憑依、願望、目撃

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 更新するといいつつ一ヶ月以上も放置しておりました……人間ぶろぐです。

 

 

 書きたい気持ちはベース音の様にドゥンドゥン響いていたのですが、それがキーボードのパチパチに中々ならず……俺が俺の気持ちの通りに動いていたらそりゃもうblog記事の十本や二十本更新していたことでしょうが、不思議な事に心と身体の距離は、例えば脳みそから指先までの1m未満の距離なんかより遥かに隔たっていて、先述の様にキーボードを叩かせません。

 

 

 って言うとまるで「blogを更新したい俺」が善で、そいつが「blogを更新しなかった(現実の)俺」(←悪)に対して被害者意識を向けている様だ。が、実際は「blog更新が億劫な俺」ってのもいて、そいつの観点からすると「俺」はここ一ヶ月以上、十二分に願望を満たされ続けていたはずで、更には「それらを観測する俺」が相反する自分達を調停するのに躍起になりながらたまにふて寝したりとかなんたらかんたらで……はあ……ごちゃごちゃ言う前に体動かしましょう(結論)!

 

 

 誰だって自分が可愛い。自分可愛さで生きているし、それでなんとか日々をやってこれている。いつだって自分は「可愛い自分」の味方でいたいものだが、しかし、そのために自分を「自分の被害者」にしてはならない……それではblogが更新できないんだ!って思うし、そうやってハッキリ「自分を呪う自分」を作ると、そいつが外にいる他人に憑依して他人にまで呪われた気分になる気がする……ある意味では夏に相応しい「自分怪談」の完成であるが……これはあまり良い趣味でない。

 

 

 と、自己完結してみたが……これは「アナと雪の女王」を今更観て漠然と思った感想以前の何かである、と思います。では作品の感想はというと「とっても面白かった!」「トロール好きー!」「オラフのグッズ持ってる奴を目撃してムカつくのをやめようと思う」です。

 

 

 

 

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更新再開の人間ぶろぐ

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 お久しぶりです!人間ぶろぐです。

 

 

 昆虫戦士コンチュウジャー、無事終演いたしました!再演という事で、稽古の初期段階こそ初演の記憶がマリオカートのゴーストデータみたいにつきまとってきましたが、共演者の皆様のアイデアと根性ですぐにそれは振り払われ、新作のような気分で稽古の日々を過ごす事ができました。

 

 

 

 本番中も、皆様の期待と客席から響く笑い声に後押しされてなんとか千秋楽まで戦い抜けた……そんな印象が強いです!これは今回に限らずいつもそうなのですが、後押ししていただく一回一回が特別な事だと日々実感しています。

 

 

 

 その他にも終演後のロビーでお話させて頂いたり、お手紙を頂いたりと、様々な形でエネルギーを頂き、ああ、もらうばっかりでなく、少しでも観劇後の皆さんの元気の源になれる芝居ができるよう勉強していかなきゃなあと改めて思いました。夏には「昆虫戦士コンチュウジャー2 激突!恐怖の戦士、ネオコンチュウジャー!」が控えておりますので、今からテンション高めて取り組んでいきたいと思っております!こちらも是非、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 と、コンチュウジャーの興奮も収まっていない今日この頃なのですが、萩原達郎、明日、珍しくイベントの司会を任されました!

 

 ロ字ックさんの

「ライブハウス×演劇公演 Y FUTAMATA」 チケット発売イベント~あの子のことは嫌いになっても、私にはお金払ってください!REBORN~

 にて行われる劇団員アフターイベント主導権争奪バトルの司会を務めさせて頂きます!ぶっちゃけ、ど緊張!でも楽しそうなイベントなのでご一緒できて光栄です!楽しみだな!緊張するけど!ご予約不要でしかも無料!という事なので、お時間ありましたら是非是非、観劇三昧下北沢店に足をお運びください!萩原の参加は15:30からですが、ロ字ックの皆さんは朝10:00から20:00までチケットを手売りしまくるという超タフスケジューリングなので負けてられません!beストロング!

 

 

 告知多めの記事になりましたが、いろいろ見て聞いて、書きたい事が溜まっているので、今月から再び人間ぶろぐは通常更新していきます!改めましてよろしくお願いします!

 


 

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真価、記憶、皆無

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 ゴールデンウィーク前哨戦が終わり、今日あたりから本格的にキラッキラの日々が始まる人も世の中には多いのだろう。高速道路は渋滞しているみたいだし、実際俺も今日、稽古場に行く途中、スーツケースを持った家族連れや、明らかに夢の国あたりに行くであろうカップル共と沢山すれ違った。みんな非常に楽しそうな表情をしていた。以前の俺ならば「け、浮かれやがって」と心中吐き捨てていたに違いないが、いよいよ後一年で三十路となってくれば、そこは全然違う。寧ろ「みんな、行く先々でめっちゃ楽しんでめっちゃ幸せにその後の日々も過ごせれば良いのに」と願う位のもんである。

 

 

 ゴールデンウィーク、と言われても、俺には特別キラキラした思い出が無い。我が家は重症のインドア家族だったので、ゴールデンウィークだからといって特別に旅行したりしない。どこかに外食くらいはしに行ったかもしれないが、「ゴールデンウィークの記憶」として残るものはマジ皆無である。

 

 

 だからゴールデンウィーク中に何をしていたかというと、運動するかダラダラしていたはずなんだが、それも今となっては定かではない。しかも演劇という、公演日程くらいでしか祝日を意識しない世界の中で今に至っているものだから、俺はゴールデンウィークってものの真価がいまいち分かっていないような気がする。

 

 

 俺の世界ではゴールデンウィークの影が薄い。しかし電車に乗ってみればやっぱりゴールデンウィークは存在し、それはとっても楽しそうだ。「そういえば去年のゴールデンウィークは……」という記憶が「今年のゴールデンウィークも……」という風に企画を立てさせて「来年のゴールデンウィークは……」とまた生きる原動力になっていく。ゴールデンウィークという言葉が人生の中で一つの極になって、記憶の体積を産む。今日スーツケースよりも背丈が小さい子供が自分で稼ぎを得る頃に、今日の楽しい記憶が体に染み付いていて、具体的に何があったかまでは思い出したりしないかもしれないけれど、ウキウキ有給とったりしてゴールデンウィークを満喫するんだろうな、と俺の勝手な想像力が働き、その頃にはスーツケースを引いてるご両親とは旅行する機会は減ってるだろうけど、それでもある意味家族旅行し続けてるようなもんだよなと思うと、ゴールデンウィークそこらじゅうで勝手に光りまくれって思う次第なのである。

 

 

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