2010-02-04 11:53:46
昔は良かった?
テーマ:よもやま
昔は今、異界も今...
『マイマイ新子と千年の魔法』http://www.mai-mai.jp/index.htmlという作品は今思い返しても不思議だ。
古き良き(?)昔を舞台にしているのに、「ああ、懐かしい!」「ああレトロ♪」という気持ちにならずに、今その瞬間の現実のように、その世界に入って暮らした感じがした。
これは、かなり希有な感覚なのではないのかなと思う。
「昔は良かった」を売り物にしている作品ではないのだろう。作者じゃないからわかんないけど。
確かに「昔」や「異界」という舞台背景は、導入のエサとして有効かもしれない。
私だったら、好みの異界、たとえば、紀元前10世紀くらいの黒海沿岸や草原の民族の営み、あるいは、お化けが出て来る昔話の世界…
そんな作品だったら喜んで飛びつくだろう。
でも、舞台背景は、たぶん、あくまで導入の道具で、その世界に入り込んで感情移入してしまえば、そんなものは空気みたいなものでどうでも良くなる。
入り込んでしまえば、その世界が『水戸黄門』であっても『サザエさん』であってもかまわないのだ。
むしろ「昔は良かった、どうだ、良いだろう昔は」なんて強調されると邪魔になるだけかもしれない。
ようするに、作品の中に入って、現実の自分の人生では生きられなかった違う人生を歩み、暮らし、考え、食べ、感じたいだけなのだ。
舞台セットがどうこうではなくて、中の人達が生きて呼吸していてくれるのがありがたい。
昔は良かった...
『平成狸合戦ぽんぽこ』は、古き良き武蔵野の里山を描いていた。最後に狸達が妖術で現した里山の景色は、涙が出るほど愛おしく、そして美しかった。
しかし、なにか引っかかるものがあった。「昔は良かった!」と暴力的なまでに押し付けられているようで。
確かに里山の景色は人の目には美しい。そして今現在、首都圏の平野部や小山、丘陵に家を建てて住んでいる人々は(私もね)、概ね、美しい里山をぶっ潰した側だ。
『平成狸合戦ぽんぽこ』が泣き叫んで残したがっている里山を保全するには人間が多過ぎる。
『ポンポコ』は、「人間は死ね!」という映画なのかな。
人類が千分の一くらいに減れば、『ぽんぽこ』の望みは叶えられるかもしれない。
(今、街を歩いている人1000人がバタバタ倒れて死んで、生存者は1名なんて、恐ろしいなぁ)
しかも、そのわずかに残った人達は、里山を保全し活用するために日々励まなければならない。私だったら、そういう作業は無理だ。したくない。
里山は人が管理して、ようやく機能するし、人の目で見た美しさが保たれる。
数十年前に住んでいた所沢(小手指ヶ原や金井ヶ原の古戦場の辺り)には、いわゆる武蔵野の雑木林が豊かに広がっていた。
主にクヌギ。良く活用されていたようで、幹が1mくらいの高さまで太く、その上は枝を伐って使うため、細めの枝が幾本も伸びている木が多かった。そういう木にクワガタやカブトムシがいる。
今では哀れなくらいに面積を減らした雑木林。なんとか無理して残してもらったクヌギ達は真っ直ぐな幹を空高く伸ばしている。
あれでは里山の雑木らしくない。
武蔵野は、江戸時代の前半くらいまでは、豊かな森や里山は無くて草っ原だったらしい。
縄文人が焼き畑を繰り返した結果、荒れた土地になってしまったとか。
材木や薪炭を採るために幕府が植林に力を注ぎ、武蔵野の森が形成される…
武蔵野の森は近年になって生まれた人工林なわけで、少なくとも江戸や多摩地域に関しては、里山を心の故郷、原風景というのはどうなのかなとも思う。
植林以前の武蔵野は、海辺から内陸に渉って圧倒的な葦の原、そして野生の茶、椿、カズラ、笹、ヤブガラシ、葛などがグシャグシャからみ合った薮。そんなところだろうか。
今でも人の手が入らなくなるとそうなっちゃう。全国の里山も同様に。
野性に返った風景は、心の故郷~♪みたいなきれいなものとは限らない。人を寄せ付けないグシャグシャ。
人工的なものに心の故郷、原風景を求め、その人工的な風景が更に近代化された人工的な風景に変わると、
「昔は良かった」...
難儀だなあ、人間。
私も、里山と古い農村の風景が好きだ… orz
『マイマイ新子と千年の魔法』http://www.mai-mai.jp/index.htmlという作品は今思い返しても不思議だ。
古き良き(?)昔を舞台にしているのに、「ああ、懐かしい!」「ああレトロ♪」という気持ちにならずに、今その瞬間の現実のように、その世界に入って暮らした感じがした。
これは、かなり希有な感覚なのではないのかなと思う。
「昔は良かった」を売り物にしている作品ではないのだろう。作者じゃないからわかんないけど。
確かに「昔」や「異界」という舞台背景は、導入のエサとして有効かもしれない。
私だったら、好みの異界、たとえば、紀元前10世紀くらいの黒海沿岸や草原の民族の営み、あるいは、お化けが出て来る昔話の世界…
そんな作品だったら喜んで飛びつくだろう。
でも、舞台背景は、たぶん、あくまで導入の道具で、その世界に入り込んで感情移入してしまえば、そんなものは空気みたいなものでどうでも良くなる。
入り込んでしまえば、その世界が『水戸黄門』であっても『サザエさん』であってもかまわないのだ。
むしろ「昔は良かった、どうだ、良いだろう昔は」なんて強調されると邪魔になるだけかもしれない。
ようするに、作品の中に入って、現実の自分の人生では生きられなかった違う人生を歩み、暮らし、考え、食べ、感じたいだけなのだ。
舞台セットがどうこうではなくて、中の人達が生きて呼吸していてくれるのがありがたい。
昔は良かった...
『平成狸合戦ぽんぽこ』は、古き良き武蔵野の里山を描いていた。最後に狸達が妖術で現した里山の景色は、涙が出るほど愛おしく、そして美しかった。
しかし、なにか引っかかるものがあった。「昔は良かった!」と暴力的なまでに押し付けられているようで。
確かに里山の景色は人の目には美しい。そして今現在、首都圏の平野部や小山、丘陵に家を建てて住んでいる人々は(私もね)、概ね、美しい里山をぶっ潰した側だ。
『平成狸合戦ぽんぽこ』が泣き叫んで残したがっている里山を保全するには人間が多過ぎる。
『ポンポコ』は、「人間は死ね!」という映画なのかな。
人類が千分の一くらいに減れば、『ぽんぽこ』の望みは叶えられるかもしれない。
(今、街を歩いている人1000人がバタバタ倒れて死んで、生存者は1名なんて、恐ろしいなぁ)
しかも、そのわずかに残った人達は、里山を保全し活用するために日々励まなければならない。私だったら、そういう作業は無理だ。したくない。
里山は人が管理して、ようやく機能するし、人の目で見た美しさが保たれる。
数十年前に住んでいた所沢(小手指ヶ原や金井ヶ原の古戦場の辺り)には、いわゆる武蔵野の雑木林が豊かに広がっていた。
主にクヌギ。良く活用されていたようで、幹が1mくらいの高さまで太く、その上は枝を伐って使うため、細めの枝が幾本も伸びている木が多かった。そういう木にクワガタやカブトムシがいる。
今では哀れなくらいに面積を減らした雑木林。なんとか無理して残してもらったクヌギ達は真っ直ぐな幹を空高く伸ばしている。
あれでは里山の雑木らしくない。
武蔵野は、江戸時代の前半くらいまでは、豊かな森や里山は無くて草っ原だったらしい。
縄文人が焼き畑を繰り返した結果、荒れた土地になってしまったとか。
材木や薪炭を採るために幕府が植林に力を注ぎ、武蔵野の森が形成される…
武蔵野の森は近年になって生まれた人工林なわけで、少なくとも江戸や多摩地域に関しては、里山を心の故郷、原風景というのはどうなのかなとも思う。
植林以前の武蔵野は、海辺から内陸に渉って圧倒的な葦の原、そして野生の茶、椿、カズラ、笹、ヤブガラシ、葛などがグシャグシャからみ合った薮。そんなところだろうか。
今でも人の手が入らなくなるとそうなっちゃう。全国の里山も同様に。
野性に返った風景は、心の故郷~♪みたいなきれいなものとは限らない。人を寄せ付けないグシャグシャ。
人工的なものに心の故郷、原風景を求め、その人工的な風景が更に近代化された人工的な風景に変わると、
「昔は良かった」...
難儀だなあ、人間。
私も、里山と古い農村の風景が好きだ… orz
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