皆様ご無沙汰しております!hanaでございます!
大分寒くなって来ましたが、皆様お変わりないでしょうか?私は相変わらず元気です。
さて、早速では御座いますが、私、今子猫を保護しております。(また~?と思わないで下さい)
それで、そろそろ里親様を募集させていただきたいと思い、その記事を書かなくてはいけなくなりました。
しかし、その前に、心配して頂いた皆様に3.11の事を何も説明なくまたブログを始めるのもおかしいと思い、今日は思い切ってあの日の事を書きたいと思いました。
以下、震災の事について書きますので、まだ心の傷が癒えないかたや見たくないかたはどうかスルーして下さい。
3月11日。
あの日からもう半年以上の時間が流れました。本当に早い・・・。もう半年も経ったのでしょうか?
思い出す事すら、とても怖くて嫌な事ですが、自分の中で整理する意味でも今日はあの日の事を振り返ってみたいと思います。
あの日の地震は、とても長くて大きな地震でした。
地震がおさまって、すぐに娘を学校に迎えに行き、実家と店のある立沼に向かいました。
実家につくと、実家の脇の納屋が倒壊してい居ましたが、それ以外は特に壊れてはいなくて少し安心しました。
店の脇のサークルに自宅から連れてきていた愛犬ジンジャーを自分の車のゲージに乗せ、私も実家の車庫に戻りました。
そこで母の車に娘と3人で乗り、余震が収まるのを待ちました。
その時。
あの恐ろしい津波が襲ってきました。
たまたまトイレのために車を降りた私に、父が大きな声で「水が来てる!!!」と叫びました。
言われた方向を見ると、渦を巻きながら濁流が迫っていました。
そのまま母と娘、1回に住む祖母と外の階段を駆け上がり自宅の2階に逃げました。
そこからしばらくの記憶があまりないのですが、1分もしないで1.5メートルの高さまで水が迫ってきました。
その時、自宅庭のサークルに5日前に実家で迎えたばかりのコーギーが居たのですが、水に巻き込まれた光景しか覚えていません。
次の瞬間には、ずぶ濡れの母がコーギーを抱きかかえて階段を上って居る姿が見えました。
私はあまりの水の勢いに、足がすくんでしまい何も出来なくて母が水に入る光景も、見ていたはずなのに全く記憶にないのです。
ただただ水の流れに恐怖を感じて居て、その時の状況が全く理解出来ませんでした。
だから、愛犬が車ごと流された事にも直ぐには頭がついて来なかったんです・・・。
「ジンジャーが・・・」。
それ以上は何も言えませんでした。アッという間だったから。
車庫の脇に止めていた私の車が目の前を流されていきました。
頭から血の気が引いていくのが自分でもわかります。足は震え指先から温度が無くなりました。
だけど、私も母もただ見つめる事しかできなくて、せめて流されていく方向だけは見失わない様にとひどく冷静に頭が冷え切って行く様な感覚がありました。
でも、直ぐに私の車は見えなくなりました。
父は自宅から50メートル位離れた会社に、事務員さんと隊員さんの3人で避難していました。
雪が降る中、家の中に入ることも忘れ、皆でただただ増えたり引いたりする水を眺めて居るしかできませんでした。
頭に浮かぶのは、愛犬の苦しむ顔。そして助けに行かない、行けない自分の不甲斐なさ。
周りが薄暗くなって来て、腰の上くらいまで波が引いた時に、母と2人愛犬を探しに行こうと水に入ってみましたが、氷みたいに冷たくて、そして思った以上に流れが速くて先に進むことができませんでした。
きっと無理すれば行けたのかも知れません。げんに、母は無理してでも行こうと思って居たと思います。
無理だと言ったのは私。流れの速さも、水の冷たさも、きっと死ぬほどの物では無かった。
なのに、私は・・・。愛犬の命を大切に思って居たのに、とってもとっても大好きなのに、ずっと大事にするって約束したのに。
怖くて怖くて進めなかった。何が怖いのかも、はっきりとは分からないのに、ただ全てが怖かったんです。
それまで「死」を感じた経験がなかったから。
自分の命がとても頼りなくて、絶対的に敵わない力があると思い知らされた時から、私の弱い心なんてとっくに折れていました。
だから、どうか生きていてと願う事しか、私には出来ませんでした。
水が引いたら直ぐにむかえに行くから、それまで耐えてて、すぐ行くから。お願いだから生きてて・・・。
何度も何度も祈りました。それが自分に都合が良いだけの行為だとしても、そうするしか、それしかできませんでした。
夜になって、真っ暗になり、それまで鳴り響いていたサイレンも聞こえなくなり、遠くの空が真っ赤に燃えて居て、時々爆発してるみたいに火花が飛んで居るのが見えました。
何度となくヘリコプターが上空を飛び、照明弾が焚かれその度に照らされる光景は私の知らない光景ばかり。
まるで湖の中に沈んでいるみたいな家々。
不気味なぐらい静かでした。
「私に”明日”はもう来ないのかも知れないな」とぼんやり考えて居ました。
「旦那さんは上手く生き延びてくれたかな?」「自宅の猫たちは皆無事かな?」「金魚の水槽は大丈夫かな?」「あの人は生きててくれるかな?あの場所も水来たのかな?・・・・」
「助けて」
「誰か助けて下さい」「全て無かった事に、全部夢にして下さい」「もう悪いこともずるいことも絶対にしないから」「だから早くこの恐怖から解放して下さい」
都合の良いお願い事は、きっと誰にも届かない。だから誰も助けてなどくれないと、本当は知っているのに祈ることしか出来ませんでした。
涙なんて1度も出ませんでした。
何度も何度も懐中電灯で闇を照らしても、水は全然引いていなくて苛立ちと焦りだけが募りました。
結局朝まで水は引かなくて、朝5時過ぎにやっと父が家まで様子を見に来てくれました。
水が引いたら直ぐに歩けると思って居たのに、後に残ったのは沢山の瓦礫と膝までの泥。
そして何度も放送される「まだ津波が来ています。高台に避難してください」の声とサイレン。
父が代わりに私の車を探してくれることになり、流された方向をを言って父の報告を待ちました。
父の声が聞こえるまでの時間がとてもとても長く感じました。
「車あったよ!」
「ジンジャーは?」
「そこに行くまで遠いからもう少し待って」
「早く!早く見てみて!無事なの?早く!!」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「無事だーー!!!濡れても居ないよ、元気だ!!!」
直ぐに駆け出して居ました。早く謝らなくちゃ。早く早く早く。
たどり着いた先は、自宅の目の前のビニールハウスでした。
普段は歩いて30秒もかからない場所なのに、たどり着くまでとても時間がかかりました。
そのハウスの1番奥に、まるで駐車でもしたみたいに綺麗に私の車は収まってました。
車の前方が沈んだみたいで、車内はハンドルの上の方まで水の跡が残っていました。
そのおかげで、愛犬のゲージを積んでいた後方が浮いたみたいで、更にはどうしてかわからないのですが、ゲージ自体も車内で浮いた様でゲージの中には水が一切入って居ませんでした。
(ちなみに愛犬30㌔越えの大型犬です)
水に負けて、恐怖に負けて、足がすくんで何も出来なかった私を、愛犬は尻尾をバンバン振って迎えてくれました。
「ごめんね、ジン、本当にごめんね。直ぐに助けなくてごめんね。ごめんね・・・。」
涙が出ました。
弱くてごめんね。ずるくてごめんね。怖い思いをさせてごめんね。守れなくてごめんね。1人にしてごめんね。寒い思いをさせてごめんね。待たせてごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。
生きていてくれてありがとう。
その後、6時過ぎに自衛隊が大きな車で助けに来てくれて、私たちは市役所まで避難させてもらいました。
これが、あの日私に起こった事です。
あの日、沢山の大事な命が失われました。人間も動物も。
その中に失われて良い命は1つも無かったと思います。無くなった命の分だけ悲しみがあり、今も苦しみの中に居る人も沢山居ます。
物事には何でも意味があると言いますが、あの大津波に一体なんの意味があったのか、私にはわかりません。
私の中に残る恐怖心と、鮮明によみがえる絶望感は今でもとても生々しいです。
津波の夢も何度も何度も見ます。海を見に行く勇気も近くを通る勇気もまだありません。
まだ小学生の娘は、時々ひどく臆病になり学校に行けない日もあります。
失ったものも、私にもあります。
復興が進み、何事も無かった様に毎日が過ぎ、自分は幸せだと感じる度、亡くなった方やその家族の方の事を思います。
割り切れない気持ちと、答えの見えない疑問もまだまだあります。
それでも。
だからこそ、やっぱり前に進むしか無いのかなと最近は思うようになりました。
これからも色々な経験をするチャンスを、私はまたもらうことが出来ました。
出来なかった人の分までなんて、おこがましい事は思いませんが、それでもあの日の事を忘れず成長していかなくてはいけないと思って居ます。
成長した自分になら、この震災の事を違った目で見れる日が来るのかも知れません。
あの日守れなかったもの、あの日できなかったこと、あの日後悔したこと。
あの日に戻ってやり直す事は出来ないけど、これからを変えていくことなら私にも出来ます。
そう努力することに、これからの時間を使っていけたらと思います。
長くなってしまいましたが、私の独り言におつきあい下さってありがとうございました。
皆様の毎日が、幸せと希望に満ちた素晴らしいものになることを心から願って居ます。
1日が終わるたび、「今日も幸せだった」と眠りにつける日が沢山沢山訪れますように。
皆さんが元気で居てくれて、私はとても幸せです。
本当にありがとうございます。
hana