季節の変わり目体調を崩していました。面目無い。けっして透析のせいではなく、そのうの体調はすこぶる元気てある。更正して社会復帰が医療の目的なら、透析をして元気にならないといけない、しかも制限のストレス無しに。したがいおいらが修復腎移植にこだわるのも、元気になるための手段として優れているからなのだ。透析がしんどいからとかいやだからとはもう違う。理由がそうだからいわゆる一般的な4時間透析をするわけにはいかないりゆうがお分かりになると思う。日本人の多くは「透析で生きている人いるのだから、人と違うこと言うな」だと思うのだが、昔からこの考え方は日本人特融だと最近思うのだ。「P君は足が速いのにねー」「Qさんは字がきれいに書けるのに」と同じたぐいのもので、子供のころから人と比べられるのが大嫌いなおいらにはまったく理解できないのだ。とにかくいま理想的な透析にやっとめぐり合い「準備は整った」のである。

6時間の透析が始まり、体調がどう変わるのか興味があるのだが、もっと大きな意味があるのだ。修復腎移植に関する裁判もあったし、そこで障害者の社会復帰を主張するためには、体調を整えることになる。ますますそれが仕事なので、透析それも仕事だ。いろいろ問題もあるが、「健常者の論理」「医療従事者の論理」というのに振り回されていたと思う。たとえば血圧を測定するとき「もう動くから測れないじゃないですか」は医療者の論理だと思うのだ。患者にしてみると痛い苦しいから動くのであって測定を妨害しているのではない。そのとき「俺は我慢しているのだから、計ってくれる方に感謝して我慢しろ」というのは健常者の論理、患者の論理ではない。そう修復腎移植にしてみても健常者の論理が前面に出ている。学会に至っては組織防衛の一つでしかない。世界の中で孤立しているのだ。とにかくおいらの今することは、「元気になる。」ことが大事だと思う。決して健常者の論理に迎合することではないと思う。


三寒四温、大陸の西側ではよく表れる現象だそうで、地球の自転が原因だってね。そう考えると寒くなったり温かくなったりすることは大いなる自然の摂理ということだ。おいらの生命も不思議なものでまだくたばらないからおかしいものだ。結局病院を移り「最善の状態」になったのだから、求めるものは与えられる、の典型だね。つまりあきらめないことが大切だということだ。

さて初公判というイベントに出て、裁判という世界を垣間見て、戸惑うし緊張するし、平常心を持ち行きたいと思います。このことについての総括はおいおい述べるとして、体験としては面白い物でした。しかしおいらにとり最初に述べたいのは、透析がことのほかうまく回り出したことだ。つまり長時間の透析ができろこと、患者の希望通り6時間の透析ができるということだ。患者の希望と言っても無茶を言う訳でなし透析を効果的にするための希望なのだから、社会復帰を最大の目的とする、医療機関には拒否する理由がないのです。つまりこの希望は当然であり、システムや経費の理由で拒否するのならその医療機関は総裁価値を失うと思うのです。ここにこの前コメントした方も、6時間については何も言えないはずてす。したがい社会復帰の第一段階はようやくクリアと感じています。修復腎移植も目的は社会復帰なので、おいらの取っている行為はごく当たり前のことなのです。医療者の本筋は、長時間の透析を紹介するのが筋なのかも知れませんが、とにかくおいらはそう出来て良かったと追うのです。まだスタートラインですけどね。

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裁判が終わり。ほんとに裁判所いくとはね。とにかく駅でくつろいでます。
明日21日の初公判を傍聴する為、松山に来ている。一度フライングされ話が崩れたことあるから、ブログはお休みしてました。報告ですが6時間の透析に変わると体調は良くなるし、精神的なものか気分がいい。むしろ社会復帰したくなって来る、移植を求める理由は最終的にその理由なのだ。明日記者会見で何を言えばいいかも何となく感じている。その話は今度、松山旅行でうれしいことは、未熟児ながら懸命に生きている子供にあった事、おいらも負けられ無いね。あんなに小さいのに生きようとしているからね。

透析時間を長くしたことで、あまり苦しまなくなった。この前紹介した「かもめクリニック」の金田先生からも「他の患者さんの手前いいにくいが、しっかり食べてね」ということでした。おいらは腎不全という重い疾患を抱えている。透析がなければモーッアルトと同じくらいに亡くなっている。今頃「無き隠れた名手」などとおだてられてもなにもうれしくはない。つまり科学のおかげで生き延びたのだ。

それならばいっ生産活動などに復活できるようにしたら福祉のお金は無駄ではないということだ。どうも社会福祉は費用、無駄を削れとの取り組みがなされているようだが、人口の減るこれから「日本人は長生きをする」だけではなく、生産活動もかなり高齢まで続けられる。というのは国益ではないのかな?大体体が不調だと仕事ができないという人の中で本当に不調なのはいるけど、本当に働けない人は悔しくて口にはできないのだ。透析や糖尿などおいらの治療は「復活」してみせる一心でしているのだよ。うーんうまく言えない、また一歩前に進んだね。

大変温かい春の陽気になっているけど、国会議員の先生方も「臓器移植法改正」に乗り出すと新聞報道だ。まあ解散がちらちらしている中ようやくという感じだが、命がかかっていからね最優先でやってほしいのだが。患者は声を上げるとよいが、患者と言うと限定されないし流動的なものだから、声ってなかなか届かない。どうも調べれば調べるほど保険制度の善悪、よい麺悪い面が浮き出てくる。キーワードは「善意」みたいだ。かかわるものみんな独自の論理から今の治療が決まっている。そこには悪意など微塵もない。みんな「良かれと思い」やっているのだ。しかし患者出ないと、分からないこと気がつかないことはどんなに成績優秀者でもわからないようだ。とにかく次なる目的は、「体調を透析者とは思えないように」することだね。それが社会復帰の確実な前進だ。ほかの要素はついてくるのだ。とにかく元気になることだ。えっ今のままでもいけている人いる?他人と比較しても何の意味がある?病気持ちがう、条件、環境、みんな違うだから最適な解は複数存在する。行使も言っているではないか。さあ明日はがんばつて6時間を過ごしてみよう。あまり力まずに気楽にいこう、永遠のテーマだな。