浜松で禅修行

レストランの食品サンプルみたいなものを並べています。


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2011年1月のmixi日記より加筆転載。


前回のブログのとおり、気づいたことを老師にお話ししてご指導をいただきました。


私:
先月のクリスマス坐禅会以降、また気づいたことがいくつかありますので、だらだら長くなりますが…。


掛川の老師:
どうぞ、どうぞ。(笑)


私:
老師から「坐禅をやめたらどうですか」と言われたんで、坐禅をやめて街をブラブラしてました。で、地下道から地上に出た時、ふと見上げるとビルがあるんです。


その時に「あれっ、これじゃないか」と気づいたんです。


どういうことかというと、坐禅や仏法に出会う前から、いつでもこのビルを見たらこういうふうに見えてたじゃないか、昔からの平凡な自分の感覚のまんまでいいんじゃないかと気づいたということです。


本当か?と思ってしばらく確認しながら歩いてたんですが、交差点に来ると赤信号がある。待ってると青信号に変わる。渡り終えると向こう側に渡っている。なんだ、やっぱりこれじゃないか、と。


「坐禅を始めて2年半、俺はいったい何を見当違いのことをやっていたんだろう」とがっくりきて、笑いがこみあげてきました。


嬉しくなってさらにブラブラしてたら、10分ぐらいして「なんだ~これらは全て出てきちゃったものじゃないか。出来上がってるんじゃないか。結果として表れてきたものであって、自分はそれに手の付けようがなく、ただ立ち会っているしかないんだな」と気づきました。


で、家に帰って普勧坐禅義を読み返していたら、「坐禅は習禅に非ず」という言葉が目に入って、「ああ、そういうことか!」と本当に意味が分かりました。


坐禅の形に足を組んで、あとはもうすでに表れている昔からの平凡な自分に立ち会うというか、確認するというか、一緒にいるというか、それだけでいいんだ、と。


坐禅の初心者が最初に座ったその瞬間からちゃんと坐禅できてるじゃないか、と。


あまりに気持ち良くて、そのまま3日間ほど坐禅やってたんですが、買い物に出ようとして外に出ると風に草がなびいている。おじさんがジョギングしている。


「な~んだ~、昔から今までみんなずっと一緒にいてくれたんじゃないか」と気づいてウルウルしました。


というところまで気づきました。


引き続きこんな感じで坐禅を続けていきますが、続ける上でさらにご指導ありましたらお願いします。


掛川の老師:
そのまま坐禅を続けてよいです。


ただ…今話を聞いている様子では、やっぱり、そういう様子っていうものをこっちで見ている。どうしても「教え」と「自分」というものがあるね。それ、それだけ。


観察しないこと、眺めないこと、事実にいるだけ。見る人がいなくなって事実だけになります。そうやって座ってください。


まあ、今おっしゃったとおり、どうするこうするということがなくなってるからいいじゃないですか。


私:
今まで坐禅を続けてきて、力がかなり抜けてきてたと思っていましたが、見当違いでした。そもそも元から力を入れる必要がなかったんです。180°逆でしたね。


掛川の老師:

180°なのか360°なのかわかりませんが。(笑)


私:

楽になったというか、楽の質そのものが違いますね。


老師から「何もしないこと」「手を付けないこと」と教えられて、一生懸命やってきましたが、そもそも何もしなくてよかった、手を付ける必要がなかったという感じです。


それに気が付いたおかげで、もう「何かをしよう」「手を付けよう」という気持ち自体が初めっから起きてこなくなったんです。


掛川の老師:
うんうん。


私:
ありがとうございます。これで続けます。


…でも、やっぱり自分を観察してるのが好きなんですよね…。(笑)


掛川の老師:
うん、分かりますからね。本を読むと道理がよく分かる。だから道理をもてあそぶんです。


でも自分自身をよく見れば本を読むよりもっと確かですからね。本がいらなくなる。


浜松の老師:
大変な物に捕まったかもしれませんね。今のお話はそのとおりですが、一方では、すごく大変なものに捕まったかもしれません。


これから険しい道になるかも。


私:
また接心でよろしくお願いします。


浜松の老師:
人はいったん知ると、気づいちゃうと、それを離さないですからね。なかなか離さない。


こんなんでいいでしょうかって老師に聞く、そういうあり方がね…。本当はそれでいいはずですからね。そのことが確かだったら、こんなんでいいしょうかっていう聞き方は出てこないです。


でもそう聞くということは、捕まったんです。


そんなことはもういいです。体験したことはどうでもいいです。本当に今こうしてあるわけですから、いつまでもそれを持っておく必要はないです。


私:
はい。


とりあえず、切迫感がなくなったことが一番ありがたいです。


浜松の老師:
ごちゃごちゃ言わなくなったですからね。(笑)


掛川の老師:
とはいえ、言わずにおれないよね。自分の中に問題があれば。



(注:上記はいわゆる「決着/悟り/見性」という体験ではありません。事実とは何か、坐禅とはどういうことか、にようやく気づけたという範囲の体験です。もちろんそれでも大きな気づきには違いないのですが。)


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