、これまでで一番楽しく生きていると思う。好きなことに打ち込めているし、何より人の視線や評価を気にせず生きている。あるいは、そこが僕の一番成長した部分かもしれない。(p108)


機が熟すのを待つ

・僕はいま、ちょっと遅めに世の中に出るくらいがちょうどいいのではないかとさえ思っている。「アイツは力があるのに、なかなか認められない」と噂される人の方が、いざ表舞台に出たときに堂々と戦える。「どうぞ向かってきてください」という心の準備ができている。つまり、自信を持って勝負することができるからだ。

 それに、実力に見合った出方をしないと、たいていの人は勘違いを起こしてしまう。満足してテングになってしまうのだ。その一方、潜伏期間が長い人は出てきたときの爆発力があるし、苦労しているぶん簡単には自分を見失わない。気持ちの持ち様も含めて、実力が備わっていて、常に感謝と努力を忘れない。

 いつの日か必ず訪れる、その日を信じて待つこと。そして目的と目標を明確に分けて、日々の生活・成長に少しずつの幸せを見つけること。そのようにいられる今日の生活を、僕は1日1日噛みしめるように生きている。(p200)

 

 

階段を5段ずつ上がればいい

・僕は計画性がないからそう思うだけかもしれないが、あまり大きな目標を立てず、目の前のできることのみに集中していれば、ふとしたときに信じられない高みにいることに気づく日が来るだろう。(p207)

 

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友人のテンションで気づいた「自分の言葉」を引き出す視点

・「あなたにこれを、どうしても教えたい!」という視点です。(p27)


「人を動かす伝え方」には3つの大きな勘違いがある

・言葉で人を動かすことは、決して数多くのテクニックを習得した「プロだけのワザ」ではありません。(中略)

 あなたを"動かした"のは、会話のテクニックではありません。空いたがもともと影響力を備えた人だったからでもありません。言葉は拙くとも、彼らの言葉に共感したり、驚いたり、おもしろがってテンションが上がった自分がそこにいたからです。

 これこそが、人を動かす力の本質です。

 そして、言葉にそのような力を与えるのが、「教えたいこと」という視点なのです。

 (中略)

 しかし、「教えたいこと」と聞くと、ただ自分が「言いたいこと」を話せばいいの?と考える方もいるかもしれません。でも、「言いたいこと」と「教えたいこと」は同じように見えて微妙に違います。(p45)

 

 

あなたが「言いたいこと」は、私にとっては「マジどうでもいい」

・「教える」というのは、「自分が教えたい」ではありません。「あなたに教えたい」なのです。

 一人称ではなく二人称。これを知らないと「言いたいこと」を話すだけになり「マジどうでもいい」から抜け出せなくなってしまいます。(p50)


「教えたい」は、「言いたい」と「認められたい」の中間視点

・そもそも「教えたい」という感情は、本音がベースでないと決して湧き上がってこない感情です。

 この本音を抑えてまで「認めてもらおう」と考えてしまうから、自分が思っていることをセーブしたり、相手の枠の中に収まろうとしたりして、自分が消えてしまうのです。

 本音を残したまま、相手の事を考えて「教えたい」ことを話す。

 これなら、自分本位ではないけれど、自分の主観が自然と織り込まれる。どこか借りてきたような無味乾燥なレンタル言葉ではなく、しっかり”あなた”を感じられる。このとき初めて、人を動かす力を持った言葉になるのです。そして、これを無理なく自然に引き出すことができるのが「教えたいこと」メソッドなのです。(p56)

 

・「教えたいことは何か?」という視点で自分の中から言葉を引き出せば、これまでとまったく違う言い方ができるようになります。(p64)

 

 

「本当に教えたいこと」を書いたら、読者に「人生が変わった」と言われた

・教えたいことで人を動かすということは、その人のためにもなりますが、何より、自分自身が幸福でいられる、ひとつの方法論とも言えるのです。(p71)

 

 

人を動かす「自分の言葉」を引き出すメソッド

・手順は非常にシンプルで、大きく3段階に分かれます。(p75)

 

ステップ1 「自分の言葉の作り方」を身につける
  感情の「震源地」に目を向ける

ステップ2 「相手を動かす言葉の選び方」を身に付ける

  誰に話すかによって、話すポイントを決める

ステップ3 「言葉の力を強くする方法」を身に付ける

  なぜ「教えたい!」と思うのか、理由を付け加える

 


ステップ1 「自分の言葉の作り方」を身に付ける

・自分の言葉を作るためには、概要を伝えることよりまず、自分の感情が揺れた「震源地」を、自分で明らかにすることが大切です。(p79)

 

・「あらすじ」を付け加えてみましたが、大切なのは、「教えたいこと」→「状況整理」という順番で考えることです。左記に状況整理をするのは御法度なんです。(p81)

 

 

ステップ2 「相手を動かす言葉の選び方」を身に付ける

・「自分の言葉」を発信したいとき、「切り口を変えよう」「斬新な切り口を探そう」と考える方は多いようです。でも、「切り口」のイメージはなんとなくわかっても、どこかぼんやりしていて、「切り口切り口……」と呪文のように唱えるだけになってしまいがち。

 そこで、「切り口」という言葉をやめて、「誰に教えたいのか?」という楔(くさび)を打つことで、視点をはっきりさせていきましょう。

 たとえば、いつも同じようなコメントになってしまう、たまには違うことを言いたい、と思ったら、「教えたい人」を変え、違う人を想定してみましょう。これだけでびっくりするぐらい多くの要素が身分から出てきます。(p111)


ステップ3 「言葉の力を強くする方法」を身に付ける

・教えたいことを引き出すために、最後に知っておいていただきたいことがあります。これはとても重要なことです。

 それは、「教えたいことは、なんでもいい」「不正解はない」ということです。

 自分が「あ、これを相手に教えたら喜んでもらえるかな。共感してくれるかな。びっくりしてくれるかな」と思ったこと、それが「教えたいこと」です。それだけでいいんです。(p120)

 

 

教えるつもりで学ぶと、インプット効率が格段に上がる

・これから何か勉強する人は、「今自分が学んでいることの、どこを人に教えようか」という視点で情報を吸収してみてください。そうすることで、自分の勉強観が変わります。そういう視点を持つだけで、何倍も楽しく、しかも自分の視点から情報をまとめることができるようになります。

 自分の経験を振り返ってみても、普通に勉強したところより、人に教えたところのほうが、記憶がしっかり定着しています。もちろん当時はまだ「教えたいことを思い浮かべれば勉強に役立つ」なんて明確にとらえてはいませんでしたが、結局はそうなっていました。

 そもそも、人は、ただ話しを聞いたときより、それを教えたときの方が、圧倒的に情報が定着します。あるアメリカの調査機関によると、「話しを聞くだけ」では、講義内容の知識定着率が5%しかなかったのに対し、「ほかの人に教えた場合」は、知識定着率が90%もあったようです。(p128)


まわりの人に、自分の意見をもっと提案してほしい

・なので、表現を変えます。チームが抱えている課題や改善点、部下が感じているとを吸い上げやすくするために、部下に「教えたいこと」を問うのです。

 たとえばこんな言い方ができるでしょう。

「現場から見たチームの改善点とか、目に付いたことを教えてもらいたいんだけど、どんなことがある? オレ、最近現場出てないからわかんなくて」

「教えてもらいたい」という姿勢は、相手との心理的距離を縮めます。情報を引き出すという意味では「何かあったら言って」と同じことです。でも相手が受けるニュアンスが大きく異なります。

 このように問いかければ、部下も話しやすくなります。メンバーが意見を言いやすくなれば、チームにとって必要な情報がどんどん集まるのです。(p152)

 

 

タイトル「○○さんの意見を聞いてみたい」と言われる存在になりたい

・社内で「あなたの意見を聞いてみたい」「○○さんに相談してみれば?」と言われる、信頼されている人がいます。

 仕事中に、上司や同僚が、あなたに意見を求めてくる。そんな存在になるためには、「自分の言葉」が不可欠です。

 しかしここで、ジャッジ&ダメ出しをしてしまう人がとても多いのです。「これについて、どう思います?」と相談されると、ついつい自分が思う”正解”を押し付けてしまう人がいます

 でも、相手があなたに相談をするのは、「正解を教えてほしいから」ではありません。人が「意見を聞いてみたい」と相談を持ちかけるのは、その人が違う視点を提供してくれるから。気づいていなかった点を気づかせてくれる、と期待するからです。(p154)

 

・「そのビジネスプランではうまくいかないと思うよ」と伝えていることには変わりありません。でも、ジャッジしているのではなく、ぼくが彼に「教えたいこと」を伝えただけです。もしそうしていれば、彼は改めて考え直したプランを持って「また意見を聞きに来た」とやって来たでしょう。

 会社内でも同じです。「この企画書、どう思います?」「あの提案について、意見を聞かせてください」と相談されたとき、”ジャッジ”を避け、「教えたいこと」を伝えるようにしましょう。

 これまでのやり方で、自分の言葉を言うようにすれば、それだけで相手とは違った視点を提供していることになるのです。(p156)


「今度詳しくお話しを聞かせてください」と言われる自己紹介をしたい

・「富士フイルムで企画の仕事をしています。まだ社内で誰も見向きもしてくれないどころか、謀反者扱いされるデジカメの事業で、毎日四苦八苦しています」

 こう話せば、「新規事業は大変ですよね(苦笑)」「やっぱりデジカメの事業がこれから伸びそうですか?」など、まわりがリアクションしてくれそうです。

 自分の仕事・商品について「教えたいこと」を話そうとすると、どうなるか試してみてください。

 あなたの仕事・商品のこれを教えたい! と思うことは何でしょうか? ちょっとした自慢話かもしれません。誇らしく感じていることかもしれません。

 でも、相手に興味を持ってもらえる話につなげられるよう工夫すれば、ちょっと自慢が入っても、相手にあなたの印象は残りやすくなるはずです。(p160)

 

 

お店のコンセプトを発信して、「ファンになりました」と言われたい

・お店や会社のファンになってもらいたい場合、一方的に自分のこだわりを言うのではなく、「お客様のためにこれを教えたい」という点に絞って伝えることが大切です。(p164)


「私も今度買ってみよう」と言われるプレゼントを贈りたい

・もともとその商品に精通していなくても構いませんし、買いに行ったそのお店で初めて知ったことでもいいんです。自分が品物を選びながら、「あ、これはおもしろい!」と感じたポイントを「じつはこれ、○○らしいんです」とひと言添えるだけで、受け取った側の気持ちはかなり変わります。

 同じ品物でも、こういうコメントがついていると、まったく印象が変わります。相手が好む品物を選ぶのではなく、相手に教えてあげたいことを添えて、一緒に楽しむことができたら、最高だと思いませんか?(p174)

 

 

「もうちょっと話したいな」と思われる楽しい雑談がしたい

・その場その場で相手から教えてもらいたいことを聞きます。自分が相手に興味を持ち、「それ、おもしろい! もっと教えて下さい」という姿勢で質問したら、気を悪くする人はいません。相手も抵抗なく話してくれるでしょう。

「教えたいこと」で話し、「教えてもらいたいこと」を聞く。細かいテクニックはいりません。これだけで、「もうちょっと話していたい」と思われる雑談ができるようになります。(p180)

 

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『悩みどころと逃げどころ』

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三大屈辱語

ちきりん 本文物差しの是非について考える人は、学校エリートにはなれないです。与えられた物差しに疑問を持つヒマがあったら、その物差し上で一番大きな数字をたたき出そうと頑張るのが学校エリートだから。

ウメハラ でもそういう人だって、実は早くから「ほんとにこの物差しでいいのか?」と、うすうす疑問を感じてたってことはないですか? 目をつぶって生きてきただけで。(p94)

 

 

プロセスを評価する

ちきりん (中略)とはいえ、そこまで「結果じゃない、プロセスなんだ」っていうのは、やっぱりウメハラさんのような立場だからこそ言えるような気も。

ウメハラ そんなことはないです。だって競争である限り、全員が勝者になれるわけがない。でしょ? もし結果がすべてだとしたら、大半の人、つまり敗者はどうなるんですか?

ちきりん 確かにそうだけれど……。

ウメハラ 大事なのはまっすぐに戦うこと。それで勝てればもちろん素晴らしいけど、負けてもいいんです。戦い方において自分に恥じる事がなければ、負けても堂々としてればいい。例え負けても、その戦いによって、自分がどれだけの者として生まれてきたのか、自分の立ち位置や、自分のやってきたことの価値がわかるんですから。(p98)

 

 

思考停止のための呪文

ちきりん ところで私たちは、どっちもやりたいことをやれているから「いい人生」だと思ってるでしょ? ってことは、やりたいことがやれないと、いい人生は手に入らないのかな?

ウメハラ そんな事はないでしょう。もちろん一度しかない人生、やりたいことをやれたらすばらしい。でも世の中には、何らかの事情でやりたいことを選べなかった人もいれば、やってはみたけど、うまくいかなかったという人も居る。でもその人たちの中にだって、「いい人生」を送れてる人はたくさんいるはず。

 (中略)

ちきりん 言いたいことはわかります。だとすると、「やりたいことは成就できなかったけど、いい人生だった」と思える人の条件は何ですか?

ウメハラ ひとつは、自分で人生を決めたっていう納得感があることかな。

 (中略)

ちきりん 既製品の「いい人生」を選ぶ理由として、妻子、年老いた親、住宅ローンとかを言い訳に使うからわかりにくくなるんです。

ウメハラ でも家族のために夢を諦めるって自分で決めたなら、それはそれで自己決定した人生ですよね?

ちきりん ​​​​​​​ちゃんと考えてそういう結論に達したなら、そうです。でもね、そいういう呪文みたいな言葉、たとえば「家族のため」とか「親のため」という言葉を唱えると、思考停止に逃げ込めるっていうのもまた事実だと思うんです。

ウメハラ 呪文か……。

ちきりん ​​​​​​​思考停止を正当化できる呪文。それさえ言っとけば、それ以上なんもかんがえなくていい、みたいな呪文。でもそうやって大事な場面で思考停止に逃げ込んでしまうと、自分自身と向き合えないままになってしまう。家族はもちろん大切です。だからって、自分は本当は何をやっていきたいのか、それをうやむやにして「いい人生」はあり得ない。

ウメハラ つまり自己決定の前に、誠実に自分自身と向き合って考え尽くしたのか、ってことが大事なのかな?

ちきりん ​​​​​​​自分と向き合うって、言葉は簡単だけど難しいんすよね。「これは本当に自分の意思なのか、世間がそれがいいと言っているから、そっちを目指しているだけなんじゃないか」って、常に迷いがつきまとう。

ウメハラ しかも自分で決める事がつらいとか怖いって人もいるでしょうね。自分で決めることが、思考停止に逃げ込みたくなるぐらい怖いという人。

ちきりん ​​​​​​​そうですね。人生に正解があると考えてる人の場合は、自分で考えるより誰かに正解を教えてもらいたいって発想もありそう。

ウメハラ でも自分と向き合うのを避けてると、どこかでツケがまわってきますよね。その場は逃げられても、「自分が本当にやりたいことは何だったのか」って考える場面が、いつかやってくる。先送りすればするほど、向き合わざるを得なくなったときにはとしをとっているわけで。そのタイミングがあまりに遅すぎると、「今ごろ気づいてももう遅いよ。人生をムダにしちまったな」ってことになりかねない。

そうならないために、いったん思考停止を選んだら、もう一生、施行は再稼働させないんですよ。今さら考え始めちゃったら、もうどうしようもないって気づいちゃうから。そこで唱えるのが「もう自分もいい年だから」って言葉。これもひとつの呪文です。ツラいと(p118)


自分の器をあがいて知る

ちきりん ​​​​​​​ウメハラさんは紆余曲折あったけど、最終的には成功してますよね? もし成功できてなかったら、もしくは今でもプロゲーマーという道が存在しなかったら、それでもゲームを選んだことを「いい人生だった」と言える?

ウメハラ 言えますよ。今、僕が「おまえ、いい人生を送ってるじゃん」と自分自身に向かって言えるのは、もちろん成功したという結果もあるけど、「ココこそが自分の道だ」という納得感があるからなんです。その納得感はたとえ敗北してても、もしくは今みたいに認められてなくても、得られてると思います。

 なぜかと言うと、とことんまで頑張って、あがいてあがいてあがき尽くすと、自分の器というか、”分”みたいなもの、役割とか居場所みたいなものがわかってくるから。

ちきりんどういうこと?

ウメハラ とことんあがくと、自分という人間がだんだん見えてきて、これ以上は高望みなんだなとか、自分はもうここより上には行けないんだなっていう、位置づけが見えてくるんです。もともと運命的に与えられている「自分はこれぐらいの人間なんだ」っていう器の大きさがわかってくるんですよ。

ちきりん その「これくらいの人間なんだ」っていう気持ちに対する納得感が高いことが、「いい人生だ」と感じられる理由になってるのね?

ウメハラ そうです。僕の場合、子どもの頃から自分には格闘ゲームしかないとは思ってたけど、当時はそれが自分に与えられた”器”だと納得できてたわけではないんです。

 ところが一度その道を諦めて、他の仕事までしてあがきまくった末にたどり着いた「やっぱりここしかない」っていう感覚は、子どもの頃の「ゲームしかない」とは明らかに違うレベルの納得感です。そういう、本気出して真剣にあがいた経験を経ないと、このレベルの納得感は得られない。

 (中略)

ウメハラ 今、僕が「いい人生」だと思えてるのは、何年も罪悪感や不安感にさいなまれながら、悩んで葛藤して苦しんだ時期があるこそなんです。そのプロセスを通じて確固たる"納得感"が得られたから、今の生き方に満足できてるんです。

 (中略)

ちきりん 今、私が理解したのは、ウメハラさんほどの人でも「自分はコレで行くんだ」って確信するのが、それほど難しいんだなってことです。

 普通の人は、自分のやりたいことを見つけるのにすごい苦労する。だからやりたいコトを見つけられた人を、とても羨ましいと思ってるんです。そういう立場から見ると、ウメハラさんなんて小さな頃に自然な形で天職と出会えてて、すごく羨ましく思える。

 でも、そうじゃないんだね。私はよく「自分のやりたいことが見つからないんです」っていう悩み相談を受けるんだけど、ウメハラさんがそこまで悩むなら、普通の人がそんな簡単に好きなことを見つけられないのも当然かも。

ウメハラ ゲーム以外のことをやってみたら、俺ってホントに普通の人以下なんだってヒシヒシとわかったんですよね。そして、自分という人間がくっきりと見えてきた。「他の分野で自分の器ってこんなもんなんあな。だとしたらやっぱり格闘ゲームが、自分に与えられた役割なんだな。じゃあもう迷わずゲームをやっていこう。その中で努力して、その中で成長を目指そう」って決めることができました。

 (中略)

ウメハラ 器って成長の限界ってことじゃないんですよ。この器が自分にとっての人生のフィールドで、つまりここが自分の領分で、その中で頑張ればいいんだなと確信できたら、すごく「いい人生」だと思うんです。

ちきりん ​​​​​​​しかもそれは頭で考えただけじゃダメで、実際にアレコレ試してあがいて腹落ちしてることが必要だと。

ウメハラ 頭の中で考えただけでは、後々までずっと「もっとできたハズじゃないか」「やっぱり、あれをやっとけばよかったのでは?」という気持ちが残っちゃいます。(p134)

 

 

学校的価値観からの脱却を!

ちきりん ​​​​​​​ウメハラさんにとっては「あがく」というプロセス自体が「いい人生」に必須のものだったでしょ。でも、あがくなんて時間の無駄だという考え方もあるんです。だって、最初から先生の言うとおりにやってれば、いい学校からいい会社に入れていい人生になるんだから、あがく必要なんかない。学校ってそういう刷り込みをするんです。(中略)

ウメハラ これがホントだとするとすると、成功が得られる場所はあそこだと教えられてて、しかもそこへ行くための一本道もわかってるんだから、”自分で考える”とか、”あがく”みたいな試行錯誤をするなんて、「なに無駄なことをやってんだ」と言われかねない。

ちきりん ​​​​​​​先生だけでなく、親も子どももそういう”苦労”をさせたくないと思ってるんです。「苦労して見つける」より「苦労せず見つかる」がいいと思ってる。

ウメハラ だけど、”自分で考える”とか、”あがく”って、ちきりんさんや僕が一番大事だと思っていることじゃないですか。そもそも学校的価値って……あ、そうか!

ちきりん ​​​​​​​何?

ウメハラ つまり僕たちは、学校そのものが嫌なんじゃなくて、そういう学校的価値観が嫌いだったってことですよね?

ちきりん ​​​​​​​そうだと思います。学校ってものすごい長い時間を過ごす場所だから、そこで特定の価値観を刷り込まれると影響が大きい。しかもいったん刷り込まれてしまうと、ちょっとやそとじゃ踏みはずせない。本当だったらもっと自分らしい生き方ができた人でも、「あそこを目指せ、方法はこれだ」的なあるべき論に洗脳されてしまう。

ウメハラ 学校でゴールと方法論をセットで指し示されてしまうと、「自分で考え、悩んであがいた上での自己決定」なんてバカらしくてできなくなる。

ちきりん ​​​​​​​しかも子どもの頃だけじゃなく、大人になってもできないままになるんです。ウメハラさんは最初から大好きなものがあったし、学校でも「なんで黒板係がいるんですか?」って言い出すくらいゼロベースでモノを考える人でしょ。でも大半の人は私と同じように、とても素直だから。

ウメハラ 素直? ちきりんさんが?

ちきりん ​​​​​​​ウメハラさんに比べたら、めちゃくちゃ素直ですよ。でね、そういう素直に育ってきた人が自分の人生で「何か違う」と感じた時に必要になるのが、学校で刷り込まれた「あるべき論の呪縛」から解き放たれることなんです。「回り道をするなんて無駄!」みたいな考えから脱却がまず必要になる。

ウメハラ 僕たちはその回り道こそが「いい人生」の原点だと思ってるわけだから、完全に真逆ですね。しかもたとえ何も見つからなくても、とことんあがいておけば、「自分にはそこまでやりたいことがないんだから仕方ない。それならそれで生きていこう」って開き直れる。それを自分の器として納得できる。そう考えるのはやっぱり難しいのかな?(p140)

 

 

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