喜早純也のアメブロ

恵比寿・代官山の美容室 belog chez vous
めちゃくちゃサロンへのこだわりがあります!
絶対にどこにも負けない美容室だと自信もって言える美容室であり
美容師をしています!


テーマ:
震災から3年ですね

時が3年経っても、僕の中では常に記憶と意識が続いています。
そこから得た教訓を昇華させながら、日々「備えあれば患いなし」の精神で
今何しておくべきか?を追及していきたいとあらためて思います。



3.11から影響を受けたこと――

3年前までの僕は怪我で調子が悪く、その箇所に対してごまかしながら過ごしていました。

13年前くらいに膝を壊していながらも、無理をして富士山に登ってしまい、
その結果、軟骨がなくなってしまっている症状と靭帯が伸び切ってしまってる症状になってしまいました。
(高橋大輔選手と松井選手が二つ襲ってきた感じです(笑)

あらゆる治療を試みましたが、治すには手術しかないといわれていたので
そのころは手術をするだけの時間的な余裕がなく(術後2か月は松葉杖)
仕事に穴をあける事も、勇気もなく我慢しながら過ごしていました。

怪我を起こしてから10年、足は常に水がたまるので、お酒も飲むと痛いし、当然走るなんて無理。
しゃがむこともできないので、10年間1度も足を曲げることなく過ごしていました。

10年間足を曲げないで生活する。


これ、よくないのわかっていても、それが最善の過ごし方なんですよね。。

で、
やっぱり、あちらこちらが悪くなります。
首のヘルニアになり、右も左もむけない状態
肩も「拘縮肩」というものになってしまい。。。

かばえばかばうほどに、あちらこちらが悪くなります。

バンザイすらできない、首もまわらない、膝も曲がらない、どこを動かすのも痛いのです。
更にいろんなところも調子悪くなるし。。

そんなこんなで、あちこちが悪くなって5年過ごすことになりました。

正直、カットもギリギリでしたし
疲れ方が半端なかったです。


なんとか治らないものかと、リハビリにも行ってみるのですが・・・
行くとそのあとが動けなくなってしまうので、行くにいけないのですよね。

社内のイベントは思い切り参加するのですが、やっぱりその後1か月は体中が炎症起こしてしまう始末で。

仕事はできているし、身体を動かすという快楽を捨てればいいだけだと。
それ以上に苦労されている人もいるわけだし、こんなことくらい気にしないでおこう、、

我慢 我慢 我慢。



そんな風に過ごしていた僕に、大きな衝動がありました。

4年前に行った時のハワイ旅行―

ハワイ旅行に行くこと自体みんなにも反対されていました。
僕自身も、無理して海外旅行に行くのも怖く、元気に帰ってこれるのか?
みんなにも気を使わせてしまう情けなさと楽しませたい気持とのジレンマが激しくて・・・
すごく不安いっぱいでした。

イルカを見るツアーでのことでした。
海育ちで泳ぐことが得意な自分が、
浮き輪を付けた状態ですら泳げずに半分おぼれてしまいました。

もう最悪です。
怖いんですよね、何することも。。
歩くことさえしんどいし。
迷惑かけてる気がしてしまうことがきついんですよね。。


旅行を終えて決意しました。

手術をしようと。

その決意から、新たな決心が固まりました。

「手術をする前に自力で治すことにチャレンジしよう」と


今までリハビリに行っても
自分の体のことをわかってもらえてないことに、ストレスを感じていましたから
(お医者さんが悪いのではなく、そのあとが痛すぎてたんですよね。。)
自分自身で考えながら克服しようと試みました!

先ずは、湯船で正座が出来るように!!

これを目標にし、3か月かけて曲がるようになりました。

これ、マジで感動ですよ!!
今までは、動かすことを継続すればするほど痛みは増していたのが
それを超えて、曲げられるようになったんですから!!

肩も、首も手術が必要だったのですが
ゆっくりゆっくり、よく考えながら動かすことをし始めました。

何度も炎症を起こし、苦しめられましたが
ダメだったら手術をする、という決意に余裕も生まれ

とにかくやりきろうとし続けました。


やっぱり気持ち大切ですよね。

明らかに好転していきます。


痛みはあれど、身体を動かすことに気持ちよさを感じていましたから
いつか、走ることが出来たらなと
わくわくする気持ちがあふれてきていました!

愛犬の散歩はしていても、一緒に走ってあげることはなかったので
一緒に走り回りたかったのが夢でした^^



そんな時間を過ごしてきた時に震災が起きました。


僕にとっての最大の影響になりました。

あの時の被災地の状況に
何かできる事―

その気持ちが日本全体に広がっていた時に
「何かできる支援は元気であるからこそできる。」

そう思えてきたのです。
そして、
もしも、また震災が起きたら・・・

そう考えると、
今のような体調ではダメだなと

逃げようとしても走れない
助けてあげたくても助けてあげられない。

そんなことが目の前で起きてしまったら
悔やむに悔やみきれない思いになるなと

その思いが最大の実行力になり

目標を定めました。

人を助けられるだけの力を身につけるために
20歳くらいの体力に戻す!


僕は絶対にそうなると決めました。


最後のつてとして
日本新体操オリンピックチームのお医者さんでもある方に相談しました。

筋肉をつけても怪我は治らない
ましてや悪化するだけですよ。
と・・・


でも、しっくりこなかったんです。
治らないのは確実としても

きっと、自分の身体ってほとんどの筋肉を使ってあげてないような気がしたんです。

運動し始めて気がついたのは、
いつもと似てる動きでも、少しだけ角度を変えた違う動きするだけで
筋肉痛になってしまうんですよね。

もしかしたら、人って50%くらいの筋肉しか使ってあげてないのではないか?

どこかの本に書いてあったとか、特別なデータも根拠もないのですが
感覚的にそう感じたんですよね。

身体のポテンシャルって一生使わずに眠ってる可能性があるということ。


怪我は、手術とリハビリなしでは一生治らないのならば
逆に、そのほかのポテンシャルを引き出そうと考えました。


身体に話しかける感じです。
今、どこを使いながら動いているのか?

偶然にも、カットの時の教育と同じ要素でした。
「今、何の効果のために切っているのか??」

そう問いかける癖がついていたからか、
試行錯誤しながら身体が発達していきました!

身体を鍛え上げるには、それなりの根性が要りますが
それくらいの根性は余裕です!!

動けるようになると信じ
震災や、もしもの備えのためにはと信念を持ち
やり抜く心も身につきました。

おかげさまで、様々なスポーツや、トライしてみたことが
すべて自己更新記録をたたき出すようになります。

足の速さも、belogでは誰よりも早くなり
初めてプールに通ってみたのですが、水泳も20回も行かないうちに、
県大会3位レベルまで早くなったり
(泳ぐとは何か?を考えてみました。)

ゴルフも数回で身につけたり
スポーツ大会でもすべて勝つようになりました。


「考えてあげる以上のことを考えてあげる。の、その上をさらに想像する」

これ、すごいことが起きるんですよね。
怪我がどうとかは、もはや問題ではなく

人の身体って呼び起こせるものなんだなと知りました。

医学とか根拠とか、そういうの全く分からないですけど
身体の機能を目を覚まさせ、身体全部の力で一つのパワーにつなげる事。

怪我の痛みは残っていても、それとは比較にならない力を手に入れました。


長く語りましたが
何が伝えたいかと言いますと

「可能性は自分の想像より上のところで存在していること」

そして、
「歳に関係なく、やり方次第で20歳より若返ること。」

そう思えてから
ナチュラルに可能性を引き出していけるようになりました!


そう知ってから、あらゆる事が簡単にクリアしていけるようになりました!

子供が出来たら教えてあげたいです^^



結果

もしも震災が起きたら・・・
から始まったトレーニング。

肩もバンザイすらできなかった僕が




倒れてしまった二人を見たときに
(震災というか、、酔っ払いです)




小野君を引き上げ



前田くんを引き上げ





抱えながら歩き出せました!!!





めちゃくちゃ重い!!!!!!
(笑)






手術しなくてよかったなと思いますし
10年も動かさなかった時間に、ゆっくりと動く喜びを感じています。

震災は僕にとってはとてつもなく大きな強さを与えてくれました。
信念をもって丁寧にやり遂げていく事。


今も被災の影響で困ってらっしゃる方に
元気であるからこそできる支援を、金銭的にも労働的にも
続けていきたいと思います!!

世界が平和でありますように^^


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kisou maeda takahashi ono suga
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