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今日で「可い長の寝床プログ」を終了します

2010年05月15日(土) Theme: 落語的思考

平成21年10月31日から平成22年5月14日までの期間に
67の記事を書いていました。

書くことで自分の考え方を表現したいという気持ちが強くなり、
こんなブログを書くことは恥ずかしいことだという気持ちを

超えてしまったので書けたのかもしれません。


この2年間、母と一緒に母の旅立ちの準備をしていたようです。

今は、寂しい気持ちと無事送り出すことができて、
ホッとした気持ちが交差しています。


自分自身も再出発の時を迎えたことでもあり

この「可い長の寝床プログ」は、今日で終了します。


もし、今度ブログを書くとしたら、まったく違ったスタイルに
なるのではないかと思います。

このブログでは、あまりにも自分に都合のいい物語を
語り過ぎたのでは・・・


恥ずかしさのあまり削除したい気持ちをなんとか抑えて、

しばらく残しておくことにしました。

読者の皆さん、ありがとうございました!

お母さんからのプレゼント

2010年05月14日(金) Theme: 落語的体験

私の母が、5月10日に亡くなりました。ちょうど80歳でした。

母は2年前、乳がんと診断され2週間入院しましたが退院後、1ヶ月程で薬を飲むのをやめてしまいました。今まで体の病気はほとんどしたことがなく、大の病院嫌い、薬嫌いでした。

それだけではなく母には以前から、被害妄想が強く、ささいな出来事も自分に悪影響を及ぼすと思ってしまう関係念慮の症状がありました。

20年前程からひどくなりましたが、自分はおかしくないと
いって病院に行きたがりません。近所に迷惑をかけるほどになり、この家がいけないんだ引っ越したいといい、仕方なく私の職場の近くに引っ越してきました。やがて自分でも疲れてきたこともあり、やっと精神科にかかり薬を飲んだところ、ひどい症状は治まりました。

薬は飲んだり飲まなかったりを3年ほど続けました。でも薬で完全に治せるものではなく症状は消えることはありませんでした。しかし、近所に迷惑をかけるような症状は治まりました。

根は生真面目で気丈な性格です。曲がったことやだらしのないことが大嫌いです。人に馬鹿にされてはいけない、しっかりしなければと意思は強く、家の中では、怒ってブツブツ独り言をいっていることもよくありました。

しかし、知らない人から見れば、物腰が柔らかく謙虚でやさしいおばあちゃんです。はじめは精神疾患に冒されているなんてわからないでしょう。家事はしっかりやります。小まめに掃除をして、食事は粗食ですが健康に配慮しています。毎日、食べた物をノートに書いていました。 

私の結婚を機会に兄夫婦が同居してくれましたが、家族は被害妄想に振り回され、ほとんど接触しないようになりました。母は部屋に閉じこもりがちで怒りを爆発させることもありました。

その都度、弟である私が呼び出され、愚痴をよく聞いてあげたり、携帯をもたせて話す機会を増やしました。また、気分転換になるように、食事や買い物を一緒にするなど外へよく連れ出しました。そんな生活が10年近く続きました。

興奮した状態だと何をいってもダメですが、落ち着けば物事の道理はよくわかっている常識人です。でも、言いたいことを過激な表現をしたり関係ないことで表現してしまうので、同居の家族と上手くいかなくなり、それがまた、自分をないがしろにしているという怒りとなってしまうのでした。

母は孤独な人です。被害妄想もあり親戚とのつきあいもすっかり遠くなりました。近くのコミュニティセンターでお風呂に入ったりカラオケを楽しんでいましたが、母は他人を警戒し心を開かないので、本当に親しくおつきあいできる人がなかなかできませんでした。

昔からつきあいのあった数人の親しかった人たちも他界してしまいました。父はすでに35年前に亡くなっていました。百貨店の店員に褒めてくれるのがうれしかったようで、オシャレな洋服はたくさん持っていました。本当に親しく話せるのは私だけだったのです。 

貧しく兄弟の多い長女のため、小学校を中退し家のために働きました。貧しい時代なら頑張れたのですが、この豊かな社会には上手く適応できず、みんなと楽しむことが苦手でした。

本当は母は寂しがりやで甘えん坊だったと思います。迷惑をかけるのは、ほとんど身内だけなのです。外の人には、しっかりとしたところを見せなければならないと気を張っていました。

そのような中で、がんが発症したのです。運命の悪戯か、先も長くはない母の面倒をみたいと母と同居した時期と、夫婦の溝が深まる時期とが重なり、私も母に似て気丈で不器用なせいか離婚することになってしまいました。

私と同居して2年近くは、自由に台所を使えて気ままに家事ができる生活に戻ることができました。しかし、精神的な症状は続きましたがひとつの怒りを長くためることは少なくなり、比較的穏やかな生活でした。朝の食事は、パンと必ず野菜を添えてくれます。夕飯は、魚や野菜、納豆、豆腐など健康食を用意してくれるやさしい母でした。

しかし、がんは進行していきました。病院に行きたくないので患部の出血や痛みは隠すようにしていましたが、イライラすることも多くなりました。とうとう我慢の限界を超え今年の3月25日に入院することになりました。

末期がんで余命数ヶ月、治療はできないとのことで、4月30日には、緩和ケアを実施している病院へ移りました。

母は常識と非常識、正常と異常の世界を行ったり来たりしています。高校生の頃から「何かお母さんはおかしいぞ」と思い始めました。被害妄想は理屈で説得しても収まりません。火に油を注ぐようなものです。

母の症状はいったい何だったのでしょうか。病院に行けば統合失調症、人格障害、不安神経症、その時期で診断名が違ってきます。でも、病名はあくまで医療上必要なためつけられたものです。診断基準に従って当てはめて判断するだけです。私には多面的で変化していく母の心は、診断基準で捉えることはできないと思いました。

常識の側、正常の側にいれば、母の非常識で異常な世界は異様な世界に映り、嫌って避けるしかありません。でも、私は孤独な母を見捨てることはできませんでした。

しかし、そんな母を受け入れるには自分の立つ足場を確立しなければなりません。近代主義(進歩主義)では通用しません。自分の人生観と覚悟が問われます。自分の立脚地を求める過程で、心理学や精神医学、哲学や文学、仏教などを学んでいきました。矛盾に満ちた人間を笑い飛ばす落語の魅力も次第にわかってきました。

すると学問で学んだ世界と落語の世界が重なり合うように見えることに気づきました。そんな視点をこのブログで「落語のメガネ」と称したのです。

今まで紹介してきた『相田みつをの世界』『老子』『ニーチェ』『唯幻論』『普通がいいという病』『死んだらどうなるの?』『大河の一滴』などにみられるような考え方は、母と対峙するにはエネルギーがいる私にとって、どうしても必要なものだったのです。

落語を「業と肯定」と解釈した談志の言葉を借りたのも、そんな母を肯定できるかという問いかけからはじまり、母のことも笑えるようになりたいという願いでもありました。

でも、そんな理屈は母には通用しません。「落語なんてつまらないからやめちゃいな」と平気でいいます。理屈ではなく身を持って実践しなければ意味がありません。そんな母に私は随分と鍛えられました。そして、人生にとって本当に貴重な考え方や経験を与えてくれました。

緩和ケアでは、母の希望をかなえてくれます。「延命治療はしたくない」「患部のガーゼは自分で取り換える」「病院の寝間着や下着(レンタル料込なのに)は着たくない、自分の好きなものを着る」「胃に水が溜まっていてもオムツはイヤだから利尿薬はいらない」など、医師や看護士にはっきりと意思を伝えていました。

末期がんとはいえ、5月の連休頃までは食欲はあり、病院の食事はほとんど残さず食べていました。しかし、体力は衰えてきて連休が終わる頃、イライラするようになり様子が変わってきました。

もっとも、気丈な性格、精神疾患、がんの恐怖の組合せでずっと苦しみ続けてはいたのですが、ピークに達しつつあるようでした。

体力的には衰えている中でも母の強い希望で、5月8日には、うなぎを食べに行きました。おいしそうに残さず食べて満足そうでした。

しかし、9日、呼吸困難がはじまりました。しかし、抗不安薬と鼻からの酸素吸入で胸を動かしながら息をしていました。まだ、強い苦しみはなく話もできました。

「不思議だね~、こんなことになるなんて、不思議だね~」
薬でボーとした中、何度も繰り返していっていたのが印象的です。

10日の朝には、さらに呼吸困難になり鼻と口を覆う酸素吸入で、胸はもう動かすことができなくなったのでしょう。喉だけ動かしながら呼吸をしていました。

やはり抗不安薬で眠っているので痛みは感じないはずだといわれても苦しそうです。話はもうできませんでした。

午後9時が過ましたけど、とても離れる気になれなくてずっと一緒にいたかったのですが、「僕がそばにいると気がかりで旅立てないのかもしれない」という思いが横切りました。

そういえば「おいしいものを食べてポックリ死にたい」というのが母の願いでした。医師にも今朝、「食べたいうなぎも食べたし思い残すことはありません。安楽死させてください」と頼んでいたようです。

手を握って耳元で話しかけました。
「お母さん、聞こえる。お母さん、ありがとう。お母さんの子どもで本当によかったよ。育ててくれてありがとう。今までよく頑張ったね。もう苦しまなくていいんだよ。ゆっくりおやすみ。明日、また来るからね。おやすみ」

そのまま帰ることにしました。いつ旅立ってもいいんだ。そう自然に思えました。

家に近づく頃、病院から電話があり、呼吸が止まったとのことです。すぐに引き返しましたが、本当に安らかに眠っていました。帰り際の話が聞こえたのでしょうか。母に聞かなければわかりません。

悲しい思いが胸いっぱいに広がりました。でも笑顔で
「お母さん、よかったね。これで苦しまなくてすむんだよ。お疲れ様でした」

自分でも何てことをいってしまったんだろうと思いましたが、正直な気持ちでした。午後9時50分死亡が確認されました。とても母らしくりっぱな最期でした。

12日には、身内だけで最後のお見送りをしました。
肌の色もいい安らかな寝顔でした。

火葬場で骨を拾っても母が死んだ実感がしませんでした。

母は私の中で生きているのです。
生きている時よりも、もっと身近に生きているようです。

私の「落語のメガネ」は、お母さんからのプレゼントでした (^人^)

保守とは何か ②

2010年05月12日(水) Theme: 落語的思考

今回は、「保守」をテーマにした2回シリーズの第2回目です。

引き続き、佐伯啓思の『「保守」が「戦後」を超克するすべはあるのか』の内容を紹介していきます。


戦後日本では、保守・革新の対立が政治的・思想的空間を構成し、アメリカ的な自由・民主主義・市場経済の側につくのが「保守」とみなされました。

今日もっとも「進歩主義的国家」といえばアメリカです。グローバリズムと称し、世界全体を覆いつつあります。「保守の精神」からすれば、もっとも警戒すべきはアメリカ流の「進歩主義」ということになります。

ところが、アメリカの建国精神(「自由」「平等」「民主主義」「富の獲得」を追求する権利が万人に与えられている)に「復帰」することが、アメリカにおいては「保守主義」ということになっています。それは色濃く「進歩主義」に染め上げられているものです。

これは、フランス革命に反対したエドマンド・バークによってはじめられた本来のイギリス流の保守主義とはかなり異なっています。

冷戦体制下でアメリカ側につくことが「保守」の役割とみなされてきたことによって、イギリス流の(本来の)保守主義とアメリカ流の保守主義の間の区別が見落とされてきました。

また、「保守の精神」がその国の歴史や文化に即した価値体系の保持や維持に関わっているとすれば、「日本の保守」を「アメリカ流保守主義」に対して自己同一化することは、あまりにも不適切なことというほかありません。

「保守の精神」にとっては、日本の歴史的伝統を踏まえた価値とはなにか、とい問いが決定的なものとなってきます。

冷戦以降のアメリカの世界秩序構想の中ででてきた96年の「日米安保共同宣言」では、日米安保体制は「アジア太平洋の安全」への相互協力へと拡大し、さらに05年に合意された「日米同盟」では、「世界の安全保障」という「共通の戦略目標」のための共同行動へと変形されていきました。

「日米安保体制」から「日米同盟」への変質とは、端的にいえば、「戦後体制」を固定化し、それをいっそう先に推し進めようというものといえます。

アメリカの有事、あるいは「ならずもの国家」との対決におけるアメリカの軍事行動に際して、平和憲法を前提にしつつ後方支援等で日本が関与するという方向を目指すものでした。しかし、このような関係は決して対等な同盟とはいえず、「従属的同盟」とでもいうべきほかないでしょう。

今日の日本は、確かに自由・民主主義の世界秩序の受益者です。しかし、だからといって、アメリカ的な力による自由・民主主義の世界化、これに敵対する諸国の脅威に対する力の対決、という価値観までも共有しているとはいえません。

自由・民主主義や市場競争は近代社会の理念であり、また、近代社会の主要な制度的な条件ともなっています。しかし、その抽象的理想を普遍化して絶対的な価値とみなすことは「保守の精神」に反します。

むしろ自由の過度な追求が放埒に陥り、民主主義の安易な理想化が衆遇政治を招くことを警戒するのが「保守の精神」であります。

日本の論壇では、いわゆる左翼の護憲平和主義は事実上、力を失ってしまいました。では、それに代わって改憲論が力を増しているのかというと必ずしもそうではありません。

今日の大勢は、左翼的平和主義というより、むしろ思考停止的な現状維持に従った「平和憲法プラス日米安全保障」論なのです。端的にいえば、アメリカが守ってくれているのだからそれでいいじゃないか、というだけのことです。

国民が主権者であれば、自分たちの生命・財産を自分たちで守るというのは、近代国家の基軸です。
また、「ステイト」(国家)は、ある程度の共有された歴史的・文化的価値をもつ「ナショナリティ(国民性)」に基づかなければなりません。ここで「価値」が問われます。この「価値」は、普遍的な自由や民主主義ではなく、国民の独自の歴史的生成物であります。

もし「保守の精神」に立つならば、アメリカという国家の基軸は徹底した「進歩主義」「近代主義」にあり、その価値は日本とは大きく違っているという認識から出発すべきです。

日米関係において、「保守」がすべきことは、そこに含まれているどうしようもないディレンマを認識すること以外にありません。

現状において日本は日米関係を重視するほかありませんが、そのことは「保守の精神」からすれば変則的な事態であり、本質的な事柄を先送りするにすぎません。

われわれは未だに、戦後、日本という国の姿を描き出してはいません。未だに、近代国家の原則からすれば厳密な意味でなお主権が確立しておらず、「ナショナリティ」を構成するはずの価値観が見失われた現状は、まだ「敗戦後」というほかありません。

明治以降の日本の近代化、国際化は、常に「西欧的価値」の圧倒的な拡張の中で、その受容と対抗において、いかに「日本」の主権を確保するかという課題と共にありました。この「日本」の中には、「日本的価値」も含まれます。

「西欧的なもの」と「日本的なもの」の間には常にディレンマがあり、その葛藤が近代日本を活力あるものとしてきました。戦後も同じことです。

しかし、今日、われわれはこのディレンマを引き受けようとしません。
保守の立場とは、まずこのディレンマを自覚することなのです。

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マスコミ世論に影響されやすい「大衆」は、その時々の気分で政権や政策を支持したり批判したりします。政治の世界は、幾層にも矛盾した課題が錯綜して見えにくいため苛立ちを募らせやすくなります。

そんな「大衆」のなかの隠された半面である「庶民」としては、日々の生活の中に「伝統の知恵」を脈々と受け継いで実践している方も多いのではないでしょうか。

「自由」や「平等」によって恩恵を受けていることはもちろんですが、その行き過ぎが欲求不満や不安の種になっているような気がします。

「保守の精神」は近代主義のおかしさに違和感をもった気持ちにフィットします。しかし、保守思想は、西洋哲学や社会思想などを踏まえて考えないと理解しにくいところがあります。

「保守の精神」を理解するためには、「保守の精神」を理解しにくい日本人のディレンマについても自覚する必要があると思います。

実際の保守派には、デリカシーのないオヤジもたくさんいます。
既得権を守ることや強者の論理に傾きがちな面があることは否めません。

しかし、「保守の精神」は、現代社会の見落としている点を浮かび上がらせてくれます。こんな時代だからこそ、日本人の「伝統の知恵」を再発見する重要性があります。

落語の世界は、理性万能主義、合理主義とは遠いところにあり、
「伝統の知恵」の宝庫です。

個人主義ではなく、何よりも「ご縁」を大切にします。

理屈では割り切れない矛盾に満ちた人間への
あたたかなまなざしがあります。
そして、そんな人間の滑稽さを笑います。

落語は、伝統を保守しながら現代との接点も大切にします。

そこから活力ある伝統芸能が誕生してきました。

「保守の精神」で、どんな社会が築けるのでしょうか。

それよりも「保守」という言葉自体が死語になりつつあるようです。

「保守の精神」では、何を保守すべきなのかが問われます。
私たちは、何を保守すべきなのでしょうか。

私たちのなすべきことは ・・・・


しっかりやろう 保守点検 (^_^)v

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<参考文献>
『自由と民主主義をもうやめる』 佐伯啓思著 幻冬舎新書 2008/11
『「保守」が「戦後」を超克するすべはあるのか』(「正論」6月号 2010/5)



保守とは何か ①

2010年05月10日(月) Theme: 落語的思考

今回は、「保守」をテーマにした2回シリーズの第1回目です。

今日の政治の混乱の原因を見極めるうえで、保守について考えることは大変に重要だと思います。政治や宗教の話は避ける方が無難なのですが、今回はあえて政治の話にも挑戦したいと思います。

保守とは、いったい何でしょうか。

戦後日本の政治や思想は、保守と左翼・革新、保守派と進歩派などの対立がありました。

左翼=社会主義への同調者、保守=自由主義・資本主義の擁護者
これは、わかりやすい構図です。ところが冷戦後は、

左翼=憲法改正反対、保守=憲法を改正し集団的自衛権を認める
という色彩が強くなってきました。すると、

左翼=戦後体制の擁護、保守=戦後体制の批判
というような不思議な構図になります。また、一時、

リベラル=福祉重視派、保守=市場競争派
という構図もありましたが、すると、

リベラル=構造改革反対、保守=構造改革推進
というように、「構造改革」という急進的改革を推進する側に「保守」というレッテルを張り付けるというおかしな話になり、保守という言葉の意味するところが混乱して、わからなくなってきました。

そこで今回は、佐伯啓思の『「保守」が「戦後」を超克するすべはあるのか』(「正論」6月号)の内容を紹介しながら「保守とは何か」について考えていきたいと思います。

日本の近代化が、「王政復古」のように伝統的日本(と思われる)への回帰を意図し、同時に、西欧列強の制度や価値観を導入しました。

さらに戦後になると、無自覚、無反省のうちにアメリカ的なものへの傾斜、追従という事態を招きました。日の当たる場所は、基本的にアメリカ的な「戦後思想」が占拠したわけです。

保守はなによりもまず、戦後日本が公式的に重要な価値とみなしているものをまずは疑うことから始めなければなりません。

それでは、「保守の精神」とはいったい何でしょうか。

それを論じるためには、進歩主義(近代主義)とは何かを要約しておくのがよいでしょう。

<進歩主義(近代主義)の精神>

① 合理主義・科学主義・技術主義の精神

非合理で非科学的なものを排除し、また、合理的・技術的に問題を解決できるという理性万能主義への傾きをもつ。

② 抽象的で普遍的な理念の愛好

抽象的な理念を普遍化し、その理念を実現することを理想と見なす。

③ 自由で平等な個人という無条件な想定

社会を構成するものは、自由な個人である、とする。その帰結としての平等主義、民主主義を絶対視する傾向をもつ。

④ 急激な社会変化への期待

時には革命にいたるような大きくて断絶的な社会変化をよしとする傾きをもつ。そして、その場合の変革の主体は大衆であり、その意味では大衆的なものへの期待がある。

<保守の精神>

① 理性万能主義への強い懐疑と「歴史の知恵」の重視

人間の理性や合理的精神には限界があり、合理的・技術的に万事を解決できるとするのは致命的な思いあがりである。それを補完するものとして歴史の中に推積された知恵があるとみなすべきである。

② 具体的で歴史的に生成したものへの愛好

抽象的・普遍的な理念や理想を性急に実現するよりも、それが具体化する現実的な状況を重視し、そのために、まずは身近なもの、親密なものを愛好する。

③ 社会を構成する単位としての個人よりも、個人を結びつける多様なレベルの社会的共同体(家族、地域、組織、国など)の重視

自由で平等な個人という抽象的で普遍的な単位を前提にするのではなく、人の交わりの場であり、人々が作り出す、家族から国にいたる多様な集合体を重視する。

④ 急激な社会変化を避け、斬新的改革をよしとする精神と「大衆的なもの」への懐疑

保守の精神は、先の見通しの不透明な変革は漸進的にすべきであるとし、特にその途上で関与する「大衆的なもの」への警戒心を強くもつ。

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保守の精神は、進歩主義(近代主義)との対比でみると確かにわかりやすいと思います。

しかし、ここからいったい何が見えてくるのだろうと思っても、簡単な答えは、すぐにはもらえそうもありません。

日本人は、無意識的にも「アメリカ的なもの」にかなり影響されています。

個人主義、民主主義、物的な豊かさと経済成長、人権思想、
市場経済、合理的で科学的な思考・・・

しかし、これらが本当に身についているのでしょうか。
どこかで借りてきたダブダブの服を着ているようです。

それに対して、「日本的なもの」といえば、

家族的連帯、地域共同体、日本的自然観・美意識、
仏教的・儒教的・神道的なものを背景とした宗教意識・・・

落語のバックグラウンドみたいですね。

ところが、それらが「アメリカ的なもの」に押されて、忘れ去られようとしています。

確かに、伝統の中には悪しき因習のようなものがあり、近代的なものに魅かれる要因にはなっています。しかし、伝統から切り離された精神は空洞化しニヒリズムに陥る危険性があります。

日本思想の研究者である相良亨は、日本の精神を表わす言葉として、
「理」(ことわり)、「自然」(じねん)、「道」、「天」、「心」といった言葉を挙げています。なんとなくニュアンスが伝わる言葉だと思うのですが、それを外国語に翻訳することはほとんど不可能なようです。

仏教から展開された「無」「空」の考え方は奥深いものがありますが、日本人自身が理解できなくなっているのかもしれません。

西洋的な自己主張型の考え方を前にすると日本的な精神は、消極的にみえ分が悪くなってしまうようです。

しかし、日本人として「日本的精神」に基づいた価値観を再発見することは、とても大切なことだと思います。

調和を求め、節度を求め、自己を抑制することを知り、他人に配慮する・・・

そんな日本的精神は、もう現実には文字通り「無」か「空」か Σ(゚д゚;)

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<参考文献>
『自由と民主主義をもうやめる』 佐伯啓思著 幻冬舎新書 2008/11
『「保守」が「戦後」を超克するすべはあるのか』(「正論」6月号 2010/5)


「桃太郎」

2010年05月07日(金) Theme: 落語
今回は、落語の「桃太郎」についてお話します。

父親が夜ふかしをしている息子に「桃太郎」の話をすると、すぐに寝入ってしまいました。そんな息子の寝顔をみて「寝ちゃったよ。子どもなんて罪がねえな」

これは昔の話。ところが、今の子どもときたら・・・

父親が桃太郎の話をしますが、次々とその話の矛盾点や不合理なところを息子は指摘して親を困らせます。やがて父親は「大人が聞いてもタメになる話だな」と感心して、ついに寝入ってしまい息子が「寝ちゃったよ。親なんて罪がねえな」

落語に登場する子どもは、頭の回転が速く小生意気で親をバカにさえしたりします。

落語では、父親は権力の象徴で、子どもはそれに対する庶民という図式があるようです。落語を隠れ蓑にして、子どもが父親をへこますという形で、権力批判をしたというように解釈することもできるでしょう。

しかし、現代では単純にはあてはまらなくなってきました。なにも権力批判をするのに隠れ蓑はいりません。子どもたちだって反権力の象徴とするには、あまりにもさめています。

「おとぎ話だからいいんじゃない」
これでは「桃太郎」の噺にはなりません。

しかし、現代の子どもたちがさめているとはいえ、仲間内では同調することへの強迫観念に疲れたり、孤立することを恐れているようです。
そんな子どもたちに、腫れものでも触るように深く関われない大人たち。

現代の子どもたちをしっかり捉える視点が必要ですが、そんな子どもたちにこそ、おとぎ話は必要なのかもしれません。

現代では子どもが親に対して、桃太郎の噺を合理的に解釈しても面白くありません。文明開化以降の近代主義に影響された古い子どものタイプにみえてしまいます。

現代的に「桃太郎」の噺は、どのように展開したら面白いのでしょうか。

やはり父親には、理屈っぽい金坊が大人になったような合理的な解釈しかできないタイプになってもらいましょう。

そして息子には、そんな合理的な解釈しかできない軽薄な父親を笑い飛ばすようなタイプになってもらいましょう。

単なる教訓話ではない、おとぎ話の不思議な深い味わいを表現できたら面白いですね。

もう一度、虚心になっておとぎ話を読んでみましょう。

そこから、どんな落語を展開することができるかな・・・

「むかし、むかし、あるところに、
おじいさんとおばあさんがいました・・・」 Zzz…(*´?`*)。o○



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