たしも新人の期間、3年くらいは毎日泣いて、その日の時間が無難に過ぎるのをただただ願っていた時期があった。


わたしのプリセプター(指導看護師)はとても厳しく、とにかく怖くて怖くて仕方なかった。


ほんの一瞬の見逃しやちょっとしたミスが直接命に関わる現場なのだから、当然といえば当然なのだが、その先輩が同じシフトの時は胃が痛くてたまらなかった。

 


その時は、ただただその先輩のことをアンラッキーだと思っていた。
その先輩が指導者になった。それ自体がアンラッキーだったと。


夜勤は看護師2人だったので、わたしは勿論といっていいほど、その先輩と一緒になった。
あまりにも出来が悪いわたしに対し、他のスタッフが一緒に組みたくないと言っていたらしい。

だいたいわたしと一緒にシフトに入るのは、その先輩か看護師長だった。
知識も技術もさっぱりだったわたしは、とにかく同僚からして迷惑な存在でしかなかったのだ。

 

 




 

 

その先輩が辞めないか、そればかりを願っている時期もあった。


居なくなったら、どれだけ気が楽になるだろう!


無論、辞めたところで自分の技術も知識も増えることは無いのだから、同じ状況を繰り返すことは容易に想像できるのに、その場を楽に過ごしたい。

 

わたしは先輩が1日でも早く辞めてくれる日を夢見ていた。

 

 


周囲が変われば自分が幸せになれると、心のどこかで思い込んでいたのだろう。
周囲の環境のせいで、自分は苦悩する羽目になっていると。


先輩が辞めたところで、第二の先輩、第三の先輩が出てくるのは当然のことなのに。


自分が変わらない限り、それは永遠に繰り返されるということを、気付いていながらも目を逸らし続けていた。


 

 

 


2年ほど経ってからだろうか?
この先輩が、病院を辞めることになった。
わたしの希望が叶った瞬間である。

 


ただ、その時のわたしは全くもって嬉しいという感情は生まれなかった。


一言でいえば、『虚無』
そんな感じだった。


先輩は、この1ヶ月ほど前に、わたしに相談を持ち掛けてきていた。
自身の親の体調が悪く、実家に戻るかこの土地に残るかを迷っているというのだ。

ここで実家に戻ることを勧めれば、わたしの苦悩は解放されるかもしれない。
先輩が辞めて、次こそ”運よく”優しいプリセプターがつけば、こんなに苦しまずに済むと思っていたから。


しかし、先輩は、こんな知識も経験も無い疎まれるだけの存在の『わたし』に相談して来たのだ。


わたしを馬鹿に、ただ憂さ晴らしをする格好の相手であれば、相談などする由もない。
少なくとも、わたしはそういう相手には相談しないし、むしろ信頼している人間にしか打ち明けることすらしない。


彼女は、『わたし』に相談してきたのだ。


親の体調と介護の必要性、家族の大切さから、わたしの出した答えは同じ『辞めて実家に帰る』にはなったが、その意味合いは大きく違っていた。

「親孝行は、親が生きてる時にしか出来ないから」

そう言ったわたしに、先輩は、「やっぱりそうだよね」と、まだやや迷いが残る笑顔で答えてくれた。

 

 






結局先輩は、辞めるという決断をされたのだが、わたしはこの質問をしてくださったことがわたしに対する信頼の証のような気がして、この後の数ヶ月間をとても有意義な学びの期間にすることが出来たのです。


指導はとても厳しかった。

しかし、間違った指導や必要でない指導はひとつもなく、自分がついていく力が無かっただけなのに、わたしはそれを先輩の指導力のせいにしていた。


出来が悪すぎて誰もが嫌がるわたしのプリセプターを率先し買って出てくれた。
ただでさえ、とんでもなく忙しく、何が起こるか分からない職場だ。


仮眠なんか、まともにとれることの方が少ない。
1分でも長く休みたい。そんな貴重な2年もの年月を、先輩はわたしに与えてくださったのだ。


ただ、それに気付いたきっかけがこの相談だったというだけで、先輩が教えてくださる内容も態度も、それ以外は相談前後何一つ変わっていない。

 


変わったのは、わたしの『視点』、それだけだった。

 

 






先輩からの沢山の教訓と知識は、嫌々指導を仰いでいた時のものも含めても、全てプラスにしかならなかった。
先輩が退職されてからも、わたしはメールで何度か質問をしたりもした。

わたしの一番のプリセプターは誰か?と聞かれれば、今もずっとあの時の先輩である。


そんな先輩も、わたしが成長をみせることが出来たとき、こう言ってくれた。

「よく出来たね」


コードブルー3(第2話)を見ていて、新人教育の場での「よくやった」という師の言葉が、どれほどの支えになるか。


その光景からふと先輩を思い出し、急に懐かさが溢れ出てきた。


あの頃から、もうすぐ20年が経つ。

 







わたしの目の前に現れる人は、その時その状況で必ず必要な人である。


当時のことを知らない同僚は、わたしにそんな時代があったことなど想像すらできないだろう。
それくらい、わたしは知識と腕を磨き続けた。


あの頃の先輩と同じレベルに、一番尊敬する先輩に絶対たどり着くというのが目標になったから。


現役時代終盤、わたしは「出来ない看護などあるのか?」と聞かれたこともあったが、このようにわたし自身こそ、知識も技術も思考も全て出来の悪すぎる新人だったと回想する。







誰だって、どの分野だろうと、最初は必ず『新人』なのだ。

最初から自転車に乗れる赤ちゃんは居ない。
しかし、赤ちゃんは自分が歩けないのを人のせいにしない。


何度も転んで、何度も身体をぶつけて、見よう見まねでようやく座って立って歩き出す。

『出来ないのを他人のせいにするのは赤ちゃん以下なのだ』と気付いてからは、他人のせいにするのが恥ずかしくなった。

 


どの視点から見てみるのかで、また、その視点が多ければ多いほど、学びも経験も何倍にも容易に膨れ上がる。

辛いときほど一点からの見解になりがちだが、そんな時こそ、あらゆる面から物事を見つめ直す勇気を常に持ち続けたい。
 
 
 
 


 

 

 

 

 


ローブプロジェクト代表/中村 淳美ハート

 

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