偉大な親父。

テーマ:

この度、親父が天国に旅立ちました。




去年の10月に癌が見つかり
11月場所では、いい結果を出して元気づけたかったのですが、
本当は全勝優勝したかったのですが
14勝1敗という成績に終わりました。



そして、12月の半ばから2月半ばまで
日本に呼び寄せ、
国内の病院で治療し
元気にになって、モンゴルに帰国しました。


  

二週間前から体調が急激に悪くなり
四月九日、長野の巡業先で
姉からの電話で訃報を聞きました。


先週金曜日に葬儀が無事終わり
最後の別れをしてきました。




享年77歳で、幕を閉じました。





私を応援してくださっている皆様に
親父のことを知ってもらいたいので
紹介させてください。



1941年の6月生まれで、
ウランバートルと、旧首都カラコルムの真ん中にあるエルデンサントという小さな村で、大草原の遊牧民として
11人兄弟の10番目として生まれました。



16歳で高校を卒業し
ウランバートルで、経済学部に入学しました。


大学時代にモンゴル相撲を学び
20歳の時に
年一回行われるナーダムの大会で
初めて優勝しましたが
まだ若い、将来があるという理由で
本来なら大関になれるところを
関脇にとどましました。



22歳から火がつき
1963.64.65.66.67年、
五年連続全勝優勝を果たしました。

連勝が始まった22歳の時から
ブルガリアの国民栄誉賞受賞した先生の元で、レスリングを始め
1964年にモンゴル国が初めて参加した東京オリンピックで、7位に入賞し1967年、大横綱になった年に
インドのデリーで行われた
世界選手権でモンゴル初となる銅メダルをもたらしました。


そして、1968年のメキシコオリンピックでも、モンゴル初となる負けのない銀メダルを獲得しました。


この負けのない銀メダルが
後のルールが変わるきっかけになったそうです。


1973年のアジア大会で金メダルを獲得そして、1974年にモンゴル相撲で最後となる6度目の優勝を果たしました。



モンゴル相撲で優勝6回、準優勝4回
21年間にわたり現役を続けました。



技の鋭さ、スピード、力強さ
そして、頭の回転の速さ、言葉の鋭さ、ユーモア溢れる人間力は並外れていたと、
ライバルの横綱や、後輩から聞きました



「勝つ俺が焦っていないのに、負けるお前が何で焦るんだ。」



この言葉を親父の墓に刻みました

頭の回転、自信がみなぎっていて
心と体が統一が出来てなければ
出てこない言葉だと思います。

{A51682FA-12AA-4EE9-BFB7-D17F0E1F195A}




日本の大相撲と比べてはいけないと思いますが
土俵の鬼、初代若乃花関、千代の富士関に近いものがあるのではないかと、
思います

。

そして、もちろん私自身も
横綱になり、勝って当たり前の世界にあがったことで、親父の偉大さを感じていました

。

そして、自分だけの親父ではなく
モンゴル国民みんなに愛され
尊敬された大横綱だったんだなと
葬儀で改めて親父の偉大さを感じました。



親父が出場した東京オリンピックから56年ぶりに、東京でのオリンピック開催が決まった時
親父と、一緒に東京オリンピック見ような、 と約束していました。



目標と夢が出来た。



私も、東京オリンピックまで現役を続けていきたいと思っていただけに
親父の旅立ちは、無念でなりません

悲しいです

寂しいです

これからゆっくりと前に進み
努力、精進し
2年後の東京オリンピック
どこかで見守ってくれている
親父と一緒に見れればなと思います

そして、私たち子供、孫、親族が
親父に恥じないような頑張っていきますので
天国で安らかに、
私たちを温かく見守って
いつかまた、祖国で私たちの元に
生まれ変わって
もっと強い力士として
誕生して欲しいです。






また明日から引き続き春巡業がんばります。

そして、夏場所もがんばります。




平成30年 4月16日



息子より



ダヴァジャルガル



白鵬  翔