図星

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「ラッパーの言葉は本来ボクサーの拳ぐらい危険なもののはずだ。」

これは絶という作品で、ほぼアカペラだが最も反応があった「絶望」という曲の一節である。


良い映画においての嘔吐描写は、HIPHOPアルバムの2曲目ぐらい重要で、芸人のグループ名と「ん」ぐらい切り離せない関係である。

今日はそんな切り離せない関係について書こうと思う。


僕にとって切り離せないものとは、やはり言葉だ。

話す機会があると非常に珍しがられるが、僕は普段言葉を話す際に、一度頭の中で文章を作り、自分なりにジャッジしてから口にするという少し変わった癖がある。

いつからかは覚えていないが、物心がついた頃にはそうだった。

これは何も凄いことではなく、ただのマイペースの賜物かとも思うが、その場に最も適した文章を頭で作り吐くか吐かないかを決める。

そのスピードは、普通の人と違和感なく会話出来る程度には自然となっていった。


なので、例えば怒るべき状況でも、頭の中で形成された言葉は、口にする前には自分の中ではセリフ的になっていて、なんだかその言葉を吐く行為自体が馬鹿らしく思えてしまうのだ。

「ブッ殺すぞ!」と同時に「いや捕まるの嫌ですし、まずそれは無理でしょう」という言葉が覆い被さる。

であれば口にしなくても良いという結論だ。


怒りに任せて中途半端に言葉をいくつも投げつけるのであれば、的確に最も相手の感情を逆撫でする言葉を一つ選ぶ方が燃費も良い。

お互いの精神衛生上もそれが良いと僕は思う。


人の感情を刺激する言葉を使う事に語彙の数はあまり重要な意味を成さないが、言葉で人を傷付けるには覚悟が必要である。

目に見えない傷は、完治は難しい。傷付けるのであれば、その人の将来に常について回る覚悟は最低限必要であるのだ。


そんな性格が影響してか、普段は怒りに打ち震える様な事はほとんどなく、日常で声を張り上げて激昂する機会など皆無に等しい。

相手と言葉を選びながら落ち着いて話をする。

それは特徴でもあり、少なからずコンプレックスでもある。

人混みの帰宅ラッシュ、駅で喧嘩をしている酔っ払いが、何故か羨ましく思える時がある。

後先を考えず、今その瞬間にフォーカスし、あんなに感情を剥き出しに出来るのは、僕には完全に欠けた感覚なので、滑稽ではあるがそれと同じくらい関心もする。


しかし、ごく稀に抑えようのない怒りに我を忘れて、危うく相手を傷つける手前まで行く事がある。

数年に一度程度。

いや、数年に一度は言いすぎだ。

確かに稀ではあるが、年に一度ぐらいはあるかもしれない。


それは、大切なものを土足で踏みにじられたと感じた時である事はまず間違いないのだが、

踏みにじられた分を焼き印の様に相手の心、そして将来に刻み込みたいと心底思い、考えられる全ての言葉や文字の配列、行使可能な行動を総動員して相手を如何に傷付けるかを考えるのだ。


しかし、その様な感情を覚えた出来事の後、その時の事を今一度冷静に振り返る機会がある。


その時に思う事は、言い方や、やり方に問題はあったにせよ、殆どの場合、相手の言葉は少なからず自分の図星をついているという事だ。

認めざるを得ない。図星だ

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