花子のCollege Life in SF
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生きてます、今日も。

HAHAHA!

気づいたら、最後にブログ書いてから1年と4ヶ月近く経ってた!

うーん、いまさら書いたところで見てくれる人がいるのかも怪しくない?

だけど、最後の記事読んで、あぁやっぱり思ったことを書いておいてよかったなって思ったので、
覚書としても続けなきゃね。

って続いてるっていわないか。Duh!


おいといて。生きています、今日も。

この町で。大阪で。土曜日の夜を。
なんとInternet Cafeで。爆笑

理由は、かくかくしかじか、

10月に大阪に住み始めてから、家にパソコンがいるのか?
一日中PCに向かっているといのに?いや、タブレットでよくない?けどタブレットってさ、
Iphone持ってる私にほんとに必要?だったらどーすんの?
で、結局、最新のWindows Surfaceを買ったろーじゃん!と今は思っていて、

日本発売が先か、それを彼が5月に来日する時に持ってきてくれるのが先か知りませんが、
とにかくそれまではまぁ会社でどーしてもPC使う用事は済ませて、あとはPCなくても生きられるよう
ちょっとは訓練しましょうよってことにしました。(Iphone can take care of everything, anyways.)

しかし!やっぱりこうやってゆっくりブログ書いたり、腰を落ち着けて調べ物したりって、
会社ではできないので、今日はやぁっと家の近くのネカフェにやってきたのです。
帰りしなだったしね。


書きたいことは山ほどあるのに、どこから手をつけていいかわからないな。


最後に記事を書いてから、過ぎ去った、大学最後のセメスターSP12。

死守したGPA3.5以上、お母さんと彼・彼の母に祝われての晴れた日の卒業式、

LAに引っ越して彼の家で過ごした1ヶ月強、そして一緒に旅立った南米旅行。

Ecuadorに始まり、すべて陸路でPeru、Bolivia、Brazil。
サンパウロから飛んで Belgium、France、Spain、そこから船でMoroccoへ。
そして、カサブランカから降り立った、日本。


日本では1ヶ月実家で羽を休めたのちに、やってきましたよ、ここ大阪。

10月から製薬会社で働き始めてそろそろ半年になります。


どこから書いたらいいんでしょうね。けれど、とにかく今の心境は、

これまで仕事で手ぇいっぱいだったのが、最近やっと、things are NOW under my controlと
言えるようになってきたかな、と。

そろそろ、新しいことを始める時期だなと感じてます。

こうやってまたブログに戻ってくるのもそう。

I am ready.

フランス語でも学ぶか、他の勉強をするか、それともつながったことのない人たちと繋がって、
これからの道を模索するか。


新しいことをしたいのはやっぱり春だからなのかもしれませんね。日本のこんな春の感情を暫らく忘れていた。

厳しい冬は終わったから。

私は、やっと、自分の足で立って、進める。


日本に帰ってきて色んな感情と戦ってきました。今だってそう。

自分の感情の整理なんてまだできないままに、必死に日々をこなしてる。

だけど、私は自分で進んでいることを忘れません。そのためにも、ここに、その記録を。

私の軌跡を。


I am ready to fight!



やっと始まった2012、そして報告



皆さん明けましておめでとうございます。

こんな放置ブログですが、細く長く続けてはいく心積もりなので、どうぞよろしくお願いします。



やっと2012年ですね。

私の場合、2010年くらいから、頭の中で2012年のことをほんとうに色々考えていたので、時々集中して考え事をすると、「あれ、今って何年の何月なんだっけ?」としばしなるくらいでした。

なのでもう2012か、というより、あぁやっと'12なのね・・・・・といった感じです。

それもこれも卒業が絡んでいるからなのですが。

当初12年の秋セメスターに予定していた卒業を、諸事情により12年春セメに早め、
その都合で先セメスターは急遽4ユニット増やしたり、この冬が明けて始まる春セメも17ユニットという無謀な単位数を取る計画で、ちょっと今からびびってます叫び

卒業を早める=就職するなら真剣に職探しをしなければいけない、ということで、
昨年の11月にはかの有名なボストンキャリアフォーラムに行ってきました。

日本のトップや中小合わせて170社ほどが集まって留学生をリクルートするというこのイベント。
アメリカ全土のみならず、ヨーロッパなど世界中から、主に日本人の留学生がやってきて3日間という短期間で内定を取りに来ます。

前々から見聞きしてはいましたが、アメリカ永住派の自分には縁遠いとずっと思っていました。

しかし自分の進路について考えた結果、このまま日本を知らずにアメリカに居ついてしまうことへの戸惑いと、
アメリカに限らない国際的な進路に目が向いたことがきっかけとなって、
まずは日本で就職するという道を選びました。

日本の就活なんて一生縁が無いと思っていたのに、卒業半年前ということで、がちがちの就活をすることになった私。

どこか自分でも自分の状況を面白おかしく感じつつの就活でした。

エントリーシートとか書かされて、オンラインテスト受けさせられたり、履歴書提出に追われたり。

先セメは本当に学業の辛さ、バイトをやすやすとは抜けれない忙しさと重なって死ぬ思いで切り抜けました。


キャリアフォーラムの開催地のボストンでは彼の友人宅に泊めて貰い、彼もCAからやってきて、3ヶ月ぶり?の再開。

しかし私は一日何件も重なるインタビューに魂を吸い取られて、彼らとの時間を楽しむどころじゃなかったのですが・・・・。


まぁこれについてはまたいつか記録を書きたいと思ってはいますが、ざっと言うと、

2社から内定を頂き、本望(に急遽なった。笑)の企業への就職を決意しました。

まだ私の配属部署や勤務地など明らかでないのですが、最近海外進出へ大きな一歩を踏み出した企業で、
私のように海外留学生で英語に申し分のない社員は、3年ほどの日本研修の後はヨーロッパなどの海外へ飛んで貰う可能性が高いということでした。

企業の方に実際お会いして、どの方も違和感なく接することができるお人柄だったこと、
社内に既に多くの外国人社員を迎え入れていること、海外へ出て行くチャンスを多く貰えることなどが決め手でした。


本音を言えば最初は全く頭に入れていなかった業界、企業だったのですが、
実際にお会いして一番しっくりきたというか、一緒に働きたい!と思えた会社でした。

2012年の10月から働くことになります。

色々期待や不安は多いですが、名の通る会社なので親や親戚は大喜びしているし、一番ビビッとくるものがあった会社に入社できることに、今は素直に喜んでおこうと思います。


彼との関係については、日米遠恋となっても続けていこうという意思を、お互いにボストンで固めました。

未知数なことだらけですが、彼はより一層のコミットメントをして真剣に将来を考えていきたいということでした。

フラフラと何処に行くか分からない私にそこまで言ってくれるのは幸せなことです。

まだまだこれからどうなるか分かりませんが、できるだけ二人で未来を創っていけたらいいとは考えています。



そんな感じの2012年。

今月下旬に始まる春セメを以ってして、5年に渡る留学生活も一旦終了、4ヶ月の人生最後?の夏休みを終えたら10月から社会人になります。

また激動な一年になるな。


一瞬一瞬を、大切に生きていこうと思います。







結婚=グリーンカード=幸せ、か?


どーも、どーも。

夏はもっとブログ更新するぞ!!とか言っといて、えー、約3ヶ月、明日、学校始まります。

・・・・・・ちーん。。。
私はブログ更新したくない病にでもかかっていたのか?この3ヶ月?

何はともあれ。そのあたりはすっとばして本題に入ろうかと思います。
何も今日考えついたことでなく、ずっと考えていたことであり、一度くらい書き留めておきたいなと。

いつ卒業するの?その後は?日本に帰るの?アメリカに残るの?分からない?
え、彼氏がいるの?じゃあ結婚したらいいじゃん。

誰と話していても、私がグリーンカードを持っていない学生だと分かるとこういう話しの流れになる。
移民の人だと特に、ビザの難しさとか分かっていて、結婚が一番の近道だって知っているから。


今、私にしては珍しく、日本人の女の子+その彼氏と3人で住んでるんだけど、その彼女はOPT中で、その後のことは分からないと言ってる。
はっきりしているのは今の会社に1年以上居るつもりはないということだけらしい。

その彼女と話していたときに、「彼氏の給料とか、知ってるの?」と。


私「いやー、知らないね。彼が今の部屋を借りるときに、Rentの2,5倍以上の月収がRequirementだったけど、それをクリアしてはいる。彼のRentの金額は知ってるからだいたい逆算はできるけど細かいことを聞いたことはない。」

ルームメイト「いや、それ、大事でしょ!私なんか彼がバイトでチップ貰ったときもいくらだったか聞く」

私「へー・・・・。まぁでもうちらべつに夫婦でもないし知っとく必要もないと思うしね」

ルームメイト「そうなんだ・・・・。でも私は中級より上の生活目指しているから。日本には年一回帰らしてもらうつもりだし」

前話したときに彼女は「専業主婦って、憧れる」とも言っていた。


ずばり言えば私は専業主婦なんて全く憧れない。暇すぎて死ぬんじゃないかと思う。
うちの母は仕事に生きがいをみつけて、だけど仕事に理解を示さない父にだいぶ苦しめられながら私たち3人の子供を育てていた。
今にして思えば、なんで私たちはもっと家事を手伝わなかったんだろう。それこを自分たちですべき仕事だったのに・・・・。
部活に勉強に忙しかったけど、物心ついた子供としてできることはもっといっぱいあった。

そのあたりは色々とまた書いてみたいけれど、話しの焦点を戻せば、私は自分にとって生きがいのある仕事をみつけ、従事することにこそ意味があると思っている。
母のそういう背中をみて、愚痴をきいて育ってきた。

だから自分は、私もしっかり自分にとって意味のある仕事をできるようにならなきゃな、私の価値観を尊重して共に支えあえるような人をパートナーに選ばなきゃな、と自然と考えるようになったんだと思う。

グリーンカードはいつか手に入れたい。
だけど、結婚を"手段"として使うことを自分が決して良しとしない気がする。
それはプライドか、正義感か、それともただの意地なのか分からない。

もし私がこのまま卒業して、OPTでも取ったとして、どうしよう・・・・となったときに彼が「結婚しよう」と言ったとする。
だけど私はそこでYesと言うことは無いと、はっきり思う。

だってその先に未来がないから。
自分のフィールドで職を見つけるだけの学歴も経験もない。グリーンカードがあったからといって、それは私に職を保障してくれるわけじゃない。
自分にとってどうだっていい仕事を見つけることは可能になるかもしれない。
だけどその仕事に毎日不満を言いながら過ごすんだろうか?収入のためだけに仕事をして、意味をみつけられずに終わるんだろうか?

それじゃあ、親に高い学費を出して貰って留学までした意味がどこにあるんだろう。


ここまで辿り着いて、今は、ゆくゆくアメリカで、自分のフィールドで食っていけるだけの仕事を見つけることにフォーカスを当てている。

当然マスターは必要になるだろうから、そこも視野に入れているけれど、前も書いたように、学生は来年の卒業以降当分ごめんなので、まずは日米問わず働いて、その後院に入って、卒業して、何ができるか。

大卒でいきなり自分の思うような仕事はできないかもしれない。
けれど自分には長い目でみた夢があることを忘れずに進んでいきたい。


その自分の歩みを進めるうちに、どこかで結婚というステージも訪れるのかもしれない。
だけどそれを計算に入れて考えるのはどこか違う気がする。


私がひとつ気になるのは、そういう専業主婦志望の子が、結婚に失敗して離婚となったとき、どうするつもりなんだろう?ってこと。
旦那の収入に頼りきって生活することをアテにしていて、学歴も職歴もなくて、例えば40で離婚したとき、どうするの?
私のバイト先の先輩は見事にそういうシナリオを辿って、今のレストランでもう10年働いている。
社会保障も、有給も、なんにもない、学生でもできるような仕事に、彼女が生きがいを見つけてるとは言い難い。

人の人生にたかだか私が口出しする権利は全くないけれど、私が言いたいのは結婚を手段として選ぶと、かなりのリスクが伴うことも分かっていたほうがいいんじゃないかということ。
他人が自分の命綱になる。人はいとも簡単に変わってしまう。
自分で自分の保障ができなくなるのは、私は、怖い。


彼には結婚がどうこう話したことはないけれど、大学卒業~どこかで就職、いつか院ということは相談してあって、応援してくれている。
最初私が大学卒業の後、日本に帰ることもあり得ると話したらかなりショックを受けていたけれど、私の自分が満足するところに行き着かなければ満足しない性格を分かっているんだと思う。
”I'll be patient”と短く言って、それ以降私の進路を気にしつつ、自分にとってベストな道を選ぶべきと言ってくれる。
今すでに遠恋になってしまって、それでも学んだことはあり、「自分の仕事に打ち込めることだよね」、と。

愛し合う人とより時間を過ごせることは素晴らしいが、例えば学校の成績とか、仕事の出来に必ずしも貢献しない。
私は遠恋になってからのほうが自分で時間がコントロールしやすくなったし、学校以外にもStudent organizationとか、インターン、ボランティア、色んなことができるようになった。
履歴書上で見れば、こちらのほうが有益になったことは明確だ。

アメリカ人の友達(男)が、今度マスターを取りに海外の院に行くんだけど、言っていた。

「僕も彼女と同棲して思ったんだ。安心して帰れて、彼女と快適に過ごせる場所があると、自分の志を忘れてしまいそうになる。これ以上僕は何が必要なんだ?って。だから院で彼女と離れて過ごすのは、寂しいけど自分にとってプラスになると思うんだ」

まーこれ以上書いてもしょうがないのでこれくらいで。

とりあえずグリーンカードは人の幸せを保証する魔法ではないということ。
結婚を手段とすることは、一見近道だけれどリスクは低くないということ。
アメリカに住む女性は分かっておいたほうがいいんじゃないかと思ってる。


Happy Summer!



先週の金曜日、2011 SP最後のFinalが終わって友達何人かと”Happy Summer!”のテキストのやりとりをした。


貸した教科書、今日返してくれなかったでしょ、だからもうそっちからChegg.comに送ってくれ だの

あのイベントのAfter party、まだやってないじゃん、もういっそ今週末のGeography Departmentのピクニックに混ぜてもらおうよ だの

今日の学部卒業式、席って取ってないと行かれないんだっけ? だの

Emillioの番号しらないー?連絡取らなきゃなんだけどー だの

この間一緒に行きたいっていってたイベント、明日の朝イチだけど”Do you really wanna wake up that early the day after the final though?LOL” だの。。。。


寝不足な頭でとりあえずみんなとひと段落ついたら速攻昼寝。

死んだように5時間ぐらい寝た。

眠り際「あぁ夏なんだよなーもうしばらくはペーパーもMidtermもFinalもないんだよなー」とぼんやり思った。

けど、Finalに向けてある意味躁状態にあるときは「終わったらあれもする!これもする!」ってやりたいことなんて山ほど思い浮かぶのに、いざ終わるとしばらくBurn outで、もう何にもしたくない・・・・・・になる。


それでも今回はわりかしすぐお休みモードを楽しめてるのは、ルームメイトが金曜からPartyに連れ出したりしてくれたからかもしれない。

今二人いるルーミーのうちひとりが卒業するので、その余興?でモロッコ料理屋に15人のアジア人集団。

期待しなかった料理が思いのほかとっても美味しくって、ベリーダンサーのお姉さんもなんだか妖艶で、

しまいにはルームメイトと一緒に誘われるがままレストランの真ん中で一緒に踊って帰ってきました。音譜


土、日、とあわただしく過ぎて、今日月曜はやっと自分の時間をゆっくり楽しめた感じ。

部屋を片付けたり、銀行行ったり、服や本のDonation行ったり、そしたら思わずその古着屋で4点合計$30以上で買い取ってもらえたり、向かいの靴屋さんでずっと探してたようなブーツを発見して速攻お買い上げしてみたり。

Golden gate parkで日向ぼっこしながら読みかけの本を終わらせて、帰ったら犬の散歩に海が見える丘まで行って、夜ご飯はゆっくり料理して。

なんでもないことばっかりだけど、こういう日をほんとに嬉しく思う。


今年の春セメは今もまだ言葉にできないくらい色んなことがあった。


引越し。新しいバイト先。初めてStudent organizationに加わってイベントの企画や運営、姉の婚約、何より日本の地震。

地震について何か書きたい書きたいと思いながら、自分の思いを整理しているうちに忙しさに呑まれてそのままにしてしまった。

でもまだ地震の影響は現在進行形であって、何を締めくくれるわけでもないし、私の思いも絶えず形を変えてそれにいちいち言葉を探せずにいます。

けどこの学期振り返りのあとに、それだけについてひとことふたことは書いて残しておこうと思います。


今学期。


学校のStudent organizationに思い切って参加したのはほんとに良かった。

友達もいっぱいできたし、夏にも色々やろうね、って計画中だし、学校っていう勉強することが机の上の空論になってしまいがちな場所に、程よくReal life experienceを持ってきてくれた。

私たちはこういうことを大切だと思って、それをより多くの人に理解してもらおうとおもってさまざまな企画をするわけだけど、果たしてどれだけその核となる思いを参加者に分かってもらえるのか?

ていうかもともと参加者を募る段階からきっちりやらなければすべて無駄になる。

忙しさを口実にしない迅速な行動と、きちっとやり遂げるコミットメントが足りない。

よりよいコミュニケーションと効率的な組織運営を。

課題は山ほど出てきたけれど、長年の参加者曰く、私や他数名のNew ComersのActive involvementによって今期は今までで一番まとまった活動ができたのだとか。

うーん、あれで????っていうのが私の感想だけれど、一度片足突っ込んだからには、私も一員となってより影響力のある生徒組織となるべく力を尽くすつもりです。



学業に置いてはやっぱりUniversityの授業はコミカレと違ってそう易々とAは手に入らないな、というのをいよいよ思い知った。

自分の勉強のやりかたが全然なってないのは前々から百も承知だけど、本当にそれを変えなければGPAはこれからも暴落の見通しダウン汗

Major関係で、今の暮らしや価値観のSustainabilityをさんざん考えるわけだけど、そして現在を大声で批判するのだけれど、果たして私はそのNew paradigmの必須要素となる教訓に沿って自分を律しているのか。

それができないんなら何を書くべきでもないし、何を言う権利もないんじゃないかな、とセメスターが進むにつれて感じるようになった。まぁ、そんな難しいことを持ち出さずに、短く言えば

1評価の対象となることは全てやりましょう。
2読まなくていいAssigned Readingなんてものはありません。(全部読め。)
3予習、復習、演習をきっちりやっていなければ毎日の授業なんてお茶濁しに時間を潰しているだけ。
4付け焼刃の勉強ではAはもう手に入りません。


以上です。はい、書きながら腸が痛いですね。身に染み過ぎて痛いです。ガーン


さらっと学校関係さらってみたところで今日はここまでー。

Summer schoolまであと20日足らず。夏じゅうはもっとブログも書くぞーアップ

ということで皆さんHave a good one....






年明けました。今後の方針


皆様明けましておめでとうございます。

いや~ずいぶんと放置してしまって、帰ってきたら「こんな不愉快な記事をずっとトップに置いていたとは・・・」

と、ちょっと唖然とさえしてしまいましたね。汗


2010は色々と変化もあり、勉強も楽しくなってきて、かつぐっと自分の進路を考えるようにもなりました。

っていうのはTransferした今、次のゴールとなる卒業、その後が具体的に迫ってきたからでしょうか。


今までずーっとアメリカで就職するんだ、そのために頑張るんだ、と漠然と思ってきた。

けどMajorで勉強するにあたって自分がどれだけこの問題を無視できないか突きつけられた。

同時に自分が自分のやりたい仕事で自分の満足のいくキャリアを積みたいという願望がずっと強いことも思い知った。


そうすると、日本で就職するのもいいな、っていうオプションがすっと浮かんできた。


理由は簡単、今アメリカの私のFieldで、Bachelor Degreeだけで勝負できるところなんてどこにもない。

となるとGrad schoolを出るのが妥当、だけれど私は大学から直に院に進みたくはない。

ここで自分のFieldで就職して、必要な専門性を見極めてから院に進みたい。

お金も貯めたいしね。

正直、今みたいにすし屋で生活費稼ぎながら貧乏学生、みたいのをこれ以上だらだらとは続けたくないのです。

そして院まで進んでいざ就職してみたら、やっぱりこんなことはやりたくない、なんてのもごめん。

院は自分が進むところの道しるべとして絶対無駄にしたくはない。



となると、大卒で就職となれば日本のほうがよっぽどマシなOptionを私に与えてくれるだろう。

だから日本で就職、社会経験を経て院、その後に狙いたければアメリカで働く手段を探したほうがいくらかましな勝負ができると思う。


っていっても今まで全く考えていなかった日本というオプション、今更日本文化にまた慣れることができるのか?

つかいったん学生をやめるとまた帰ってくるのは大変なのでは?とか心配も色々あります。


けどまー悩んだって仕方ないこと。これまでぼんやりとしすぎていた「アメリカいたいけどー何すりゃいいの?」

的な疑問に、ある程度の答えが出せつつあるというか、一応プランらしきものが見えてきたことには満足しています。


誰も「うん、それが正しいよ、それでいいんだよ」なんて教えてくれないからいつも答えを先延ばししてしまう進路っていう問題。

でも大学にアメリカに来たことや、SFを選んだことを決して後悔していないように、私の根拠のない

「まーなんかそっちのほうがいい気がする」というような予感は得てしてそんなに外れていない気がするので、

自分を信じてやってもいい。



長期的な目で見たときに、自分にとっていい結果の出る道を。



2011年はまた少し夢に具体的に近づける年にしたい。





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