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あくまでも私的な韓国

2008年、韓国生活とブログが、ほぼ同時にスタートしました。2021年の肺癌手術を経て、終活を念頭に置きつつ、日々を生きたいと思っております。

長年日本語を学んでくださっている

 

ギョンヒさんの息子さんの結婚式が

 

昨日ソウルで行われました。

 

ギョンヒさんと最初にお会いしたのは

 

勤め先の語学院の学生さんとしてでした。

 

何年か通ってくださったあと

 

ここ数年は個人授業で学んでくださっています。

 

同年代主婦の方にしては珍しく

 

読み書きよりフリートーキングが得意で

 

思ってることは殆ど日本語で話せます。

 

そんなギョンヒさんの息子さんの話は

 

彼がアメリカ留学していた時から聞いていました。

 

当時は目に入れても痛くない息子で

 

アメリカから毎日のように電話をかけてきて

 

何時間も話すのよと喜んでいました。

 

その後、軍隊に行っても同様で

 

仲の良い母息子だなという印象でした。

 

様子が変わったのは彼が就職したあと。

 

思っていたような会社に就職できず

 

昇進試験も受けないと嘆いていました。

 

そのうえブランド好きな息子さんは

 

給料の殆どをブランド品に使ってしまい

 

家にお金をいれないどころか

 

貯金も殆どしませんでした。

 

さすがのギョンヒさんも息子の行動に呆れ

 

早く独立して家を出てもらいたい

 

というのが言動に出ていたようです。

 

付き合ってる彼女の話も聞きましたが

 

あまり長続きせず

 

息子さんが30代半ばに近づいたころ

 

結婚相談所に登録させました。

 

付き合える人数に制限があるそうですが

 

何人か目に気に入った女性に出会いました。

 

ところが両家で会ったところ

 

相手家族に良い印象を受けずに悩んでいました。

 

韓国で特に問題になるのは

 

両家のお金のバランスですが

 

相手家族はお金の件を

 

ギョンヒさん宅に全て任せました。

 

韓国では新郎が家を準備するのがいい

 

と言われていますが

 

余裕のない家では実質できません。

 

しかしながらギョンヒさん宅では

 

息子さん夫婦が生活できる部屋を準備し

 

新婚夫婦は当然のようにそれを受け取り

 

結婚式の前から住み始めました。

 

式の会場と日取りは新婚夫婦が決め

 

ギョンヒさん夫婦は

 

親しい人達に会って食事をご馳走し

 

招待状を渡すのに忙しく過ごしました。

 

ギョンヒさんはそのせいで体調不良になり

 

一週間前にも寝込んでいました。

 

息子さん夫婦がギョンヒさん宅を訪れたのは

 

結婚式の一カ月ほど前に

 

必要なものを取りに来たときだけ。

 

「次は結婚式でね」と言って帰ったそうです。

 

そんな息子さんの結婚式だったので

 

あまり期待はしていませんでしたが

 

式場の入ったビルだけは立派でした。



ただし結婚式会場には狭くて入れず




モニターで式の様子を見られる設備もなく

 

食事だけして帰りました。



息子さん夫婦はどうでもいいのですが

 

心から祝福する気にはなれず

 

ギョンヒさん夫婦が気の毒だというのが

 

正直な感想です。