【八紘為宇】くにからのみち

かみはあまつかみのくにをさづけたまひしみうつくしびにこたへ、しもはすめみまのただしきみちをやしなひたまひしみこころをひろめむ。しかうしてのちに、くにのうちをかねてみやこをひらき、あめのしたをおほひていへにせむこと、またよからずや


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 大日本帝国憲法を根拠に大東亜戦争を停戦させたのは先帝陛下です。
日本国憲法では例え国民が1万人国会を取り囲もうが「原発攻撃」を終わらせることはできません。いや、出来ないのです。
なぜなら国の運営の根拠ともいえる国家の根幹たる「憲法」とごまかされている日本国憲法には、その一切根拠となる記載がないからです。


 国民に対する原発攻撃も、私達の正統憲法である大日本帝国憲法を根拠とするしか止める方法はないことに気づいて下さい。
帝国憲法第八条、そして帝国憲法第九条を根拠として
天皇陛下のお言葉を「勅令」にして原発を終わらせましょう。

帝国憲法復原改正以外に原発を止める方法はない。

平成の玉音放送
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html

311天皇陛下のお言葉を帝国憲法第八条を根拠に勅令にしよう!
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120311/dst12031115320024-n1.htm

大日本帝国憲法 第八条 
天皇は公共の安全を保持し、その災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合は、法律に代わる勅令を発する
この勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし、議会において承認されなければ、政府は将来その勅令の効力が失われることを公布しなければならない


解説(占領仮名版)
 謹んで思うには、国家の一旦急迫が発生した時や国民に凶荒な疫病が発生したり、その他災害が発生した時は、公共の安全を保ち、その災厄を予防救済するために力の及ぶ限り必要な処分を施さなければならない。この時に議会が偶々開会していなければ、政府は進んでその責任を司り勅令を発して、法律に代え手抜かりの無いようにするのは、国家の自衛と保存の道において、もとより止むを得ざるものである。
 故に前五条において立法権の行用は議会の協賛を経てと言ったのは、その常の状態を示したのであり、本条に勅令を法律に代える事を許すのは、緊急時の為に除外される例を示す物で有り、これを緊急命令の権とする。よくよく緊急命令の権は憲法の許すところであり、また憲法のもっとも乱用を戒めるところである。
 憲法は公共の安全を保持し、又は災厄を避けるために、緊急で必要な限りこの特権を用いることを許し、そして利益を保護し幸福を増進するという通常の理由により、これを乱用することを許さない。故に緊急命令は、これを発令するときに本条に準拠することを宣言する事を形式とすべきである。
 もし、政府がこの特権に託し容易に議会の公議を回避する方便として、また容易に既定の法律を破壊するに至る事があれば、憲法の条規は空文に帰し、一つも臣民の為に保障をなすことが出来なくなる。故に本条は、議会にこの特権の監督者としての役割を与え、緊急命令を事後に検査して之を承諾させる必要のある事を定めた。


大日本帝国憲法 第九条 
天皇は、法律を執行するため、又は公共の安寧と秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進する為に必要な命令を発令するか発令させる事が出来る。ただし、命令で法律を変更する事は出来ない

解説(占領仮名版)
 謹んで思うには、本条は行政命令の大権を掲げたもので有る。蓋し、法律は必ず議会の協賛を経て、そして命令はもっぱら天皇の裁定によって出る。命令の発令するところの目的は二つ有る。一つは、法律を執行するための処分並びに詳説(詳しい説明)を既定する。二つ目は、公共の安寧・秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為の必要において行う。これは全て行政の大権により、法律の手続きによらずに一般尊由の条規を設ける事が出来る。蓋し、法律と命令とは、均しく臣民に尊守の義務を負わせるものである。但し、法律は命令を変更できるが、命令は法律を変更する事が出来ない。もし、双方が矛盾する事態になったなら、法律は常に命令の上に効力を有すべきである。
命令は、均しく至尊の大権による。そして、その勅裁にでて親署を経るものを勅令とする。その他、閣省(内閣と省庁)の命令は、全て天皇大権の委任による。本条に命令を発令し、または、発令させるというのは、この両方の命令を兼ねて言い表している。
前条に掲げた緊急命令は、法律に代わる事が出来るが、本条に掲げる行政命令は法律の範囲内で処分し、又は、法律の欠けている部分を補充する事が出来るけれども、法律を変更し、及び憲法に特に掲げて法律を要するところの事件を既定する事は出来ない。行政命令は常に用いる物であり、緊急命令は変事に用いるものである。
附記:これを欧州の論を参考にすると、命令の久息を論ずるものは、その主義は一つだけではない。

転記元:http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm



日本国憲法は日本が独立回復するための講和条約の一部にしかすぎず
帝国憲法からの改正に瑕疵があるため
学術的にも帝国憲法は今も生きていることになり
その帝国憲法の範囲内で日本国憲法は講和条約として有効であって
今も、帝国憲法は生きています。

多くの人が帝国憲法第八条を根拠として
天皇陛下のお言葉を勅令と見なして、原発を阻止し、被災者支援を早急に推進する為には
一人ひとりの日本国民が、帝国憲法の復原改正の声をあげる以外に
「具体的方法策」はもはや皆無です。




【八紘為宇】くにからのみち-yokono.masaru
上の写真はFBより
https://www.facebook.com/yokono.masaru

【八紘為宇】くにからのみち-daitoua
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転記元:産経ニュース 【エディターズEye】
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120616/plc12061620200013-n1.htm?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter


日本国憲法は別れるべき恋人
2012.6.16 20:14 (1/2ページ)
 東京都の石原慎太郎知事が憲法改正ではなく憲法無効論を展開している。3月5日付産経新聞「日本よ」で「敗戦まで続いていた明治憲法の73条、75条からしても占領軍が占領のための手立てとして押しつけた現憲法が無効なことは、美濃部達吉や清瀬一郎、そして共産党の野坂参三までが唱えていた」と書いた。明治憲法(大日本帝国憲法)の憲法改正条項によると、占領下のような非常時での改憲はできないというのが石原知事の主張だ。

 知事は都議会でもこうした憲法観を表明した。今月13日の本会議一般質問で、土屋敬之氏(無所属)が現憲法が連合国軍総司令部(GHQ)から押し付けられた過程を振り返り、無効ではないかと知事にただしたところ、知事は「現日本の憲法なる怪しげな法律体系の、非常に矛盾に満ちたと言いますか、ゆがんだ成立の過程に対するあなたのご指摘は全く正しいと思います」と答弁した。

 さらに「改正などする必要はないんです。しっかりした政権ができれば、最高責任者がこの憲法は認められない、歴史に例がないと…。私たちはこれを捨てる、廃棄すると…。廃棄という言葉が強いんだったら、そぐわないカップルが、このままいくと決して幸せになれないから『私はこの女性と別れます』『私はこの男と別れます』…。別れたらいいんですよ、この憲法からも」と述べた。

 質問を終えた土屋都議は「知事が『整形手術』でも『臓器移植』でもなく、ふさわしくない恋人と『別れる』という言葉を使った意味は大きい。占領憲法の無効宣言こそわが国の再生の第一歩だ」と評価した。

 現憲法の成立を一応認めて現憲法を改正するのか、もともと無効として「別れて」明治憲法を改正するのか、意見が分かれるところだろうが、現憲法が押し付けられたものだという認識は多くの人が共有できるはずだ。



関連情報facebook
https://www.facebook.com/pages/%E5%9C%8B%E9%AB%94%E8%AD%B7%E6%8C%81%E3%81%93%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%94%E3%81%98/185154731523558



國體護持総論 第3章 皇室典範と憲法
http://kokutaigoji.com/books/kokutaigojisouron_3.html

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普及版シリーズ:とこしへのみよ 
~日本国憲法は憲法として無効です。
私達の正統憲法である大日本帝国憲法は今も生きています。


とこしへのみよ ~日本国憲法は憲法として無効です。私達の正統憲法である大日本帝国憲法は今も生き.../まほらまと草紙

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帝国憲法第十一条 
天皇は陸海軍を統帥す
(天皇は陸海軍を統率する)


命懸けで日本を救おうとしている人たちへの絶対的後方支援は、私達が帝国憲法が今も現存している事実を言挙げし、天皇は陸海軍を統帥す(天皇は陸海軍を統率する)国であると思い出すこと。


今ほど、日本人全員が「帝国憲法が現存している!」ことに気づかねばならない時はない!日本国憲法が憲法だと錯覚しているから、陛下はビデオメッセージしかだせない!陛下の御詔勅を直々に賜るためには、「帝国憲法は今も生きている!」という歴史的事実を臣民みな思い出すだけ。


http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm




帝国憲法第四条 天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規により之を行う
(天皇は国家元首であり、統治権を統合して掌握し、憲法の規定により統治を行う





帝国憲法第八条 天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避くる為緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於て法律に代わるべき勅令を発す

この勅令は次の会期に於て帝国議会に提出すべし若議会に於て承諾せさるときは政府は将来に向て其の効力を失うことを公布すへし
(天皇は公共の安全を保持し、その災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合は、法律に代わる勅令を発する
この勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし、議会において承認されなければ、政府は将来その勅令の効力が失われることを公布しなければならない)

 謹んで思うには、国家の一旦急迫が発生した時や国民に凶荒な疫病が発生したり、その他災害が発生した時は、公共の安全を保ち、その災厄を予防救済するために力の及ぶ限り必要な処分を施さなければならない。この時に議会が偶々開会していなければ、政府は進んでその責任を司り勅令を発して、法律に代え手抜かりの無いようにするのは、国家の自衛と保存の道において、もとより止むを得ざるものである。故に前五条において立法権の行用は議会の協賛を経てと言ったのは、その常の状態を示したのであり、本条に勅令を法律に代える事を許すのは、緊急時の為に除外される例を示す物で有り、これを緊急命令の権とする。よくよく緊急命令の権は憲法の許すところであり、また憲法のもっとも乱用を戒めるところである。憲法は公共の安全を保持し、又は災厄を避けるために、緊急で必要な限りこの特権を用いることを許し、そして利益を保護し幸福を増進するという通常の理由により、これを乱用することを許さない。故に緊急命令は、これを発令するときに本条に準拠することを宣言する事を形式とすべきである。もし、政府がこの特権に託し容易に議会の公議を回避する方便として、また容易に既定の法律を破壊するに至る事があれば、憲法の条規は空文に帰し、一つも臣民の為に保障をなすことが出来なくなる。故に本条は、議会にこの特権の監督者としての役割を与え、緊急命令を事後に検査して之を承諾させる必要のある事を定めた。



帝国憲法第九条 天皇は法律を執行するために又は公共の安寧秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ但し命令を以て法律を変更する事を得ず(天皇は、法律を執行するため、又は公共の安寧と秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進する為に必要な命令を発令するか発令させる事が出来る。ただし、命令で法律を変更する事は出来ない)


謹んで思うには、本条は行政命令の大権を掲げたもので有る。蓋し、法律は必ず議会の協賛を経て、そして命令はもっぱら天皇の裁定によって出る。命令の発令するところの目的は二つ有る。一つは、法律を執行するための処分並びに詳説(詳しい説明)を既定する。二つ目は、公共の安寧・秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為の必要において行う。これは全て行政の大権により、法律の手続きによらずに一般尊由の条規を設ける事が出来る。蓋し、法律と命令とは、均しく臣民に尊守の義務を負わせるものである。但し、法律は命令を変更できるが、命令は法律を変更する事が出来ない。もし、双方が矛盾する事態になったなら、法律は常に命令の上に効力を有すべきである。
命令は、均しく至尊の大権による。そして、その勅裁にでて親署を経るものを勅令とする。その他、閣省(内閣と省庁)の命令は、全て天皇大権の委任による。本条に命令を発令し、または、発令させるというのは、この両方の命令を兼ねて言い表している。
前条に掲げた緊急命令は、法律に代わる事が出来るが、本条に掲げる行政命令は法律の範囲内で処分し、又は、法律の欠けている部分を補充する事が出来るけれども、法律を変更し、及び憲法に特に掲げて法律を要するところの事件を既定する事は出来ない。行政命令は常に用いる物であり、緊急命令は変事に用いるものである。



帝国憲法第一条 大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す
(大日本帝国は、万世一系の天皇によって統治される。)


 謹んで思うには、神祖(神として祭られている先祖)が建国されて以来、時には盛衰が有りはしても、世の中に治乱が有りはしても、皇統一系の貴い位の盛んである事は、天地とともに有り終わりが無い。本条は憲法の最初に立国の大義を掲げて、我が日本帝国は一系の皇統とともに終始し、今も昔も永遠にあり、一があって二がなく常があって変がないことを示して、それによって君臣の関係を永遠に明らかにする。
統治は、大位(天皇の位)に就いて大権を統べ、国土と臣民を治めることである。古典には天祖の勅を挙げて、「瑞穂国(日本)は我が子孫が王となるべき地である。皇孫よ行って治めなさい」といわれた。また、神祖を称えて祭り始御国天皇(はつくにしらすすめらみこと)といわれた。日本武尊の言葉に「私は纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)で大八島国(おおやしまのくに)を知ろしめす(治めておられる)大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)の御子」とある。文武天皇(もんむてんのう)即位の詔に「天皇の御子が次々に継いでこられた大八島国を治める順」といわれた。また、天下を調査し平穏にされ、公民に恵みを与え慰撫された代々の天皇は、皆、このことによって伝国の大訓とされ、その後の「御大八州天皇(おおやしましろしめすすめらみこと)」ということで、詔書の例式とされた。所謂「しらす」とは即ち統治の意味に他ならない。蓋し、歴代の天皇はその天職を重んじ、君主の徳は八州臣民を統治するためにあって、一人一家に享奉する私事では無いことを示された。これは、この憲法のよりどころであり、基礎とするところである。
倭が帝国の領域は、古に大八島というのは淡路島[即ち今の淡路]、秋津島[即ち本島]、伊予の二名島[即ち四国]、筑紫島[即ち九州]、壱岐島津島[津島、即ち対馬]、隠岐島佐渡島をいう事は、古典に記載されている。景行天皇が東の蝦夷を征伐し、西の熊襲を平定し国土が大いに定まった。推古天皇の時には百八十余の国造があり、延喜式に至り六十六国及び二島の区画を載せた。明治元年、陸奥出羽の二国を分けて七国にし、北海道に十一国を置く。ここにおいて全国合わせて八十四国とした。現在の国の境は、実に古の所謂大八島、延喜式の六十六国及び各島、並びに北海道沖縄諸島、及び小笠原諸島とする。蓋し、土地と人民とは国を成立させる根本であり、一定の国土は一定の我国を成り立たせ、そして、一定の憲章がその間で行われる事により、一国は一個人の如く、一国の国土は一個人の体躯の如くをもって統一完全な領域をなす。


今ほど占領憲法の無効を宣言し、日本の本当の正統憲法である帝国憲法が今も生きているのだ!と宣言すべき時はないはず。帝国憲法が生きているという原状回復をただちにおこない、天皇陛下の御詔勅を賜る以外に、この国難を億兆心を一にして乗り切る方法はない。
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全文すばらしくわかりやすいので、丸ごと転記させていただきます:-

http://jiritsusaisei.blogspot.com/2010/12/dv_10.html

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DV被害女性と日本国憲法下の日本人


DV被害女性と日本国憲法下の日本人
自尊心を奪うもの
このブログのタイトル「日本が日本であるために」を個人レベルに置き換えると、自分が自分らしく生きるとはどういうことかという問いが生まれると思います。
自分さえ良ければいい、人と比べる、勝ち負けを気にする、自分の思い通りに周りの人が動いてくれることを望むetc・・・社会に出ればそんな気持ちから生まれるパワーゲームに巻き込まれてしまう事があります。ついついそんなことにばかり終始してしまって自分らしく生きていない人が多い、そんな気がします。
日本が日本であるためにはそこに暮らす一人一人が、自分らしく、日本人らしく、生き生きと生きていなければ、日本が日本であることはできないと思います。体を作っている一つ一つの細胞と体の関係と同じですね。個は全体の構成要素の大切な一つということですね。
心理学では一般に、養育者から過剰な期待をかけられたり、「お前はダメだダメだ」と言われて育った人は、自分がいろいろなことを当たり前にやることができるんだという自信を育てられないという傾向があるといいます。人は、自分でやってみて失敗したり成功したり試行錯誤したりしながら、自分への信頼や自信を育てていきます。それが自分の存在の確かさ、自尊心へとつながっている訳です。ダメだダメだと言われ続けてきた人は、その価値観を自分の中に取り入れてしまって、心の中で自分に対してダメだダメだと批判したり、まだまだダメだと叱咤激励をしてしまうそうです。これを辛い、苦しいという「痛み」として感じられないとしたら、それは感覚が鈍磨しているからなのです。痛みを痛みとして感じないように心を防衛しているからなんですね。
こういう精神状態を考えると、いつも、これはまさに今の日本の状態に当てはまるんじゃないかと思ってしまいます。
アルコール依存症や暴力をふるう夫を持つ女性たちを例に挙げてみると、もちろん女性に暴力をふるう男性にも問題があるのですが、被虐待女性にも特徴的な問題があるそうです。彼女たちは加害者である男性との暴力的な関係からなかなか離れようとせず、殴られながら離婚を考えようともしない人も多いそうです。なぜなら男性が暴力の後で示す優しさや愛の誓いを過大に評価してしまうからです。そして彼女たちは、もともと自己評価の低い女性ばかりとは限らず、明るく活発で、夫やパートナーよりも学歴や社会的能力が高い女性も少なくないそうです。そんな女性がなぜそういう状況から抜け出そうとしなくなるのでしょうか。
こうなったのは「お前が悪いのだ」という言葉の暴力を受け続けてその価値観を内在化していることもありますが、こういう状況の中にいると一種の腰抜け状態に陥ってしまい、逃げる機会が与えられても逃げられなくなるのだそうです。これは心理学者セリグマンの提唱した学習性無力感という、逃げられない状況の中で攻撃にさらされた犬が、逃げられるようになってからも抵抗せず、その場から逃げなくなってしまうという実験でも明らかにされています。
誰でも他人の思うままに動かされるのは嫌なものです。他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。現在の我が国においても、いろいろな問題がある中で、朝鮮半島や支那の問題には怒りを感じても、我が国が現在も占領下に行われたことの延長にあることを意識する人は少ないように感じます。
我々日本人から自尊心を奪い取ったものとは、何か?
何が今の日本の状況を作りだしたのか?
日本国憲法は占領下において制定された憲法であるにもかかわらず、それを改正しようというのは、それを正当化しているという認識からくる発想です。自覚があるにせよ、無いにせよ、改正してまでそれを維持しようと言っていることだと思うのですが、どうでしょうか。
被虐待女性は、暴力的関係から自分から離れようとしないと述べました。そして彼女たちはよくこのように言います。
「でもあの人、いいところもあるのよ」「でも私があの人を怒らせるようなことをしたのが悪いのよ」「でもあの人には私が必要なのよ」
夫や子供の世話、そして家計を支える為に働き、彼女たちは大変に多忙な緊張感のある日々を送り自分の状況を振り返る余裕はありません。周囲の者が心配しアドバイスをしても、「でも・・・(以下省略)」のループを繰り返し、踏み切ることが出来ません。
この被虐待女性と現在の日本、そして夫やパートナーとの関係を終わらせたり変えたりしようとしないことと占領憲法を捨てられない心理や日本の置かれた状況を認識できないこととが似ていると思ってしまいます。占領軍の軍事的・政治的圧力の下で、天皇が、日本政府がYESと言ったからといって、ではそこにNOという選択肢はあったのでしょうか。とにかく受けるものはすべてYESと言わざるを得ない状況に置かれていた、そしてそれを改めることなく現在に至っている今の日本の状態が、被虐待女性とその夫やパートナーとの暴力的関係と類似しているように感じてしまうのです。
占領下で押しつけられた憲法だから正統性はないとしても現実に60年以上運用されてきて
「いい憲法だからいいじゃないか」
学校で真面目に勉強をして自虐史観を信じてしまっているので
「日本が悪いことをしたのだから仕方がないじゃないか」
そういう護憲派の意見があります。 
これは被虐待女性が言う
「でもあの人はいい人なの」
「でも私が悪いのがいけないのよ」
という言い分によく似ていませんか? 
一方で改憲派では
「今の憲法を維持して、現代にそぐわなくなった部分や問題が生じている部分を少し変えるか、あるいは解釈を変えればいいじゃないか」という意見があります。
これは「暴力はイヤなんだけど、でも少しお酒をやめてくれれば、あの人はきっといい旦那になるわ」
そんな女性の言い分とよく似ているように思います。暴力と一口で言っても、このような被虐待女性が受ける暴力とは、専門家によれば、頬をはたくような生易しいものではなく命の危険に関わるようなケースも珍しくないそうです。「あの人」にも問題はあるのですが、女性の方もこういう危険な状況に身をさらしながら「あの人」が少しだけ変わってくれたら・・・と状況の好転は「あの人」次第なのです。ここまでくると、「あの人」が変わってくれるのを期待したり、「あの人」を変える努力をするよりは、この女性が現状を正しく認識して、こういう状況に甘んじている自分を変えることの方が正しい解決方法のように感じないでしょうか?そして、「あの人」は占領憲法だったり米国をはじめとする連合国やGHQだったり、「女性」は日本人一人一人の事だったり、「危険な状況」というのは日本人の伝統や精神が破壊されていることだったり、交戦権がないこと(憲法第9条第2項後段:国の交戦権は、これを認めない)だったりが当てはまるように思いませんか?
「暴力は辛いんだけど、でもきっとあの人は私を愛してるの」
暴力の後で示される優しさや愛の誓いを信じる被虐待女性は、彼女の夫、パートナーに何を望んでいるのでしょうか。愛されること、必要とされることでしょうか。信じている、信じたいけれど相手様次第というところは何やら日米同盟にも似ているような気がします。
こんな風に考えると、私たちは、なんだかとっても危険な不確かなものを大切に手放さずに抱きしめているような気がしてきませんか?
他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。しかし、自分の受けた不当な扱いについて正当に怒ることが出来るようになれば、本当の感情を感じられるようになります。感情に良い・悪いはありません。それを歪めず正しく受け止める事が、大切なことです。感情を抑え込むと、いつか爆発するか体を壊したり誰かを過剰に傷付けたりコントロールしようとしたり・・・と本筋から離れて、複雑な心を持って生きてくことになってしまいます。感情を受け止め上手に表現できるようになると、怒りは洗練されて自己主張へとなっていきます。だから、怒ってもいいのです。自尊心を奪われて傷付いていることを感じることができれば、少しずつ自分らしさを回復して、自分の為に生きられるようになって来る。自分らしさや自分の為になることを追求すれば、自分勝手、我が儘放題ばかりということではなく、本当に自分を大切に思えてくるようになったその先には、必ず日本人らしさ、日本人としての誇りというものに出会うと私は信じています。そうすれば何をすればよいのか、何を正せばよいのか、誰かに指摘されたり言いなりにならずとも自ずとそういう認識が育ってくるのではないでしょうか。
被虐待女性だけでなく、戦後の自虐史観の中で日本人としての誇りや精神を失いつつある我々日本人がこのように自らを省みる必要があるのではないかと感じます。
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つづき


では、私達の規範である、憲法について考えてみましょう。



日本国憲法 と 呼ばれているものがあります。

これは、憲法と名がついていますが、実は敗戦後、GHQに主権を奪われ、日本が占領されている時に、日本が再び、国家として独立するための条件の一部でした。

つまり、私達の憲法ではないのです。

私達の憲法とは、今尚も生き続けている「大日本帝国憲法」なのです。



戦後は戦勝国によって、歴史や地理、教育から何から何まで改ざんされてしまったため、現在の教育においても、その当時の、戦勝国による、都合よい偽りの歴史が、残念なことに、今だ義務教育で行われています。



太平洋戦争というのは、実は、“大東亜戦争”のことです。

この“大東亜戦争”という本当の名称を日本国民が知れば、大東亜戦争は紛れもなく侵略戦争などではなく、自存自衛の戦争であり、また、アジアを欧米諸国の植民地から解放するための聖戦であった事実が、日本人の後世にまで気づかれてしまう。


この、真実が明らかにされることにより、戦勝国である自分たちが犯した非道と、全く同じことを、次は自分達が必ずされるのではないか?後世の日本人に、復讐されるかもしれないという恐怖により、 戦勝国は、自分達の略奪、侵略、極悪非道な歴史を隠すために、戦後の日本人に対して、偽りの歴史を強制しました。



その日本弱体化・解体という戦略の延長線上で、私達の正統な憲法である、大日本帝国憲法が存在していたにもかかわらず、この帝国憲法に違反して憲法改正を強行させたのです。


日本国憲法は、あたかも帝国憲法を改正したように装っていますが、これはアメリカ人により、たったの一週間で書かれたものなのです。ですが、GHQ草案の要求と、日本側の受諾という実体のとおり、国家間契約の締結としては、評価できます。


そのため、現在では、日本国憲法という名の、被占領期(占領されていた期間)に交わされた、講和条約群のひとつとして、有効と認められるものなのです。



被占領当時の日本人は、どうしても日本の国柄(くにがら)を護るために、それは本当にいろいろと苦心しました。ですが、少しでもGHQにさからったりしたら、すぐに左遷されたり、職を追放されますから、抵抗するのも大変なことでした。



そこで、むりやり違法に改正させられる一歩手前の帝国議会において、その日の夜、12時がすぎれば、廃案にさせられるからと、なんとかねばりにねばって、廃案へ持ち込もうとしました。ですがGHQは、廃案5分前になると、帝国議会の大時計を止めてしまったのです!時計が止められてしまいましたので、いつまでたっても12時を過ぎることはなくなったため、日本側はとうとう廃案にすることを諦めてしまったのでした。


つまり事実として、実際に可決したのは翌朝(夜明け)でしたから、これだけでも帝国憲法違反でした。



このようにして、銃口を突きつけられた暴力による制定歴史の真実は、今も隠されたままです。その真実を明らかにしようとされたのが、昭和44730日の岡山県奈義町議会による「大日本帝国憲法復原決議」でした。



私達が本来、護らなければならない、連綿と続く歴史、伝統、文化、習慣、あらゆるすべてを包括して明らかにされた規範である大日本帝国憲法は、明治天皇が、皇祖皇宗そして八百万の神々に遵守を誓われた、日本らしい国柄(くにがら)を含んだ規範なのです。



一方、なんとなく憲法と名がついているため、私達の憲法だと誤解されたままである日本国憲法。これは先にも述べましたとおり、帝国憲法に違反して改正したと偽った講和条約です。私達日本人の歴史も伝統も文化も習慣も、なにひとつ一切、継承していません。


むしろ、日本をバラバラに解体するために、家族を個人主義へとバラバラにすることを目的として、当時の国際法や帝国憲法の制限を無視してアメリカ人が一週間で造り、独立回復と引き替えに強要した、日本国憲法という名の講和の条件(=講和条約)です。



どちらを護るのかという問いへの答えは、日本人ならば即答できるはずです。



家族、学校、会社という単位の社会においても、その単位の決まり事は、それぞれの歴史や伝統の集大成です。それをみんなが大切に護るから、その社会が安定し、みなが安心して平和にシアワセに暮らせます。



ならば、国 という単位も同様に、その国の歴史、文化、伝統、習慣、そういう集大成の中に生かされている私達が、その集大成である、日本らしい国柄(くにがら)を含んだ規範たる憲法を護らなければ、オシム前監督が言うように、自分に自信がもてるはずなどないわけです。



また昨今の摩訶不思議な多くの法案ですが、その法案が成立するには、その法案が根拠とする価値基準が存在するはずです。

現在の日本では、その根拠が日本国憲法という講和条約になっているがため、そこには私達の国柄もなにもありませんから、当然ながら、摩訶不思議なヘンな法律が、たけのことのごとくでてくるわけです。



そういう摩訶不思議な各法案は、まさに枝葉であり、木を見て森を見ずのごとく、枝葉を見て根をみなければ、その真の原因は永遠にわらかないのは当たり前です。

根が腐っている、その木の枝葉ひとつひとつをたたいていましても、まるでそれは、“もぐらたたきゲーム”と同じことになり、未来永劫、不可思議な法案はとまることなくでてくることになります。これらはおそらく、300年かけても、なにひとつ廃案にできないでしょう。



ですが私達1人ひとりが、今一度、正しい史実を学び、日本の国柄(くにがら)を思い出せば、私達の置いてけぼりになっている規範が、紛れもなく大日本帝国憲法であることに、誰もが気づけます。明治天皇が、どれほど私達のことを思って発布された法典なのかという、その大御心に触れて下さい。それには帝国憲法の制定歴史をぜひとも知って頂きたいと思います。そうすれば、日本人であれば当然のことながら、私達の正統憲法、また護るべき憲法とは、「大日本帝国憲法」だということを思い出します。



大日本帝国憲法に関しても、内容を良く知らない人にかぎって、軍国主義だとか、侵略戦争につながったなどと評論するわけですが、これは事実とは異なり、全く根拠のない誤解だけが1人歩きしています。ですが大日本帝国憲法という憲法と、日本国憲法という名の講和条約を両方並べて読んでみますと、戦勝国が日本人から消し去ろうとした、それこそオシム前監督の言う国柄を含んだ規範、日本人共通の魂が浮かび上がります。



足を置く場所を間違えると、バランスを崩すのと同様に、日本人として、また日本という国家として、その軸足を間違ったところへ置いたまま、戦後、60年以上が過ぎてしまいましたから、今日のようになるのは当然の帰結です。



子供が大人の鏡であるように、国家の歪みはそのまま小さな単位の社会である、家族、学校、会社などにあらわれます。大人が歴史にウソがあることを正せずして、どうやって子育てができるでしょうか?



今を生きる世代の大人の最大かつ最優先の責任とは、子供に “正直”である姿を見せることからです。つまり、日本の根幹にウソがあることを正す!



ここを避けていては、いつまでたっても日本復興はありません。



日本が再び、世界各国から尊敬され、訪れた外国人みなが共通して、深く感銘を受けたという、私達の国柄(くにがら)である ディシプリン。これを思い出し、今こそ、日本が日本として復興するときがきました。



私達は歴史の中で生かされています。


ご先祖さまが護って下さったもの、それは、我が国の国柄(くにがら)です。

ご先祖さまが繋げて下さったもの、それは、世界に理想社会を実現する志です。



祖国日本の根幹に今だ巣くうウソを取り去って、「正直な日本」へと立て直し、日本に、そして日本人に自信を取り戻して、その伝統による叡智を努力を世界に捧げて、祖先が大東亜の平和を実現したと同じように、私達は世界平和を実現する責務があります。



まずは、国の根幹から順序よく正す。


それは、大日本帝国憲法が、私達が護るべき憲法であり、今も生きているのだということをたくさんの方に、気づいていただくことからです。



こんな素晴らしい自主憲法が既にあるのに、自主憲法制定!と叫ぶこと自体が、私達の歴史伝統文化を破壊することになります。



もうひとつ重要な事柄ですが、この日本国憲法について、護憲か?改憲か?という議論がありますが、これは、あくまで政治論争です。政治論争をする以前に、国の根幹にあるウソについて明らかにする必要があります。その上で、政治についての論争を始めるのが、正しい順序です。



史実に沿って整理整頓することから始めます。そうしますと、この日本国憲法が、有効であるか?無効であるか?という学術論争から始めなければいけません。有効なのか?無効なのか?という論点は、学術論争です。この中に、護憲か?改憲か?という、政治論争とを混合して話す方が多いため、多くの方々を、更に一層、混乱させています。



政治論争と学術論争とを分けて整理整頓して論議すれば、日本国憲法は、憲法としては帝国憲法に違反しているため無効でありますが、これは講和条約の一部として、帝国憲法の範囲で有効です。ということになることが、誰でも容易に理解できます。



私達そのものである歴史伝統文化習慣、すべて含まれている大日本帝国憲法は、私達のことを、日本の大御宝(おほみたから)と呼ばれて、本当に大切に思って下さった明治天皇さまが、皇祖皇宗そして八百万の神々に私達の安寧を誓われて発布されました。



つまり大日本帝国憲法とは、私達はもちろん、私達のご先祖さまから皇祖皇宗、そして八百万の神々をも含む、「日本の魂」そのものです。



この「日本の魂」である、大日本帝国憲法が、今も生きているということ、そのことをぜひとも思い出して欲しいと思います。



参考:-

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つづき


私達は、会社に所属したり、学校に所属したり、そして家族の一員であるわけですが、そのもっと先に、日本人の誰もが共通して所属している根底が何であるかといえば、それは、【日本(にっぽん)】という国だとあらためて再認識できます。


私達日本に住む日本人は、日本という国の一員です。


そう、私は日本人なのだ、と、当たり前のようなことですが、このことを再確認したとき、私達が日本人として、今をこうして生きることが出来ているのは、私達のご先祖さま方が、長い長い歴史を紡がれて、繋げてこられ、そしてしっかり継承され、また引き継がれてきたものの中にいるからこそ、“私は日本人である”、ということを認識できます。


つまり私達は、歴史や伝統、そして文化や習慣の中で生かされているのです。


これが、日本の国柄(くにがら)です。


先祖代々、この国柄(くにがら)を護り続けていただいたおかげで、私達が今、こうしてここに存在できています。ですから、国柄(くにがら)は護り繋げていくものです。


学校ですと校風であり、会社でいうと社風です。

そして家族には家風があります。

私達日本人には、国柄(くにがら)があります。

これが、“日本らしさ” であり、“日本人らしさ” ということになります。


日本人同士では、日頃は意識していないため、ピンとこない国柄(くにがら)であっても、ひとたび外国へ旅行で出かけたり、日本に旅行に来られている外国人の方々と話しをした時など、逆に、日本を良く知る外国人から、【日本人らしさ】や【日本らしさ】を伝えられて、はっと気づくことなどもあります。


例えば、サッカー日本代表の前監督をされていた、イビチャ・オシム氏。

「マスコミが戦争を始めさせる」、これはオシム前監督の有名な言葉です。


オシム監督といえば、ユーゴスラビアという国名が思い出されます。

そうです。ユーゴスラビアという国は、今は地球上に存在しません。

ユーゴスラビアという国は、1929年から2003年まで存在した東ヨーロッパの国家でした。


民族同士が対立し、激しい内戦が繰り返しおこなわれた結果、今は、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア

などの国になりました。


このような激動の時代の中で育ったオシム前監督は、当時の状況下で代表監督になると

メディアの猛抗議をものともせず、各民族の優れた選出を選抜してチームを構成しました。


お互い、殺し合うことになる民族をまとめあげて、ひとつのチームにした、ユーゴスラビア最後の代表監督でした。それゆえ今なおも、オシム前監督は旧ユーゴスラビア各国の、どの民族からも尊敬される唯一の人物です。


このオシム監督が最初に日本に来日したのは、1964年東京オリンピック開催時のサッカー選手としてでした。生まれて初めて見るカラーテレビや近代的な大都会東京に感激されたそうです。そしてある日、合宿地近辺をサイクリングしていた時、見ず知らずの老婆から、いきなり梨を振る舞われた。当時の日本では外国人は珍しかったのかもしれませんが、戦後という背景から考えても190センチの大男を怖がりもせずもてなすという、

日本人のホスピタリティに触れて親日家になったと言われています。


そのオシム前監督の最新著書には、以下のことが書かれてあります:-


「日本人よ、自信を持て」


オシム前監督は、“なにに自信をもて”と言っているのかというと


「私なりに日本の歴史を振り返ると、神風特攻隊作戦など行われた

太平洋戦争(大東亜戦争)においては、恐るべき訓練と自己鍛錬を要求されたに違いない。そういうディシプリンは本来、日本人の美徳だったはずだ。しかし私が代表監督の時代には、彼らはサッカーにおいて、ディシプリンを欠いていた。決定的なミスを犯すのは、そのせいだった。」(考えよ!イビチャ・オシム著 角川書店 P103

*(大東亜戦争は、私が追加したものです)


つまり、ディシプリン(discipline )という単語は、disciple (弟子)、門人の教育という単語が原語ですから、規則、規律、躾などを含んだ“規範”と捉えることができます。


この“規範”が欠けているから“自信”がない、“自信”がもてない、という風に解釈することができます。


それでは日本人にとっての「規範」とは何か?


規範とは、行動や判断の基準となる模範です。この行動や判断の基準とは、それぞれの歴史、文化、伝統、そういう一切から醸成された規範をいいます。

日本らしい国柄(くにがら)を含んだ規範に欠けているから自信がない。

外国人のオシム前監督でさえ、サッカーというスポーツを通じて感じられたということです。


日本らしい国柄(くにがら)を含んだ規範。

これは何なのでしょう?


ここで私達の「規範」とは、一体なにか?を考えたとき、日本人共通の規範は、「憲法」という、決まり事であることが思い浮かびます。憲法は、私達日本人全員が護らなければならない、共通の決まり事です。


ですが誠に残念なことに、戦後教育によって、憲法は、とかくややこしく難しいものなので、一般の人達が知らなくてもいいのだ、という現代の風潮は、本当にとても大きな問題です。


私達自身の生活が、安心して平和で健やかに暮らせるようにと定められた決まり事である

憲法について、専門家以外は知らなくてもいい、という風潮は、非常におかしなことです。だからこそ、オシム前監督にもこのように、ディシプリンが欠落していると指摘されているのでしょう。


まずは子供達の最初の社会となる、お母さん、お父さんが、私達の規範である、憲法について考えてみることが、非常に大切なことだとわかります。



つづく



参考:ー

占領憲法の正体

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國體護持總論 http://kokutaigoji.com

ウィキペディア


考えよ!イビチャ・オシム著 角川書店





















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皆さんが良くご存じの、“家族”、“学校”、“会社”。

これらは、それぞれが小さな社会の単位です。

例えば、家族という共同生活を営む一番小さな社会ですが、家族皆が、仲良く健康で、そして楽しくシアワセな毎日を過ごせるよう、それぞれの家族の中での決まり事やルール、規則のようなものがあります。



ある家族の家庭では、食事をする際、お父さんのご飯を一番さきによそう、という決まり事があるとします。

そうすると、お父さんが仕事で帰ってくるのが遅くて、他の家族がお父さんより先に晩ご飯を食べる場合でも、お父さんのお茶碗に一番最初にご飯を入れる。


またお父さんが出張などで、家に帰ってこない日であっても同様です。という風に、それぞれの家族、家庭での決まり事が、いろいろとあります。



こうした決まり事は、例えば、おじいさん、おばあさん、またはひいおじいさん、ひいおばあさんの頃より引き継がれているものや、もっともっと古いご先祖代々から受け継がれてきた、その家族ごとの習慣や伝統です。


それぞれの家庭がみな、こうした家族単位の伝統や習慣を護り繋げることで、瞬間や個人を越えた、ものを考える長さ、自分を位置づける深さ、そういった諸々の良き思想を、もたらしてくれていたのでしょう。



このように、先祖代々から受け継いだ家柄を皆で大切にすることによって、家族の繋がりや結束力が保たれます。誰かに何かがあったときには、まずは家族皆で力を合わせて、

その問題解決に取り組むという、そういう形がかつて日本では、あたりまえのようにありました。


こうした家族の単位で地域が作られていたおかげで、家族皆が力を合わせてどうにもならないことは、その家族の地域の人達の助けがあったりして、地域のみんなが仲良く安心して過ごせていたわけです。これを、“土地柄”などと呼んでいました。



この“土地柄(とちがら)”という言葉についてですが、「たから」(宝)という大和言葉があります。これは、おそらく「田柄(たがら)」のことで、“土地柄(とちがら)”のことです。稲作によって営まれる共同社会の人々、それが「おほみたから」=大御宝(公田柄)なのです。



そして家族から少し範囲が大きくなって、学校という社会があります。

古い歴史がある学校では、その校風と呼ばれるものがあって、その学校の独特の気風、その学校らしさというものが長い歴史とともに培われています。



その校風が、校歌でうたわれたり、校旗に表現されたりして、先輩から後輩へ、そのまた後輩へと永遠に繋がれてきて、生徒たちの誇りとなっているわけです。



その誇りである、歴史伝統の集大成である校風を護ることが、生徒みんなのためになることのみならず、卒業生や今後入学してくる学生やその家族のためにもなります。



そして各学校ごとに、その地域や歴史伝統などを継承した“校則”という決まり事、またはルールがあります。みんながその“校則”を守るから、その“校風”は護られます。



もしも生徒のひとりが、“個人の自由だ!自由にしていい権利がある!”という屁理屈をたてに、校則を守らないことが起きるとすると、その学校の校風や秩序は乱れ、その学校らしさ、長きにわたって先輩から後輩へと繋げられてきた、歴史伝統が壊れてしまいます。


諸先輩方々からずっと大切に引き継いできたものを護るために、皆共有する決まり事やルールである、校則を守るということがとても重要なのです。



そして子供が成長して大人になり、社会人の一員となったら、学校よりまた大きな社会である、“会社”という社会に所属します。社会に所属すると、“働く”という活動を通じて、人に地域に社会に貢献するようになります。



それぞれの会社には、その会社ごとの“社風”があります。

この社風というのも、会社の起業からの歴史や沿革、そして創業者の事業理念、そして地域社会や国に貢献する熱い思いなどが、社名やロゴマーク、そして会社の規則として反映されています。



社員が地域社会、そして国に貢献する事業体の一員として、社名やロゴマークに誇りをもち、事業理念を遂行して自分達もシアワセになるために社則を守ります。

ですが社員の中の誰かが、この社則を、自分勝手な思いから守らなかった場合、他の社員への迷惑は当然ながら、会社も地域の中で活動している背景から、ひいては地域社会や国にまで、迷惑がかかることとなる場合があります。



このように、家族という一番小さい単位の社会と、少し大きい単位の社会である学校、そして会社を例にとりましたが、いづれも共通していることというのは、その単位ごとに、歴史や伝統、そして文化を背景とした、家風・校風・社風を、みんながみんなで守ることが、自分達のみならず、所属するすべての人々と、その単位を取り巻く地域社会にとっての利益に繋がっていることがわかります。



しかし昨今の我が国を見渡してみますと、家族や学校、会社や社会、あらゆる場面場所において、何かが昔と大きく違ってきているという感覚は、誰もが漠然と抱いていることだと思います。



つまり、自由という言葉を多用し、人権という言葉の乱用が、家族を個人へとバラバラにしてしまい、学校、学級崩壊を招き、地域社会の治安悪化などを招きました。



学校という単位でも、会社という単位でも、自由と人権の名の下に、単に、自分さえよければ何をしたっていい。


歴史も伝統も、自分がやりたいように、したいようにするために邪魔であれば、家風も校風も社風も無視したっていい。


自分さえ快適に過ごすためであれば、家族の決まり事も、校則も社則も勝手に変えてもいいんだ!という、非常に自己中心的思想の傾向が、どんどん拡大しているように感じている方は増えているかと思います。 



どうしてこうなってしまったのでしょう。



つづく






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【八紘為宇】くにからのみち-usa

日本国憲法の第一章を読んで

天皇陛下に誠に申し訳ない、と感じない国賊は

今日のこの日は、決して、日の丸国旗を揚げるべからず。


米国国旗を掲げて、ワシントンに向かって敬礼していろ!




推薦ブログ:-

JJ太郎さんのブログ

http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10521903039.html


http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10521908165.html


いのししさんのブログ

エセはどのあたり?

http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/61297976.html



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第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス


第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


同じ「第1条」であっても
上と下の 1条 が、
全く異なる、ということ。

下の1条。
これは、まさに
天皇陛下を、
国民の尻に敷いたまま
「天皇陛下、万歳!」
などと口走る行為そのもの!

己の愚の骨頂に
とことん恥じろ!


人が国体をなして生活するには、誰も護らなければならない規則が必要です。しかしこのような規則がなく、めいめい勝手気ままなことをしたら、とても一緒に生活することは出来ません。それで国のような国体では、特に規則が必要です。国の規則はすなわち法令であって、国民はこれによって保護され、社会はこれによって安寧秩序を保たれるのです。国民がもし法令を重んじなかったら、国は秩序がみだれてその存在を全うすることができません。我が大日本帝国憲法は、天皇がこれによって我が国をお治めになる大法で、したがって法令の本になる最も大切な規則です。明治天皇は皇祖皇宗の御遺訓に基づかれて、国の反映と国民の幸福とをお望みになる大御心から、君臣共に永遠にしたがうべきこの大法を御制定になり、明治二十二年の紀元節の日に御発布になりました。憲法には、万世一系の天皇が我が国をお治めになることを示して、昔から変わらない国体の本を明らかにしてあります。また、国民に国の政治に参与する権利を与え、法律によって、国民の身体・財産を保護し、国民に兵役・納税の義務を負わせることがきめてあります。そうして天皇が我が国をお治めになるのに、一般の政務については国務大臣をお置きになって輔弼をおさせになり、裁判は裁判所におさせになることになっています。憲法と一緒に制定された皇室典範は、皇位継承に関する大切な事側をきめてある大切な事柄をきめてある規則で憲法と同じく国の大法であります。


修身書 第6巻17課より 「憲法」




大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス



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小沢が意図してようが、意図してなかろうが

それはどうでもいい。


ただただ「現行憲法」つまり「日本国憲法(占領憲法)」を

遵守しているだけだ・・・とのこと。


現行の「占領憲法」つまり、

「日本国憲法」を護っているだけだと。


そのとおりだ!

そのとおりだ!


憲法は護らなければならない!

民主党は、占領憲法を、しっかり遵守して頂きたい。


占領憲法(日本国憲法)を

遵守すればするほど

その正体が明らかになる!


いいぞー民主党。

もっともっと、どんどん、どんどん

占領憲法を護れ!


占領憲法を護って政治をしていただきたい。


占領憲法には、日本国民ではなく

すべての人に平等・・・と書かれてあるから

外国人参政権も、占領憲法を護るならば合憲である。


占領憲法下(日本国憲法)では

誰が何を言おうが、自衛隊の存在は「違憲」!

瑞穂は正しい!瑞穂が正しいのです。

フツウに素直に読めば、存在そのものが違憲。


自衛隊を皇軍にしたいのなら

方法はたったひとつ。

歴史に素直になること。




決して、都合の良い風に解釈せず

きちんと、しっかり、占領憲法を護っていただきたい。

あらゆ日本の法律の根拠は


英語で書かれた

日本国憲法と呼ばれている占領憲法なのだから。



日本語だけでなく、英文も

その根拠となる。



なので民主党は、素晴らしい!

どんどん占領憲法(日本国憲法)を護るがいい。



占領憲法(日本国憲法)を護って

農地がなくなり


占領憲法(日本国憲法)を護って

領土がなくなり


占領憲法(日本国憲法)を護って

仕事がなくなり


占領憲法(日本国憲法)を護って

日本国民総貧乏となり


占領憲法(日本国憲法)を護って

教育が崩壊し


占領憲法(日本国憲法)を護って

精神が破壊され


占領憲法(日本国憲法)を護って

家族がバラバラになり


占領憲法(日本国憲法)を護って

治安がいっそう悪くなる。


女性ひとりでは、外出できない国となる。

人が人でなくなる国になる。


占領憲法(日本国憲法)を護って

日本共和国が完成し、

神州日本は終わる。



小沢の発言が気に入らないならば

堂々と、「日本国憲法は無効だ!」と言え。


自衛隊を皇軍にしたいのならば

胸をはって、「日本国憲法は無効だ!」と言え。


天皇陛下を本気で護りたいのであれば

大日本帝国憲法は今も生きている と言挙げせよ。

そして、私達は臣民となって

天皇陛下のご詔勅を賜るまで。





●参考:-

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/335686/


●素晴らしい!Samuraiさんのエントリー:-

http://ameblo.jp/hirokane604/entry-10409845540.html






【八紘為宇】くにからのみち-出版記念バナー4



12月20日は、「大政奉還」が行われた
二条城の向かいにある
京都全日空ホテルでの「みすまる」です。
二条城(大政奉還)を見つめながらの
みすまる(御統の珠)です。


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