母の日に思ったこと
昨日は、母の日。
元気な86才のわが母と7年前になくたった義母に思いをはせた。
彼女たちの子供のころ、日本はまだ戦争をしていた。
軍国主義を疑いもせずに受け入れ、日々の厳しく苦しい環境を一生懸命生き抜いてきた。
実の母は存命で今も元気で自立している。幼いころに親戚に預けられたリ、早くに父親や弟と死に別れながら貧しい時代を生きてきたが、生涯の伴侶(父)と出会い結婚し、幾多の困難を乗り越え、東京で八百屋の商いをし、住み込みスタッフを親身に世話しながら、朝早くからから夜遅くまで働き詰めなのに、いつも明るく私や弟を育ててくれた。
また、義母は幼いころに母親を亡くし、福島県の田舎町の町長の父がもらった後妻さんに育てられ、大好きな兄を肺病(結核)で無くしながらも、夢見る文学少女の面影を残したまま、苦労に苦労を重ねた清冽な人生を東京の私たちのそばで終わられせていった。
母たちの幸せは、間違いなく家族が幸せでいることだった。
お母さん同士で会食したり、ましてや飲み会に行くなんてあり得なかった。せいぜい玄関先で近所のおばさんと長話ししているくらい。大切な友人とは文通したり年賀状で近況を知らせあったりしていた。
戦後、高度成長時代に入り豊かな生活を享受できるようになり、子供たちが何不自由なくくらしていける環境は、母たちにとって、きっととても満足だったに違いない。
しかし急激に膨らんだバブル経済が一気に破たんし、いつのまにか物質依存していまっていた私は、シュリンクした経済のため大きく変わっていく世の中に押しつぶされそうになり、たくましく楽しく生きる力を見失ってしまったようだ。
母の日に、母たちが自分の人生をかけて我々子供たちに教えてくれたことを思い出した。
色々な困難や不安を、自分の中で冷静に消化し、まずその事実を受け入れ、今日を生きること。
戦争や貧乏生活、家族の死など私の想像をこえる困難を、母たちは自分の中で怯え悲しみながらも、事実を受け留め、家族の日々を支えてきた。
そして、いつも子どもたちが元気に楽しく生きていけるよう導いてくれていた。
母たちから受け継いだ私自身の愛を信じて、生きていこうと思った。
信じれば、母たちのように困難を冷静に受け止めながら日々を楽しく暮らしていけそうな気がした。
やっと身を固めた長男が、母の日にお花をプレゼントしてくれた。
長男の嫁さんのお腹には小さに命が、、、、
ばあばの喜びを孫たちも祝福してくれた…嬉しい!!
この子たちのためにも、次世代のためにも、自分の愛を信じて生きよう。
母たちのように。。。