一人じゃないよ@スポーツ界から~小笠原満男11.3.26.朝日新聞朝刊 | Field of Dreams

一人じゃないよ@スポーツ界から~小笠原満男11.3.26.朝日新聞朝刊

それでもサッカー続けて~小笠原満男(31)J1鹿島

 

 震災後、母校の岩手・大船渡高校や、同県陸前高田市の避難所など5か所を訪問しました。以前に見たものも、通った場所も、全部なくなっていて、まるで初めて行った場所のようでした。

 すべてを失い、身一つの人がたくさんいました。だけど、みんな一生懸命、前を向いている。本当に苦しいと思うのに、それを見せずに頑張っている。

 何かしたいと思ったけど、一人じゃ何もできなくて。逆に「サッカー楽しみにしているよ」「小笠原選手も頑張ってね」と被災された方に励まされてしまいました。

 最初に現場を見た時、サッカーをする状況じゃないと思いました。29日の日本代表とJリーグ選抜の慈善試合も出場を断ろうという気持ちでした。でも、被災された方の言葉に元気をもらい、「サッカーでも力になれる」と思って出場を決めました。

 現地では必要な人に必要な物が届いていません。今は東北出身Jリーガーのグループを作って被災地に物資を届けています。個人的には、サッカーで集めた募金を少しでも東北のサッカー界の復興に回せないかなという気持ちです。学校もグラウンドも失った子供たちがいる。それでもサッカーを続けて欲しいというメッセージを込めて、スパイクなどを送りたい。Field of Dreams-満男記事03




3/25アントラーズモバイルサイトより

スタッフダイアリー「支援」

 今日は小笠原選手がクラブハウスで自主トレを行いました。少し前まで被災地の岩手にいた小笠原選手ですが、東北自動車道の全面開通前に鹿嶋に戻って来たため、一ノ関からは一般道だったと言っていました。また現地へ向かう時は新潟、秋田経由で岩手県に入ったそうですが、降雪でチェーン規制が所々であったので、相当に時間がかかったそうです。

 被災地から戻った小笠原選手ですが、疲れも見せずに長居で行われる「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」に向けてトレーニングを開始。トレーニング後に小笠原選手は「日本中が一体となる動きがあるので、何かをしたいと思う」とメディアの方たちに話をしていました。東北出身のJリーガーで復興の支援をすると共に、岩手県出身のJリーガーでも同じように活動をしたいそうです。

 「何か手助けができればと思って行ったけど、一人でやるのは難しかった。でもたくさんの人に協力してもらえば、できる事がいっぱいある」と今回の支援の動きを始めたそうです。そして、できれば東北のサッカーの復興に力を注ぎたい」とも言っていました。

 ファン・サポーターの皆さんにもご協力をいただくことがあると思いますが、発表ができる準備が整い次第、お知らせいたします。「励ますつもりが励まされた。家を失った被災者も支援をしてくれてる人もみんなが頑張っていた。だから自分もサッカーを一生懸命、頑張りたい」と語ってくれた小笠原選手ですが、チャリティーマッチ、そして再開される公式戦ではこれまで以上のプレーを見せて被災者の方々を勇気づけることだと思います。


26日付日刊スポーツより
Field of Dreams-満男記事01 岩手・盛岡市出身で鹿島MF小笠原満男(31)が25
日、茨城・鹿嶋市内のクラブハウスで東北復興のかじ取り役となることを約束した。すでに宮城出身で日本代表のJ2東京DF今野泰幸(28)、秋田出身のJ2草津MF熊林親吾(29)らと連携を取り、東北出身Jリーガーを中心に、サッカー用品を被災地に届けるなどの支援を検討。送付ルートも自ら考え出した。この日、第1弾としてウエア、シューズなど段ボール104箱を母校の大船渡高に届けた。
 小笠原は鹿島が活動休止を決めた15日以降帰省し、母校や避難所5カ所を訪問した。惨状を目の当たりにし、「家や家族を失った人がたくさんいて、日本中でなんとかしようという状況の中で、自分も何かしたいと。今のところ、東北出身Jリーガー、岩手出身JリーガーOBたちと連携を取って、サッカー用品などの物資を被災地に届けようと思っています」と語った。
 震災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市の大船渡高OB。被災者を励ます中で「物資は届いていると思うが、欲しいものが欲しいところに届いていない」と気付いた。そこで、「地元の人たちなら、どの避難所の方々が何を欲しいか情報をもっているはず」と、帰省中に県内のサッカー関係者と交渉。東北サッカー協会、大船渡高、高校時代の恩師斎藤重信氏が勤務する盛岡商などを届け先にして、教員、生徒らに協力を依頼し、物資を送付する手段を準備した。この日、小笠原が個人で送ったウエア、シューズなど段ボール104箱分が大船渡高に届いた。また契約するスポーツメーカーを通じ、段ボール40箱分のサッカー用品も27日に同高に届く予定。小笠原は「被災地を見て、グラウンドがなくなってサッカーを続けられない子どもたちも多い。サッカー人口が減れば、チームもつぶれてしまう。グラウンドの修復費用とか、東北サッカーの復興につながるような募金活動もしていきたい」と話した。
 一方、被災地の惨状に「1人でできることは限られている」と痛感。選手会の藤田会長(J2千葉)から「何かできないか」と相談を受けたことを明かし、今後は選手会との連携による支援も検討している。
 29日の慈善試合(大阪・長居)のJリーグ選抜に選ばれた小笠原はこの日、鹿嶋市内のグラウンドで、自主トレを始めた。「被災地の方々を励まそうと思って現地に行ったけど、逆に励まされて帰ってきた。被災した方も、援助する方も、みんな一生懸命。自分も全力でプレーしたい」と決意を述べた。【塩谷正人】
Field of Dreams-満男記事02
小笠原からの救援物資は25日午前11時半、宅配便のトラックで母校の大船渡高に到着した。ダウンジャケットなど防寒着や下着など衣類が中心で、段ボール箱104箱にもおよんだ。待ち受けた職員たちによってリレー方式で体育館に搬入されたが、あまりの数の多さにくたくたになりながらの作業となった。

 トラックの荷台に乗り搬入を行った同校OBの今野貴光監督(38)は、「満男がいろんな知人に声をかけてくれて、こんなにたくさん集まった。ありがたいです。今後も送ると言ってくれているんで、ぜひお願いしたい。みんな喜ぶでしょう」と深く感謝した。「困っている人たちに直接届けてもらいたい」という小笠原の意向をくみ、今後はサッカー部員などの助けも借りながら、各避難所へ振り分けることになる。

 18日には妻の出身地である陸前高田市の避難所やや同校を訪れ、被災者を励ました。高校にはトロフィーや賞状などと並び、鹿島や代表でのユニホームが展示されている。大船渡が生んだスターの実直な支援は、何よりも被災者を勇気づけるにに違いない。【野上伸悟】


満男は95年、名将斎藤監督率いる大船渡高校に入学。監督宅で下宿生活を送りながら96、97年度と2年連続全国高校選手権出場。97年度はベスト16に導き、大会優秀選手に選ばれました。


鹿島アントラーズが企画・製作するクラブオフィシャル番組〝TOSTEM presents ANTLERS REPORT〟第1回放送(09.7.31.OA)で『小笠原満男の真実』が見ることができます。

http://www.tostem.co.jp/antlers/default.htm?top-left-feature-antlers