「モラといた日々」と「モラのいない日々」 | 半三本のカンフル日記

「モラといた日々」と「モラのいない日々」

先日,とあるブログで,次のようなお題を頂きました.

「モラといた日々」と「モラのいない日々」

みんながこのお題にしたがって記事を作り,紹介しあい,広めていこうというものです.

※情報元に関しては,先方の許可を頂き次第,ご紹介させて頂きます


そこで,モラル・ハラスメントを扱う当ブログでも,このお題に従って記事を投稿しようと考えた次第です.

当ブログのコンテンツである「ハラスメント体験記 被害者編」を先取りする形となりますが,ご容赦下さい.






私がモラハラを受けていた期間は約一ヶ月.

入社して間もない頃の,実習先の出来事でした.

私にとってこの実習は,非常に息苦しい毎日でした.


怒鳴られるかもしれないという恐怖に体が硬直し.

すれ違うたびに殴られるのではと怯え.

相手に顔を見られただけで体が竦み.

まるで中毒者のように,異常に水分を欲し.

出勤前…食欲が失せ,吐き気を堪えながらも,ご飯半膳を牛乳でムリヤリ流し込んでいました.

帰宅後…疲れているのに眠れず,酒を流し込んで無理やり横になる毎日.

指示されたことに対して「早くしなければ」という想いばかりが募り,「何をすれば良いのか」を見失う日々.

「何とかしなきゃ」という想いが空回りし,焦りとなって結局何もできず.


叱られている間…怒鳴られている間は,その傾向は顕著でした.

喉に大きな異物ができたように声が詰まり.

獣のような早く浅い呼吸音は,耳の裏でやかましく響き.

雨に降られたような量の汗を流したかと思えば,手足は冷たく冷え切って.

視界は闇色の霞がかったように暗く混濁し,視野は狭くなり.

自分に対して悔しさ,恥ずかしさ,申し訳なさ,情けなさ…嫌悪どころか憎悪さえ覚えました.

しかしそれを表情に出すことはありませんでした.

表情が気に入らないと,罵倒されたことがあるからです.


なにより異常だったのは,罵倒をそのまま事実として受け入れてしまっていたことです.

馬鹿」と言われれば「ああ,自分は馬鹿なのだ」と.

ボンクラ」と言われれば「ああ,自分はボンクラなのだ」と.

頭おかしいんとちゃうか」と言われれば「ああ,自分の頭はおかしいのだ」と.

実習後の報告の際,人事部の人間に脳の検査をしたいと漏らし,慌てて止められた程です.



作業中の主任の横を通り過ぎる際,「“失礼します”と言え」と殴られました.

大した痛みではありませんでしたが,極度に緊張していた私を恐怖で支配するには十分でした.

「部長はいるか」と聞かれ,「たった今出ました」と答えただけで小一時間説教されたことがあります.

「立って作業しろ」と言われたことを忘れ,座って作業していたら三時間罵倒されました.

罵倒された事についていくら否定しようとも,「嘘つけ,俺はわかってる」と決めつけられました.

何を言っても聞き入れてもらえず,最後には反論する気力を根こそぎ奪われました.


何かに付けて互いの立場を引き合いに出しては「帰れ」と…事実上の解雇通告を持ち出されました.

解雇を持ち出されては,私は抵抗できるはずもなく.

それから,言葉の滅多打ちが始まるのです.

私はただ,早く終わってくれるのをじっと待つしかありませんでした.


私の仕事のまずさではなく,人格を,生まれや育ちを罵倒される日々.

尊厳を否定され,自尊心を根こそぎ奪われ,最後には親や本社の上司への中傷へと変わっていきました.

その時に感じたものは,実習先の上司達に対する怒りではなく.

死んで皆に詫びよう」「死ねば楽になるだろうか」でした.


帰りの駅で,電車がホームに到着する旨の放送が流れる中.

ぼんやりした頭で,ふらつく足取りで,何も考えられないままに白線を越えて足を踏み出し.

電車が近づくにつれ,自分がズタズタに引き裂かれ,肉片が散乱する様子までもが克明にイメージできました.

あと一歩前に踏み出せば,確実に楽になれたにも関わらず,私はそうしませんでした.

私を押し留めたのは,自身の想像に対する恐怖と…….

最後の最後で脳裏に浮かんだ,親の泣き顔でした.

結局,私には死ぬ勇気さえ持てなかったのです.

しかし,私の弱さが自分の命を救うことになったとは…なんとも皮肉なものです.


最後には,私は罵声の嵐の中,叩き出される事となったのですが.

社長に言われた最後の一言が,今でも耳にこびりついて離れません.

そしてそれこそが私を歪めてしまった,とどめの一撃だったのです.

ゆえに私は,自分がモラハラを受けたのだと確信しています.






私にとって「モラのいない日々」とは,「実習が終了した日々」でしかありませんでした.

前述しましたが,実習が終わってなお,社長の言葉が脳裏に焼きついていたのです.

自らの意思で脱出した」のではなく,「社長の意思で放り出された」からかもしれません.

実習先の会社から遠ざかりはしたものの,未だに呪縛から抜け出せない私.

社長の一言が,いつまでも耳にこびりついていた私.

社長の一言を,いつまでも払拭できなかった私.

その影響は,それから一年以上も続いたのです.


些細なことでもイライラするようになりました.

同僚の言い放った何気ない一言に,殴りつけてやりたい衝動に駆られたこともあります.

クレーマー紛いの…いえ,クレーマーそのものに成り下がった時期があります.

その時の私は,自分の権利ばかり主張し,相手の都合を考えない人間でした.

こちらは被害者なのだと.加害者が無条件降伏するべきなのだと考えていました.

きっとあの社長ならこう言うに違いない」という確信めいた,しかし根拠のない異常な自信で溢れていました.

加害者を断罪する私こそが正義なのだとさえ考えていたところがあります.

当時に戻ることができるならば,自分自身をぶっ飛ばしてやりたいくらいに恥ずかしい記憶です.


上司と話をするのが怖くなりました.

実習先の人とは違う.そうわかっていても,報告・連絡・相談ができないのです.

相談する前に,しつこいくらいに自分の報告書を睨み付けました.

一箇所でもミスはないだろうかと.

経験不足でわかるはずもないのに,神経質なまでにチェックを繰り返しました.

句読点の位置や助詞の用法さえ推敲を重ね,修正されていく資料.

そうしてズルズルと遅れる仕事.

結局,私はそこでも逃げることしかできませんでした.

それを理解しているからこそ湧き上がる自己嫌悪.

更に追い討ちをかけるように思い出される,社長の言葉.

悪循環でした.


それからも時折,実習先の最寄の駅を通り過ぎるたびに,実習先の主任の顔が思い出されました.

主任が私の姿を見るなり電車に乗り込み,私の胸倉や髪をつかんで引き摺り下ろし.

這い蹲る私の頭上から罵声を浴びせかけるのではないかと怯える時期がありました.

実際にはありえない想像でさえ,現実感を伴う恐怖として私を苛んだのです.

念のため申し上げますが,実習先の皆様は誰一人として,そのようなことは決してしませんでした.

しかし私にとって実習先の社長や主任とは,まさに暴力と恐怖の象徴だったのです.






そんな私が,どのように「モラハラを克服」したのか?

それは後日,当ブログにてお伝えすることになりますが,簡単に言うと,

言葉で理解」したのではなく,「イメージを上書き」したのです.

そしてそれに一役買ったのが,美味しい食事であり,のんびりした休日であり,恋人との触れ合いなのです.


他のブログでは,「脱出した後の毎日は素晴らしい!」という内容が多いようですが.

私の場合は「脱出した後の生活に恵まれたから,モラハラを克服することができた」のです.

この違いは非常に大きいものといえるでしょう.


しかし,双方共通して言えることがあります.

それは,「そこから脱出しなければ,なにも始まらない」ということです.

逆に,「そこから脱出しなければ確実に不幸であり,いずれ全てが終わってしまう」とも言えます.

だからこそ,私はこう言います.




早くお逃げなさい.

逃げていいんです.

全てはそこからです.

どうかくれぐれも,この言葉をお忘れなきよう,お願いいたします.





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