遊び心で作る歴史の奇問難問 | 最強最後の十年を望む

遊び心で作る歴史の奇問難問

今回は、昔作った日本史と世界史の奇問をご紹介します。

歴史の勉強は、興味を持った方がより深く入っていきやすいと思います。

いやいやながら覚えるより、興味をもって事実関係や地理、そして時系列の変化などを調べた方が知識として定着しやすいでしょうし、より一層勉強したくなると思います。

そんな一方法としておすすめしているのが、自分で某私大のような難問奇問を作って遊んでみることです。

遊びといっても事実はちゃんと調べなければなりませんので、深い知識が必要となります。
また、歴史を面白くする契機となってくれます。

高校一年からでもやり始めるといいでしょう。
あまりいい例ではないかもしれませんが、下に一例を挙げておきます。


問題 以下の三群のそれぞれ関係あるものを結びつけよ

例 ①―C-ウ

第一群
①3月14日  ②5月27日  ③7月4日  ④7月14日

第二群
A:トマスペイン  B:ジャックネッケル  C:家光の四男  D:小村寿太郎

第三群
ア:この財務大臣の罷免などもあり、一気に不満が爆発していった。
イ:この著者の著作が機運を高めた。
ウ:地中海に駆逐艦を派遣している。
エ:エンゲルベルト・ケンペルには、この男は英邁であると印象されている。


①~④の日付のうち、二つは有名なのでさほど難しくないと思います。
残り二つのうちの一つも、時代小説を読んでいる人達の間では比較的有名ですが、皆さんは知らないでしょう。

最後の一つは、とてもマニアックな日付で、知っている人は殆どいないはずです。
この日付を知っている人は、小説で読んで知識を持っているなどといった、特別な理由があるはずです。


A~D はいずれも有名人です。
世界史や日本史の教科書にも載っていると思います。

Cは名前を出すと奇問ではなくなってしまうので、少し捻った出し方をしました。


ア~エは、一つを除いて教科書的な知識だと思います。
その残りの一つに関する歴史事象も有名なものですから、教科書には載っていなくても知っているか、或いは聞いたことはあると思います。

知っている知識から、奇問の解答を引き出すという基本的な方法が使えます。

ウは、A~Dに対応した人物の行動ではありません。
関連する事柄を述べているだけです。

ア、イと結びつくA~Dの選択肢は、世界史選択者にとっては容易なのではないでしょうか。

ウと結びつくのは、Cではないことは明らかです。
このように考えてくると、A~Dとア~エの結びつきはすぐにわかると思います。

日付のうち、③と④を知っている場合は、A~Dの選択肢との結びつきは即答かもしれません。

そして、残りの①を知っているのなら、全問正解できるでしょう。
②を知らなくても、残りを結びつければ良いからです。


では、解答に入る前に、ヒントを差し上げます。

選択肢エのケンペルは、オランダ商館付きの医師として出島に滞在していました。
ケンペルの「日本誌」に選択肢エの記述があるそうです。

というヒントを書くと、もうA~Dとの結びつきはおわかりですね。

イギリスは孤立政策をやめ、義和団の乱で活躍した日本に接近してきました。
1902年に同盟が成立し、その3年後のこの日に海戦史上稀に見る大勝を日本は成し遂げるのです。

ここまでのヒントで解答はできるのではないでしょうか。

解答はできますが、日付の意味がわからないかもしれません。

①は、「風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残りを 如何にとやせん(又は、とかせん)」という辞世の句を残した殿様が発端の事件があった日です。
この辞世は後世の創作だという人もいます。

元禄14年(1701年)播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城殿中松の大廊下で、高家筆頭吉良上野介義央に斬りつけた事件の日です。
高家とは儀式典礼を専門とする、家格の高い幕府の役職だそうです。

②は、1905年に日露戦争の最終段階である日本海海戦が行われた日です。
日英同盟により、英国は間接的に日本に味方しました。

バルチック艦隊がロシアから大西洋を回って回航してくる途中、英国領の港を使わせなかったり、艦隊の動きについての情報を日本に提供したりしたのです。

③は、トマスペインの著書「コモンセンス」で独立論が高まった1776年に、アメリカの独立宣言が採択された日付です。

④は、1789年にバスティーユ襲撃が行われた日付です。
私が高校生の頃は、バスティーユ牢獄の襲撃と呼ばれていたような気がします。

第三身分に期待され、人気のあった財務大臣ジャックネッケルの罷免が引き金の一因となっています。
かなり血なまぐさい事件で、その後に同様の事象が続いていきます。

人名については、C:家光の四男というのは、五代将軍徳川綱吉です。
生類憐みの令などでドラマや小説では悪いイメージしかありませんが、ケンペルには英邁な人物として印象されているようです。

この将軍が京都から朝廷の使者を接待している最中に赤穂事件が起こりました。

D:小村寿太郎は、日英同盟の交渉にかかわり、調印は、林董によって行われています。

林董(はやしただす)は、和田塾、後の佐倉順天堂を開設した佐藤泰然の五男です。
榎本武揚とともに北海道へ行き、箱館戦争を戦っていることは教科書にも載っていないでしょう。

小村寿太郎はロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印していることは教科書の知識です。

ウの、地中海に駆逐艦を派遣したのは、第一次世界大戦のときです。
日英同盟により、連合国側の商船を護衛したということです。


以上です。
歴史については本職ではありませんので、細部で間違いがあるかもしれませんが、大筋では正しいと思います。

間違いがある場合は、ご指摘下さい。

解答
① C エ
② D ウ
③ A イ
④ B ア


面白そうだと思ったら、このような奇問の類を作ってみて下さい。

友人と奇問の難易度を競い合っても面白いと思います。

ただ、私のように、これにハマって本来の入試対策を怠ってはいけません。